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ミシェル・ド・ノートルダム([[ノストラダムス]])の『[[化粧品とジャム論]]』は、ミシェル・ド・ノストラダムス([[ノストラダムス2世]])によって再編集された海賊版が存在している。出版したのは[[パリ]]の[[ギヨーム・ド・ニヴェール>ギヨーム・ニヴェール]]である。
#ref(Bastiment.png)
【画像】扉に使われている木版画((画像の出典:Benazra [1990] p.639))
*正式名
-Bastiment de plusieurs receptes, pour faire diuerses Senteurs & lauemens pour l'embellissement de la face & conservation du corps en son entier :
-Aussi de plusieurs Confitures liquides, Et autres Receptes secretes & desirées non encore veües.
--De l'Imprimerie de Guillaume de Nyuerd, Imprimeur ordinaire du Roy, & Libraire à Paris, tenant sa boutique en la court du Palais.
--Auec priuilege dudict Seigneur.
-美顔と全身の(美しさの)保持に役立つさまざまな香料と洗浄料を作るための多くの処方の組立て
-同じく多くの液状ジャム(の処方)と、未公開であり渇望されていた他の秘密の処方。
--パリ裁判所に店舗を持つ国王お抱えの印刷業者にしてパリの書肆ギヨーム・ド・ニヴェールの印刷所による。
--上述の(つまりパリ裁判所の)閣下の特認とともに。
*内容
十六折版でノンブルのない8葉に続いて本編が113葉ある。[[ミシェル・ショマラ]]によれば、オリジナルと同じように二部構成になっているようである((Chomarat [1989] no.91))。
序文は「Mi. ド・ノストラダムス」という署名があり、「ユーグヴィルの貴婦人ルネ・デスピネ様」(Madame Renée d'Espinay, Dame de Hugueville)宛てになっている。その中では、「これら二論文は、かつて我らが先達ミシェル・ド・ノートルダム師によって構成された」(ces deux Opuscules, jadis composez par nostre predecesseur maistre Michel de Nostre Dame)と明言されている((Benazra [1990] p.80 ; Guinard, &italic(){[[Le Traité des Fardements et des Confitures (Bibliographie 1552-1572)>>http://cura.free.fr/dico3/603A-TFC-bib.html]]}))。
当時何度も再版されていた『化粧品とジャム論』を、あたかも自分の著書であるかのように提示するよりも、正当な継承者による再編集版であるかの様に騙った方が得策と判断したものだろう。
*所蔵先
2冊の現存が確認されているが、いずれも不完全な伝本である。
-サント・ジュウヌヴィエーヴ図書館の蔵書は、最後のほうのページに欠損がある。
-大英図書館の蔵書は扉などが失われている。
*刊行年
[[ミシェル・ショマラ]]、[[ロベール・ブナズラ]]は1567年頃と推測していた。パトリス・ギナールは1569年頃と推測しているが、署名が Mi. ド・ノストラダムスであることからすると、(1568年を境に「ノストラダムス2世」の署名になっているので)1569年と見なすのは難しいのではないだろうか。
ギナールは明示していないが、おそらく彼の推測の根拠は、1569年の日付のある『化粧品とジャム論』の海賊版だろう。しかし、それはノストラダムス2世自身が関与していたのか不鮮明であり、そちらと刊行年を揃えるのが妥当とはいえないように思える。
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#comment
ミシェル・ド・ノートルダム([[ノストラダムス]])の『[[化粧品とジャム論]]』は、ミシェル・ド・ノストラダムス([[ノストラダムス2世]])によって再編集された海賊版が存在している。出版したのは[[パリ]]の[[ギヨーム・ド・ニヴェール>ギヨーム・ニヴェール]]である。
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【画像】扉に使われている木版画((画像の出典:Benazra [1990] p.639))
*正式名
-Bastiment de plusieurs receptes, pour faire diuerses Senteurs & lauemens pour l'embellissement de la face & conservation du corps en son entier :
-Aussi de plusieurs Confitures liquides, Et autres Receptes secretes & desirées non encore veües.
--De l'Imprimerie de Guillaume de Nyuerd, Imprimeur ordinaire du Roy, & Libraire à Paris, tenant sa boutique en la court du Palais.
--Auec priuilege dudict Seigneur.
-美顔と全身の(美しさの)保持に役立つさまざまな香料と洗浄料を作るための多くの製法の組立て
-同じく多くの液状ジャム(の処方)と、未公開であり渇望されていた他の秘密の製法。
--パリ裁判所に店舗を持つ国王お抱えの印刷業者にしてパリの書肆ギヨーム・ド・ニヴェールの印刷所による。
--上述の(つまりパリ裁判所の)閣下の特認とともに。
*内容
十六折版でノンブルのない8葉に続いて本編が113葉ある。[[ミシェル・ショマラ]]によれば、オリジナルと同じように二部構成になっているようである((Chomarat [1989] no.91))。
序文は「Mi. ド・ノストラダムス」という署名があり、「ユーグヴィルの貴婦人ルネ・デスピネ様」(Madame Renée d'Espinay, Dame de Hugueville)宛てになっている。その中では、「これら二論文は、かつて我らが先達ミシェル・ド・ノートルダム師によって構成された」(ces deux Opuscules, jadis composez par nostre predecesseur maistre Michel de Nostre Dame)と明言されている((Benazra [1990] p.80 ; Guinard, &italic(){[[Le Traité des Fardements et des Confitures (Bibliographie 1552-1572)>>http://cura.free.fr/dico3/603A-TFC-bib.html]]}))。
当時何度も再版されていた『化粧品とジャム論』を、あたかも自分の著書であるかのように提示するよりも、正当な継承者による再編集版であるかの様に騙った方が得策と判断したものだろう。
*所蔵先
2冊の現存が確認されているが、いずれも不完全な伝本である。
-サント・ジュウヌヴィエーヴ図書館の蔵書は、最後のほうのページに欠損がある。
-大英図書館の蔵書は扉などが失われている。
*刊行年
[[ミシェル・ショマラ]]、[[ロベール・ブナズラ]]は1567年頃と推測していた。パトリス・ギナールは1569年頃と推測しているが、署名が Mi. ド・ノストラダムスであることからすると、(1568年を境に「ノストラダムス2世」の署名になっているので)1569年と見なすのは難しいのではないだろうか。
ギナールは明示していないが、おそらく彼の推測の根拠は、1569年の日付のある『化粧品とジャム論』の海賊版だろう。しかし、それはノストラダムス2世自身が関与していたのか不鮮明であり、そちらと刊行年を揃えるのが妥当とはいえないように思える。
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