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&bold(){ジャンヌ・ド・ノートルダム}(Jeanne de Nostredame, 1545年8月11日 - ?)は、[[ベルトラン・ド・ノートルダム]]の娘で、ノストラダムスの姪にあたる。
[[サン=レミ=ド=プロヴァンス]]で生まれた。洗礼に立ち会った代父は、[[ジョーム・ド・ノートルダム]]が一時代理を務めた貴族アントワーヌ・アルメランの息子ピエール・アルメランで、代母はラマノンの貴族ヨハンナ・グイレマンダ(Johanna Guiremanda((ルロワはラテン語記録しか引用していない。ヨハンナはもちろんジャンヌであろうが、姓のフランス語綴りは不明。)))だった。
[[サロン・ド・クロー>サロン=ド=プロヴァンス]]の名士でたびたび市の執政官にもなっていたトロン・ド・クドゥレ家の当主(Tronc de Coudoulet)と1565年に結婚した。[[エドガール・ルロワ]]の研究書では、その名は本文ではピエール・トロン・ド・クドゥレとなっているのに対し、家系図ではジャン(Jehan)となっている。
なお、ノストラダムスがサロン滞在中の[[アンリ4世]]を占ったのは、トロン・ド・クドゥレの屋敷でのことだったという。このトロン・ド・クドゥレ家からは、のちにノストラダムスの伝記を書いたパラメド・トロン・ド・クドゥレが現われた。
ジャンヌ・ド・ノートルダムの没年は不明である((以上、Leroy [1993] pp.37-38 および家系図))。
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