シビュラの託宣

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 『&bold(){シビュラの託宣}』 (Oracula Sibyllina) は、古代のシビュラ(巫女)が語った神託をまとめたとされるギリシア語六脚韻の詩集である。重複分を除くと12巻分と8つの断片が現存している。  一部のノストラダムス文献では&bold(){カピトーリウム神託集}などと呼ばれているが、適切な名称ではない。 #amazon(4764219034) 【画像】『シビュラの託宣』第3、4、5巻の訳を収録している『聖書外典偽典3』 *概要  古代ローマにはクマエのシビュラが持ち込んだとされる『シビュラの書』が奉納されていたが、紀元前83年の火災で焼失した。かわりに各地の神託を集めて新たな『シビュラの書』が編纂されたが、そちらも5世紀初頭に焼失した。  現在伝わっている『シビュラの託宣』は、紀元前2世紀以降、数世紀にわたってユダヤ教徒やキリスト教徒が偽造したもので、&u(){本来の『シビュラの書』との接点はない}(あるとしても全く証明されていない)。  現存する『シビュラの託宣』は、15巻(ただし、内3巻分は重複のため省かれる)で構成され、時代の異なるさまざまな書き手が、異なる宗教的概念に従って作り上げてきたものである。それゆえ、統一的な話の筋道やモチーフは存在しない。  第1巻、第2巻はユダヤ教徒が作った土台がキリスト教的に加筆されたと考えられている。第3巻から第5巻が一番古い要素を含んでいると考えられ、ユダヤ教色が強いとされている。第6巻から第8巻はほとんどがキリスト教的である。  第11巻から第14巻については若干の異説はあるが、基本的にはユダヤ教的である。  古代に22人ものキリスト教の教父たちが言及していたので、中世にも知られていた。ただし、写本自体は失われており、再発見されたのは16世紀のことである。印刷本は1545年のギリシア語版が初版、ギリシア語とラテン語の対訳版は1546年が初出である((以上、Catholic Encyclopedia (1913) , Encyclopaedia Biblica (1899), 伊藤博明 (2010) 「ラクタンティウスと『シビュラの託宣』」 『埼玉大学紀要(教養学部)』第46巻第2号、pp.21-37 などによる))。 *ノストラダムス関連  ノストラダムスが1545年の初版や翌年のギリシア・ラテン対訳版を参照した可能性は否定できない。  また、ごく一部の詩句に、ノストラダムスとの関連性を推測できるものがあるかもしれない(例えば、[[第2巻52番]]や[[第3巻3番>百詩篇第3巻3番]]と『託宣』第5巻214行目、293行目 etc.)。しかし、専門家たちによって直接的に関連性を指摘されている要素はない。  [[加治木義博]]はこれを『カピトーリウム神託集』と呼んで、ノストラダムス予言集の元になったと主張しているが、なんら実証的な裏づけが示されていない。  そもそも&u(){『カピトーリウム神託集』という呼び方自体一般的なものでは全くなく}、[[エリザベート・ベルクール]]の著書『[[裏切られたノストラダムス]]』であだ名めかして数回登場しただけに過ぎない(一般的にフランス人は同じ名詞の繰り返しを嫌う傾向があり、同じものを指す表現を次々に言い換えることがある)。  加治木はベルクールからの受け売りで、『シビュラの託宣』の第3巻が『ヨハネの黙示録』の元になったとも主張したが、それも事実とは言いがたい。  確かに『託宣』第3巻成立は紀元前140年と推測されているので、そちらの方が先ではある。だが、第3巻と黙示録の類似箇所など、専門家からはごくわずかにしか指摘されていない。そして、その程度の類似なら、他の巻でもしばしば見られるのである((公刊されている唯一の日本語訳である教文館の『聖書外典偽典3 旧約偽典I』 (pp.143-149)、『聖書外典偽典6 新約外典I』 (pp.321-322)を参照のこと。離れた巻に分かれているのは、ユダヤ教部分とキリスト教部分で分けられたためである。))。  加治木は専門家たちが誰一人として『黙示録』の底本としての『カピトーリウム神託集』に辿り着けなかったと主張するが((加治木『真説黙示録の大予言』p.59))、そのような関連性は最初から存在していないので、誰も主張してこなかったというだけの話である。  『シビュラの託宣』は過去に多くの校訂版が出され、専門家たちによって様々な検討が加えられている。今なお重要な版と認識されているゲフケンの校訂版は100年以上前(1902年)に出版されていたし、英語圏で全12巻分の信頼できる英訳と解説を提供したコリンズの英訳も1983年には出版されていた。  そうした版に全く言及することなく、聖書学者たちが誰も検討していないかのように騙るのには問題がある。  逆に『黙示録』の翻訳などでも、『シビュラの託宣』との直接的な関連などは指摘されていない。モチーフに共通性があるといわれているが、それは『第一エノク書』など他のユダヤ教的黙示文学とも共通するものであり、『託宣』のみが突出して共通性を持つわけではない((cf. 新約聖書翻訳委員会『ヨハネの黙示録』岩波書店、p.143))。  なお、『シビュラの託宣』と加治木の言う『カピトーリウム神託集』が別のものということもありえない。彼はその対訳版が1544年に出版されたと主張しているからだ((加治木『真説ノストラダムスの大予言2』p.95 etc.))。  古代ローマの『シビュラの書』は実物が残っておらず、現在に至るまで復刻された事実もない。それに対し『シビュラの託宣』は、上記のように1546年に対訳版が出されている。加治木が「1544年」としたのはベルクールの記述をそのまま引き写したものだろう。ベルクールが転載した写真には確かに「1544」と書かれているが、他方ではっきり『シビュラの託宣』(Sibyllina Oracula) とも書いてある。ベトゥレイウスの序文に書かれている年がそのまま刊行年を示すわけではないし、『託宣』の研究書で1544年に初版が出たとするものは一切ない以上、「1544年が初版」というのは誤りだろう。 #amazon(1598564919) 【画像】コリンズの英訳を収録した『旧約聖書偽典1』。第11巻以降の日本語訳は存在しない。英訳ならばいくつかあるが、ゲフケンの校訂版に基づく信頼できる全12巻分の完訳という意味では、コリンズの英訳がおそらく唯一であろう。 *外部リンク -[[ウィキペディア日本語版の「シビュラの託宣」の項目>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%81%AE%E8%A8%97%E5%AE%A3]](秀逸な記事。主執筆者は当「大事典」管理者の sumaru である) ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
 『&bold(){シビュラの託宣}』 (Oracula Sibyllina) は、古代のシビュラ(巫女)が語った神託をまとめたとされるギリシア語六脚韻の詩集である。重複分を除くと12巻分と8つの断片が現存している。  一部のノストラダムス文献では&bold(){カピトーリウム神託集}などと呼ばれているが、適切な名称ではない。 #amazon(4764219034) 【画像】『シビュラの託宣』第3、4、5巻の訳を収録している『聖書外典偽典3』 *概要  古代ローマにはクマエのシビュラが持ち込んだとされる『シビュラの書』が奉納されていたが、紀元前83年の火災で焼失した。かわりに各地の神託を集めて新たな『シビュラの書』が編纂されたが、そちらも5世紀初頭に焼失した。  現在伝わっている『シビュラの託宣』は、紀元前2世紀以降、数世紀にわたってユダヤ教徒やキリスト教徒が偽造したもので、&u(){本来の『シビュラの書』との接点はない}(あるとしても全く証明されていない)。  現存する『シビュラの託宣』は、15巻(ただし、内3巻分は重複のため省かれる)で構成され、時代の異なるさまざまな書き手が、異なる宗教的概念に従って作り上げてきたものである。それゆえ、統一的な話の筋道やモチーフは存在しない。  第1巻、第2巻はユダヤ教徒が作った土台がキリスト教的に加筆されたと考えられている。第3巻から第5巻が一番古い要素を含んでいると考えられ、ユダヤ教色が強いとされている。第6巻から第8巻はほとんどがキリスト教的である。  第11巻から第14巻については若干の異説はあるが、基本的にはユダヤ教的である。  古代に22人ものキリスト教の教父たちが言及していたので、中世にも知られていた。ただし、写本自体は失われており、再発見されたのは16世紀のことである。印刷本は1545年のギリシア語版が初版、ギリシア語とラテン語の対訳版は1546年が初出である((以上、Catholic Encyclopedia (1913) , Encyclopaedia Biblica (1899), 伊藤博明 (2010) 「ラクタンティウスと『シビュラの託宣』」 『埼玉大学紀要(教養学部)』第46巻第2号、pp.21-37 などによる))。 *ノストラダムス関連  ノストラダムスが1545年の初版や翌年のギリシア・ラテン対訳版を参照した可能性は否定できない。  また、ごく一部の詩句に、ノストラダムスとの関連性を推測できるものがあるかもしれない(例えば、[[第2巻52番>百詩篇第2巻52番]]や[[第3巻3番>百詩篇第3巻3番]]と『託宣』第5巻214行目、293行目 etc.)。  しかし、専門家たちによって直接的に関連性を指摘されている要素はない。  [[加治木義博]]はこれを『カピトーリウム神託集』と呼んで、ノストラダムス予言集の元になったと主張しているが、なんら実証的な裏づけが示されていない。  そもそも&u(){『カピトーリウム神託集』という呼び方自体一般的なものでは全くない}。  それは、[[エリザベート・ベルクール]]の著書『[[裏切られたノストラダムス]]』で、あだ名めかして数回登場しただけに過ぎない。一般的にフランス人は同じ名詞の繰り返しを嫌う傾向があり、同じものを指す表現を次々に言い換えることも珍しくないというだけの話である。  加治木はベルクールからの受け売りで、『シビュラの託宣』の第3巻が『ヨハネの黙示録』の元になったとも主張したが、それも事実とは言いがたい。  確かに『託宣』第3巻成立は紀元前140年と推測されているので、そちらの方が先ではある。だが、第3巻と黙示録の類似箇所など、専門家からはごくわずかにしか指摘されていない。そして、その程度の類似なら、他の巻でもしばしば見られるのである((公刊されている唯一の日本語訳である教文館の『聖書外典偽典3 旧約偽典I』 (pp.143-149)、『聖書外典偽典6 新約外典I』 (pp.321-322)を参照のこと。離れた巻に分かれているのは、ユダヤ教部分とキリスト教部分で分けられたためである。))。  加治木は専門家たちが誰一人として『黙示録』の底本としての『カピトーリウム神託集』に辿り着けなかったと主張するが((加治木『真説黙示録の大予言』p.59))、そのような関連性は最初から存在していないので、誰も主張してこなかったというだけの話である。  『シビュラの託宣』は過去に多くの校訂版が出され、専門家たちによって様々な検討が加えられている。今なお重要な版と認識されているゲフケンの校訂版は100年以上前(1902年)に出版されていたし、英語圏で全12巻分の信頼できる英訳と解説を提供したコリンズの英訳も1983年には出版されていた。  そうした版に全く言及することなく、聖書学者たちが誰も検討していないかのように騙るのには問題がある。  逆に『黙示録』の翻訳などでも、『シビュラの託宣』との直接的な関連などは指摘されていない。モチーフに共通性があるといわれているが、それは『第一エノク書』など他のユダヤ教的黙示文学とも共通するものであり、『託宣』のみが突出して共通性を持つわけではない((cf. 新約聖書翻訳委員会『ヨハネの黙示録』岩波書店、p.143))。  なお、『シビュラの託宣』と加治木の言う『カピトーリウム神託集』が別のものということもありえない。彼はその対訳版が1544年に出版されたと主張しているからだ((加治木『真説ノストラダムスの大予言2』p.95 etc.))。  古代ローマの『シビュラの書』は実物が残っておらず、現在に至るまで復刻された事実もない。それに対し『シビュラの託宣』は、上記のように1546年に対訳版が出されている。加治木が「1544年」としたのはベルクールの記述をそのまま引き写したものだろう。ベルクールが転載した写真には確かに「1544」と書かれているが、他方ではっきり『シビュラの託宣』(Sibyllina Oracula) とも書いてある。ベトゥレイウスの序文に書かれている年がそのまま刊行年を示すわけではないし、『託宣』の研究書で1544年に初版が出たとするものは一切ない以上、「1544年が初版」というのは誤りだろう。 #amazon(1598564919) 【画像】コリンズの英訳を収録した『旧約聖書偽典1』。第11巻以降の日本語訳は存在しない。英訳ならばいくつかあるが、ゲフケンの校訂版に基づく信頼できる全12巻分の完訳という意味では、コリンズの英訳がおそらく唯一であろう。 *外部リンク -[[ウィキペディア日本語版の「シビュラの託宣」の項目>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%81%AE%E8%A8%97%E5%AE%A3]](秀逸な記事。主執筆者は当「大事典」管理者の sumaru である) ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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