詩百篇第1巻70番

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[[詩百篇第1巻]]>70番* *原文 Pluie, faim, guerre&sup(){1} en Perse&sup(){2} non cessée La foy trop grande&sup(){3} trahira le monarque&sup(){4}, Par la&sup(){5} finie en Gaule commencée: Secret&sup(){6} augure pour à vng&sup(){7} estre [[parque]]&sup(){8}. **異文 (1) faim, guerre : Faim, Guerre 1672Ga (2) Perse : Parse 1605sn 1649Xa, perse 1589PV 1627Di (3) grande : grand 1557U 1557B 1568 1589Rg 1589Me 1590Ro 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611B 1612Me 1716PR 1772Ri 1981EB, grand' 1588Rf (4) monarque : Monarque 1588-89 1590SJ 1612Me 1644Hu 1649Ca 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1981EB (5) Par la : Par là 1667Wi (6) Secret : Segret 1716PRc (7) pour à vng : pour un 1668P (8) parque : Parque 1644Hu 1653AB **校訂  現代式の綴りでは、3行目 Par la finie は Par là finie となっているべき。  [[エヴリット・ブライラー]]は、4行目の pour à は pourra ではないかとしていた((LeVert [1979]))。 *日本語訳 雨、飢餓、戦争がペルシアで止むことはない。 とても大きな信頼が君主を裏切るだろう。 ガリアでは始められ、そこでは終わる。 秘密の前兆は、ある者に対して倹約させるためのもの。 **訳について  大乗訳3行目「ついにはフランスにもはじまり」((大乗 [1975] p.62))は、par la finie を à la fin (ついに)と同一視したものだろうが、妥当性は疑問。  同4行目「君主が殺されるという 秘密のきざしがあらわれる」は、un を「君主」と訳すことの当否はともかく、「殺される」は[[parque]]の読み方次第で成立の余地がある。  山根訳4行目「不吉な前兆がひとりの口に 閉じこめられよう」は[[parque]]を「口数が少ない」の意味に取れば、許容範囲内と思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま言い換えたような解釈しかしていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っていない。  しかし、1979年にイラン革命が起こり、パーレビ政権が倒れると、その予言だとする解釈が多く見られるようになる。  [[五島勉]]は『[[ノストラダムスの大予言II]]』(1979年)において、前半は当時進行中だったイラン革命の様子そのものとし、イランで今後も戦争が絶えない詩としていた。なお、『[[ノストラダムスの大予言スペシャル・日本編]]』(1987年)では、イラン・イラク戦争を的中させたと紹介していたが、『大予言II』では1980年代半ばに起こるとしていた第五次中東戦争の詩の一つとして解釈していた((五島『大予言II』pp.124-130, 216-217 ; 五島『大予言スペシャル・日本編』pp.92-93))。  [[エリカ・チータム]]も1973年の段階では特定の事件と結び付けていなかったが、『[[決定版ノストラダムスの予言集>The Final Prophecies of Nostradamus]]』(1989年)では、イラン革命と解釈した。その際、3行目を「フランスで始まったことがそこ(ペルシア)で終わる」と読んで、イラン革命の指導者であるホメイニは、パリに滞在して機会をうかがっていたことと結びつけた。  [[セルジュ・ユタン]]も1978年の段階では20世紀のペルシア史と結び付けられる可能性を示すにとどまる曖昧な解釈だったが、1981年にはこの詩の前半はイラン革命のことだと解釈した((Hutin [1978], Hutin [1981] p.76 etc. ))。  [[ジョン・ホーグ]]、[[ヴライク・イオネスク]]、[[モーリス・シャトラン]]らもイラン革命と解釈した((ホーグ [1987] pp.158-159, イオネスク [1991] p.190, シャトラン [1998] p.94))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]は[[百詩篇第2巻27番]]と関連がある可能性を示すにとどまり、[[ピーター・ラメジャラー]]も特定のモデルを提示していない。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ガリア人の部族テクトサギ人が東方(デルポイ)の黄金を強奪しに行ったことと部分的に重ねている((Clébert [2003]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 明確にフランスからイラン革命を支持したホメイニと、アメリカに裏切られたイラン国王そして、イラン・イラク戦争を予言した詩篇 -- とある信奉者 (2011-03-20 00:29:24)
[[詩百篇第1巻]]>70番* *原文 Pluie, faim, guerre&sup(){1} en Perse&sup(){2} non cessée La foy trop grande&sup(){3} trahira le monarque&sup(){4}, Par la&sup(){5} finie en Gaule commencée: Secret&sup(){6} augure pour à vng&sup(){7} estre [[parque]]&sup(){8}. **異文 (1) faim, guerre : Faim, Guerre 1672Ga (2) Perse : Parse 1605sn 1649Xa, perse 1589PV 1627Di (3) grande : grand 1557U 1557B 1568 1589Rg 1589Me 1590Ro 1591BR 1597Br 1606PR 1607PR 1610Po 1611B 1612Me 1716PR 1772Ri 1981EB, grand' 1588Rf (4) monarque : Monarque 1588-89 1590SJ 1612Me 1644Hu 1649Ca 1650Le 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1981EB (5) Par la : Par là 1667Wi (6) Secret : Segret 1716PRc (7) pour à vng : pour un 1668P (8) parque : Parque 1644Hu 1653AB **校訂  現代式の綴りでは、3行目 Par la finie は Par là finie となっているべき。  [[エヴリット・ブライラー]]は、4行目の pour à は pourra ではないかとしていた((LeVert [1979]))。 *日本語訳 雨、飢餓、戦争がペルシアで止むことはない。 とても大きな信頼が君主を裏切るだろう。 ガリアでは始められ、そこでは終わる。 秘密の前兆は、ある者に対して倹約させるためのもの。 **訳について  大乗訳3行目「ついにはフランスにもはじまり」((大乗 [1975] p.62))は、par la finie を à la fin (ついに)と同一視したものだろうが、妥当性は疑問。  同4行目「君主が殺されるという 秘密のきざしがあらわれる」は、un を「君主」と訳すことの当否はともかく、「殺される」は[[parque]]の読み方次第で成立の余地がある。  山根訳4行目「不吉な前兆がひとりの口に 閉じこめられよう」は[[parque]]を「口数が少ない」の意味に取れば、許容範囲内と思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま言い換えたような解釈しかしていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っていない。  しかし、1979年にイラン革命が起こり、パーレビ政権が倒れると、その予言だとする解釈が多く見られるようになる。  [[五島勉]]は『[[ノストラダムスの大予言II]]』(1979年)において、前半は当時進行中だったイラン革命の様子そのものとし、イランで今後も戦争が絶えない詩としていた。  なお、『[[ノストラダムスの大予言スペシャル・日本編]]』(1987年)では、自分はイラン・イラク戦争を的中させたと紹介していたが、実際の『大予言II』では1980年代半ばに起こるとしていた第五次中東戦争の詩の一つとして解釈していた((五島『大予言II』pp.124-130, 216-217 ; 五島『大予言スペシャル・日本編』pp.92-93))。  [[エリカ・チータム]]も1973年の段階では特定の事件と結び付けていなかったが、『[[決定版ノストラダムスの予言集>The Final Prophecies of Nostradamus]]』(1989年)では、イラン革命と解釈した。  その際、3行目を「フランスで始まったことがそこ(ペルシア)で終わる」と読んで、イラン革命の指導者であるホメイニは、パリに滞在して機会をうかがっていたことと結びつけた。  [[セルジュ・ユタン]]も1978年の段階では20世紀のペルシア史と結び付けられる可能性を示すにとどまる曖昧な解釈だったが、1981年にはこの詩の前半はイラン革命のことだと解釈した((Hutin [1978], Hutin [1981] p.76 etc. ))。  [[ジョン・ホーグ]]、[[ヴライク・イオネスク]]、[[モーリス・シャトラン]]らもイラン革命と解釈した((ホーグ [1987] pp.158-159, イオネスク [1991] p.190, シャトラン [1998] p.94))。 #amazon(4634351005) &color(gray){【画像】 富田健次 『ホメイニー ― イラン革命の祖』(世界史リブレット人)} *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]は[[詩百篇第2巻27番>百詩篇第2巻27番]]と関連がある可能性を示すにとどまり、[[ピーター・ラメジャラー]]も特定のモデルを提示していない。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、ガリア人の部族テクトサギ人が東方(デルポイ)の黄金を強奪しに行ったことと部分的に重ねている((Clébert [2003]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 明確にフランスからイラン革命を支持したホメイニと、アメリカに裏切られたイラン国王そして、イラン・イラク戦争を予言した詩篇 -- とある信奉者 (2011-03-20 00:29:24)

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