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*原文
Dedans Monech le coq&sup(){1} sera receu,
Le Cardinal&sup(){2} de France apparoistra&sup(){3}
Par [[Logarion]]&sup(){4} Romain sera deceu
Foiblesse à l'aigle&sup(){5}, & force au coq&sup(){6} naistra&sup(){7},
**異文
(1) coq(vers1) : Coq 1644 1653 1665 1672 1840
(2) Cardinal : cardinal 1660
(3) apparoistra : appastra 1627
(4) Logarion : Logation 1600 1610 1716 1840, Legation 1627 1644 1650Ri 1650Le 1653 1660 1665 1668
(5) l'aigle 1568 1590Ro 1600 1716 1772Ri : l'Aigle &italic(){T.A.Eds.}
(6) coq (vers4)1568 1590Ro 1650Ri 1772Ri : Coq &italic(){T.A.Eds.}
(7) naistra : croistra 1672
**校訂
[[Logarion]]は何らかの誤植を含んでいる可能性がある。文脈からして最も妥当なのは Legation だろう。
*日本語訳
モナコで雄鶏が歓待されるだろう。
フランスの枢機卿が現われるだろう。
教皇特使によってローマ人は欺かれるだろう。
鷲には弱さが、雄鶏には強さが生じるだろう。
**訳について
3行目は[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。前半律の切れ目からするとそれが妥当だが、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]のように、「ローマの特使によって(彼は)欺かれるだろう」とも訳せる。
大乗訳1行目「モナコでおん鳥は信じられて」((大乗 [1975] p.231))は、recevoir (受け入れる、迎える、歓待する)の訳として「信じる」が妥当かは、やや疑問である。
山根訳は問題ない。その3行目の訳し方も、上で述べたように区切りによっては成立する。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、三十年戦争中にフランスとスペインの戦いの中で、フランスがモナコに入ったことと解釈した。「枢機卿」はリシュリューとした((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]]は、未来の教皇選挙でフランス出身の教皇が選出されることかもしれないとした((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
[[エドガー・レオニ]]は、イタリア戦争ではスペイン寄りだったモナコがフランスの保護下に入るという見通しを示したものとした一方、史実は逆に、1605年にスペイン軍がモナコに駐屯した一方、フランスは1559年のカトー=カンブレジ条約によってイタリアから手を引くことになったと指摘した((Leoni [1961]))。[[エリカ・チータム]]はこの解釈をほとんど引き継いだが、一部の文章を丸写しにまでしているのに、レオニの名は挙げていない((Cheetham [1973]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は2003年の時点では、[[オグミオス]]で喩えられる[[アンリ2世]]についての予測としていたが、2010年には、ウルリヒ・フォン・フッテン(Ulrich von Hutten, 1488 -1523)のエピグラムを基にした、フランス(雄鶏)と神聖ローマ帝国(鷲)の争いの描写とする解釈に差し替えた((Lemesurier [2003b/2010]))。フッテンは急進的な反ローマの論者だった。
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#comment
[[詩百篇第8巻]]>4番*
*原文
Dedans Monech le coq&sup(){1} sera receu&sup(){2},
Le Cardinal&sup(){3} de France apparoistra&sup(){4}
Par [[Logarion]]&sup(){5} Romain sera deceu&sup(){6}
Foiblesse à l'aigle&sup(){7}, & force au coq&sup(){8} naistra&sup(){9},
**異文
(1) coq(vers1)/cocq : Coq 1644Hu 1653AB 1665Ba 1672Ga 1720To 1840
(2) receu : reçeû 1716PR(a c) 1720To, reçeu 1716PRb
(3) Cardinal : cardinal 1981EB
(4) apparoistra : appastra 1627Ma 1627Di
(5) Logarion : Logation 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR 1840, Legation 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1650Le 1653AB 1665Ba 1668 1720To 1981EB
(6) deceu : deçu 1720To
(7) l'aigle 1568 1590Ro 1610Po 1772Ri : l'Aigle &italic(){T.A.Eds.}
(8) coq (vers4)1568 1590Ro 1650Ri 1772Ri : Coq &italic(){T.A.Eds.}
(9) naistra : croistra 1672Ga
**校訂
[[Logarion]]は何らかの誤植を含んでいる可能性がある。文脈からして最も妥当なのは Legation だろう。
*日本語訳
モナコで雄鶏が歓待されるだろう。
フランスの枢機卿が現われるだろう。
教皇特使によってローマ人は欺かれるだろう。
鷲には弱さが、雄鶏には強さが生じるだろう。
**訳について
3行目は[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従った。前半律の切れ目からするとそれが妥当だが、[[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]のように、「ローマの特使によって(彼は)欺かれるだろう」とも訳せる。
既存の全訳についてコメントしておく。
大乗訳1行目「モナコでおん鳥は信じられて」((大乗 [1975] p.231))は、recevoir (受け入れる、迎える、歓待する)の訳として「信じる」が妥当かは、やや疑問である。
山根訳は問題ない。その3行目の訳し方も、上で述べたように区切りによっては成立する。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、三十年戦争中にフランスとスペインの戦いの中で、フランスがモナコに入ったことと解釈した。「枢機卿」はリシュリューとした((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀までこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は、未来の教皇選挙でフランス出身の教皇が選出されることかもしれないとした((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
[[エドガー・レオニ]]は、イタリア戦争ではスペイン寄りだったモナコがフランスの保護下に入るという見通しを示したものとした。その一方、史実は逆に、1605年にスペイン軍がモナコに駐屯した一方、フランスは1559年のカトー=カンブレジ条約によってイタリアから手を引くことになったと指摘した((Leoni [1961]))。
[[エリカ・チータム]]はこの解釈をほとんど引き継いだが、一部の文章を丸写しにまでしているのに、レオニの名は挙げていない((Cheetham [1973]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は2003年の時点では、[[オグミオス]]で喩えられる[[アンリ2世]]についての予測としていた。
だが、2010年には、ウルリヒ・フォン・フッテン(Ulrich von Hutten, 1488 -1523)のエピグラムを基にした、フランス(雄鶏)と神聖ローマ帝国(鷲)の争いの描写とする解釈に差し替えた((Lemesurier [2003b/2010]))。フッテンは急進的な反ローマの論者だった。
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