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[[百詩篇第5巻]]>3番
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*原文
Le successeur&sup(){1} de la duché&sup(){2} viendra,
Beaucoup&sup(){3} plus oultre&sup(){4} que&sup(){5} la mer&sup(){6} de Tosquane&sup(){7}:
Gauloise branche&sup(){8} la&sup(){9} Florence&sup(){10} tiendra,
Dans son giron&sup(){11} d’accord nautique&sup(){12} [[Rane>rane]]&sup(){13}.
**異文
(1) successeur : Successeur 1672
(2) duché 1557U 1589Me 1589PV 1627 : Duché &italic(){T.A.Eds.}
(3) Beaucoup : Beaucop 1557B
(4) oultre : autre 1650Ri
(5) que : de 1588-89
(6) mer : Mer 1672
(7) Tosquane 1557U 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1610 : Toscane &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Tuscane 1588-89 1627)
(8) branche : Branche 1611A
(9) la : de 1590Ro, en 1611B 1981EB
(10) Florence : floran ce 1589Me
(11) son giron : Giron 1588-89, son Giron 1672
(12) nautique : n’autique 1605 1628 1649Xa
(13) Rane : Raue 1588Rf 1589Rg
*日本語訳
公国の後継者が来るだろう、
トスカーナの海よりもずっとさらに遠く。
ガリアの分家は[[フィレンツェ]]をかかえこむだろう、
そのふところに。海の蛙は合意する。
**訳について
3行目と4行目の読み方については、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]の読み方を参考にした。
かつて[[エドガー・レオニ]]は3行目と4行目を連続させずに、4行目は紋章の話と理解していた(「合意により、風車模様の中には海の蛙」)。なお、「海の蛙」は「水上の蛙」などとも訳すことができる。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は、3行目までは固有名詞の表記などはともかく、一応そうも訳せなくもない範囲だが、4行目「一周してフロッグ海で落ち合うだろう」((大乗 [1975] p.150))は明らかに誤訳。
元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は In its lap, to which the Sea Frog shall agree.((Roberts [1949] p.146))で、これはシーバースの英訳ともほとんど変わらない。要するに、この場合の lap は「膝」「ふところ」などの意味だし、Sea Frog は海の名前ではない。また、Sea Frog の前に前置詞はなく、「フロッグ海で」と訳してしまうのも明らかにおかしい。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]も3行目までは問題がないのだが、4行目「その航跡にて蛙と海上の協定」((山根 [1988] p.180))がおかしい。これは[[エリカ・チータム]]の英訳をほぼ忠実に転訳したものだが、giron に「航跡」という意味はなく、それ以外の単語のつなげ方も微妙である。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、トスカーナ大公国について、その正統な後継者がやってきて取り戻すことになるが、それからフランスが領有することになる予言と解釈した((Garencieres [1672]))。
[[エリカ・チータム]]はメディチ家の支配が途絶えた1737年から1859年まで、フランス革命期を除けばフランスのロレーヌ家がトスカーナを領有したことの予言と解釈した((Cheetham [1973]))。チータムの歴史認識はおそらく[[エドガー・レオニ]]の受け売りだろうから、彼女はガランシエールに言及していない。しかし、ガランシエールの解釈が1672年になされたことを考えれば、部分的に的中したといえなくもない。
[[アンリ=トルネ=シャヴィニー]]と[[アナトール・ル・ペルチエ]]は、[[百詩篇第5巻39番]]とともに、ブルボン家の血を引くボルドー公(シャンボール伯)アンリが1846年にモデナ家のマリー=テレーズと結婚したことの予言と解釈した((Torné-Chavigny [1860] pp.34-35, Le Pelletier [1867a] pp.247-248))
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は2行目の plus outre が神聖ローマ皇帝カール5世の金言である「より遠くへ」(Plus Ultra) をフランス語に直した言葉遊びで、ブルゴーニュ公国も継承していたカール5世についてと解釈した。
ただし、細部については時期によって違いもあり、2003年の時点では「海の蛙」はフランスと同盟関係にあったオスマン帝国の海賊艦隊と解釈していたが、2010年にはウルリヒ・フォン・フッテンの表現に基づくヴェネツィアの艦隊の隠喩とした。フィレンツェについては2003年の時点では何も触れていなかったが、2010年にはカトリーヌ・ド・メディシスと関連付けた((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))(カトリーヌはフィレンツェのメディチ家の出身であり、彼女がフランス王家の[[アンリ2世]]に嫁いだことで、フランスとフィレンツェに縁戚関係が成立した)。
[[リチャード・シーバース]]は「海の蛙」を海賊艦隊の隠喩と推測した((Sieburth [2012]))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は「海の蛙」が何を意味するのか不明とし、いくつか関連する情報を指摘している。プリニウスはカワセミ (martin-pêcheur) のことを「海の蛙」と読んでいたことを指摘している。また、ノストラダムスの訳書『[[オルス・アポロ]]』においては、エジプト人たちが恥知らずな人間を表現する言葉として「蛙」を使っていたとされている((Clébert [2003]))。
ノストラダムスが生きていた時代の[[フィレンツェ]]は、トスカーナ地方を支配するフィレンツェ公国の首都である。これは、アレッサンドロ・ディ・メディチがカール5世からフィレンツェ公の地位を賜ったことから始まった。
こうした背景からすれば、少なくとも前半をカール5世との関係から読み解こうとしたラメジャラーの解釈は、十分に説得力があるように思える。
「海の蛙」は不明だが、後半はラメジャラーやシーバースのように史実にひきつけるのではなく、単にカトリーヌの存在によってメディチ家のフィレンツェ公国ともつながりができたことを踏まえ、いずれはフランス王家やその分家の出身者がフィレンツェの支配者になることを期待したと考えてもよさそうに思える。
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#comment
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*原文
Le successeur&sup(){1} de la duché&sup(){2} viendra,
Beaucoup&sup(){3} plus oultre&sup(){4} que&sup(){5} la mer&sup(){6} de Tosquane&sup(){7}:
Gauloise branche&sup(){8} la&sup(){9} Florence&sup(){10} tiendra,
Dans son giron&sup(){11} d’accord nautique&sup(){12} [[Rane>rane]]&sup(){13}.
**異文
(1) successeur : Successeur 1672
(2) duché 1557U 1589Me 1589PV 1627 : Duché &italic(){T.A.Eds.}
(3) Beaucoup : Beaucop 1557B
(4) oultre : autre 1650Ri
(5) que : de 1588-89
(6) mer : Mer 1672
(7) Tosquane 1557U 1568 1589PV 1590Ro 1597 1600 1610 : Toscane &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Tuscane 1588-89 1627)
(8) branche : Branche 1611A
(9) la : de 1590Ro, en 1611B 1981EB
(10) Florence : floran ce 1589Me
(11) son giron : Giron 1588-89, son Giron 1672
(12) nautique : n’autique 1605 1628 1649Xa
(13) Rane : Raue 1588Rf 1589Rg
*日本語訳
公国の後継者が来るだろう、
トスカーナの海よりもずっとさらに遠く。
ガリアの分家は[[フィレンツェ]]をかかえこむだろう、
そのふところに。海の蛙は合意する。
**訳について
3行目と4行目の読み方については、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]の読み方を参考にした。
かつて[[エドガー・レオニ]]は3行目と4行目を連続させずに、4行目は紋章の話と理解していた(「合意により、風車模様の中には海の蛙」)。なお、「海の蛙」は「水上の蛙」などとも訳すことができる。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は、3行目までは固有名詞の表記などはともかく、一応そうも訳せなくもない範囲だが、4行目「一周してフロッグ海で落ち合うだろう」((大乗 [1975] p.150))は明らかに誤訳。
元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は In its lap, to which the Sea Frog shall agree.((Roberts [1949] p.146))で、これはシーバースの英訳ともほとんど変わらない。要するに、この場合の lap は「膝」「ふところ」などの意味だし、Sea Frog は海の名前ではない。また、Sea Frog の前に前置詞はなく、「フロッグ海で」と訳してしまうのも明らかにおかしい。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]も3行目までは問題がないのだが、4行目「その航跡にて蛙と海上の協定」((山根 [1988] p.180))がおかしい。これは[[エリカ・チータム]]の英訳をほぼ忠実に転訳したものだが、giron に「航跡」という意味はなく、それ以外の単語のつなげ方も微妙である。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、トスカーナ大公国について、その正統な後継者がやってきて取り戻すことになるが、それからフランスが領有することになる予言と解釈した((Garencieres [1672]))。
[[エリカ・チータム]]はメディチ家の支配が途絶えた1737年から1859年まで、フランス革命期を除けばフランスのロレーヌ家がトスカーナを領有したことの予言と解釈した((Cheetham [1973]))。チータムの歴史認識はおそらく[[エドガー・レオニ]]の受け売りだろうから、彼女はガランシエールに言及していない。しかし、ガランシエールの解釈が1672年になされたことを考えれば、部分的に的中したといえなくもない。
[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]]と[[アナトール・ル・ペルチエ]]は、[[百詩篇第5巻39番]]とともに、ブルボン家の血を引くボルドー公(シャンボール伯)アンリが1846年にモデナ家のマリー=テレーズと結婚したことの予言と解釈した((Torné-Chavigny [1860] pp.34-35, Le Pelletier [1867a] pp.247-248))
*同時代的な視点
[[ピーター・ラメジャラー]]は2行目の plus outre が神聖ローマ皇帝カール5世の金言である「より遠くへ」(Plus Ultra) をフランス語に直した言葉遊びで、ブルゴーニュ公国も継承していたカール5世についてと解釈した。
ただし、細部については時期によって違いもあり、2003年の時点では「海の蛙」はフランスと同盟関係にあったオスマン帝国の海賊艦隊と解釈していたが、2010年にはウルリヒ・フォン・フッテンの表現に基づくヴェネツィアの艦隊の隠喩とした。フィレンツェについては2003年の時点では何も触れていなかったが、2010年にはカトリーヌ・ド・メディシスと関連付けた((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))(カトリーヌはフィレンツェのメディチ家の出身であり、彼女がフランス王家の[[アンリ2世]]に嫁いだことで、フランスとフィレンツェに縁戚関係が成立した)。
[[リチャード・シーバース]]は「海の蛙」を海賊艦隊の隠喩と推測した((Sieburth [2012]))。
[[ジャン=ポール・クレベール]]は「海の蛙」が何を意味するのか不明とし、いくつか関連する情報を指摘している。プリニウスはカワセミ (martin-pêcheur) のことを「海の蛙」と読んでいたことを指摘している。また、ノストラダムスの訳書『[[オルス・アポロ]]』においては、エジプト人たちが恥知らずな人間を表現する言葉として「蛙」を使っていたとされている((Clébert [2003]))。
ノストラダムスが生きていた時代の[[フィレンツェ]]は、トスカーナ地方を支配するフィレンツェ公国の首都である。これは、アレッサンドロ・ディ・メディチがカール5世からフィレンツェ公の地位を賜ったことから始まった。
こうした背景からすれば、少なくとも前半をカール5世との関係から読み解こうとしたラメジャラーの解釈は、十分に説得力があるように思える。
「海の蛙」は不明だが、後半はラメジャラーやシーバースのように史実にひきつけるのではなく、単にカトリーヌの存在によってメディチ家のフィレンツェ公国ともつながりができたことを踏まえ、いずれはフランス王家やその分家の出身者がフィレンツェの支配者になることを期待したと考えてもよさそうに思える。
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