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*原文
[[Regne>regne]] Gauloys tu seras bien changé:
En lieu estrange&sup(){1} est [[translaté>translater]] l'empire&sup(){2}
En autres meurs, & loys&sup(){3} seras&sup(){4} [[rangé>ranger]]:
Rouan&sup(){5} & Chartres&sup(){6} te feront&sup(){7} bien du pire.
**異文
(1) En lieu estrange : En lieu 1665
(2) est translaté l'empire : est translaté l'Empire 1557B 1627 1650Le 1665 1668 1672 1716, l'Empire est translaté 1589PV, l'Empire translaté 1649Ca
(3) meurs, & loys : mœurs & loix 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1716 1772Ri, loix & moeurs 1649Ca 1650Le 1668, mœurs & Lois 1672
(4) seras : sera 1665
(5) Rouan : Roan 1568 1605 1611A 1628 1649Xa 1772Ri, Roüan 1600, Rouen 1589PV 1627 1653, Roüen 1644 1649Ca 1650Le 1665 1668 1716
(6) Chartres : chartres 1627, Chartes 1605 1649Xa 1650Le
(7) feront : fera 1649Ca 1650Le 1668
(注記)1588-89は[[百詩篇第2巻27番]]に差し替えられており不収録
*日本語訳
ガリアの王国よ、汝はすっかり変わるだろう。
帝国は異なる場所に移される。
汝は別の習慣と法制で整えられるだろう。
[[ルーアン]]と[[シャルトル]]は汝をひどく苦しめるだろう。
**訳について
大乗訳4行目「ルアンとシャルトルは その中で最も悪くなるだろう」((大乗 [1975] p.109))は、te が訳に反映されておらず、構文理解自体が不適切。
山根訳2行目「帝国は領土を外国にまで拡大する」((山根 [1988] p.130))は、[[translater]]の訳し方として「拡大する」が不適切だろう。
同3行目「異なる法や習慣が整理されよう」も、前置詞 en が無視されている上、seras という活用形(これは二人称単数に対応する)から言っても不適切である。
同4行目「ルーアンとシャルトルが勝手な真似をし そなたを困らせるだろう」も、言葉を補いすぎているように思われる。
*信奉者側の見解
匿名の解釈書『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、1585年7月のヌムール協定(改宗しないプロテスタントの国外追放を定めた)などを含めて、宗教戦争末期のフランスの様子と解釈した((Petit Discours..., pp.5-6))。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はルーアンやシャルトルがそれぞれの地方での主要都市であることを説明しただけだった((Garencieres [1672]))。
匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)では、フランスが君主制から共和政に変わったこととされた((L’Avenir..., p.40))。
[[フランシス・ジロー]]は前半2行のみを解釈し、ナポレオンがセント・ヘレナ島に流されたこととした((Girault [1839] p.35))
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は近未来の戦争でフランスの首都がアヴィニョンになることとした((Fontbrune [1939] p.212))。後の改訂版でも時期をずらしただけで解釈そのものは変えなかったが((Fontbrune [1975] p.227))、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はヴィシー政権のことと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
[[アンドレ・ラモン]]は、第二次大戦中のヴィシー政権と解釈し、首都がヴィシーに置かれたことや、君主制でも共和政でもない独裁体制になったことを描いているとした((Lamont [1943] p.193))。
[[セルジュ・ユタン]]はフランス革命でアンシャン・レジーム期の諸法制が廃止されたことと解釈した((Hutin [1978/2002]))。
*同時代的な視点
[[エヴリット・ブライラー]]は、[[パヴィーア]]の敗戦で捕虜となったフランソワ1世がモデルの可能性があると指摘した((LeVert [1979]))。
[[ピエール・ブランダムール]]は「移される帝国」をモチーフにした詩(→[[百詩篇第1巻32番]]、[[百詩篇第3巻92番]])であることと、ルーアンとシャルトルの組み合わせは[[百詩篇第4巻61番]]にも出てくることを指摘するにとどまった。
[[ロジェ・プレヴォ]]は、フランスのプロテスタント勢力がイングランド女王エリザベス1世と結んだハンプトンコートの密約(1562年9月)と解釈した。このとき仲介役になったのがロアン公(Rohan)とシャルトル子爵だった((Prévost [1999] p.193))。プレヴォは詳述していないが、ルーアンはロアンと解釈したのだろう。しかし、この詩の初出は1555年のことなので、その密約をモデルと見ることはできないだろう。
[[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に収録された「[[偽メトディウス]]」のモチーフが投影されていると解釈した((Lemesurier [2003b/2010]))。ただし、シャルトルとルーアンの位置付けは不明瞭とした。
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#comment
*原文
[[Regne>regne]] Gauloys tu seras bien changé:
En lieu estrange&sup(){1} est [[translaté>translater]] l'empire&sup(){2}
En autres meurs, & loys&sup(){3} seras&sup(){4} [[rangé>ranger]]:
Rouan&sup(){5} & Chartres&sup(){6} te feront&sup(){7} bien du pire.
**異文
(1) En lieu estrange : En lieu 1665
(2) est translaté l'empire : est translaté l'Empire 1557B 1627 1650Le 1665 1668 1672 1716, l'Empire est translaté 1589PV, l'Empire translaté 1649Ca
(3) meurs, & loys : mœurs & loix 1557U 1557B 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1716 1772Ri, loix & moeurs 1649Ca 1650Le 1668, mœurs & Lois 1672
(4) seras : sera 1665
(5) Rouan : Roan 1568 1605 1611A 1628 1649Xa 1772Ri, Roüan 1600, Rouen 1589PV 1627 1653, Roüen 1644 1649Ca 1650Le 1665 1668 1716
(6) Chartres : chartres 1627, Chartes 1605 1649Xa 1650Le
(7) feront : fera 1649Ca 1650Le 1668
(注記)1588-89は[[百詩篇第2巻27番]]に差し替えられており不収録
*日本語訳
ガリアの王国よ、汝はすっかり変わるだろう。
帝国は異なる場所に移される。
汝は別の習慣と法制で整えられるだろう。
[[ルーアン]]と[[シャルトル]]は汝をひどく苦しめるだろう。
**訳について
大乗訳4行目「ルアンとシャルトルは その中で最も悪くなるだろう」((大乗 [1975] p.109))は、te が訳に反映されておらず、構文理解自体が不適切。
山根訳2行目「帝国は領土を外国にまで拡大する」((山根 [1988] p.130))は、[[translater]]の訳し方として「拡大する」が不適切だろう。
同3行目「異なる法や習慣が整理されよう」も、前置詞 en が無視されている上、seras という活用形(これは二人称単数に対応する)から言っても不適切である。
同4行目「ルーアンとシャルトルが勝手な真似をし そなたを困らせるだろう」も、言葉を補いすぎているように思われる。
*信奉者側の見解
匿名の解釈書『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、1585年7月のヌムール協定(改宗しないプロテスタントの国外追放を定めた)などを含めて、宗教戦争末期のフランスの様子と解釈した((Petit Discours..., pp.5-6))。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]はルーアンやシャルトルがそれぞれの地方での主要都市であることを説明しただけだった((Garencieres [1672]))。
匿名の解釈書『暴かれた未来』(1800年)では、フランスが君主制から共和政に変わったこととされた((L’Avenir..., p.40))。
[[フランシス・ジロー]]は前半2行のみを解釈し、ナポレオンがセント・ヘレナ島に流されたこととした((Girault [1839] p.35))
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は近未来の戦争でフランスの首都がアヴィニョンになることとした((Fontbrune [1939] p.212))。後の改訂版でも時期をずらしただけで解釈そのものは変えなかったが((Fontbrune [1975] p.227))、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はヴィシー政権のことと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
[[アンドレ・ラモン]]は、第二次大戦中のヴィシー政権と解釈し、首都がヴィシーに置かれたことや、君主制でも共和政でもない独裁体制になったことを描いているとした((Lamont [1943] p.193))。
[[セルジュ・ユタン]]はフランス革命でアンシャン・レジーム期の諸法制が廃止されたことと解釈した((Hutin [1978/2002]))。
*同時代的な視点
[[エヴリット・ブライラー]]は、[[パヴィーア]]の敗戦で捕虜となったフランソワ1世がモデルの可能性があると指摘した((LeVert [1979]))。
[[ピエール・ブランダムール]]は「移される帝国」をモチーフにした詩(→[[百詩篇第1巻32番]]、[[百詩篇第3巻92番]])であることと、ルーアンとシャルトルの組み合わせは[[百詩篇第4巻61番]]にも出てくることを指摘するにとどまった。
[[ロジェ・プレヴォ]]は、フランスのプロテスタント勢力がイングランド女王エリザベス1世と結んだハンプトンコートの密約(1562年9月)と解釈した。このとき仲介役になったのがロアン公(Rohan)とシャルトル子爵だった((Prévost [1999] p.193))。プレヴォは詳述していないが、ルーアンはロアンと解釈したのだろう。しかし、この詩の初出は1555年のことなので、その密約をモデルと見ることはできないだろう。
[[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に収録された「[[偽メトディウス]]」のモチーフが投影されていると解釈した((Lemesurier [2003b/2010]))。ただし、シャルトルとルーアンの位置付けは不明瞭とした。
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