アントワーヌ・デュ・ローヌ

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*アントワーヌ・デュ・ローヌ アントワーヌ・デュ・ローヌ(Antoine du Rosne, 生没年未詳)は、確認されている範囲では1545年から1562年までリヨンで出版業を営んでいた人物である(( Sybille von Gültlingen, &italic(){Bibliographie des livres imprimés à Lyon au seizième siècle}, Tome 10, Baden-Baden ; Valentin Koerner, 2006, pp.63-68))。あだ名は「リズロ」(Lizerot)。彼が手がけた出版物で、確認されているものはそれほど多くない。 **ノストラダムスとの関わり [[ノストラダムス]]は1553年11月に自分の原稿をいい加減な形で出版した業者を提訴し、出版権を取り上げ、「リズロ」というあだ名を持つアントワーヌ・デュ・ロワイエ(Antoine du Royer)という人物に出版を任せている。この「アントワーヌ・デュ・ロワイエ」は、デュ・ローヌの誤記とされる((Wilson [2003] pp.86-87, Morisse [2004] p.30))。これが事実なら、ノストラダムスが著作を発表し始めた時期に、既に接点があったことになる。 その後、1557年と1558年にはノストラダムスが自由訳した著書『[[ガレノスの釈義]]』も出版している。ここでも、書斎から星を眺めるノストラダムスの木版画が使われているが、これを最初に使っていた[[マセ・ボノム]]との関係は分かっていない。[[ジェラール・モリス]]は、この木版画はノストラダムスの出資で作成されたものであり、ノストラダムスが引き取ってデュ・ローヌに譲渡したという可能性を想定しているが、史料上の裏付けはない((Morisse [2004] p.30))。なお、デュ・ローヌは、ジャン・スコンネル(Jean Sconners)という無名の占星術師の暦書を1559年に手がけたときにも、ノストラダムスを図案に用いた木版画を使ったようである((Giard [1931] pp.23-24))。 **後継者 1560年代半ばからは事業を引き継ぐ形で兄弟のアンブロワーズ・デュ・ローヌが、後には息子のエチエンヌ・デュ・ローヌがそれぞれ活動しているが、アントワーヌ自身の没年等についてはよく分かっていない。なお、これらの後継者はノストラダムスの関連書は出版していない。
 &bold(){アントワーヌ・デュ・ローヌ}(Antoine du Rosne, 生没年未詳)は、確認されている範囲では1545年から1562年までリヨンで出版業を営んでいた人物である(( Sybille von Gültlingen, &italic(){Bibliographie des livres imprimés à Lyon au seizième siècle}, Tome 10, Baden-Baden ; Valentin Koerner, 2006, pp.63-68))。あだ名は「リズロ」(Lizerot)。彼が手がけた出版物で、確認されているものはそれほど多くない。 *ノストラダムスとの関わり  [[ノストラダムス]]は1553年11月に自分の原稿をいい加減な形で出版した業者を提訴し、出版権を取り上げ、「リズロ」というあだ名を持つアントワーヌ・デュ・ロワイエ(Antoine du Royer)という人物に出版を任せている。この「アントワーヌ・デュ・ロワイエ」は、デュ・ローヌの誤記とされる((Wilson [2003] pp.86-87, Morisse [2004] p.30))。これが事実なら、ノストラダムスが著作を発表し始めた時期に、既に接点があったことになる。  その後、1557年と1558年にはノストラダムスが自由訳した著書『[[ガレノスの釈義]]』も出版している。ここでも、書斎から星を眺めるノストラダムスの木版画が使われているが、これを最初に使っていた[[マセ・ボノム]]との関係は分かっていない。[[ジェラール・モリス]]は、この木版画はノストラダムスの出資で作成されたものであり、ノストラダムスが引き取ってデュ・ローヌに譲渡したという可能性を想定しているが、史料上の裏付けはない((Morisse [2004] p.30))。  なお、デュ・ローヌは、ジャン・スコンネル(Jean Sconners)という無名の占星術師の暦書を1559年に手がけたときにも、ノストラダムスを図案に用いた木版画を使ったようである((Giard [1931] pp.23-24))。 *後継者  1560年代半ばからは事業を引き継ぐ形で兄弟のアンブロワーズ・デュ・ローヌが、後には息子のエチエンヌ・デュ・ローヌがそれぞれ活動しているが、アントワーヌ自身の没年等についてはよく分かっていない。なお、これらの後継者はノストラダムスの関連書は出版していない。 ---- #comment

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