カトリーヌ・ド・ノートルダム (ベルトランの子)

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 &bold(){カトリーヌ・ド・ノートルダム}(Catherine de Nostredame, 1552年 - ?)は、[[ベルトラン・ド・ノートルダム]]の娘で、ノストラダムスの姪にあたる。  1552年7月7日の洗礼には、代父の医師サン=レミと、代母のカテリナ・ロンバルダ(Katherina Lombarda((ルロワがラテン語記録しか引用していないので、正確なフランス語名が分からない。)))が立ち会った。[[エドガール・ルロワ]]が指摘するように、代父はさすがに[[ジャン・ド・サン=レミ]]とは別人だろう。  タラスコンの平貴族(écuyer)であったピエール・ド・リスプ(Pierre de Rispe)の同名の息子ピエールと、1569年に結婚した。ただし、その際の結婚持参金を巡る契約と支払いに関して、ベルトランとリスプ家の間で数ヶ月にわたって諍いがあったという。  カトリーヌに関するその他の事項は、(没年も含めて)不明である((Leroy [1993] pp.38-39))。 ---- #comment

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