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*原文
Des&sup(){1} sept rameaulx&sup(){2} à trois seront reduictz&sup(){3}
Les plus aisnés&sup(){4} seront surprins&sup(){5} par mort&sup(){6}:
Fratricider les deux seront seduictz,
Les coniurés&sup(){7} en dormans&sup(){8} seront mors.
**異文
(1) Des : Les 1672
(2) rameaulx : Rameaux 1840
(3) reduictz : reduict 1627
(4) aisnés : ainsnez 1627
(5) surprins : surpins 1672
(6) mort : morts 1588-89 1605 1611B 1628 1660 1672
(7) coniurés : conjures 1672
(8) dormans : dormant 1557B 1588-89 1589PV 1590Ro 1594JF pp.220&228 1605 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672, dormaus 1653
*日本語訳
七つの小枝が三つに減らされるだろう。
最も年上の者たちが死に襲われるだろう。
二人は兄弟殺しに魅惑されるだろう。
眠りに落ちた陰謀者たちは死ぬだろう。
**訳について
それぞれの行が独立しており、構文上も比較的平易な詩。
山根訳は全く問題ない。
大乗訳は、2行目「長兄は死で驚き」((大乗 [1975] p.178))がまず微妙。Les plus aisnés は複数形なので、「長兄」と単数で訳すべきではない。
同3行目「二つは彼の兄弟を殺害するといい」は誤訳。seront seduits (誘惑される、扇動される)が訳に反映されていない。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、1574年5月にアンリ3世が即位したことと解釈した。1行目は[[アンリ2世]]の子供のうち、王位に就いたのが3人だったこと、2行目はフランソワ2世とシャルル9世が相次いで病没したこと、3行目はアンリ3世と弟のアランソン公の対立、4行目は1572年のサン=バルテルミーの虐殺でプロテスタントの指導者たちが殺されたことと、それぞれ解釈した。なお、シャヴィニーはノストラダムスが1560年向けの占筮で「大きな幹からいくつかの枝が伐られるだろう」(Du grand tronc plusieurs branches seront coupées)と予言していたこととも関連付けている((Chavigny [1594] pp.220 & 228))。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、そのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。
[[アナトール・ル・ペルチエ]]は、シャヴィニーの解釈と似ているが、「七つが三つに」は、アンリ2世の子供が最後の3人(アンリ3世、アランソン公フランソワ、マルグリット)になった時点でのこととし、4行目については1588年にギーズ兄弟が暗殺されたこととした((Le Pelletier [1867a] p.78))
この解釈は、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]らが踏襲した((Ward [1891] p.99, Laver [1952] p.80, Cheetham [1973]))。[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]もほぼ同じで1574年から1575年のフランス王家と解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
*同時代的な視点
[[ルイ・シュロッセ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]も、この詩が執筆された時点で全員生まれていたアンリ2世の7人の子供について、何らかの見通しを示したものであった可能性を認めている((Schlosser [1986] pp.217-218, Lemesurier [2003b/2010]))。
もっとも[[エドガー・レオニ]]が、ル・ペルチエの解釈に対して懐疑的な見方を示していたように、詩の情景は一般的に過ぎる。
そして、フランス王家に7人の子供が生まれ、兄たちが相次いで死んだことで弟に王座がめぐってきたのは、何もこれが初めてではない。例えば、シャルル6世は三男四女をもうけたが、兄2人は十代で歿し、末弟シャルルが王位を継いだ。ジャンヌ・ダルクが支援したことで有名なシャルル7世である。
後半の情景との結びつきが不鮮明であることから、それがモデルだと主張するつもりはないが、参考情報として付記しておく。
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