百詩篇第7巻22番

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*原文 Les citoyens&sup(){1} de Mesopotamie&sup(){2}, Yrés&sup(){3} encontre amis de Tarraconne&sup(){4}, Geux&sup(){5}, ritz&sup(){6}, banquetz&sup(){7}, toute gent endormie Vicaire au rosne&sup(){8}, prins&sup(){9} cité&sup(){10}, ceux d'Ausone&sup(){11} **異文 (1) citoyens : Citoyens 1611B 1650Le 1668 1672 (2) Mesopotamie : Masopotame 1627 (3) Yrés : Ires 1600 1610 1627 1644 1650Le 1653 1665 1716 1840 (4) Tarraconne : Taroconne 1600 1610 1644, Taraeonne 1627, Tarragonne 1605 1649Xa, Tarragone 1672, Taraconne 1716 1840 (5) Geux 1557U 1557B : Ieux &italic(){T.A.Eds.} (6) ritz : ris 1650Le 1665 1668 1840, Ris 1672 (7) banquetz : Banquets 1672 (8) rosne 1557U 1557B 1568A 1568B 1590Ro : Rosne &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Prone 1672) (9) prins : prius 1627 (10) cité : Cité 1672 (11) d'Ausone : d'Ausonne 1600 1716, de d'Ausone 1611 1660 **校訂  4行目の rosne は Rosne (Rhosne) の方が望ましい。 *日本語訳 メソポタミアの市民たちが タラコネンシスの友人たちに怒る。 遊戯、喜び、宴会、すっかり眠りに落ちた人々。 ローヌ川には代理者、都市はアウソニアの人々に囚われる。 **訳について  3行目 ritz を ris と事実上同一視するのは、[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従ったものである。  大乗訳は2行目「タロガナの友と怒り」((大乗 [1975] p.207))が不適切。encontre は「~に対して」の意味であって「~とともに」ではない。  同4行目「教皇はローヌに 町はボルドーにとられる」は、語句の解釈をまじえすぎに思える。  山根訳も名詞の訳し方に若干の疑問はあるものの、おおむね許容範囲内と思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は語釈のみを行なった。彼は「メソポタミアの市民たち」は2つの川に挟まれた場所の住民とし、アウソニアの人々は、古代ローマでコンスルとなったアウソニウス(Ausonius)が[[ボルドー]]出身だったことから、ボルドーを指すとした((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]]は、メソポタミアはローヌ川とデュランス川に挟まれたヴナスク伯領(コンタ・ヴネサン、アヴィニョン周辺)とし、4行目はローマ教皇(神の代理者)であるピウス6世がナポレオンによってローヌ川流域のヴァランスに幽閉されたことと、フランス軍がナポリ王国に侵攻したことと解釈した((Cheetham [1973/1990]))。チータムは明示していなかったが、これは[[エドガー・レオニ]]の解釈を事実上丸写ししたものに過ぎない。  [[セルジュ・ユタン]]は1978年の段階では未解明としていたが、1981年になると、第三次世界大戦の前哨戦となるような内乱を南仏で起こそうとする陰謀を、アラブ人たちがスペインで画策することと解釈した。この解釈は[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂でも変更はない((Hutin [1981] pp.68 & 233, Hutin [2002] pp.80 & 306))。  [[加治木義博]]は古代メソポタミアに対応する国イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機・湾岸戦争と解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.184&234, 同『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.59))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた教会大分裂やアヴィニョンの対立教皇に結び付けられた予言が下敷きになっていると推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- #comment
*原文 Les citoyens&sup(){1} de Mesopotamie&sup(){2}, Yrés&sup(){3} encontre amis de Tarraconne&sup(){4}, Geux&sup(){5}, ritz&sup(){6}, banquetz&sup(){7}, toute gent endormie Vicaire au rosne&sup(){8}, prins&sup(){9} cité&sup(){10}, ceux d'Ausone&sup(){11} **異文 (1) citoyens : Citoyens 1611B 1650Le 1668 1672 (2) Mesopotamie : Masopotame 1627 (3) Yrés : Ires 1600 1610 1627 1644 1650Le 1653 1665 1716 1840 (4) Tarraconne : Taroconne 1600 1610 1644, Taraeonne 1627, Tarragonne 1605 1649Xa, Tarragone 1672, Taraconne 1716 1840 (5) Geux 1557U 1557B : Ieux &italic(){T.A.Eds.} (6) ritz : ris 1650Le 1665 1668 1840, Ris 1672 (7) banquetz : Banquets 1672 (8) rosne 1557U 1557B 1568A 1568B 1590Ro : Rosne &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Prone 1672) (9) prins : prius 1627 (10) cité : Cité 1672 (11) d'Ausone : d'Ausonne 1600 1716, de d'Ausone 1611 1660 **校訂  4行目の rosne は Rosne (Rhosne) の方が望ましい。 *日本語訳 メソポタミアの市民たちが タラコネンシスの友人たちに怒る。 遊戯、喜び、宴会、すっかり眠りに落ちた人々。 ローヌ川には代理者、都市はアウソニアの人々に囚われる。 **訳について  3行目 ritz を ris と事実上同一視するのは、[[ジャン=ポール・クレベール]]の読み方に従ったものである。  大乗訳は2行目「タロガナの友と怒り」((大乗 [1975] p.207))が不適切。encontre は「~に対して」の意味であって「~とともに」ではない。  同4行目「教皇はローヌに 町はボルドーにとられる」は、語句の解釈をまじえすぎに思える。  山根訳も名詞の訳し方に若干の疑問はあるものの、おおむね許容範囲内と思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は語釈のみを行なった。彼は「メソポタミアの市民たち」は2つの川に挟まれた場所の住民とし、アウソニアの人々は、古代ローマでコンスルとなったアウソニウス(Ausonius)が[[ボルドー]]出身だったことから、ボルドーを指すとした((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]]は、メソポタミアはローヌ川とデュランス川に挟まれたヴナスク伯領(コンタ・ヴネサン、アヴィニョン周辺)とし、4行目はローマ教皇(神の代理者)であるピウス6世がナポレオンによってローヌ川流域のヴァランスに幽閉されたことと、フランス軍がナポリ王国に侵攻したことと解釈した((Cheetham [1973/1990]))。チータムは明示していなかったが、これは[[エドガー・レオニ]]の解釈を事実上丸写ししたものに過ぎない。  [[セルジュ・ユタン]]は1978年の段階では未解明としていたが、1981年になると、第三次世界大戦の前哨戦となるような内乱を南仏で起こそうとする陰謀を、アラブ人たちがスペインで画策することと解釈した。この解釈は[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂でも変更はない((Hutin [1981] pp.68 & 233, Hutin [2002] pp.80 & 306))。  [[加治木義博]]は古代メソポタミアに対応する国イラクがクウェートに侵攻した湾岸危機・湾岸戦争と解釈した((加治木『真説ノストラダムスの大予言』pp.184&234, 同『人類最終戦争・第三次欧州大戦』p.59))。 *同時代的な視点  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた教会大分裂やアヴィニョンの対立教皇に結び付けられた予言が下敷きになっていると推測した((Lemesurier [2003b/2010]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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