百詩篇第6巻10番

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*原文 Vn peu de&sup(){1} temps les temples&sup(){2} des couleurs&sup(){3} De blanc & noyr des&sup(){4} deux entremeslee&sup(){5}: Rouges&sup(){6} & iaunes&sup(){7} leur&sup(){8} [[embleront>embler]]&sup(){9} les leurs Sang&sup(){10}, terre, peste, faim, feu&sup(){11}, d'eaue&sup(){12} [[affollee>affoler]]. **異文 (1) de : du 1672 (2) temples : Temples 1611B 1660 1672 1772Ri (3) couleurs : Couleurs 1672 (4) des : les 1649Ca 1650Le 1668, de 1665 (5) entremeslee : entre meslee 1557B 1600 1610, entre meslée 1653 1665 1716 1840, entremeslez 1588-89, entremesles 1627, entremislée 1672 (6) Rouges : Roges 1557B (7) & iaunes : & ieunes 1588-89, etjaunes 1840 (8) leur : leurs 1627 1644 (9) embleront : sembleront 1627 1650Le 1660 1665 1668 1840 (10) Sang : Sans 1653 1665 (11) faim, feu : feu 1611 (12) d'eaue 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV : d'eau &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : eau 1672) (注記)末尾の affollee は1649Ca では affolee となっている。ただし、最後から2つ目の e は多少印字が掠れており c に近いように見える。20世紀に転記する形で復刻された1649年版に affolce と印刷されているものがあるのはそれが原因だろう。なお、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]も affolce としているので、彼の手許にあった1649年版はオリジナルではなく復刻版の方だろう。 *日本語訳 少しの間、白色と黒色の神殿は 双方によって混ぜ合わされる。 赤と黄はお互いに相手のものを盗むだろう。 血、大地、ペスト、飢餓、火が水によって狂わされる。 **訳について  2行目にある白と黒は1行目の「色」を形容しているものなので、便宜上1行目に回して訳した。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は4行目をカオス的として、「大地は流血、ペスト、火、水によって荒らされる」というように読むべきではないかとした。当「大事典」はひとまず直訳に近い形で訳したが、クレベールの指摘は十分に説得的である。  大乗訳、山根訳とも、細部に疑問はあるものの、おおむね問題はない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、黒と白は戦争と平和の隠喩、赤と黄は神聖ローマ帝国とスウェーデンの隠喩とし、三十年戦争中の帝国軍とスウェーデン王グスタフ・アドルフの戦いと解釈した((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]は世界の人種がひとつに混ざり合うようになることの予言と解釈した((Roberts [1949]))。[[五島勉]]も、世界で混血が進むことが人類滅亡の前兆の一つだと解釈し、それはノストラダムス自身が[[ブロワ城の問答]]でシャルル9世に語っていたと主張した((五島『ノストラダムスの大予言』pp.112-114))。  [[エリカ・チータム]]は1973年の時点では何も解釈を書かなかったが、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、混血に関連付ける解釈が述べられていた((Cheetham [1973], チータム [1988]))。ちなみに、チータム自身は後にミレニアムに関する詩として、宗教上の混交や、ソ連の共産主義(赤)、中国(黄)などと解釈した((Cheetham [1990]))。中国を黄とする理由は明記されていないが、おそらく肌の色だろう。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワの日記の中に以下のくだりがあることと関連付けた。  「1522年、私と息子は黒、白、灰や、ほか全ての色の偽善者たちについて知り始めました。神はその寛容さと尽きせぬ善によって、それらから我々を護ろうとして下さっています」。  プレヴォによると、色に喩えられている「偽善者」はプロテスタントのことだという。また、最後の行は檄文事件の結果、1534年に多くのプロテスタント(ないしその嫌疑をかけられたフランス人)がフェラーラ公国に逃れたことと関連付けた。その一人であるクレマン・マロが、異端派の置かれている境遇を火や水に喩えた詩を残しているためである。また、その年にペストが流行したことも指摘した((Prévost [1999] p.187))。  [[ピーター・ラメジャラー]]も、ルイーズの日記と共通するモチーフについては支持している((Lemesurier [2003b/2010]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、白と黒を正反対のものの比喩とし、赤をカトリックの高位聖職者の衣、黄をラングドック地方のプロテスタントが穿いていたズボンと解釈し、ユグノー戦争前夜にあたる1550年代の宗教対立に関する詩とした((Clébert [2003]))。 ---- #comment
*原文 Vn peu de&sup(){1} temps les temples&sup(){2} des couleurs&sup(){3} De blanc & noyr des&sup(){4} deux entremeslee&sup(){5}: Rouges&sup(){6} & iaunes&sup(){7} leur&sup(){8} [[embleront>embler]]&sup(){9} les leurs Sang&sup(){10}, terre, peste, faim, feu&sup(){11}, d'eaue&sup(){12} [[affollee>affoler]]. **異文 (1) de : du 1672 (2) temples : Temples 1611B 1660 1672 1772Ri (3) couleurs : Couleurs 1672 (4) des : les 1649Ca 1650Le 1668, de 1665 (5) entremeslee : entre meslee 1557B 1600 1610, entre meslée 1653 1665 1716 1840, entremeslez 1588-89, entremesles 1627, entremislée 1672 (6) Rouges : Roges 1557B (7) & iaunes : & ieunes 1588-89, etjaunes 1840 (8) leur : leurs 1627 1644 (9) embleront : sembleront 1627 1650Le 1660 1665 1668 1840 (10) Sang : Sans 1653 1665 (11) faim, feu : feu 1611 (12) d'eaue 1557U 1557B 1568A 1588-89 1589PV : d'eau &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : eau 1672) (注記)末尾の affollee は1649Ca では affolee となっている。ただし、最後から2つ目の e は多少印字が掠れており c に近いように見える。20世紀に転記する形で復刻された1649年版に affolce と印刷されているものがあるのはそれが原因だろう。なお、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]も affolce としているので、彼の手許にあった1649年版はオリジナルではなく復刻版の方だろう。 *日本語訳 少しの間、白色と黒色の神殿は 双方によって混ぜ合わされる。 赤と黄はお互いに相手のものを盗むだろう。 血、大地、ペスト、飢餓、火が水によって狂わされる。 **訳について  2行目にある白と黒は1行目の「色」を形容しているものなので、便宜上1行目に回して訳した。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は4行目をカオス的として、「大地は流血、ペスト、火、水によって荒らされる」というように読むべきではないかとした。当「大事典」はひとまず直訳に近い形で訳したが、クレベールの指摘は十分に説得的である。  大乗訳、山根訳とも、細部に疑問はあるものの、おおむね問題はない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、黒と白は戦争と平和の隠喩、赤と黄は神聖ローマ帝国とスウェーデンの隠喩とし、三十年戦争中の帝国軍とスウェーデン王グスタフ・アドルフの戦いと解釈した((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]]は世界の人種がひとつに混ざり合うようになることの予言と解釈した((Roberts [1949]))。[[五島勉]]も、世界で混血が進むことが人類滅亡の前兆の一つだと解釈し、それはノストラダムス自身が[[ブロワ城の問答]]でシャルル9世に語っていたと主張した((五島『ノストラダムスの大予言』pp.112-114))。  [[エリカ・チータム]]は1973年の時点では何も解釈を書かなかったが、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、混血に関連付ける解釈が述べられていた((Cheetham [1973], チータム [1988]))。ちなみに、チータム自身は後にミレニアムに関する詩として、宗教上の混交や、ソ連の共産主義(赤)、中国(黄)などと解釈した((Cheetham [1990]))。中国を黄とする理由は明記されていないが、おそらく肌の色だろう。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、フランソワ1世の母ルイーズ・ド・サヴォワの日記の中に以下のくだりがあることと関連付けた。  「1522年、私と息子は黒、白、灰や、ほか全ての色の偽善者たちについて知り始めました。神はその寛容さと尽きせぬ善によって、それらから我々を護ろうとして下さっています」。  プレヴォによると、色に喩えられている「偽善者」はプロテスタントのことだという。また、最後の行は檄文事件の結果、1534年に多くのプロテスタント(ないしその嫌疑をかけられたフランス人)がフェラーラ公国に逃れたことと関連付けた。その一人であるクレマン・マロが、異端派の置かれている境遇を火や水に喩えた詩を残しているためである。また、その年にペストが流行したことも指摘した((Prévost [1999] p.187))。  [[ピーター・ラメジャラー]]も、ルイーズの日記と共通するモチーフについては支持している((Lemesurier [2003b/2010]))。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は、白と黒を正反対のものの比喩とし、赤をカトリックの高位聖職者の衣、黄をラングドック地方のプロテスタントが穿いていたズボンと解釈し、ユグノー戦争前夜にあたる1550年代の宗教対立に関する詩とした((Clébert [2003]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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