ピエール・ド・ノートルダム (ノストラダムスの叔父)

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 &bold(){ピエール・ド・ノートルダム}(Pierre de Nostredame)は、ノストラダムスの叔父。[[ピエール・ド・ノートルダム]]と[[ブランシュ・ド・サント=マリー]]の間に生まれた子供の一人で、三男と推測されている((Leroy [1941] p.27))。父のピエールや[[カルパントラのピエール・ド・ノートルダム]]と区別されるときには、「アルルのピエール・ド・ノートルダム」と表記されることがある。  父親と同じく商業を営んだが、1513年以降は活動拠点を出生地アヴィニョンから[[アルル]]に移した。その商取引に関する記録がいくつも残っている。  この人物は、ノストラダムスの親族の中で唯一人「予言的」なエピソードが公証記録に残されている点で、特徴的といえるかもしれない。  それによると、1535年9月15日に、タラスコンの商人で改宗キリスト教徒であったトマ・ド・バレーム(Thomas de Barrème)と賭けをしたという。それは、トロフィム・ボワ(Trophime Boyc)という人物の妻ジャンヌ・ダルボー(Jeanne d'Arbaud)が妊娠しているかどうかということで、ジャンヌが結婚して46年になる女性であったにもかかわらず、ピエールは妊娠していると確言し、黄金の鎖を賭けたという。  ジャンヌは実際に妊娠しており、ピエールはバレームが賭けた金貨を獲得した。この賭けの証拠として、1536年10月3日付の領収書が残っている((Leroy [1993] pp.22-23))。  「大予言者」ノストラダムスの叔父にしてはいささか迫力不足だが、[[竹下節子]]も指摘するように、ノストラダムス一族の「予言的」要素は、その伝説的イメージと裏腹に、実証的にはこの程度の話以外に見出せないということでもある((竹下 [1998] p.51))。 ---- #comment

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