百詩篇第3巻46番

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*原文 Le ciel&sup(){1} (de Plancus&sup(){2} la cité&sup(){3}) nous&sup(){4} presaige Par clairs&sup(){5} insignes & par estoiles&sup(){6} fixes&sup(){7}, Que de son change subit&sup(){8} s'aproche&sup(){9} l'aage&sup(){10}, Ne&sup(){11} pour son bien, ne&sup(){11} pour ses&sup(){12} malefices. **異文 (1) ciel : Ciel 1589PV 1611B 1649Ca 1650Le 1668 1672 (2) de Plancus : de Plaucus 1557B, de Planlus 1588Rf 1589Rg, de Paulus 1589Me, Plancus 1594JF, de Plencus 1597 1600 1605 1610 1611A 1628 1649Xa 1716, de Ploncus 1627 (3) la cité : a cité 1644 1653 1665, la Cité 1589PV 1672 (4) nous : nons 1628 (5) clairs : clers 1557U 1557B 1568 1590Ro 1600 1605 1611A 1628 1649Xa 1772Ri, clercs 1597 1610 1611B 1660 1672 1716 (6) estoiles : estoille 1660 (7) fixes : lixes 1589PV (8) subit : subits 1772Ri (9) s'aproche : saproche 1672 (10) l'aage : lage 1672 (11) Ne / ne : Ni / ni 1594JF (12) ses : les 1649Ca 1650Le 1668 (注記)1668Pのみ1行目の括弧がなく、前後とヴィルギュル(カンマ)で区切られている。 **音韻  [[ピエール・ブランダムール]]は、Plancus を1音節とし、ノストラダムスはラテン語の -usをしばしば発音していないと指摘している。また、2行目と4行目は一見韻を踏んでいないようだが、fixes はフィクスではなくイタリア語の影響でフィスと読んでいたようだとしている((Brind’Amour [1996]))。 *日本語訳 天は我々([[プランクスの都市]])に予兆を示す、 明白な徴候と恒星によって、 その急変に時代が近づいていることを、 その吉兆のためでも凶兆のためでもなく。 **訳について  1行目のカッコ内については、「我々」と並列的に捉える[[ピエール・ブランダムール]]の読み方に従った。ただし、[[エドガー・レオニ]]、[[エヴリット・ブライラー]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らは、「天」を形容していると見て「(プランクスの都市の)天は我々に~」と訳している。  大乗訳1行目「天はプランクスという名の一群にかかわることを予言する」((大乗 [1975] p.108))は誤訳。元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は The Heaven foretelleth concerning the city of Plancus((Roberts [1949] p.92))となっており、nous (我々)を訳していないのは共通しているが、「一群」の出所が分からない。余談だが、ロバーツの英訳にある foretelleth は現代英語の活用形ではない。それは[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳を丸写ししたものであり、直すのを忘れたのだろう。  同2行目「あきらかなしるしとして固定された星で」も不適切。前半と後半は並列的であり、実証的な論者はもとよりロバーツの英訳でさえそうなっている。なお、「固定された星」は直訳としては正しいが、いうまでもなく「恒星」を示す熟語である。  同4行目「弱さにも 善にもよることなく」も「弱さ」が誤訳。ロバーツの英訳に出ている Wickedness を Weakness とでも見間違えたのだろう。  山根訳1行目「天がプランクスの市について予言する」((山根 [1988] p.129))は、nous が訳されていない。「プランクスの都市について」という訳し方自体は許容範囲内である。  同2行目「晴れた空と恒星を使って」も、元になった[[エリカ・チータム]]の英訳をほぼ忠実に訳したものだが、insigne は signe とほぼ同じ意味なので、単に「空」とするのは不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、ギヨーム・パラダンの著書をもとに、1564年のリヨンで死者数が激増したことを予言していたと解釈した。また、1589年4月と5月にも当てはまるとしていた((Chavigny [1594] pp.136, 270))。前者の解釈は、1790年にドドゥセがまとめたパンフレットでも踏襲された((D’Odoucet, pp.33-34))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、プランクスの都市をリヨンとし、星位によってリヨンに急変が迫っていることの予言とした((Garencieres [1672]))。  それ以外では、1930年代までこの詩を解釈した者は、ほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っているが、ほとんど何も説明していない具体性に乏しい解釈だけである((Fontbrune [1939] p.215, Lamont [1943] p.333, Boswell [1943] p.311))。  [[エリカ・チータム]]は[[百詩篇第2巻83番]]に近い、リヨンで起こる災厄の詩としていたが、その解釈は[[エドガー・レオニ]]の指摘をほぼそのまま転用したものである((Cheetham [1973], Leoni [1961]))。  ところが、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、プランクスの都市をリヨンとしていたチータムの解説自体が省かれ、遠い未来に人類が他の天体に築くことになる都市の予言とする解釈に差し替えられてしまった。  [[池田邦吉]]はそれに触発されたのか、カッコが使われていること自体が暗号で、その上端と下端をそれぞれつなげるとde Plancus la Cité を囲む楕円形を導き出せるので、都市を丸ごと含むような巨大円盤が宇宙から飛来してくることと解釈した((池田『ノストラダムスの預言書解読I』pp.257-259))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、「明白な徴候」を彗星か流星の類とし、ギヨーム・パラダンが記録している1528年の「天の火」(彗星)の話を引用している。それによると、1528年4月5日の午後5時から8時の間に、リヨン上空を轟音とともに彗星が横切り、そこから放たれた二筋の炎はソーヌ川と河岸の平原に落ちたという。  他方、恒星が示す変化とは、354年4ヶ月をひとまとまりとする[[リシャール・ルーサ]]らから引き継いだ年代観において、月の時代が1530年前後に始まったとされていたことを指すとした。  ノストラダムスがこの詩を書いたのはそれから20年程度後のことであり、執筆時点で当時のことを回顧したときに、それらが吉兆でも凶兆でもなかったと位置付けたものだという((Brind’Amour [1996]))。  こうした読み方は[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らが支持している((高田・伊藤 [1999], Lemesurier [2003b/2010]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、リヨンの急変を商業上の没落と結びつけた。フランソワ1世の長子であった王太子フランソワは、1536年にリヨンでポーム競技に興じた後、冷水を飲んでから急に具合が悪くなり、四日後に死去した。その事件を境に、フランソワ1世のリヨンへの態度は好意的なものから一変し、同じ頃にリヨンはパリに人口や商業の面で追い抜かれた((Clébert [2003]))。 ---- #comment
*原文 Le ciel&sup(){1} (de Plancus&sup(){2} la cité&sup(){3}) nous&sup(){4} presaige Par clairs&sup(){5} insignes & par estoiles&sup(){6} fixes&sup(){7}, Que de son change subit&sup(){8} s'aproche&sup(){9} l'aage&sup(){10}, Ne&sup(){11} pour son bien, ne&sup(){11} pour ses&sup(){12} malefices. **異文 (1) ciel : Ciel 1589PV 1611B 1649Ca 1650Le 1668 1672 (2) de Plancus : de Plaucus 1557B, de Planlus 1588Rf 1589Rg, de Paulus 1589Me, Plancus 1594JF, de Plencus 1597 1600 1605 1610 1611A 1628 1649Xa 1716, de Ploncus 1627 (3) la cité : a cité 1644 1653 1665, la Cité 1589PV 1672 (4) nous : nons 1628 (5) clairs : clers 1557U 1557B 1568 1590Ro 1600 1605 1611A 1628 1649Xa 1772Ri, clercs 1597 1610 1611B 1660 1672 1716 (6) estoiles : estoille 1660 (7) fixes : lixes 1589PV (8) subit : subits 1772Ri (9) s'aproche : saproche 1672 (10) l'aage : lage 1672 (11) Ne / ne : Ni / ni 1594JF (12) ses : les 1649Ca 1650Le 1668 (注記)1668Pのみ1行目の括弧がなく、前後とヴィルギュル(カンマ)で区切られている。 **音韻  [[ピエール・ブランダムール]]は、Plancus を1音節とし、ノストラダムスはラテン語の -usをしばしば発音していないと指摘している。また、2行目と4行目は一見韻を踏んでいないようだが、fixes はフィクスではなくイタリア語の影響でフィスと読んでいたようだとしている((Brind’Amour [1996]))。 *日本語訳 天は我々([[プランクスの都市]])に予兆を示す、 明白な徴候と恒星によって、 その急変に時代が近づいていることを、 その吉兆のためでも凶兆のためでもなく。 **訳について  1行目のカッコ内については、「我々」と並列的に捉える[[ピエール・ブランダムール]]の読み方に従った。ただし、[[エドガー・レオニ]]、[[エヴリット・ブライラー]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らは、「天」を形容していると見て「(プランクスの都市の)天は我々に~」と訳している。  大乗訳1行目「天はプランクスという名の一群にかかわることを予言する」((大乗 [1975] p.108))は誤訳。元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は The Heaven foretelleth concerning the city of Plancus((Roberts [1949] p.92))となっており、nous (我々)を訳していないのは共通しているが、「一群」の出所が分からない。余談だが、ロバーツの英訳にある foretelleth は現代英語の活用形ではない。それは[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳を丸写ししたものであり、直すのを忘れたのだろう。  同2行目「あきらかなしるしとして固定された星で」も不適切。前半と後半は並列的であり、実証的な論者はもとよりロバーツの英訳でさえそうなっている。なお、「固定された星」は直訳としては正しいが、いうまでもなく「恒星」を示す熟語である。  同4行目「弱さにも 善にもよることなく」も「弱さ」が誤訳。ロバーツの英訳に出ている Wickedness を Weakness とでも見間違えたのだろう。  山根訳1行目「天がプランクスの市について予言する」((山根 [1988] p.129))は、nous が訳されていない。「プランクスの都市について」という訳し方自体は許容範囲内である。  同2行目「晴れた空と恒星を使って」も、元になった[[エリカ・チータム]]の英訳をほぼ忠実に訳したものだが、insigne は signe とほぼ同じ意味なので、単に「空」とするのは不適切だろう。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、ギヨーム・パラダンの著書をもとに、1564年のリヨンで死者数が激増したことを予言していたと解釈した。また、1589年4月と5月にも当てはまるとしていた((Chavigny [1594] pp.136, 270))。前者の解釈は、1790年にドドゥセがまとめたパンフレットでも踏襲された((D’Odoucet, pp.33-34))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、プランクスの都市をリヨンとし、星位によってリヨンに急変が迫っていることの予言とした((Garencieres [1672]))。  それ以外では、1930年代までこの詩を解釈した者は、ほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]の著書には載っているが、ほとんど何も説明していない具体性に乏しい解釈だけである((Fontbrune [1939] p.215, Lamont [1943] p.333, Boswell [1943] p.311))。  [[エリカ・チータム]]は[[百詩篇第2巻83番]]に近い、リヨンで起こる災厄の詩としていたが、その解釈は[[エドガー・レオニ]]の指摘をほぼそのまま転用したものである((Cheetham [1973], Leoni [1961]))。  ところが、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、プランクスの都市をリヨンとしていたチータムの解説自体が省かれ、遠い未来に人類が他の天体に築くことになる都市の予言とする解釈に差し替えられてしまった。  [[池田邦吉]]はそれに触発されたのか、カッコが使われていること自体が暗号で、その上端と下端をそれぞれつなげるとde Plancus la Cité を囲む楕円形を導き出せるので、都市を丸ごと含むような巨大円盤が宇宙から飛来してくることと解釈した((池田『ノストラダムスの預言書解読I』pp.257-259))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、「明白な徴候」を彗星か流星の類とし、ギヨーム・パラダンが記録している1528年の「天の火」(彗星)の話を引用している。それによると、1528年4月5日の午後5時から8時の間に、リヨン上空を轟音とともに彗星が横切り、そこから放たれた二筋の炎はソーヌ川と河岸の平原に落ちたという。  他方、恒星が示す変化とは、354年4ヶ月をひとまとまりとする[[リシャール・ルーサ]]らから引き継いだ年代観において、月の時代が1530年前後に始まったとされていたことを指すとした。  ノストラダムスがこの詩を書いたのはそれから20年程度後のことであり、執筆時点で当時のことを回顧したときに、それらが吉兆でも凶兆でもなかったと位置付けたものだという((Brind’Amour [1996]))。  こうした読み方は[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らが支持している((高田・伊藤 [1999], Lemesurier [2003b/2010]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、リヨンの急変を商業上の没落と結びつけた。フランソワ1世の長子であった王太子フランソワは、1536年にリヨンでポーム競技に興じた後、冷水を飲んでから急に具合が悪くなり、四日後に死去した。その事件を境に、フランソワ1世のリヨンへの態度は好意的なものから一変し、同じ頃にリヨンはパリに人口や商業の面で追い抜かれた((Clébert [2003]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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