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[[百詩篇第8巻]]>48番
*原文
Saturne en Cancer&sup(){1}, Iupiter auec Mars,
Dedans Feurier [[Chaldondon]]&sup(){2} [[saluaterre>salvaterre]]&sup(){3},
[[Sault Castallon>Sault Castullon]]&sup(){4} assailly de trois pars&sup(){5},
Pres de [[Verbiesque]] conflit mortelle guerre.
**異文
(1) Cancer : Cancre &italic(){conj.(PB1993)}
(2) Chaldondon : Caldondon 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1660 1672
(3) saluaterre : saluterre 1600 1627 1644 1650Le 1650Ri 1660 1668, Salvaterre 1672
(4) Castallon : Castillon 1665, Castullon &italic(){conj.(PB1993)}
(5) pars : parts 1665 1672
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]による1行目の校訂は、意味上ではなく韻律上の要請によるもの。
2行目について、ブランダムールは Salvaterre という異文を支持している。saluterre という異文は1600(ジャン・ポワイエ版)の誤記が一部の版に引き継がれただけであろう。ほぼ同傾向である1610(ピエール・リゴー版)では saluaterre となっている。
3行目は Castullon の方が適切。
*日本語訳
土星は巨蟹宮にあり、木星は火星と共にある。
フェヴリエ、カルドンドン、サルヴァテルと
サルトゥス・カストゥロネンシスでは、三方向から攻め立てられる。
ブリビエスカの近くで、衝突と致命的な戦争。
**訳について
2行目冒頭の Dedans は普通1行目と切り離して読むが、[[ピエール・ブランダムール]]はむしろ1行目と繋げて「土星は巨蟹宮にあり、木星も火星と/その中に」と読める可能性を指摘している((Brind’Amour [1993] pp.282-283))。
2行目から3行目の前半は地名の列挙として訳した。これはプレヴォの読みに従ったものだが、Février を素直に「2月」と読み、「2月に、カルドンドン、サルヴァテル、/サルトゥス・カストゥロネンシスが、三方向から襲撃される。」と訳すこともできる。
大乗訳では3行目が「共和国は三方を襲撃され」となっている。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳を直訳したものだが、ロバーツが Sault Castallon を Republic と英訳した根拠は不明([[ガランシエール>テオフィル・ド・ガランシエール]]はこの語を英訳していない)。
4行目。山根訳では「戦争 致命的衝突」と、mortelle を衝突にかからせているが、この語は女性形であり、男性名詞の conflit ではなく女性名詞の guerre を修飾していると見た方が良いだろう。
*信奉者側の見解
[[池田邦吉]]は[[百詩篇第8巻49番]]と関連付けて、自分の解釈が世界中で拍手喝采で受け入れられる予言だと主張した((池田『ノストラダムスの預言書解読II』1997年、pp.28-32))。[[深野一幸]]もその説をそのまま受け入れていた((深野『ノストラダムス恐怖の開示録』1996年、pp.72-73))。
[[ロルフ・ボズウェル]]や[[リー・マッキャン]]は第一次世界大戦期の予言としている。[[セルジュ・ユタン]]は第二次世界大戦に先立つスペイン内戦の予言と捉えた。
ジョン・ホーグの解釈はそれらを折衷したようなもので、1917年の5月から6月や1944年の7月から8月に該当する星位になったとして、それらの時期の欧州での衝突に重ねる一方で、3行目は、木星と火星が合になっていた1937年10月におけるスペイン内戦の様子と関連付けている。ただし、ホーグはその時期に土星が巨蟹宮に入っていないことを率直に認めている((Hogue [1997]))。
*同時代的な視点
1行目の星位は、「木星と火星の合」が巨蟹宮で起こるのか、他の宮で起こるのかで時期の幅が異なってくる。前者の場合、ノストラダムスと同時代では1504年2月しかないという((Brind’Amour [1993] ibid.))。しかし、後者の場合、1562年や1593年も候補になる((ibid.))。
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1562年2月を採用し、当時のスペイン情勢を描写したものと理解した。Février は普通なら「2月」だが、この場合、ポルトゥス・モンティス・フェブルアリイ(Portus Montis Februarii, スペインの都市名プエルト・デ・ピエドラフェダのラテン語名)を指しているとし、カルドンドンはサルドゥエンド(Zalduendo)、サルヴァテルはサルバティエラ(Salvatierra)と捉える。これはシエラ・モレナ(サルトゥス・カストゥロネンシス)、ブリビエスカなどとともに、全てサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に含まれている地名である。プレヴォは、当時の宗教的不安定さにより、1562年にガスコーニュからの移民がスペインに多く流入した状況を描いた詩と捉えている((Prévost [1999] pp.207-208))。なお、ユグノー戦争は1562年3月のヴァシーの虐殺によって開戦したので、1562年2月はその前夜にあたる。
[[ピーター・ラメジャラー]]は時期を遡らせて、1367年2月のエドワード黒太子によるカスティリャ遠征と捉える。エドワードはピレネー山脈行軍の際に、三隊に分けたことがあった。ラメジャラーはノストラダムスがフロワサールの年代記を参照してこの詩を書いたと考えている((Lemesurier [2003]))。
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#comment
[[詩百篇第8巻]]>48番*
*原文
Saturne en Cancer&sup(){1}, Iupiter auec Mars,
Dedans Feurier [[Chaldondon]]&sup(){2} [[saluaterre>salvaterre]]&sup(){3},
[[Sault Castallon>Sault Castullon]]&sup(){4} assailly de trois pars&sup(){5},
Pres de [[Verbiesque]]&sup(){6} conflit mortelle guerre.
**異文
(1) Cancer : cancer 1716PRb
(2) Chaldondon : Caldondon 1605sn 1611 1628dR 1649Ca 1649Xa 1981EB 1672Ga, Chal dondon 1650Mo
(3) saluaterre : saluterre 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Le 1650Ri 1981EB 1668, salua terre 1650Mo, Salvaterre 1672Ga
(4) Castallon : Castillon 1665Ba 1720To
(5) pars : parts 1665Ba 1672Ga 1720To
(6) Verbiesque : Vierviesque 1667Wi
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は1行目の Cancerを Cancreと校訂した。これは、意味上ではなく韻律上の要請によるものだという((Brind'Amour [1993]))。
2行目について、ブランダムールは Salvaterre という異文を支持している。saluterre という異文は1607PRの誤記が一部の版に引き継がれただけであろう。
同じく[[ピエール・リゴー]]が1606PRが saluaterre となっていることから言っても、単なる誤記であろう。
3行目 Castallonを、ブランダムールは Castullon と校訂している。実際、その方が適切であろう。
*日本語訳
土星は巨蟹宮にあり、木星は火星と共にある。
フェヴリエ、シャルドンドン、サルヴァテルと
サルトゥス・カストゥロネンシスでは、三方向から攻め立てられる。
ブリビエスカの近くで、衝突と致命的な戦争。
**訳について
2行目冒頭の Dedans は普通1行目と切り離して読むが、[[ピエール・ブランダムール]]はむしろ1行目と繋げて「土星は巨蟹宮にあり、木星も火星と/その中に」と読める可能性を指摘している((Brind’Amour [1993] pp.282-283))。
2行目から3行目の前半は地名の列挙として訳した。これはプレヴォの読みに従ったものだが、Février を素直に「2月」と読み、「2月に、カルドンドン、サルヴァテル、/サルトゥス・カストゥロネンシスが、三方向から襲撃される。」と訳すこともできる。
大乗訳では3行目が「共和国は三方を襲撃され」となっている。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳を直訳したものだが、ロバーツが Sault Castallon を Republic と英訳した根拠は不明([[ガランシエール>テオフィル・ド・ガランシエール]]はこの語を英訳していない)。
4行目。山根訳では「戦争 致命的衝突」と、mortelle を衝突にかからせているが、この語は女性形であり、男性名詞の conflit ではなく女性名詞の guerre を修飾していると見た方が良いだろう。
*信奉者側の見解
[[池田邦吉]]は[[詩百篇第8巻49番]]と関連付けて、自分の解釈が世界中で拍手喝采で受け入れられる予言だと主張した((池田『ノストラダムスの預言書解読II』1997年、pp.28-32))。[[深野一幸]]もその説をそのまま受け入れていた((深野『ノストラダムス恐怖の開示録』1996年、pp.72-73))。
[[ロルフ・ボズウェル]]や[[リー・マッキャン]]は第一次世界大戦期の予言としている((Boswell[1943], McCann[1942]))。[[セルジュ・ユタン]]は第二次世界大戦に先立つスペイン内戦の予言と捉えた。
ジョン・ホーグの解釈はそれらを折衷したようなもので、1917年の5月から6月や1944年の7月から8月に該当する星位になったとして、それらの時期の欧州での衝突に重ねる一方で、3行目は、木星と火星が合になっていた1937年10月におけるスペイン内戦の様子と関連付けている。ただし、ホーグはその時期に土星が巨蟹宮に入っていないことを率直に認めている((Hogue [1997]))。
*同時代的な視点
1行目の星位は、「木星と火星の合」が巨蟹宮で起こるのか、他の宮で起こるのかで時期の幅が異なってくる。前者の場合、ノストラダムスと同時代では1504年2月しかないという((Brind’Amour [1993] ibid.))。
しかし、後者の場合、1562年や1593年も候補になる((ibid.))。
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1562年2月を採用し、当時のスペイン情勢を描写したものと理解した。
Février は普通なら「2月」だが、この場合、ポルトゥス・モンティス・フェブルアリイ(Portus Montis Februarii, スペインの都市名プエルト・デ・ピエドラフェダのラテン語名)を指しているとし、カルドンドンはサルドゥエンド(Zalduendo)、サルヴァテルはサルバティエラ(Salvatierra)と捉えた。
これはシエラ・モレナ(サルトゥス・カストゥロネンシス)、ブリビエスカなどとともに、全てサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路に含まれている地名である。
プレヴォは、当時の宗教的不安定さにより、1562年にガスコーニュからの移民がスペインに多く流入した状況を描いた詩と捉えている((Prévost [1999] pp.207-208))。
なお、ユグノー戦争は1562年3月のヴァシーの虐殺によって開戦したので、1562年2月はその前夜にあたる。
[[ピーター・ラメジャラー]]は時期を遡らせて、1367年2月のエドワード黒太子によるカスティーリャ遠征と捉える。
エドワードはピレネー山脈行軍の際に、三隊に分けたことがあった。ラメジャラーはノストラダムスがフロワサールの年代記を参照してこの詩を書いたと考えている((Lemesurier [2003]))。
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