« ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique

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 『&bold(){「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇}』 (&italic(){« ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique}) は、1984年にガリマール社から出版された[[ジョルジュ・デュメジル]]の著書。 #amazon(2070700682) 【画像】 « ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique *正式名 -« ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique suivie d' un Divertissement sur les dernières paroles de Socrate --「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇。ソクラテスの最後の言葉に関する気晴らしが続く。  題名に使われている sotie とは、中世の公現祭で行われていた道化祭りから発展し、しばしば教化的な諷刺を含んでいた演劇のジャンルである((V.-L.ソーニエ 『中世フランス文学』 白水社、1958年、p.139))。日本の仏和辞典などでは、そのままソチと音写されるほか、「諷刺劇」「諷刺喜劇」「茶番劇」「阿呆劇」などと訳される。 *内容  題名にもあるとおり、ノストラダムスに関する「 『灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに』 ノストラダムスの茶番劇」 ( « ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » sotie nostradamique, pp.11-127) とソクラテスに関する「 『我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある』 ソクラテスの最後の言葉に関する気晴らし」 ( « Nous devons un coq à Asklépios... » Divertissement sur les dernières paroles de Socrate, pp.129-170) の2本立てになっている。  この2本の論考には(少なくとも明示的な形での)関連性はない。後者の題名になっている言葉は、プラトンの『パイドン』に登場するソクラテス辞世の言葉とされるものの一部である。これは「アスクレピオスに鶏を捧げる」ことを示しており、一般的には、生の苦痛から死によって解放される(癒される)ことを医神アスクレピオスへの感謝の形で表明したと解釈されている((岩田靖夫 訳 『パイドン』 岩波文庫、pp.192-193))。デュメジルはそれに対して独自の解釈を提示しているが、当「大事典」の主題から大きく外れるため、ここでは立ち入らない。  さて、ノストラダムスを扱った前者の主題は、題名にも詩句が引用されている[[百詩篇第9巻20番]]の解釈である。[[ヴァレンヌ]]という明瞭な固有名詞が登場するこの詩は、従来ルイ16世一家のヴァレンヌ逃亡事件と解釈されてきた。デュメジルはそれらの解釈を援用しつつ、さらにそこに独自の解釈を重ねることで、詩の情景と実際の事件の間に強い類似性があることを示した。  ただし、それらの解釈はあくまでも「ゲーム」(jeu) であり、同書の裏表紙では文献学的研究と歴史研究とを援用するパズル(puzzle)、そして論理的ゲーム、形而上学的ゲームという3つのゲームを提供するものとされている。  他方でデュメジルは、『予言集』には未来の事件との類似性だけでなく、過去の事件との類似性を指摘できるものもあることを示し、ティトゥス=リウィウスの『ローマ建国史』と類似する詩篇を指摘している。ことに[[百詩篇第5巻6番]]についてはリウィウスとの類似性だけでなく、描かれている儀式が中世では1世紀につき数回ずつ行われてきたものであることも指摘した。 *位置づけ  上記のように、裏表紙ではこれが戯作であることが示されている。デュメジル自身、1986年にディディエ・エリボンと行なった対談で「自分の娯楽のために書いた」と述べ、独自の解釈を追加したことについても「ゲームを面白くするため」と言い切っている((エリボン 『デュメジルとの対話』 平凡社、pp.219-220))。  確かにデュメジルは「この種の事実を、たとえ今の私たちには不可解なものであっても収集し、それを解釈する役割は将来の科学に委ねなければならない」((前掲書、p.220))と微妙なことも言っている。  しかし、「あなたはノストラダムスの予言は全く信じておられないのですか」という問いには「信じていませんね」と断言し、雑誌『デバ』で同僚(アカデミー・フランセーズ会員)の宇宙物理学者ペケルと行なった論争も双方納得の上での「ゲーム、寸劇」と位置付けていたことは無視すべきではない。そのため、デュメジルを安易に信奉者側の権威付けに用いることは正当化できないだろう。  [[ロベール・ブナズラ]]はこの著書のノストラダムス論について 「興味深いが、あまりにも文学的 (trop littéraire)」((Benazra [1990] p.602))と評した (フランス語の littéraire は「現実離れした」という意味合いもある)。  [[ジョルジュ・ミノワ]]は信奉者側がデュメジルの戯作に飛びつく有様についてこう述べた。  「ノストラダムスの信奉者たちは、こうした児戯 〔引用者注:[[リシャール・ルーサ]]の予言〕 のたぐいを余りに大真面目に受け取るため、嘲笑の的となっていることにさえもはや気付かない始末なのである。ジョルジュ・デュメジルは、ある四行詩について、これはルイ十六世のヴァレンヌ逃亡を詳細に語ったものにちがいない、とする注釈を行っているが、彼ら信奉者たちはその種の注釈を本当に真に受けてしまうのである」((ミノワ 『未来の歴史』 平凡社、p.382。引用に際し、割注を割愛させていただいた。))。  なお、デュメジルの分析のうち、ローマ史との関連を指摘したことについては実証的にも評価されており、その種の指摘の最も早い部類に位置づけることが出来る。[[ジル・ポリジ]]は[[百詩篇第5巻6番]]などについてのデュメジルの指摘を「ノストラダムス批評史における転機となった」と評価した((Polizzi [1997] p.51))。  [[エルヴェ・ドレヴィヨン]]と[[ピエール・ラグランジュ]]は、「結局のところ、長い間崇拝と軽蔑が対立してきた戦場から『予言集』を救い出すためには、デュメジルがもつ権威が必要だったのである」((ドレヴィヨン&ラグランジュ [2004] p.81))と評している。身も蓋もないが、一面的には真実といえるだろう。 *他言語版  英語版『[[ノストラダムスの謎掛け>The riddle of Nostradamus]]』が1999年に出版された。  1992年に米国のフォンド・デ・クルトゥラ・エコノミカ (Fondo De Cultura Economica) から刊行された『ノストラダムス ソクラテス』(Nostradamus. Socrates)という題名のデュメジルの著書はおそらくスペイン語訳と思われるが、現時点では未確認である。  同じく内容は確認していないが、題名から言ってイタリア語の -Il monaco nero in grigio dentro Varennes. Sotie nostradamica-Divertimento sulle ultime parole di Socrate (Adelphi, 1987) およびドイツ語の -Der schwarze Mönch in Varennes. Nostradamische Posse (Suhrkamp, 1989 / Insel Verlag, 1999)  などは、ほぼ間違いなく、この本の翻訳版だろう。 #amazon(9681629736) 【画像】 &italic(){Nostradamus. Socrates} #amazon(3458342117) 【画像】 &italic(){Der schwarze Mönch in Varennes. Nostradamische Posse} #amazon(884590234X) 【画像】 &italic(){Il monaco nero in grigio dentro Varennes. Sotie nostradamica-Divertimento sulle ultime parole di Socrate} *関連文献  この著作に関連してと思われるが、1984年1月25日付の『ル・モンド』紙には「ジョルジュ・デュメジルとノストラダムスの邂逅」(La rencontre de Georges Dumézil et de Nostradamus) と題するディディエ・エリボンによる記事が掲載された (当「大事典」では内容を確認していない)。  日本では『ダカーポ』 1990年3月21日号が「『占い』総点検」と題する特集を組んだ際に、「『ノストラダムスの予言』を検証する」という2ページの文章(無記名)を掲載した。この文章ではノストラダムス予言への接し方を考える一助として、表紙の写真とともにこの本の内容がごくかいつまんで紹介されていた。  その記事に触れた文献はほとんど見当たらないが、例外的に[[志水一夫]]が『トンデモノストラダムス解剖学』で言及していた((志水 [1998] pp.109-112, 132-134))( 『大予言の嘘』でもその内容について一言だけ触れられているが((志水 [1997] p.169))、出典への言及はない)。 ---- #comment()
 『&bold(){「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇}』 (&italic(){« ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique}) は、1984年にガリマール社から出版された[[ジョルジュ・デュメジル]]の著書。 #amazon(2070700682) 【画像】 « ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique *正式名 -« ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » Sotie nostradamique suivie d' un Divertissement sur les dernières paroles de Socrate --「灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに」 ノストラダムスの茶番劇。ソクラテスの最後の言葉に関する気晴らしが続く。  題名に使われている sotie とは、中世の公現祭で行われていた道化祭りから発展し、しばしば教化的な諷刺を含んでいた演劇のジャンルである((V.-L.ソーニエ 『中世フランス文学』 白水社、1958年、p.139))。日本の仏和辞典などでは、そのままソチと音写されるほか、「諷刺劇」「諷刺喜劇」「茶番劇」「阿呆劇」などと訳される。 *内容  題名にもあるとおり、ノストラダムスに関する「 『灰色をまとった黒き修道士がヴァレンヌに』 ノストラダムスの茶番劇」 ( « ...Le moyne noir en gris dedans Varennes » sotie nostradamique, pp.11-127) とソクラテスに関する「 『我々はアスクレピオスに雄鶏一羽の借りがある』 ソクラテスの最後の言葉に関する気晴らし」 ( « Nous devons un coq à Asklépios... » Divertissement sur les dernières paroles de Socrate, pp.129-170) の2本立てになっている。  この2本の論考には(少なくとも明示的な形での)関連性はない。後者の題名になっている言葉は、プラトンの『パイドン』に登場するソクラテス辞世の言葉とされるものの一部である。これは「アスクレピオスに鶏を捧げる」ことを示しており、一般的には、生の苦痛から死によって解放される(癒される)ことを医神アスクレピオスへの感謝の形で表明したと解釈されている((岩田靖夫 訳 『パイドン』 岩波文庫、pp.192-193))。デュメジルはそれに対して独自の解釈を提示しているが、当「大事典」の主題から大きく外れるため、ここでは立ち入らない。  さて、ノストラダムスを扱った前者の主題は、題名にも詩句が引用されている[[百詩篇第9巻20番]]の解釈である。[[ヴァレンヌ]]という明瞭な固有名詞が登場するこの詩は、従来ルイ16世一家のヴァレンヌ逃亡事件と解釈されてきた。デュメジルはそれらの解釈を援用しつつ、さらにそこに独自の解釈を重ねることで、詩の情景と実際の事件の間に強い類似性があることを示した。  ただし、それらの解釈はあくまでも「ゲーム」(jeu) であり、同書の裏表紙では文献学的研究と歴史研究とを援用するパズル(puzzle)、そして論理的ゲーム、形而上学的ゲームという3つのゲームを提供するものとされている。  他方でデュメジルは、『予言集』には未来の事件との類似性だけでなく、過去の事件との類似性を指摘できるものもあることを示し、ティトゥス=リウィウスの『ローマ建国史』と類似する詩篇を指摘している。ことに[[百詩篇第5巻6番]]についてはリウィウスとの類似性だけでなく、描かれている儀式が中世では1世紀につき数回ずつ行われてきたものであることも指摘した。 *位置づけ  上記のように、裏表紙ではこれが戯作であることが示されている。デュメジル自身、1986年にディディエ・エリボンと行なった対談で「自分の娯楽のために書いた」と述べ、独自の解釈を追加したことについても「ゲームを面白くするため」と言い切っている((エリボン 『デュメジルとの対話』 平凡社、pp.219-220))。  確かにデュメジルは「この種の事実を、たとえ今の私たちには不可解なものであっても収集し、それを解釈する役割は将来の科学に委ねなければならない」((前掲書、p.220))と微妙なことも言っている。  しかし、「あなたはノストラダムスの予言は全く信じておられないのですか」という問いには「信じていませんね」と断言し、雑誌『デバ』で同僚(アカデミー・フランセーズ会員)の宇宙物理学者ペケルと行なった論争も双方納得の上での「ゲーム、寸劇」と位置付けていたことは無視すべきではない。そのため、デュメジルを安易に信奉者側の権威付けに用いることは正当化できないだろう。  [[ロベール・ブナズラ]]はこの著書のノストラダムス論について 「興味深いが、あまりにも文学的 (trop littéraire)」((Benazra [1990] p.602))と評した (フランス語の littéraire は「現実離れした」という意味合いもある)。  [[ジョルジュ・ミノワ]]は信奉者側がデュメジルの戯作に飛びつく有様についてこう述べた。  「ノストラダムスの信奉者たちは、こうした児戯 〔引用者注:[[リシャール・ルーサ]]の予言〕 のたぐいを余りに大真面目に受け取るため、嘲笑の的となっていることにさえもはや気付かない始末なのである。ジョルジュ・デュメジルは、ある四行詩について、これはルイ十六世のヴァレンヌ逃亡を詳細に語ったものにちがいない、とする注釈を行っているが、彼ら信奉者たちはその種の注釈を本当に真に受けてしまうのである」((ミノワ 『未来の歴史』 平凡社、p.382。引用に際し、割注を割愛させていただいた。))。  なお、デュメジルの分析のうち、ローマ史との関連を指摘したことについては実証的にも評価されており、その種の指摘の最も早い部類に位置づけることが出来る。[[ジル・ポリジ]]は[[百詩篇第5巻6番]]などについてのデュメジルの指摘を「ノストラダムス批評史における転機となった」と評価した((Polizzi [1997] p.51))。  [[エルヴェ・ドレヴィヨン]]と[[ピエール・ラグランジュ]]は、「結局のところ、長い間崇拝と軽蔑が対立してきた戦場から『予言集』を救い出すためには、デュメジルがもつ権威が必要だったのである」((ドレヴィヨン&ラグランジュ [2004] p.81))と評している。身も蓋もないが、一面的には真実といえるだろう。  なお、古典的名著『フランス革命を考える』などでフランス革命論に一石を投じたフランソワ・フュレが、モナ・オズーフとともに編纂した『フランス革命事典』の「ヴァレンヌ逃亡」の項目は、デュメジルのこの著書などへの言及から始まっている((『フランス革命事典1』みすず書房、p.22))。デュメジルがノストラダムスのヴァレンヌ予言を扱ったことのインパクトの一端が、そこからも垣間見えるかのようである。 *他言語版  英語版『[[ノストラダムスの謎掛け>The riddle of Nostradamus]]』が1999年に出版された。  1992年に米国のフォンド・デ・クルトゥラ・エコノミカ (Fondo De Cultura Economica) から刊行された『ノストラダムス ソクラテス』(Nostradamus. Socrates)という題名のデュメジルの著書はおそらくスペイン語訳と思われるが、現時点では未確認である。  同じく内容は確認していないが、題名から言ってイタリア語の -Il monaco nero in grigio dentro Varennes. Sotie nostradamica-Divertimento sulle ultime parole di Socrate (Adelphi, 1987) およびドイツ語の -Der schwarze Mönch in Varennes. Nostradamische Posse (Suhrkamp, 1989 / Insel Verlag, 1999)  などは、ほぼ間違いなく、この本の翻訳版だろう。 #amazon(9681629736) 【画像】 &italic(){Nostradamus. Socrates} #amazon(3458342117) 【画像】 &italic(){Der schwarze Mönch in Varennes. Nostradamische Posse} #amazon(884590234X) 【画像】 &italic(){Il monaco nero in grigio dentro Varennes. Sotie nostradamica-Divertimento sulle ultime parole di Socrate} *関連文献  この著作に関連してと思われるが、1984年1月25日付の『ル・モンド』紙には「ジョルジュ・デュメジルとノストラダムスの邂逅」(La rencontre de Georges Dumézil et de Nostradamus) と題するディディエ・エリボンによる記事が掲載された (当「大事典」では内容を確認していない)。  日本では『ダカーポ』 1990年3月21日号が「『占い』総点検」と題する特集を組んだ際に、「『ノストラダムスの予言』を検証する」という2ページの文章(無記名)を掲載した。この文章ではノストラダムス予言への接し方を考える一助として、表紙の写真とともにこの本の内容がごくかいつまんで紹介されていた。  その記事に触れた文献はほとんど見当たらないが、例外的に[[志水一夫]]が『トンデモノストラダムス解剖学』で言及していた((志水 [1998] pp.109-112, 132-134))( 『大予言の嘘』でもその内容について一言だけ触れられているが((志水 [1997] p.169))、出典への言及はない)。 ---- #comment()

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