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*原文
De terre&sup(){1} foible & pauure&sup(){2} [[parentele]]&sup(){3},
Par bout&sup(){4} & paix paruiendra dans l'empire&sup(){5}.
Long temps&sup(){6} regner vne ieune femele,
Qu'oncq&sup(){7} en [[regne]]&sup(){8} n'en&sup(){9} [[suruint>survenir]]&sup(){10} vn si pire.
**異文
(1) terre : Terre 1672
(2) pauure : pouure 1557B 1568A, poure 1590Ro
(3) parentele : parentale 1672
(4) bout : boute 1672, bont. 1712Guy
(5) l'empire : l'Empire 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1653 1660 1665 1668 1672 1712Guy 1716 1772Ri
(6) Long temps : Long-temps 1644 1653 1665 1712Guy 1772Ri
(7) Qu'oncq : Qu'onc 1557B 1588-89, Qu'oncques 1568B 1568C 1568I 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1672 1716 1772Ri, Qu'oncq' 1649Ca 1650Ri 1668, Qu'oncq. 1712Guy
(8) regne : Regne 1672
(9) n'en : nen 1672
(10) suruint : suruient 1588Rf 1589Me
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は Qu'oncq を Qu'oncques と校訂した。
*日本語訳
取るに足らない土地の貧しい家族から、
折々に慎ましく帝国で成り上がるだろう。
長い間、一人の若い女性が君臨するが、
かつてそうまで悪しき人物が不意に即位したことはなかった。
**訳について
2行目 par bout はブランダムールによれば par moment (時々、折々に)を意味する成句だといい、彼は「段階的に」(graduellement) と釈義した。par paix は「慎ましやかに」(discrètement) を意味する成句だという。
前半の主語は略されている。前半と後半が連続しているとすれば、その主語は「彼女」だが、連続していないとすれば「彼」「彼女」のどちらもありえる([[ピエール・ブランダムール]]も両方の可能性を示していたように、活用形などからそれを判断することは出来ない)。
既存の訳についてもコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は全体的におかしい。
1行目は「国の弱さは貧しい血族関係の」((大乗 [1975] p.104))と訳されているが、この行の前半と後半は & でつながれている並列的なものである。
2行目「ひと突きによって帝国は平和になり」もおかしい。bout は「先端」の意味はあるが、「ひと突きによって」は意訳しすぎの感があるし、帝国の前には前置詞があるのでそれを主語にとることも出来ない(「帝国で平和が成り上がる」と理解したのだとしても、paix の前の & が説明できない)。
3行目「長い間婦人が統治し」は、細かい点になるが jeune (若い)が訳に反映されていない。
4行目「それによって悪くなることは決してないだろう」は否定の仕方がおかしい。動詞 survint は直説法単純過去なので、未来の意味に訳すのも不適切である。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は2行目「努力と平和のおかげで帝国を手に入れるだろう」((山根 [1988] p.125))がまず微妙。bout を「努力」と訳すのは[[エリカ・チータム]]の英訳のままだが、根拠が不明。
4行目「比類なき悪しき影響を王国にのこして」は、大乗訳への指摘の通り、時制を考慮すれば不適切である。
*信奉者側の見解
19世紀末までに解釈したのは、ガランシエール、ギノー、バレストの3人だけだったようである。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「誰でも解釈できるかもしれないくらいに単語は平易」とだけ述べていた((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]]は、小さな村の貧しい両親から生まれた温厚な善人がローマ教皇の地位につき、国民を困らせるろくでもない女性の王族 (princess, 文脈からは女王、王妃、女公などのいずれが適切か判断しかねる)を支配することの予言とした((Guynaud [1712] pp.322-324))。
[[ウジェーヌ・バレスト]]は前半2行のみ、豚飼いをしていたとされ、ノストラダムスがその未来を告げてひざまずいたというローマ教皇[[シクストゥス5世]]と解釈した((Bareste [1840] p.62))。
20世紀に入っても、余り多くは取り上げられてこなかった。
[[スチュワート・ロッブ]]はナポレオン3世の妻ウジェニーのこととした((Robb [1961] p.122))。
[[エリカ・チータム]]は前半と後半をはっきり分け、前半はフランスの[[アンリ4世]]、後半はイングランドのエリザベス1世と解釈した((Cheetham [1973]))。
[[セルジュ・ユタン]]はロシアのエカチェリーナ2世と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はナポレオン3世のこととした。彼は3行目を「若い女性を長い間支配する」と読んで、マリアンヌ (フランスで共和政を若い女性に擬人化したときの名前) を抑えて長く帝政を敷いたことと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は東ローマ帝国の皇妃テオドラと解釈した。テオドラはユスティニアヌス1世の妻だが、親はサーカスの熊使いであり、自身は奔放な踊り子であった。彼女は皇帝ユスティヌスの甥であったユスティアヌスに見初められて結婚し、夫が527年に皇帝となったことで皇妃の地位を手に入れ、21年間その地位にあった((Prévost [1999] p.198. なお、プレヴォはユスティニアヌス1世の即位を1527年としているが、単なる書き誤りだろう。))。
[[ピーター・ラメジャラー]]もテオドラとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
彼らは4行を全てテオドラに引きつけて理解したが、夫のユスティニアヌス1世もイリリア地方の農民の出であり、伯父が皇帝になったのを足がかりに帝位を掴んだ人物なので((井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社現代新書、pp.74-78))、前半を夫ユスティニアヌス1世と解釈することも可能だろう。
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- 18世紀のロシア女帝であるエカチェリーナ1世と2世を予言 -- とある信奉者 (2012-03-09 00:23:51)
- かつてそうまで悪しき人物が不意に即位したことはなかった。 助ける必要の無いところで慈悲でとか言い出すと暴言吐き出すよな、助けるべきなのか? 十分な考慮の上での救済が必要である。 選民は考え方として間違っているが、助けられるなら暴言吐いても良いは? もし壁が一段目がフェイクで2段目があるなら、 本来の救済についての考え方は当人の意見の反映されるべき方は2段目の壁においての意見である、 慈悲のある救済の本来の姿勢は、助けたいから困ってる人を助けるのであり、 政治的判断で他人を助ける人間は、本来の考え方を理解していない、 流れとしてそうであれば良いと思っているだけであり、 ならば一段目の壁のフェイクより2段目の壁においての方が当人の考え方た救済のあり方である。 -- 名無しさん (2014-04-27 18:52:47)
#comment
*原文
De terre&sup(){1} foible & pauure&sup(){2} [[parentele]]&sup(){3},
Par bout&sup(){4} & paix paruiendra dans l'empire&sup(){5}.
Long temps&sup(){6} regner vne ieune femele,
Qu'oncq&sup(){7} en [[regne]]&sup(){8} n'en&sup(){9} [[suruint>survenir]]&sup(){10} vn si pire.
**異文
(1) terre : Terre 1672
(2) pauure : pouure 1557B 1568A, poure 1590Ro
(3) parentele : parentale 1672
(4) bout : boute 1672, bont. 1712Guy
(5) l'empire : l'Empire 1588-89 1597 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1653 1660 1665 1668 1672 1712Guy 1716 1772Ri
(6) Long temps : Long-temps 1644 1653 1665 1712Guy 1772Ri
(7) Qu'oncq : Qu'onc 1557B 1588-89, Qu'oncques 1568B 1568C 1568I 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1660 1672 1716 1772Ri, Qu'oncq' 1649Ca 1650Ri 1668, Qu'oncq. 1712Guy
(8) regne : Regne 1672
(9) n'en : nen 1672
(10) suruint : suruient 1588Rf 1589Me
**校訂
[[ピエール・ブランダムール]]は Qu'oncq を Qu'oncques と校訂した。
*日本語訳
取るに足らない土地の貧しい家族から、
折々に慎ましく帝国で成り上がるだろう。
長い間、一人の若い女性が君臨するが、
かつてそうまで悪しき人物が不意に即位したことはなかった。
**訳について
2行目 par bout はブランダムールによれば par moment (時々、折々に)を意味する成句だといい、彼は「段階的に」(graduellement) と釈義した。par paix は「慎ましやかに」(discrètement) を意味する成句だという。
前半の主語は略されている。前半と後半が連続しているとすれば、その主語は「彼女」だが、連続していないとすれば「彼」「彼女」のどちらもありえる([[ピエール・ブランダムール]]も両方の可能性を示していたように、活用形などからそれを判断することは出来ない)。
既存の訳についてもコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は全体的におかしい。
1行目は「国の弱さは貧しい血族関係の」((大乗 [1975] p.104))と訳されているが、この行の前半と後半は & でつながれている並列的なものである。
2行目「ひと突きによって帝国は平和になり」もおかしい。bout は「先端」の意味はあるが、「ひと突きによって」は意訳しすぎの感があるし、帝国の前には前置詞があるのでそれを主語にとることも出来ない(「帝国で平和が成り上がる」と理解したのだとしても、paix の前の & が説明できない)。
3行目「長い間婦人が統治し」は、細かい点になるが jeune (若い)が訳に反映されていない。
4行目「それによって悪くなることは決してないだろう」は否定の仕方がおかしい。動詞 survint は直説法単純過去なので、未来の意味に訳すのも不適切である。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は2行目「努力と平和のおかげで帝国を手に入れるだろう」((山根 [1988] p.125))がまず微妙。bout を「努力」と訳すのは[[エリカ・チータム]]の英訳のままだが、根拠が不明。
4行目「比類なき悪しき影響を王国にのこして」は、大乗訳への指摘の通り、時制を考慮すれば不適切である。
*信奉者側の見解
19世紀末までに解釈したのは、ガランシエール、ギノー、バレストの3人だけだったようである。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「誰でも解釈できるかもしれないくらいに単語は平易」とだけ述べていた((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]]は、小さな村の貧しい両親から生まれた温厚な善人がローマ教皇の地位につき、国民を困らせるろくでもない女性の王族 (princess, 文脈からは女王、王妃、女公などのいずれが適切か判断しかねる)を支配することの予言とした((Guynaud [1712] pp.322-324))。
[[ウジェーヌ・バレスト]]は前半2行のみ、豚飼いをしていたとされ、ノストラダムスがその未来を告げてひざまずいたというローマ教皇[[シクストゥス5世]]と解釈した((Bareste [1840] p.62))。
20世紀に入っても、余り多くは取り上げられてこなかった。
[[スチュワート・ロッブ]]はナポレオン3世の妻ウジェニーのこととした((Robb [1961] p.122))。
[[エリカ・チータム]]は前半と後半をはっきり分け、前半はフランスの[[アンリ4世]]、後半はイングランドのエリザベス1世と解釈した((Cheetham [1973]))。
[[セルジュ・ユタン]]はロシアのエカチェリーナ2世と解釈した((Hutin [1978]))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]はナポレオン3世のこととした。彼は3行目を「若い女性を長い間支配する」と読んで、マリアンヌ (フランスで共和政を若い女性に擬人化したときの名前) を抑えて長く帝政を敷いたことと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は東ローマ帝国の皇妃テオドラと解釈した。テオドラはユスティニアヌス1世の妻だが、親はサーカスの熊使いであり、自身は奔放な踊り子であった。彼女は皇帝ユスティヌスの甥であったユスティアヌスに見初められて結婚し、夫が527年に皇帝となったことで皇妃の地位を手に入れ、21年間その地位にあった((Prévost [1999] p.198. なお、プレヴォはユスティニアヌス1世の即位を1527年としているが、単なる書き誤りだろう。))。
[[ピーター・ラメジャラー]]もテオドラとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
彼らは4行を全てテオドラに引きつけて理解したが、夫のユスティニアヌス1世もイリリア地方の農民の出であり、伯父が皇帝になったのを足がかりに帝位を掴んだ人物なので((井上浩一『生き残った帝国ビザンティン』講談社現代新書、pp.74-78))、前半を夫ユスティニアヌス1世と解釈することも可能だろう。
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- 18世紀のロシア女帝であるエカチェリーナ1世と2世を予言 -- とある信奉者 (2012-03-09 00:23:51)
- かつてそうまで悪しき人物が不意に即位したことはなかった。 助ける必要の無いところで慈悲でとか言い出すと暴言吐き出すよな、助けるべきなのか? 十分な考慮の上での救済が必要である。 選民は考え方として間違っているが、助けられるなら暴言吐いても良いは? もし壁が一段目がフェイクで2段目があるなら、 本来の救済についての考え方は当人の意見の反映されるべき方は2段目の壁においての意見である、 慈悲のある救済の本来の姿勢は、助けたいから困ってる人を助けるのであり、 政治的判断で他人を助ける人間は、本来の考え方を理解していない、 流れとしてそうであれば良いと思っているだけであり、 ならば一段目の壁のフェイクより2段目の壁においての方が当人の考え方た救済のあり方である。 -- 名無しさん (2014-04-27 18:52:47)