百詩篇第7巻42番

「百詩篇第7巻42番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

百詩篇第7巻42番」(2011/01/22 (土) 00:11:32) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

*原文 Deux de poysou&sup(){1} saisiz, nouueau&sup(){2} venuz&sup(){3}, Dans la cuisine&sup(){4} du&sup(){5} grand Prince verser: Par le souillard&sup(){6} tous deux au fainct cogneuz&sup(){7}, Prins qui cuidoit de mort&sup(){8} l'aisné&sup(){9} vexer **異文 (1) poysou 1557U : poison T.A.Eds. (2) nouueau 1557U 1557B 1568 1590Ro : nouueaux &italic(){T.A.Eds.} (3) venuz : Venus 1672 (4) cuisine : Cuisine 1712Guy (5) du : d'un 1712Guy (6) souillard 1557U 1557B 1568 1590Ro : soüillard &italic(){T.A.Eds.} (7) cogneuz 1557U 1568A : congneuz &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : cognuz 1590Ro, conneus 1653, connus 1665 1712Guy 1772Ri 1840) (8) de mort : mort 1600 1653 1665 1867LP (9) l'aisné : lasné 1627, l'aisne 1650Ri **校訂  1行目の poysou は明らかに poyson(poison)の誤植。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は後述の解釈との関係から、Deux de poison (ドゥ・ド・ポワゾン、二人が毒に)は、D'oeuf de poison (ドゥフ・ド・ポワゾン、毒の卵に)の可能性があるとした。 *日本語訳 新参の二人が毒の虜となり、 大君主の厨房で注ぎこむ。 皿洗い人によって二人ともその行為を見通され、 長子を死に至らしめたと思い込んだ者が囚われる。 **訳について  大乗訳1行目「毒により二人は新しい金星に養われ」((大乗 [1975] p.213))は採用している底本で venuz が Venus となっているので、それの訳としては許容範囲内である。  同4行目「そして取られて 死で長男は混乱する」は qui cuidoit (~と思った者)が訳に反映されていない。  山根訳1行目「二人の新入りが毒を奪いとり」((山根 [1988] p.252))は、saisis が過去分詞なので、能動的に訳すことは不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は[[アンリ4世]]がメラン(Mélan)で毒を盛られそうになったことと解釈した((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]は、未来においてある君主の邸宅に外国人が訪れ、子供たちに毒を盛ろうとする予言と解釈した((Guynaud [1712] pp.381-382))。  彼ら二人以外に、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]や[[エリカ・チータム]]は、詩の状況をそのまま敷衍したような解説しか付けていなかった((Roberts [1947], Cheetham [1973/1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]はまだ解読できていない詩としていて、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の改訂版でもそれがそのまま踏襲された((Hutin [1978/2002]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は魚卵に毒を仕込む話が出てくる[[百詩篇第7巻24番]]と関係があるのなら、ここで想定されている君主は「フランスの長子」(l'aisné)の異名をとったロレーヌ公かもしれないとした((Brind’Amour [1993] p.226, Clébert [2003]))。 *その他  1611B では39番として、1672では44番として収録されている。前者は一部の詩が省かれているためで、後者は偽の詩篇が42番と43番に挿入されたためである。 ---- #comment
*原文 Deux de poysou&sup(){1} saisiz, nouueau&sup(){2} venuz&sup(){3}, Dans la cuisine&sup(){4} du&sup(){5} grand Prince verser: Par le souillard&sup(){6} tous deux au fainct cogneuz&sup(){7}, Prins qui cuidoit de mort&sup(){8} l'aisné&sup(){9} vexer **異文 (1) poysou 1557U : poison T.A.Eds. (2) nouueau 1557U 1557B 1568 1590Ro : nouueaux &italic(){T.A.Eds.} (3) venuz : Venus 1672 (4) cuisine : Cuisine 1712Guy (5) du : d'un 1712Guy (6) souillard 1557U 1557B 1568 1590Ro : soüillard &italic(){T.A.Eds.} (7) cogneuz 1557U 1568A : congneuz &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : cognuz 1590Ro, conneus 1653, connus 1665 1712Guy 1772Ri 1840) (8) de mort : mort 1600 1653 1665 1867LP (9) l'aisné : lasné 1627, l'aisne 1650Ri **校訂  1行目の poysou は明らかに poyson(poison)の誤植。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は後述の解釈との関係から、Deux de poison (ドゥ・ド・ポワゾン、二人が毒に)は、D'oeuf de poison (ドゥフ・ド・ポワゾン、毒の卵に)の可能性があるとした。 *日本語訳 新参の二人が毒の虜となり、 大君主の厨房で注ぎこむ。 皿洗い人によって二人ともその行為を見通され、 長子を死に至らしめたと思い込んだ者が囚われる。 **訳について  大乗訳1行目「毒により二人は新しい金星に養われ」((大乗 [1975] p.213))は採用している底本で venuz が Venus となっているので、それの訳としては許容範囲内である。  同4行目「そして取られて 死で長男は混乱する」は qui cuidoit (~と思った者)が訳に反映されていない。  山根訳1行目「二人の新入りが毒を奪いとり」((山根 [1988] p.252))は、saisis が過去分詞なので、能動的に訳すことは不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は[[アンリ4世]]がメラン(Mélan)で毒を盛られそうになったことと解釈した((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]は、未来においてある君主の邸宅に外国人が訪れ、子供たちに毒を盛ろうとする予言と解釈した((Guynaud [1712] pp.381-382))。  彼ら二人以外に、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]や[[エリカ・チータム]]は、詩の状況をそのまま敷衍したような解説しか付けていなかった((Roberts [1947], Cheetham [1973/1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]はまだ解読できていない詩としていて、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の改訂版でもそれがそのまま踏襲された((Hutin [1978/2002]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は魚卵に毒を仕込む話が出てくる[[第7巻24番>百詩篇第7巻24番]]と関係があるのなら、ここで想定されている君主は「フランスの長子」(l'aisné)の異名をとったロレーヌ公かもしれないとした((Brind’Amour [1993] p.226, Clébert [2003]))。 *その他  1611B では39番として、1672では44番として収録されている。前者は一部の詩が省かれているためで、後者は偽の詩篇が42番と43番に挿入されたためである。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: