詩百篇第10巻3番

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*原文 En apres cinq troupeau&sup(){1} ne mettra&sup(){2} hors vn [[Fuytif>fuitif]]&sup(){3} pour [[Penelon]] l'aschera&sup(){4}, Faulx murmurer secours&sup(){5} venir&sup(){6} par lors&sup(){7}, Le chef le siege&sup(){8} lors&sup(){9} habandonnera&sup(){10}. **異文 (1) troupeau : troupeaux 1600 1772Ri, troupe au 1627 (2) ne mettra : mettra 1665 (3) hors vn / Fuytif : hors / Vn fuytif 1605 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1660 1668 1672 1840 (4) l'aschera 1568A 1568B 1568I : laschera &italic(){T.A.Eds.} (5) secours : secour 1665 (6) venir : vnir 1600 1644 1650Ri 1653 1665, vni 1627 (7) par lors : pour lors 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 1840 (8) chef : Chef 1672 (9) siege : Siege 1672 (10) lors : pour lors 1610 (11) habandonnera 1568 1590Ro : abandonnera &italic(){T.A.Eds.} **校訂  1行目末から2行目冒頭にかけての行をまたぐ異文は非常に珍しいが、1行10音節という韻律と、1行目と3行目で韻を踏ませることを考慮すれば、1605 などのように un は2行目の冒頭に持ってこなければならない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]もそう読んでいる。  2行目の [[Penelon]] は諸説あるが、[[ピーター・ラメジャラー]]は pour Penelon l'aschera を pour peines l'on laschera と読んでいる((Lemesurier [2003b]))。 その全体はともかく、とりあえず最後が laschera であるべきという点は他の論者の間でも異論がない。 *日本語訳 五つの後、一群は排斥しないだろう。 一人の逃亡者は苦痛のために放免されるだろう。 すぐにも救援が来ると間違ってささやかれるので、 その時に指揮官は攻囲を解くだろう。 **訳について  1行目は前半律が en apres cinq で区切れるので、そこまでをひとまとまりと見なすべき。[[ピーター・ラメジャラー]]はこの cinq を疑問符つきで cinq ans (五年)と解釈したが、「五日」「五ヶ月」などの可能性もある。なお、en apres は「その後」(par la suite, dans la suite)を意味する成句だが、単なる apres と同じ意味にもなった((DMF))。mettre hors は「排除する、排斥する」(exclure)を意味する成句((DMF))。 2行目はラメジャラーの校訂に従って訳した。[[Penelon]]をそのままにするなら、「一人の逃亡者はプヌロン(ペネロン)のために放免するだろう」となる。主語が1行目と同じとするなら「(一群は)一人の逃亡者をプヌロンのために放免するだろう」とも訳せる。  3行目 murmurer (ささやく)は能動態だが、on が省略されているものと見なし、受動的に訳した。また、4行目との繋がりから言葉を補った。  山根訳1行目「のちに五番目の者は群を追い出さぬ」((山根 [1988] p.316))は、上で述べた前半律の区切れ目から言えば不適切である。  大乗訳1行目「五人のあとでひつじの群れはおいださず」((大乗 [1975] p.285))は、構文理解上は問題ないが、troupeau を「ひつじの群れ」とまで特定できるかは大いに疑問。  同2行目「彼はペネロンへの走路を解放し」は、[[fuitif]]を「走路」と訳すのが不適切。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は [[Penelon]] を意味不明とし、誤植が含まれている可能性を指摘していた((Garencieres [1672]))。詩の内容については解釈していなかった。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[セルジュ・ユタン]]は1940年にペタン元帥のヴィシー政権が成立したことと解釈した((Hutin [1978]))。  [[加治木義博]]は湾岸戦争直後にはその予言とし、[[Penelon]] はPLO(パレスチナ解放機構)とネロン(Néron, 暴君ネロのフランスでの呼称)の合成語とした((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.97))。のちには1993年10月にロシアで起こったクーデター騒動の予言でもあったとしたが、その場合の Penelon は意味不明とした((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』pp.39-40))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も出典を特定していない。 ---- #comment
[[詩百篇第10巻]]>3番* *原文 En apres cinq troupeau&sup(){1} ne mettra&sup(){2} hors vn [[Fuytif>fuitif]]&sup(){3} pour [[Penelon]] l'aschera&sup(){4}, Faulx murmurer secours&sup(){5} venir&sup(){6} par lors&sup(){7}, Le chef le siege&sup(){8} lors&sup(){9} habandonnera&sup(){10}. **異文 (1) troupeau : troupeaux 1610Po 1772Ri, troupe au 1627Di (2) ne mettra : mettra 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650ri 1653AB 1665Ba 1720To, ne mettera 1650Mo (3) hors vn / Fuytif : hors / Vn fuytif 1605sn 1611 1628dR 1649Xa 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668A 1668P 1672Ga 1840 1981EB (4) l'aschera 1568X 1568A 1568C 1716PRc : laschera &italic(){T.A.Eds.} (5) secours : secour 1665Ba (6) venir : vnir 1607PR 1610Po 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, vni 1627Di, vcnir 1650Mo (7) par lors : pour lors 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1716PR 1720To 1840 (8) chef : Chef 1672Ga (9) siege : Siege 1672Ga (10) lors : pour lors 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR (11) habandonnera 1568 1590Ro : abandonnera 1591BR & &italic(){T.A.Eds.} **校訂  1行目末から2行目冒頭にかけての行をまたぐ異文は非常に珍しいが、1行10音節という韻律と、1行目と3行目で韻を踏ませることを考慮すれば、1605 などのように un は2行目の冒頭に持ってこなければならない。実際、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]もそう読んでいる。  2行目の [[Penelon]] は諸説あるが、[[ピーター・ラメジャラー]]は pour Penelon l'aschera を pour peines l'on laschera と読んでいる((Lemesurier [2003b]))。 その全体はともかく、とりあえず最後が laschera であるべきという点は他の論者の間でも異論がない。 *日本語訳 五の(時日の)後、一群を排除しないだろう。 一人の逃亡者は苦痛のために放免されるだろう。 すぐにも救援が来ると間違ってささやかれるので、 その時に指揮官は攻囲を解くだろう。 **訳について  1行目は前半律が en apres cinq で区切れるので、そこまでをひとまとまりと見なすべき。[[ピーター・ラメジャラー]]はこの cinq を疑問符つきで cinq ans (五年)と解釈したが、「五日」「五ヶ月」などの可能性もある。なお、en apres は「その後」(par la suite, dans la suite)を意味する成句だが、単なる apres と同じ意味にもなった((DMF))。mettre hors は「排除する、排斥する」(exclure)を意味する成句((DMF))。  2行目はラメジャラーの校訂に従って訳した。[[Penelon]]をそのままにするなら、「一人の逃亡者はプヌロン(ペネロン)のために放免するだろう」となる。「一人の逃亡者をプヌロンのために放免するだろう」とも訳せる。  3行目 murmurer (ささやく)は能動態だが、on が省略されているものと見なし、受動的に訳した。また、4行目との繋がりから言葉を補った。  山根訳1行目「のちに五番目の者は群を追い出さぬ」((山根 [1988] p.316))は、上で述べた前半律の区切れ目から言えば不適切である。  大乗訳1行目「五人のあとでひつじの群れはおいださず」((大乗 [1975] p.285))は、構文理解上は問題ないが、troupeau を「ひつじの群れ」とまで特定できるかは大いに疑問。  同2行目「彼はペネロンへの走路を解放し」は、[[fuitif]]を「走路」と訳すのが不適切。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は [[Penelon]] を意味不明とし、誤植が含まれている可能性を指摘していた((Garencieres [1672]))。詩の内容については解釈していなかった。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[セルジュ・ユタン]]は1940年にペタン元帥のヴィシー政権が成立したことと解釈した((Hutin [1978]))。  [[加治木義博]]は湾岸戦争直後にはその予言とし、[[Penelon]] はPLO(パレスチナ解放機構)とネロン(Néron, 暴君ネロのフランスでの呼称)の合成語とした((加治木『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.97))。のちには1993年10月にロシアで起こったクーデター騒動の予言でもあったとしたが、その場合の Penelon は意味不明とした((加治木『真説ノストラダムスの大予言 激動の日本・激変する世界』pp.39-40))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]も出典を特定していない。 ---- #comment

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