Nostradamus, Historien et Prophète

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 『&bold(){歴史家にして予言者ノストラダムス}』(&italic(){Nostradamus, Historien et Prophète})は、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の著書。国際的な大ベストセラーになった予言解釈書である。 *内容  題名は、ノストラダムスが語ったことはことごとく的中し、的中したものは歴史となっていくという見解に基づいている((フォンブリュヌ [1982] pp.34-35))。そのため、「歴史家ノストラダムス」と「予言者ノストラダムス」の二部構成になっている。  前者では1980年以前の的中例の数々を、豊富な歴史書からの引用などによって権威付けるものとなっている。フォンブリュヌは、サン=バルテルミーの虐殺、三十年戦争、フランス革命、二度の世界大戦、四度の中東戦争など歴史上の大事件の数々を、200篇以上の詩篇と結びつけて解釈している。  後者は未来のシナリオを多くの予言詩によって描き出すという構成になっている。その筋書きはこうである。1983年に第三次世界大戦が起こり、東側諸国とイスラーム諸国が手を結んで西側諸国に侵攻し、その途上でパリが壊滅する。フランスの第五共和政が崩壊して、ブルボン朝の血を引くアンリ5世が王政復古を行い、この偉大な君主の下で3年7ヶ月にわたる大戦は西側諸国の勝利で終結する。フランスでは核攻撃を受けたパリから[[アヴィニョン]]への遷都が行われるものの、つかの間の平和を享受する。しかし、1999年には反キリストによって2026年まで続く新たな大戦が引き起こされ、その途上でフランスの復古王政とローマ教皇庁は終焉を迎えるが、その後で千年王国が到来する((以上は Fontbrune [1982] の要約だが、原書は断片的なイメージの羅列のため、要約に当たっては、フォンブリュヌ [1982] p.343 の訳者による要約と Hoebens [1982] p.38 の要約を参照した。))。 *反響  発売当初はほとんど話題にならず、最初の半年間で売れたのは1万9000冊にすぎなかったという((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.59))。  しかし、1981年に入ってミッテラン政権の成立や、ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件を的中させたとして注目され、その本に1983年のパリ壊滅や近未来の第三次世界大戦という差し迫った危機が描かれていたことから、話題になった。そして、『パリ・マッチ』のような人気のある大衆紙をはじめとする多くのメディアで特集が組まれ、大ベストセラーになった。『パリ・マッチ』の世論調査では、この本を知っているフランス人は75%、内容を信じているのは25% という結果になり((Randi [1991] p.162 / ランディ [1999] p.214))、1982年の段階でフランス語版だけで70万部が売れていたという((Hoebens [1982] p.38))。『フィガロ』は、この本の内容を信じた人々の中には、(壊滅すると名指しされたパリなどから離れるために)アメリカやカナダへの移住を検討している人々もいることを報じた((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.61))。  フォンブリュヌの本の売れ行きは、フランスでノストラダムス関連書が激増する契機にもなった。[[ジャン=ポール・ラロッシュ]]はその氾濫ぶりについて、ノストラダムス予言集の初版が出版されて以来、例がなかったほどだと評した((Laroche [2003] p.119))。  その後、フォンブリュヌ自身が後に示したところによれば、各国語に訳され、モントリオール、バルセロナ、リスボン、ハンブルク、ウィーン、ロンドン、ニューヨーク、リオ・デ・ジャネイロ、サン・パウロ、イスタンブル、アテネなどで出版されたという((Fontbrune [2003] pp.263-263))。  日本でも『新釈ノストラダムス』として、1982年に出版された。この訳書は、後半の未来解釈を中心とする抄訳版であったが、レニ・ノーバーゲンの著書などとともに、諸外国で見られる四行詩を数多く連ねて未来図を描こうとするスタイルを日本で紹介した形になり、日本の信奉者たちの解釈スタイルに影響を及ぼしたという指摘もある((田窪 [1999] p.148))。ただし、この著書について[[髙橋良典]]が「(ノーバーゲンの著書を)資料的にもっともらしく見せたにすぎない」((髙橋 [1982] 『大予言事典・悪魔の黙示666』p.163))と評したのは明らかに見当違いで、日本には他に類書がなかったというだけで、内容的な関連性には乏しい。フォンブリュヌの著書は父マックスの著書の焼き直しに過ぎない箇所が少なくないが、ノーバーゲンとのつながりを指摘する見解など、海外では見られない。   *評価  大ベストセラーになったこの本は、様々な批判にもさらされた。ミッテラン政権と結び付けられたのは、[[百詩篇第2巻97番]]だが、フォンブリュヌは「バラ」をフランス社会党のシンボルマークと解釈し、フランス社会党が権力を握るときに、ローマ教皇が[[リヨン]]で死ぬと解釈していた((Fontbrune [1982] pp.303-304 / フォンブリュヌ [1982] p.101))。後者はヨハネ・パウロ2世がバチカンのサン・ピエトロ広場で狙撃されたことと全く整合しておらず、前者についても、左翼が政権の座に着くことで表現の自由が弾圧されると解釈しており、事実と適合していない((cf.Benazra [1990] pp.572-573))。  もちろん、1980年代前半に設定していた第三次世界大戦も実現しなかった。フォンブリュヌは続巻で、自身の解釈には的中したものもあると主張したが、それについては信奉者側の[[ヴライク・イオネスク]]からさえも「空想の産物」と一蹴された((イオネスク [1991] 『ノストラダムス・メッセージ』 p.350))。  信奉者側のフォンブリュヌに対する評価は様々である。イオネスクは上記のように手厳しく評している。また、そのイオネスクと共同で『ノストラダムスの最終的勝利』(1993年)を著したジャーナリストのマリー=テレーズ・ド・ブロッスは、かつて自分が担当した『パリ・マッチ』の複数の記事でフォンブリュヌを高く評価したことについて、不適切だったという判断を示した((イオネスク [1993] p.10))。もっとも彼女の場合、イオネスクのような「正しい」解釈よりも、フォンブリュヌのようなセンセーショナルに煽る解釈に飛びついたことを反省したのであって、信奉者的解釈を持ち上げることそのものについて不適切と表明したわけではない((イオネスク [1993] pp.10-12))。  [[エリザベート・ベルクール]]や[[五島勉]]のように、ほとんど1冊丸ごとフォンブリュヌ批判に割いた本を刊行した者たちもいる。ベルクールは、マックスの戦前の版と戦後の版、そして『歴史家にして予言者ノストラダムス』の3冊を比較し、フォンブリュヌ解釈の改変過程や恣意的な解釈内容を批判した。ベルクールの著書には問題がいくつもあるが、その比較自体は妥当なものである(逆に、この比較がまともなために、他の珍説ももっともらしく見えたという側面もあったように思われる)。  五島は『ファティマ第三の秘密』(祥伝社、1981年)の時点では、自分の従来の解釈の正しさの傍証となるものとして、フォンブリュヌ解釈を評価していた((同書、p.216))。しかし、『[[ノストラダムスの大予言IV]]』(1982年)では、フォンブリュヌが「[[恐怖の大王]]」の正体を日本と解釈したと紹介し、フォンブリュヌの本には明記されていないが、隠された意図として黄色人種差別、特に日本人に対する強い敵意が存在しているとして批判した((五島 [1982] pp.26-28, 125-131, 177-186 etc.))。これに対しては、フォンブリュヌの意図を捏造しているという批判があり、解釈手法に対する批判などにしても、人のことを言えないとする評価もある((山本 [1999] pp.81-82、志水 [1997] p.148))。  他方で同じ信奉者でも、[[ジョン・ホーグ]]はノストラダムス関連書の格付けにおいて、5段階評価で「4」をつけた((Hogue [1997](1999) p.912))。[[加治木義博]]は『人類最終戦争 1991-1995 第三次欧州大戦』(1991年)の時点では、フォンブリュヌの解釈は時期設定などに問題があるものの、近未来に起こる危機の解釈として、自分の解釈に一番近いものと評価していた((同書、pp.41-42))。ただし、翌年の著書では、フォンブリュヌがテレビ番組の『巨泉のこんなモノいらない!?』で barbe (あごひげ)を口ひげと解釈することは出来ないと発言したことを取り上げて、詩の比喩が分かっておらず解釈者の資格がないと批判した((加治木『真説ノストラダムスの大予言・あなたの未来予知篇』pp.36-38))。この批判については、むしろ加治木の比喩理解の方が異質だとする批判もある((志水 [1998] p.184))。  このほか、オウム真理教の[[麻原彰晃]]はフォンブリュヌの解釈を評価し、ノストラダムスの調査のために1989年2月に渡仏した際には会見しようとした。ただし、連絡がつかずに失敗したという((麻原彰晃 [1991] 『ノストラダムス秘密の大予言』 オウム出版、pp.59-64, 77))。フォンブリュヌ側の言い分では、オウムのような手合いからの面会要求は断固として拒絶したことになっており、若干言い分が食い違っている(([[Shinsenpou World Blog 「外から見た日本のノストラダムス現象を考える」>>http://asakura.asablo.jp/blog/2009/02/22/4136115]]))。  信奉者側には以上のように様々な評価が見られるのに対し、歴史学者や仏文学者などの実証的な論者や懐疑論者の間では、フォンブリュヌの解釈を好意的に評価する声は聞かれない。  1982年にアメリカの懐疑主義団体CSICOPの機関誌『スケプティカル・インクワイアラー』は「ノストラダムスの予言と販売」(Prophecy and the Selling of Nostradamus) と題する特集を組み、オランダの日刊紙『デ・テレグラーフ』の調査報道記者ヘーベンスがフォンブリュヌ解釈を批判的に検討した記事を載せた。  1983年にフランスで設立された[[ノストラダムス協会]]は、フォンブリュヌの解釈は人を恐れさせて本を売ろうとする商業主義的姿勢に立つものとして、設立当初から明快に否定した((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] pp.73-74))。そもそも、この会が設立された背景として、フォンブリュヌによって引き起こされたブームに対し、きちんとした研究を示そうという意図があったという((Laroche [2003] p.119))。同協会の機関誌『ノストラダムス研究誌』(Cahiers Michel Nostradamus) の創刊号と第2号には、トゥールーズ=ル・ミライユ大学の「超心理学研究室」名義による、『歴史家にして予言者ノストラダムス』の書評が載っている。この書評に対してはフォンブリュヌ自身が反論を寄稿し、同誌第3号に掲載された。  また、フォンブリュヌの日本語訳を手がけた仏文学者の[[高田勇]]は、当初は文明論的に評価していたが((フォンブリュヌ [1982] p.344))、その後急速に進展した実証的な研究がフォンブリュヌのその後の著書で顧慮されていないことに対して、学術的な研究とは別系統の興味本位的な解釈と位置付けるようになった((高田 [2000] p.304))。 *再版・続編  初版が出た翌年にはクリュブ・フランス=ロワジール社 (Edition Club France-Loisirs) からも出版され、1982年にはポケット社 (POCKET) からポケットサイズ版が出版された((Benazra [1990] pp.574, 588))。  同じ1982年には初版を刊行したロシェ社からの続刊として、『歴史家にして予言者ノストラダムス・第2巻』が出版された。こちらも初巻ほどではないが各国語に訳され、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、バルセロナ、リオ・デ・ジャネイロの出版社から刊行された((Fontbrune (2003) pp.264-265))。ただし、初巻の発行部数が8000部にも満たなかった日本では、翻訳版が刊行されることはなかった。 #amazon(2268002039) 【画像】 第2巻の表紙 *他言語版  前述の通り、多くの国で出版された。捕捉できる範囲で示しておくと、題名は以下の通りである。 -英語 --Nostradamus : Countdown to Apocalypse -日本語 --新釈ノストラダムス(講談社、1982年) -ポルトガル語 --Nostradamus Historiador E Profeta -スペイン語 --Nostradamus : Historiador y profeta -ドイツ語 --Nostradamus, Historiker und Prophet. Seine Vorhersagen von 1555 bis zum Jahr 2000 #amazon(0805010483) 【画像】英語版のひとつの表紙 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - ノストラダムスの極秘暗号の著者、モーリス・シャトランもかなり批判している。 -- とある信奉者 (2011-11-12 20:02:03)
 『&bold(){歴史家にして予言者ノストラダムス}』(&italic(){Nostradamus, Historien et Prophète})は、[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の著書。国際的な大ベストセラーになった予言解釈書である。 *内容  題名は、ノストラダムスが語ったことはことごとく的中し、的中したものは歴史となっていくという見解に基づいている((フォンブリュヌ [1982] pp.34-35))。そのため、「歴史家ノストラダムス」と「予言者ノストラダムス」の二部構成になっている。  前者では1980年以前の的中例の数々を、豊富な歴史書からの引用などによって権威付けるものとなっている。フォンブリュヌは、サン=バルテルミーの虐殺、三十年戦争、フランス革命、二度の世界大戦、四度の中東戦争など歴史上の大事件の数々を、200篇以上の詩篇と結びつけて解釈している。  後者は未来のシナリオを多くの予言詩によって描き出すという構成になっている。その筋書きはこうである。1983年に第三次世界大戦が起こり、東側諸国とイスラーム諸国が手を結んで西側諸国に侵攻し、その途上でパリが壊滅する。フランスの第五共和政が崩壊して、ブルボン朝の血を引くアンリ5世が王政復古を行い、この偉大な君主の下で3年7ヶ月にわたる大戦は西側諸国の勝利で終結する。フランスでは核攻撃を受けたパリから[[アヴィニョン]]への遷都が行われるものの、つかの間の平和を享受する。しかし、1999年には反キリストによって2026年まで続く新たな大戦が引き起こされ、その途上でフランスの復古王政とローマ教皇庁は終焉を迎えるが、その後で千年王国が到来する((以上は Fontbrune [1982] の要約だが、原書は断片的なイメージの羅列のため、要約に当たっては、フォンブリュヌ [1982] p.343 の訳者による要約と Hoebens [1982] p.38 の要約を参照した。))。 *反響  発売当初はほとんど話題にならず、最初の半年間で売れたのは1万9000冊にすぎなかったという((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.59))。  しかし、1981年に入ってミッテラン政権の成立や、ヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件を的中させたとして注目され、その本に1983年のパリ壊滅や近未来の第三次世界大戦という差し迫った危機が描かれていたことから、話題になった。そして、『パリ・マッチ』のような人気のある大衆紙をはじめとする多くのメディアで特集が組まれ、大ベストセラーになった。『パリ・マッチ』の世論調査では、この本を知っているフランス人は75%、内容を信じているのは25% という結果になり((Randi [1991] p.162 / ランディ [1999] p.214))、1982年の段階でフランス語版だけで70万部が売れていたという((Hoebens [1982] p.38))。『フィガロ』は、この本の内容を信じた人々の中には、(壊滅すると名指しされたパリなどから離れるために)アメリカやカナダへの移住を検討している人々もいることを報じた((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] p.61))。  フォンブリュヌの本の売れ行きは、フランスでノストラダムス関連書が激増する契機にもなった。[[ジャン=ポール・ラロッシュ]]はその氾濫ぶりについて、ノストラダムス予言集の初版が出版されて以来、例がなかったほどだと評した((Laroche [2003] p.119))。  その後、フォンブリュヌ自身が後に示したところによれば、各国語に訳され、モントリオール、バルセロナ、リスボン、ハンブルク、ウィーン、ロンドン、ニューヨーク、リオ・デ・ジャネイロ、サン・パウロ、イスタンブル、アテネなどで出版されたという((Fontbrune [2003] pp.263-263))。  日本でも『新釈ノストラダムス』として、1982年に出版された。この訳書は、後半の未来解釈を中心とする抄訳版であったが、レニ・ノーバーゲンの著書などとともに、諸外国で見られる四行詩を数多く連ねて未来図を描こうとするスタイルを日本で紹介した形になり、日本の信奉者たちの解釈スタイルに影響を及ぼしたという指摘もある((田窪 [1999] p.148))。ただし、この著書について[[髙橋良典]]が「(ノーバーゲンの著書を)資料的にもっともらしく見せたにすぎない」((髙橋 [1982] 『大予言事典・悪魔の黙示666』p.163))と評したのは明らかに見当違いで、日本には他に類書がなかったというだけで、内容的な関連性には乏しい。フォンブリュヌの著書は父マックスの著書の焼き直しに過ぎない箇所が少なくないが、ノーバーゲンとのつながりを指摘する見解など、海外では見られない。   *評価  大ベストセラーになったこの本は、様々な批判にもさらされた。ミッテラン政権と結び付けられたのは、[[百詩篇第2巻97番]]だが、フォンブリュヌは「バラ」をフランス社会党のシンボルマークと解釈し、フランス社会党が権力を握るときに、ローマ教皇が[[リヨン]]で死ぬと解釈していた((Fontbrune [1982] pp.303-304 / フォンブリュヌ [1982] p.101))。後者はヨハネ・パウロ2世がバチカンのサン・ピエトロ広場で狙撃されたことと全く整合しておらず、前者についても、左翼が政権の座に着くことで表現の自由が弾圧されると解釈しており、事実と適合していない((cf.Benazra [1990] pp.572-573))。  もちろん、1980年代前半に設定していた第三次世界大戦も実現しなかった。フォンブリュヌは続巻で、自身の解釈には的中したものもあると主張したが、それについては信奉者側の[[ヴライク・イオネスク]]からさえも「空想の産物」と一蹴された((イオネスク [1991] 『ノストラダムス・メッセージ』 p.350))。  信奉者側のフォンブリュヌに対する評価は様々である。イオネスクは上記のように手厳しく評している。また、そのイオネスクと共同で『ノストラダムスの最終的勝利』(1993年)を著したジャーナリストのマリー=テレーズ・ド・ブロッスは、かつて自分が担当した『パリ・マッチ』の複数の記事でフォンブリュヌを高く評価したことについて、不適切だったという判断を示した((イオネスク [1993] p.10))。もっとも彼女の場合、イオネスクのような「正しい」解釈よりも、フォンブリュヌのようなセンセーショナルに煽る解釈に飛びついたことを反省したのであって、信奉者的解釈を持ち上げることそのものについて不適切と表明したわけではない((イオネスク [1993] pp.10-12))。  [[エリザベート・ベルクール]]や[[五島勉]]のように、ほとんど1冊丸ごとフォンブリュヌ批判に割いた本を刊行した者たちもいる。ベルクールは、マックスの戦前の版と戦後の版、そして『歴史家にして予言者ノストラダムス』の3冊を比較し、フォンブリュヌ解釈の改変過程や恣意的な解釈内容を批判した。ベルクールの著書には問題がいくつもあるが、その比較自体は妥当なものである(逆に、この比較がまともなために、他の珍説ももっともらしく見えたという側面もあったように思われる)。  五島は『ファティマ第三の秘密』(祥伝社、1981年)の時点では、自分の従来の解釈の正しさの傍証となるものとして、フォンブリュヌ解釈を評価していた((同書、p.216))。しかし、『[[ノストラダムスの大予言IV]]』(1982年)では、フォンブリュヌが「[[恐怖の大王]]」の正体を日本と解釈したと紹介し、フォンブリュヌの本には明記されていないが、隠された意図として黄色人種差別、特に日本人に対する強い敵意が存在しているとして批判した((五島 [1982] pp.26-28, 125-131, 177-186 etc.))。これに対しては、フォンブリュヌの意図を捏造しているという批判があり、解釈手法に対する批判などにしても、人のことを言えないとする評価もある((山本 [1999] pp.81-82、志水 [1997] p.148))。  他方で同じ信奉者でも、[[ジョン・ホーグ]]はノストラダムス関連書の格付けにおいて、5段階評価で「4」をつけた((Hogue [1997](1999) p.912))。[[加治木義博]]は『人類最終戦争 1991-1995 第三次欧州大戦』(1991年)の時点では、フォンブリュヌの解釈は時期設定などに問題があるものの、近未来に起こる危機の解釈として、自分の解釈に一番近いものと評価していた((同書、pp.41-42))。ただし、翌年の著書では、フォンブリュヌがテレビ番組の『巨泉のこんなモノいらない!?』で barbe (あごひげ)を口ひげと解釈することは出来ないと発言したことを取り上げて、詩の比喩が分かっておらず解釈者の資格がないと批判した((加治木『真説ノストラダムスの大予言・あなたの未来予知篇』pp.36-38))。この批判については、むしろ加治木の比喩理解の方が異質だとする批判もある((志水 [1998] p.184))。  このほか、オウム真理教の[[麻原彰晃]]はフォンブリュヌの解釈を評価し、ノストラダムスの調査のために1989年2月に渡仏した際には会見しようとした。ただし、連絡がつかずに失敗したという((麻原彰晃 [1991] 『ノストラダムス秘密の大予言』 オウム出版、pp.59-64, 77))。フォンブリュヌ側の言い分では、オウムのような手合いからの面会要求は断固として拒絶したことになっており、若干言い分が食い違っている(([[Shinsenpou World Blog 「外から見た日本のノストラダムス現象を考える」>>http://asakura.asablo.jp/blog/2009/02/22/4136115]]))。  信奉者側には以上のように様々な評価が見られるのに対し、歴史学者や仏文学者などの実証的な論者や懐疑論者の間では、フォンブリュヌの解釈を好意的に評価する声は聞かれない。  1982年にアメリカの懐疑主義団体CSICOPの機関誌『スケプティカル・インクワイアラー』は「ノストラダムスの予言と販売」(Prophecy and the Selling of Nostradamus) と題する特集を組み、オランダの日刊紙『デ・テレグラーフ』の調査報道記者ヘーベンスがフォンブリュヌ解釈を批判的に検討した記事を載せた。  1983年にフランスで設立された[[ノストラダムス協会]]は、フォンブリュヌの解釈は人を恐れさせて本を売ろうとする商業主義的姿勢に立つものとして、設立当初から明快に否定した((ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] pp.73-74))。そもそも、この会が設立された背景として、フォンブリュヌによって引き起こされたブームに対し、きちんとした研究を示そうという意図があったという((Laroche [2003] p.119))。同協会の機関誌『ノストラダムス研究誌』(Cahiers Michel Nostradamus) の創刊号と第2号には、トゥールーズ=ル・ミライユ大学の「超心理学研究室」名義による、『歴史家にして予言者ノストラダムス』の書評が載っている。この書評に対してはフォンブリュヌ自身が反論を寄稿し、同誌第3号に掲載された。  また、フォンブリュヌの日本語訳を手がけた仏文学者の[[高田勇]]は、当初は文明論的に評価していたが((フォンブリュヌ [1982] p.344))、その後急速に進展した実証的な研究がフォンブリュヌのその後の著書で顧慮されていないことに対して、学術的な研究とは別系統の興味本位的な解釈と位置付けるようになった((高田 [2000] p.304))。 *再版・続編  初版が出た翌年にはクルブ・フランス=ロワジール社 (Edition Club France-Loisirs) からも出版され、1982年にはポケット社 (POCKET) からポケットサイズ版が出版された((Benazra [1990] pp.574, 588))。  同じ1982年には初版を刊行したロシェ社からの続刊として、『歴史家にして予言者ノストラダムス・第2巻』が出版された。こちらも初巻ほどではないが各国語に訳され、ミラノ、ロンドン、ニューヨーク、バルセロナ、リオ・デ・ジャネイロの出版社から刊行された((Fontbrune (2003) pp.264-265))。ただし、初巻の発行部数が8000部にも満たなかった日本では、翻訳版が刊行されることはなかった。 #amazon(2268002039) 【画像】 第2巻の表紙 *他言語版  前述の通り、多くの国で出版された。捕捉できる範囲で示しておくと、題名は以下の通りである。 -英語 --Nostradamus : Countdown to Apocalypse -日本語 --新釈ノストラダムス(講談社、1982年) -ポルトガル語 --Nostradamus Historiador E Profeta -スペイン語 --Nostradamus : Historiador y profeta -ドイツ語 --Nostradamus, Historiker und Prophet. Seine Vorhersagen von 1555 bis zum Jahr 2000 #amazon(0805010483) 【画像】英語版のひとつの表紙 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - ノストラダムスの極秘暗号の著者、モーリス・シャトランもかなり批判している。 -- とある信奉者 (2011-11-12 20:02:03)

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