「クロード・ド・ノートルダム (ベルトランの子)」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら
追加された行は緑色になります。
削除された行は赤色になります。
&bold(){クロード・ド・ノートルダム}(Claude de Nostredame)は、[[ベルトラン・ド・ノートルダム]]と[[トミーヌ・ルース]]の息子で、[[ノストラダムスの甥]]にあたる。
1568年に父ベルトランがしたためた最初の遺言書で「30に満たない年齢」とされていることから、1538年から1543年の間に[[サン=レミ>サン=レミ=ド=プロヴァンス]]で生まれたと考えられている((Leroy [1993] p.35))。もっとも、ベルトランの結婚が1540年頃とされているので、もう少し狭められるのかもしれない。
妻の名はビエル・ダルメラン(Bielle d'Alméran)ないしビエローヌ・ダルメラン(Biellone d'Alméran)で、彼女は[[ジョーム・ド・ノートルダム]]が一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの娘と考えられている((Leroy [1993] pp.28,35))。ジョームは、アントワーヌ・アルメランの息子ジャック・ダルメラン、ピエール・ダルメランらと仲が良かったらしい((Leroy [1993] p.28. アルメランとダルメランが入り混じっているのは原書のまま。))。
1574年には娘[[トミーヌ>トミーヌ・ド・ノートルダム]]、1578年には息子[[ミシェル=ベルトラン>ミシェル=ベルトラン・ド・ノートルダム]]が生まれた。
正確な没年は不明だが、父ベルトランの1596年の遺言書では、受遺者としてクロードの名はない。クロードの妹たちと並べて書かれているのは、娘のトミーヌであるため、これ以前に亡くなっていたと推測されている((Leroy [1993] p.35))。
----
#comment