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*原文
Le [[regne]]&sup(){1} prins le Roy conuiera&sup(){2},
La dame&sup(){3} prinse à mort iurez&sup(){4} à [[sort]],
La vie à Royne&sup(){5} fils&sup(){6} on desniera,
Et la&sup(){7} [[pellix]] au fort de la [[consort]]&sup(){8}.
**異文
(1) regne : Regne 1672
(2) conuiera : conuicra 1611A, conuaincra 1611B, coniurera 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665
(3) dame : Dame 1611 1665 1672 1772Ri 1840
(4) iurez : liurez 1568A 1590Ro
(5) Royne : royne 1568A 1590Ro, Reyne 1653 1665, Reine 1840
(6) fils : Fils 1672
(7) la : sa 1665
(8) consort : confort 1653 1665
**校訂
1568A の異文にあるように、2行目の iurez (jurés, 誓われる)よりも liurez (livrés, 委ねられる)とするのはある程度文脈に当てはまるが、dame とは性・数が一致しない。
*日本語訳
王国が奪われ王は招くだろう、
投票する陪審員たちによって死ぬ囚われの婦人を。
王妃の息子は生命を拒まれるだろう。
そして愛妾がついには正室となる。
**訳について
2行目 [[sort]] は「投票」と訳したが、「決議」「籤」「運命」「呪術」などとも訳せる。また、前置詞を補って訳したが、区切り方などでほかにもいくつかの訳が可能である。
4行目 au fort は中期フランス語の成句で「ついには」「結局」などの意味((DMF))。後半は若干言葉を補って訳した。
大乗訳1行目「王をとられて王国はまねかれ」((大乗 [1975] p.277))は、絶対ありえないとまではいえないが、前半律の区切り目からすると不自然。
同2行目「婦人は死に」はいくらなんでも言葉を端折りすぎだが、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳も似たようなものである。
同3行目「生命は女王の息子に拒否され」は誤訳。この行の主語は on である。
同4行目「ペラックスは女王の高さになるだろう」は微妙。fort を「強さ」と見なした上で、意訳したものか。
山根訳1行目「王国奪われ 国王陰謀をめぐらす」((山根 [1988] p.308))の後半は、conviera を conjurera と読み替えた上で訳したもの。
同4行目「愛妾も奥方と同じ運命に苦しむ」は、consort の本来の意味(「運命を共にするもの」)から導かれた訳だが、「苦しむ」は au fort の訳として疑問。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、そのまま敷衍したような解説しか付けておらず、特定の事件とは結び付けなかった((Garencieres [1672]))。
その後、解釈はされなかったが、フランス革命が起き、国王一家が国民公会の投票によって処刑されると、そのことと解釈する論者たちが現れた。
匿名の著書『暴かれた未来』(1806年)では、実質的に2番目にこの詩を解釈し、国王一家の処刑と解釈した((L’Avenir [1800] p.4))。
その後も[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[エリカ・チータム]]らがこの解釈を採ってきた((Bouys [1806] p.69, Girault [1839] p.29, Bareste [1840] p.519, Le Pelletier [1867a] p.185, Ward [1891] p.264, Lamont [1943] p.97, 294, Laver [1952] p.159, Robb [1961] p.111))。
こうした解釈の場合、4行目が若干問題となる。レイヴァーは後半を省いて、解釈しなかった。
ル・ペルチエは pellix を国民公会の比喩、fort を「砦」としてパリのコンシエルジュリーの比喩とし、consort は同じ運命、つまり一緒に処刑されることと解釈した。
チータムは、国王の愛妾も処刑されたことと解釈した。
他の解釈をする者たちもいる。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は第三共和政の崩壊と解釈した((Fontbrune [1939] p.153))。[[アンドレ・ラモン]]は、上記の通り、ルイ16世一家の運命と解釈していたが、その一方で、近未来に起こるフランスの政体の変化を予言したものとも解釈していた。
[[セルジュ・ユタン]]は、カトリーヌ・ド・メディシスとその子供たちと解釈した((Hutin [1978/2002]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、イングランド王ヘンリ8世が男児の生まれなかった妻キャサリンと離婚して、その侍女だったアン・ブーリンと再婚したことをモデルとした((Prévost [1999] p.82))。プレヴォは事実上、行を入れ替えて読んでおり、4行目を愛妾から王妃となったアン・ブーリンとし、2行目は彼女が男児を授からなかったことから、不当に姦通罪と決議されて処刑されたことと解釈した。
ヘンリー8世の離婚騒動とする解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]も支持した((Lemesurier [2003b/2010]))。
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#comment
[[詩百篇第9巻]]>77番*
*原文
Le [[regne]]&sup(){1} prins le Roy conuiera&sup(){2},
La dame&sup(){3} prinse à mort iurez&sup(){4} à [[sort]],
La vie à Royne&sup(){5} fils&sup(){6} on&sup(){7} desniera,
Et la&sup(){8} [[pellix]] au fort de la [[consort]]&sup(){9}.
**異文
(1) regne : Regne 1672Ga
(2) conuiera : conuicra 1611A, conuaincra 1611B, coniurera 1606PR 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To
(3) dame : Dame 1611 1665Ba 1672Ga 1720To 1772Ri 1840
(4) iurez : liurez 1568X 1590Ro
(5) à Royne : à royne 1568X 1590Ro, à Reyne 1653AB 1665Ba, Royne 1716PRc, à Reine 1720To 1840
(6) fils : Fils 1672Ga
(7) on : ou 1716PRb
(8) la : sa 1665Ba 1720To
(9) consort : confort 1603Mo 1650Mo 1653AB 1665Ba 1720To
**校訂
1568X の異文にあるように、2行目の iurez (jurés, 誓われる)よりも liurez (livrés, 委ねられる)とするのはある程度文脈に当てはまるが、dame とは性・数が一致しない。
*日本語訳
王国が奪われ王は招くだろう、
投票する陪審員たちによって死ぬ囚われの婦人を。
王妃の息子は生命を拒まれるだろう。
そして愛妾がついには正室となる。
**訳について
2行目 [[sort]] は「投票」と訳したが、「決議」「籤」「運命」「呪術」などとも訳せる。また、前置詞を補って訳したが、区切り方などでほかにもいくつかの訳が可能である。
4行目 au fort は中期フランス語の成句で「ついには」「結局」などの意味((DMF))。後半は若干言葉を補って訳した。
大乗訳1行目「王をとられて王国はまねかれ」((大乗 [1975] p.277))は、絶対ありえないとまではいえないが、前半律の区切り目からすると不自然。
同2行目「婦人は死に」はいくらなんでも言葉を端折りすぎだが、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳も似たようなものである。
同3行目「生命は女王の息子に拒否され」は誤訳。この行の主語は on である。
同4行目「ペラックスは女王の高さになるだろう」は微妙。fort を「強さ」と見なした上で、意訳したものか。
山根訳1行目「王国奪われ 国王陰謀をめぐらす」((山根 [1988] p.308))の後半は、conviera を conjurera と読み替えた上で訳したもの。
同4行目「愛妾も奥方と同じ運命に苦しむ」は、consort の本来の意味(「運命を共にするもの」)から導かれた訳だが、「苦しむ」は au fort の訳として疑問。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、そのまま敷衍したような解説しか付けておらず、特定の事件とは結び付けなかった((Garencieres [1672]))。
その後、解釈はされなかったが、フランス革命が起き、国王一家が国民公会の投票によって処刑されると、そのことと解釈する論者たちが現れた。
匿名の著書『暴かれた未来』(1806年)では、実質的に2番目にこの詩を解釈し、国王一家の処刑と解釈した((L’Avenir [1800] p.4))。
その後も[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[スチュワート・ロッブ]]、[[エリカ・チータム]]らがこの解釈を採ってきた((Bouys [1806] p.69, Girault [1839] p.29, Bareste [1840] p.519, Le Pelletier [1867a] p.185, Ward [1891] p.264, Lamont [1943] p.97, 294, Laver [1952] p.159, Robb [1961] p.111))。
こうした解釈の場合、4行目が若干問題となる。レイヴァーは後半を省いて、解釈しなかった。
ル・ペルチエは pellix を国民公会の比喩、fort を「砦」としてパリのコンシエルジュリーの比喩とし、consort は同じ運命、つまり一緒に処刑されることと解釈した。
チータムは、国王の愛妾も処刑されたことと解釈した。
他の解釈をする者たちもいる。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は第三共和政の崩壊と解釈した((Fontbrune [1939] p.153))。
[[アンドレ・ラモン]]は、上記の通り、ルイ16世一家の運命と解釈していたが、その一方で、近未来に起こるフランスの政体の変化を予言したものとも解釈していた。
[[セルジュ・ユタン]]は、カトリーヌ・ド・メディシスとその子供たちと解釈した((Hutin [1978/2002]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、イングランド王ヘンリ8世が男児の生まれなかった妻キャサリンと離婚して、その侍女だったアン・ブーリンと再婚したことをモデルとした((Prévost [1999] p.82))。
プレヴォは事実上、行を入れ替えて読んでおり、4行目を愛妾から王妃となったアン・ブーリンとし、2行目は彼女が男児を授からなかったことから、不当に姦通罪と決議されて処刑されたことと解釈した。
ヘンリー8世の離婚騒動とする解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]も支持した((Lemesurier [2003b/2010]))。
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