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*原文
De sang Troyen&sup(){1} naistra [[cœur>cueur]]&sup(){2} Germanique&sup(){3}
Qu’il&sup(){4} deuiendra&sup(){5} en&sup(){6} si haulte puissance:
Hors chassera&sup(){7} gent estrange&sup(){8} Arabique&sup(){9},
Tournant l’eglise&sup(){10} en [[pristine]]&sup(){11} preeminence&sup(){12}.
**異文
(1) Troyen : Troy en 1649Ca, Trojen 1672, troyen 1981EB
(2) cœur : cueur 1588-89
(3) Germanique : germanique 1981EB
(4) Qu’il 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV 1590Ro 1597: Qui &italic(){T.A.Eds.}
(5) deuiendra : viendra 1665
(6) en : à 1603PL
(7) Hors chassera : Chassera hors 1603PL
(8) gent estrange : gens estrange 1588-89, estrange 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716
(9) Arabique : arabicque 1588Rf 1589Rg, arabique 1589Me 1981EB, Ar bique 1665
(10) l’eglise 1557U 1557B 1568A 1590Ro : l’Eglise &italic(){T.A.Eds.}
(11) pristine : Pristine 1605 1649Xa
(12) preeminence : eminence 1603PL
*日本語訳
[[トロイアの血]]からゲルマニアの心が生まれ、
非常に高らかな力となるだろう。
アラブの異邦人を外へと駆逐するだろう、
教会をかつての優位に戻しつつ。
**訳について
訳が難しい箇所はほとんどない。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
2行目「だれかが高い力を得る」((大乗 [1975] p.167。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。Qu’il が Qui になっている底本に基づいた上、その Qui を関係代名詞ではなく疑問代名詞と理解してしまったのだろう。
3行目「彼は東方の人々から追われ」も誤訳だろう。一応、lui などが省略されていると解釈すれば成り立たないわけではないが、文脈には合わない。このあたりは2行目の誤訳によって、訳者が文脈を適切に踏まえられなかったのではないだろうか。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は、許容範囲内だろう。
*信奉者側の見解
[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は『七星集』(1603年、増補1607年) において、[[アンリ4世]]に関する詩のひとつとして紹介していた((Chavigny [1607] p.18))。シャヴィニーは『七星集』を国王アンリ4世に献上するにあたり、国王がいかに前途洋々であるかを示したものだったが、1610年にアンリ4世が暗殺されてしまい、この解釈は外れたことが明らかになった。そのためか、後の時代の信奉者たちには引き継がれなかった。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、神聖ローマ皇帝とフランス王女が結婚し、勇敢な後継者が生まれて、詩の後半にあるようなオスマン帝国の駆逐と教会の復権をなしとげることになる予言と解釈した((Garencieres [1672]))。
[[アナトール・ル・ペルチエ]]はイタリアの血統とドイツの心をあわせもつ偉大なローマ教皇が現われ、詩の後半にあるようなできごとをなしとげると解釈した((Le Pelletier [1867a] p.351))。
[[エリカ・チータム]]は1973年の時点では一言もコメントを付けていなかったが、のちには外れた予言とした((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。
[[セルジュ・ユタン]]は1978年の時点では一言もコメントをつけていなかったが、1981年の改訂で正統なフランス王家の血を引く未来の大君主と解釈した((Hutin [1981]))。しかし、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂では、1820年代にオスマン帝国からの独立をめざして反乱を起こしたギリシア人指導者の予言とする解釈に差し替えられた((Hutin (2002)[2003]))。
[[ヴライク・イオネスク]]は21世紀に現われるフランスの偉大な君主が、東洋系の侵略者を駆逐する予言ではないかと解釈した((イオネスク [1993] pp.158-163))。
*同時代的な視点
[[エドガー・レオニ]]は[[アンリ2世]]かその子孫が神聖ローマ皇帝になることと解釈した((Leoni [1961]))。[[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた未来の名君の予言がモデルと考えているが、いずれにせよ、当「大事典」としても、フランス王家がカトリックの庇護者として絶大な存在になることへの期待が示された詩ではないかと考えている。
それに対し、[[ロジェ・プレヴォ]]は当時オスマン帝国ともたびたび争ったカール5世がモデルである可能性を示している((Prévost [1999] pp.60-61))。
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