D.M.

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 &bold(){D.M.}は[[百詩篇第8巻66番]]に登場する略語。  [[エドガー・レオニ]]は Diis Manibus (死者の御霊に)というラテン語の定型句と判断した。これは古代ローマの墓碑に刻まれる定型句で、この読み方は[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らから支持されている。  クレベールが指摘するように、[[セザール・ド・ノートルダム]]の証言が正しいのなら、当初のノストラダムスの墓碑もこの2字で始まっていた((C. de Nostredame [1614] p.804A))。ノストラダムスの墓碑は古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの墓碑の翻案というべきもので((cf.Brind’Amour [1993] pp.60-61))、その影響もあったのかもしれない。  なお、19世紀に再建された現在の墓碑は D.O.M. (「至高にして善なる神に」を意味するキリスト教徒の墓碑の定型句)で始まっており、セザールの証言を確認することは出来なくなっている。  なお、[[ピエール・ロレ]]、[[ロベール・ブナズラ]]、クレベールたちはノストラダムスの手稿『[[オルス・アポロ]]』の締めくくりに 「彼ら(エジプト人たち)は冥府の神々を呼び寄せるときに、死者の魂をD.M. と呼んでいた」(Comment ilz (les Egyptiens) appelloient les dieux infernaulx, qu'ilz appeloient Manes D.M.) という一文があることを指摘している((Benazra [1990] p.3, Rollet [1993] pp.7-8, Clébert [2003]。中期フランス語の comment は comme と同じ用法を持っていた。))。  過去の信奉者たちが提示した説としては以下のものがある。 -[[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、「南の下降点」(Descendant Meridional des planetes) の略とされ、星位のこととされていた((Eclaircissement..., p.222))。 -[[アナトール・ル・ペルチエ]]は「手書きの」(Du Manuscrit)の略と判断した((Le Pelletier [1867b]))。 -[[リー・マッキャン]]は、[[百詩篇第9巻84番]]の[[Medusine]]を Deus in Me とアナグラムし、このD.M.と関わりある可能性を示した((McCann [1941] pp.405-406))。 ---- #comment
 &bold(){D.M.}は[[詩百篇第8巻66番]]に登場する略語。  [[エドガー・レオニ]]は Diis Manibus (死者の御霊に)というラテン語の定型句と判断した。  これは古代ローマの墓碑に刻まれる定型句で、この読み方は[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らから支持されている。  [[セザール・ド・ノートルダム]]の証言が正しいのなら、当初の[[ノストラダムスの墓碑>ノストラダムスの墓]]もこの2字で始まっていた((C. de Nostredame [1614] p.804A))。この点はクレベールも指摘していた。  ノストラダムスの墓碑は古代ローマの歴史家ティトゥス・リウィウスの墓碑の翻案というべきもので((cf.Brind’Amour [1993] pp.60-61))、その影響もあったのかもしれない。  なお、19世紀に再建された現在の墓碑は D.O.M. (「至高にして善なる神に」を意味するキリスト教徒の墓碑の定型句)で始まっており、セザールの証言を確認することは出来なくなっている。  なお、[[ピエール・ロレ]]、[[ロベール・ブナズラ]]、クレベールたちはノストラダムスの手稿『[[オルス・アポロ]]』の締めくくりに 「彼ら(エジプト人たち)は冥府の神々を呼び寄せるときに、死者の魂をD.M. と呼んでいた」(Comment ilz (les Egyptiens) appelloient les dieux infernaulx, qu'ilz appeloient Manes D.M.) という一文があることを指摘している((Benazra [1990] p.3, Rollet [1993] pp.7-8, Clébert [2003]。中期フランス語の comment は comme と同じ用法を持っていた。))。  過去の信奉者たちが提示した説としては以下のものがある。 -[[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、「南の下降点」(Descendant Meridional des planetes) の略とされ、星位のこととされていた((Eclaircissement..., p.222))。 -[[アナトール・ル・ペルチエ]]は「手書きの」(Du Manuscrit)の略と判断した((Le Pelletier [1867b]))。 -[[リー・マッキャン]]は、[[詩百篇第9巻84番]]の[[Medusine]]を Deus in Me とアナグラムし、このD.M.と関わりある可能性を示した((McCann [1941] pp.405-406))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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