百詩篇第3巻55番

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*原文 En l' an qu' un oeil en France regnera&sup(){1}, La court&sup(){2} sera à&sup(){3} vn bien fascheux trouble: Le grand de Bloys&sup(){4} son&sup(){5} ami tuera&sup(){6}: Le [[regne]]&sup(){7} mis en mal & [[doute>douter]] double. **異文 (1) regnera : Regnera 1672 (2) court : cour 1589Me 1597 1600 1605 1610 1628 1644 1649Xa 1653 1660 1665 1716, Cour 1594JF 1611 1620PD 1672 (3) à vn bien : en vn bien 1594JF 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1660 1668 1672 1716 (4) grand de Bloys : Grand de BLOYS 1594JF (5) son : sont 1867LP (6) tuera : tuëra 1649Ca 1650Le 1668 (7) regne : Regne 1672 *日本語訳 フランスに片目が君臨する年に、 宮廷は非常に厄介な困難に直面するだろう。 [[ブロワ]]の偉人がその友を殺すだろう。 王国は悪くなり、懸念は倍増する。 **訳について  [[ピエール・ブランダムール]]が指摘し、[[高田勇]]・[[伊藤進]]も追認しているが、3行目と4行目の関係は曖昧である。4行目の動詞が省かれているせいもあり、3行目の結果4行目になるとも読めるし、4行目の結果3行目が起こるとも読める。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は2行目「宮廷は同じ心配をし」((大乗 [1975] p.111))がまず誤訳。fascheux がなぜ「同じ」になるのか分からない。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳で same が使われていたのをそのまま転訳したのだろうが、その英訳自体、根拠が不明である([[テオフィル・ド・ガランシエール]]は hard と英訳していた)。  同4行目「王国は悪と疑いのうちにあるだろう」は、double (2倍)が訳に反映されていない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は3行目「ブロワの男が友を殺す」((山根 [1988] p.131))について、grand を単に「男」と訳すのが不適切である。 *信奉者側の見解  この詩の解釈は、ノストラダムスが生きているうちに見られたとされている。それは、[[ジャン・ド・ヴォゼル]]によるもので、[[アンリ2世]]の事故死を的中させたと解釈したらしい。それについては[[ヴォゼルによる百詩篇第3巻55番の解釈]]を参照のこと。  解釈書の類では、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)が最初に触れた。彼は「片目」を単なる君主の隠喩として扱い、前半2行をアンボワーズの陰謀事件(1560年)と解釈した。後半は BLOYS を B.(Bourbon) LOYS と分けることで、プロテスタントの指導的地位にいたコンデ親王ルイ・ド・ブルボン (Louis / Loys de Bourbon) と解釈し、1563年にギーズ公フランソワがプロテスタントによって暗殺された事件と解釈した((Chavigny [1594] pp.68, 122))。  匿名の解釈書 『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、1580年代のフランス宮廷と解釈されていた。時の国王アンリ3世はヴァロワ家の唯一の王族男子となっており(1行目)、その後継問題が議論されていた(2行目)。後半は、そのアンリ3世がギーズ公アンリを暗殺させたこととした((Petit Discours..., pp.10-11))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、片目のフランス王が君臨する予言として、漠然としか解釈していなかった。この解釈はのちに[[ヘンリー・C・ロバーツ]]に引き継がれた((Roberts [1949/1994]))。  その後、19世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]の著書には載っていない。  匿名の解釈書 『暴かれた未来』(1800年)では1559年の情勢とされた。[[アンリ2世]]は事故で片目を失い、それから2週間と経たずに死去し、それが宮廷に混乱をもたらしたさまが前半に予言されていたという。3行目は同じ年にあったというブロワ伯の決闘の描写で、彼が対戦相手を殺めてしまったこととされた。4行目は当時のフランスが宗教対立で分裂していたことを指し、「二重の恐れ」はカルヴァン派とルター派という2つのプロテスタントを指すと解釈された((L'Avenir Dévoilé..., pp.26-27))。  [[テオドール・ブーイ]](1806年)、[[フランシス・ジロー]](1839年)、[[ウジェーヌ・バレスト]](1840年)は扱っていなかったが、[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)は従来の解釈を折衷する解釈を展開した。彼は前半をアンリ2世の事故死、後半をアンリ3世によるギーズ公暗殺と解釈したのである((Torné-Chavigny [1860] p.4))。  この解釈は[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]など、多くの論者が追随した((Le Pelletier [1867a] pp.93-94, Ward [1891] p.115, Boswell [1943] pp.111-112, Laver [1952] pp.61, 86, Cheetham [1973/1990]))。  日本でも[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言II]]』で紹介し((同書、p.201))、その後も[[池田邦吉]]、[[竹本忠雄]]((池田『ノストラダムスの預言書解読III』pp.136-140, 149-150竹本『秘伝ノストラダムス・コード』pp.198-202))などがこの解釈を採っている。  なお、[[フォンブリュヌ>ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]親子や[[セルジュ・ユタン]]は、20世紀以降の信奉者としては珍しく、アンリ3世とだけ結びつける解釈を踏襲した((Fontbrune (1938)[1939] p.74, Hutin [1978/2003], Fontbrune (1980)[1982]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、片目は君主の隠喩として、ブロワで生まれ、そこを居城としていたルイ12世がモデルになっているのではないかとした((Brund’Amour [1996]))。  なお、ブランダムールはこの詩に関連する情報として、前述の[[ジャン・ド・ヴォゼル]]の解釈内容を推測して復元している。また、[[ジョヴァンニ・ミキエル]]の1561年初頭の報告書にある、「ノストラダムスの占い」のせいで国王シャルル9世が片目を失うのではないかという噂が宮廷に広まっているという話は、この詩が影響している可能性を示した。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、少なくとも前半について、1545年のブローニュ攻囲戦で片目を失ったギーズ公フランソワがアンリ2世の宮廷で権力を伸ばしたことではないかとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。[[ジャン=ポール・クレベール]]も当時の宮廷で権勢を誇った有名な隻眼の人物としてギーズ公フランソワを挙げた((Clébert [2003]))。 ---- #comment
*原文 En l' an qu' un oeil en France regnera&sup(){1}, La court&sup(){2} sera à&sup(){3} vn bien fascheux trouble: Le grand de Bloys&sup(){4} son&sup(){5} ami tuera&sup(){6}: Le [[regne]]&sup(){7} mis en mal & [[doute>douter]] double. **異文 (1) regnera : Regnera 1672 (2) court : cour 1589Me 1597 1600 1605 1610 1628 1644 1649Xa 1653 1660 1665 1716, Cour 1594JF 1611 1620PD 1672 (3) à vn bien : en vn bien 1594JF 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le 1660 1668 1672 1716 (4) grand de Bloys : Grand de BLOYS 1594JF (5) son : sont 1867LP (6) tuera : tuëra 1649Ca 1650Le 1668 (7) regne : Regne 1672 *日本語訳 フランスに片目が君臨する年に、 宮廷は非常に厄介な困難に直面するだろう。 [[ブロワ]]の偉人がその友を殺すだろう。 王国は悪くなり、懸念は倍増する。 **訳について  [[ピエール・ブランダムール]]が指摘し、[[高田勇]]・[[伊藤進]]も追認しているが、3行目と4行目の関係は曖昧である。4行目の動詞が省かれているせいもあり、3行目の結果4行目になるとも読めるし、4行目の結果3行目が起こるとも読める。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は2行目「宮廷は同じ心配をし」((大乗 [1975] p.111))がまず誤訳。fascheux がなぜ「同じ」になるのか分からない。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳で same が使われていたのをそのまま転訳したのだろうが、その英訳自体、根拠が不明である([[テオフィル・ド・ガランシエール]]は hard と英訳していた)。  同4行目「王国は悪と疑いのうちにあるだろう」は、double (2倍)が訳に反映されていない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は3行目「ブロワの男が友を殺す」((山根 [1988] p.131))について、grand を単に「男」と訳すのが不適切である。 *信奉者側の見解  この詩の解釈は、ノストラダムスが生きているうちに見られたとされている。それは、[[ジャン・ド・ヴォゼル]]によるもので、[[アンリ2世]]の事故死を的中させたと解釈したらしい。それについては[[ヴォゼルによる百詩篇第3巻55番の解釈]]を参照のこと。  解釈書の類では、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)が最初に触れた。彼は「片目」を単なる君主の隠喩として扱い、前半2行をアンボワーズの陰謀事件(1560年)と解釈した。後半は BLOYS を B.(Bourbon) LOYS と分けることで、プロテスタントの指導的地位にいたコンデ親王ルイ・ド・ブルボン (Louis / Loys de Bourbon) と解釈し、1563年にギーズ公フランソワがプロテスタントによって暗殺された事件と解釈した((Chavigny [1594] pp.68, 122))。  匿名の解釈書 『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、1580年代のフランス宮廷と解釈されていた。時の国王アンリ3世はヴァロワ家の唯一の王族男子となっており(1行目)、その後継問題が議論されていた(2行目)。後半は、そのアンリ3世がギーズ公アンリを暗殺させたこととした((Petit Discours..., pp.10-11))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、片目のフランス王が君臨する予言として、漠然としか解釈していなかった。この解釈はのちに[[ヘンリー・C・ロバーツ]]に引き継がれた((Roberts [1949/1994]))。  その後、19世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]の著書には載っていない。  匿名の解釈書 『暴かれた未来』(1800年)では1559年の情勢とされた。[[アンリ2世]]は事故で片目を失い、それから2週間と経たずに死去し、それが宮廷に混乱をもたらしたさまが前半に予言されていたという。3行目は同じ年にあったというブロワ伯の決闘の描写で、彼が対戦相手を殺めてしまったこととされた。4行目は当時のフランスが宗教対立で分裂していたことを指し、「二重の恐れ」はカルヴァン派とルター派という2つのプロテスタントを指すと解釈された((L'Avenir Dévoilé..., pp.26-27))。  [[テオドール・ブーイ]](1806年)、[[フランシス・ジロー]](1839年)、[[ウジェーヌ・バレスト]](1840年)は扱っていなかったが、[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)は従来の解釈を折衷する解釈を展開した。彼は前半をアンリ2世の事故死、後半をアンリ3世によるギーズ公暗殺と解釈したのである((Torné-Chavigny [1860] p.4))。  この解釈は[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]、[[エリカ・チータム]]など、多くの論者が追随した((Le Pelletier [1867a] pp.93-94, Ward [1891] p.115, Boswell [1943] pp.111-112, Laver [1952] pp.61, 86, Cheetham [1973/1990]))。  日本でも[[五島勉]]が『[[ノストラダムスの大予言II]]』で紹介し((同書、p.201))、その後も[[池田邦吉]]、[[竹本忠雄]]((池田『ノストラダムスの預言書解読III』pp.136-140, 149-150竹本『秘伝ノストラダムス・コード』pp.198-202))などがこの解釈を採っている。  なお、[[フォンブリュヌ>ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]親子や[[セルジュ・ユタン]]は、20世紀以降の信奉者としては珍しく、アンリ3世とだけ結びつける解釈を踏襲した((Fontbrune (1938)[1939] p.74, Hutin [1978/2003], Fontbrune (1980)[1982]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、片目は君主の隠喩として、ブロワで生まれ、そこを居城としていたルイ12世がモデルになっているのではないかとした((Brund’Amour [1996]))。  なお、ブランダムールはこの詩に関連する情報として、前述の[[ジャン・ド・ヴォゼル]]の解釈内容を推測して復元している。また、[[ジョヴァンニ・ミキエル]]の1561年初頭の報告書にある、「ノストラダムスの占い」のせいで国王シャルル9世が片目を失うのではないかという噂が宮廷に広まっているという話は、この詩が影響している可能性を示した。  [[ピーター・ラメジャラー]]は、少なくとも前半について、1545年のブローニュ攻囲戦で片目を失ったギーズ公フランソワがアンリ2世の宮廷で権力を伸ばしたことではないかとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。[[ジャン=ポール・クレベール]]も当時の宮廷で権勢を誇った有名な隻眼の人物としてギーズ公フランソワを挙げた((Clébert [2003]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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