百詩篇第4巻43番

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[[百詩篇第4巻]]>43番 *原文 Seront [[oys>ouir]]&sup(){1} au ciel&sup(){2} les armes&sup(){3} batre : Celuy an&sup(){4} mesme&sup(){5} les diuins&sup(){6} ennemis Voudront loix sainctes&sup(){7} iniustement debatre, &sup(){8} Par foudre&sup(){9} & guerre bien croyans&sup(){10} à mort mis. **異文 (1) Seront oys : Seront oyes 1557B, Seront ouys 1568C 1568I 1588-89 1589PV 1597 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1772Ri 1981EB, Ouis seront 1594JF, Seront ouye 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 (2) au ciel : au Ciel 1605 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1981EB, auciel 1716 (3) les armes : armes 1590Ro 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716, arme 1653 1665, les Armes 1672 (4) an : au 1588-89 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1668 1716 1772Ri (5) mesme : msme 1557U (6) diuins : Divins 1672 (7) loix sainctes : loy sainte 1594JF, Loix Saintes 1672 (8) debatre : debatre ! 1653 (9) foudre : foldre 1557B, fraude 1627 1644 1650Ri 1653 1665, Foudre 1672 (10) croyans : croyns 1981EB **校訂  1行目 oys は ouys (ouïs) に同じ。当時は o と ou は交換可能であった。 *日本語訳 空で武器の打ち合う音が聞かれるだろう。 その同じ年、神の敵たちは 聖なる教義と不正にも対決することを望むだろう。 雷と戦争とで立派な信者たちが殺されるだろう。 *訳について  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「武器の雑音が空中に聞こえ」((大乗 [1975] p.134。以下、この詩の引用は同じページから。))は、battre を 「雑音」 と訳すのは、ニュアンスが異なるのではないかと思える。  2行目 「同じ年に聖なるものが敵を生み」 は、「生む」 に当たる語が原文になく、構文理解上、意訳としても、そのように読むことが妥当かは疑問である。  3行目 「かれらは聖なる法を不正なものにし」 も不適切。injustement は副詞であって、それを名詞と解釈した上で debattre を無視するというのは相当に強引に思える。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「同じ年 聖なるものは敵だ」((山根 [1988] p.160 。以下、この詩の引用は同じページから。))は、上記と同じような理由で妥当性に疑問がある。 *信奉者側の解釈  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、ユグノー戦争が勃発した1562年のことと解釈した。彼によると、15日間にわたって、パリからムードン (パリ近郊の都市) の近くまでで、毎晩、空中で争う軍隊の幻像が目撃されたという((Chavigny [1594] p.90))。  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、[[セザール・ド・ノートルダム]]が年代記で報告した1557年の驚異のひとつに、空中の軍隊が目撃された事件があったとして、それはカトリック信徒の虐殺も含む、プロテスタントがもたらす災いの予兆だったことと解釈した((Ecclaircissement..., 1656, pp.136-137,351-355))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はいくつかの詩では1656年の解釈書を事実上引き写しているが、この詩については 「この詩に曖昧さはない」 という一言で片付けている((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[アンドレ・ラモン]]は未来の航空戦の様子と解釈した((Lamont [1943] p.352))。  [[エリカ・チータム]]は当初、航空戦の予言だろうが、「神の敵」 は解釈が困難だと位置付けていた((Cheetham [1973]))。しかし、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、宇宙の善の勢力と悪の勢力による UFO 同士の空中戦が、地球の上空で繰り広げられることになる予言とする[[流智明]]の解釈に差し替えられた((チータム [1988]))。なお、チータム自身はのちに、航空戦の予言である以上、20世紀について描写したもので、ミレニアムとも関連があるかもしれないと、多少の増補をしていた((Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]も当初は漠然とした航空戦の予言という解釈を示していたが、第三次世界大戦に関する詩ではないかとしたこともあった((Hutin [1978], Hutin [1981] p.83))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、19世紀初頭のナポレオン戦争に関するものと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は[[百詩篇第1巻64番]]などを引き合いに出しつつ、空の幻は、プロテスタントによってカトリックが蒙ることになる迫害を予言した凶兆だとした((Brind’Amour [1996]))。[[高田勇]]・[[伊藤進]]はこの読み方を敷衍し、ノストラダムスがこの詩を書いていたと考えられる1554年から1555年の時点で、宗教戦争の予兆はあったことも指摘している((高田・伊藤 [1999]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は1561年の出来事をモデルと捉えているが、この詩の初出はそれよりも前の1555年だったのだから、その説は採れないだろう((Prévost [1999] pp.63-64))。  [[ピーター・ラメジャラー]]はユリウス・オブセクエンスの 『驚異論』 に題材を採ったか、さもなくば同時代の知られざる驚異についてだろうとした((Lemesurier [2010]))。  上の 「信奉者側の見解」 で触れたように、当時は空中の軍隊の幻像というのは度々、目撃が記録された驚異だった。現存する記録だけで特定するのは確かに難しいのかもしれない。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。 - 1行で空中戦がある20世紀を示している。 1970年代終わりから80年代の初めのイスラム圏の事件を予言。 クリスマスにアフガンに侵攻したソ連とクリスマスに生まれたエジプト大統領のアンワル・サダト暗殺事件、そして、イラン・イラク戦争を予言。 彼の名前の綴りは仏語で年“an”と英語の戦争“war”(仏語で“guerre”)から成り立つ。彼は雷(銃)で殺された。 -- とある信奉者 (2013-01-18 00:45:16) #comment
[[百詩篇第4巻]]>43番 *原文 Seront [[oys>ouir]]&sup(){1} au ciel&sup(){2} les armes&sup(){3} batre : Celuy an&sup(){4} mesme&sup(){5} les diuins&sup(){6} ennemis Voudront loix sainctes&sup(){7} iniustement debatre, &sup(){8} Par foudre&sup(){9} & guerre bien croyans&sup(){10} à mort mis. **異文 (1) Seront oys : Seront oyes 1557B, Seront ouys 1568C 1568I 1588-89 1589PV 1597 1605 1611 1628 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1772Ri 1981EB, Ouis seront 1594JF, Seront ouye 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1716 (2) au ciel : au Ciel 1605 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1668 1672 1981EB, auciel 1716 (3) les armes : armes 1590Ro 1600 1610 1627 1644 1650Ri 1716, arme 1653 1665, les Armes 1672 (4) an : au 1588-89 1600 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1668 1716 1772Ri (5) mesme : msme 1557U (6) diuins : Divins 1672 (7) loix sainctes : loy sainte 1594JF, Loix Saintes 1672 (8) debatre : debatre ! 1653 (9) foudre : foldre 1557B, fraude 1627 1644 1650Ri 1653 1665, Foudre 1672 (10) croyans : croyns 1981EB **校訂  1行目 oys は ouys (ouïs) に同じ。当時は o と ou は交換可能であった。 *日本語訳 空で武器の打ち合う音が聞かれるだろう。 その同じ年、神の敵たちは 聖なる教義と不正にも対決することを望むだろう。 雷と戦争とで立派な信者たちが殺されるだろう。 *訳について  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「武器の雑音が空中に聞こえ」((大乗 [1975] p.134。以下、この詩の引用は同じページから。))は、battre を 「雑音」 と訳すのは、ニュアンスが異なるのではないかと思える。  2行目 「同じ年に聖なるものが敵を生み」 は、「生む」 に当たる語が原文になく、構文理解上、意訳としても、そのように読むことが妥当かは疑問である。  3行目 「かれらは聖なる法を不正なものにし」 も不適切。injustement は副詞であって、それを名詞と解釈した上で debattre を無視するというのは相当に強引に思える。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「同じ年 聖なるものは敵だ」((山根 [1988] p.160 。以下、この詩の引用は同じページから。))は、上記と同じような理由で妥当性に疑問がある。 *信奉者側の解釈  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]は、ユグノー戦争が勃発した1562年のことと解釈した。彼によると、15日間にわたって、パリからムードン (パリ近郊の都市) の近くまでで、毎晩、空中で争う軍隊の幻像が目撃されたという((Chavigny [1594] p.90))。  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]では、[[セザール・ド・ノートルダム]]が年代記で報告した1557年の驚異のひとつに、空中の軍隊が目撃された事件があったとして、それはカトリック信徒の虐殺も含む、プロテスタントがもたらす災いの予兆だったことと解釈した((Ecclaircissement..., 1656, pp.136-137,351-355))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はいくつかの詩では1656年の解釈書を事実上引き写しているが、この詩については 「この詩に曖昧さはない」 という一言で片付けている((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[アンドレ・ラモン]]は未来の航空戦の様子と解釈した((Lamont [1943] p.352))。  [[エリカ・チータム]]は当初、航空戦の予言だろうが、「神の敵」 は解釈が困難だと位置付けていた((Cheetham [1973]))。しかし、[[その日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]では、宇宙の善の勢力と悪の勢力による UFO 同士の空中戦が、地球の上空で繰り広げられることになる予言とする[[流智明]]の解釈に差し替えられた((チータム [1988]))。なお、チータム自身はのちに、航空戦の予言である以上、20世紀について描写したもので、ミレニアムとも関連があるかもしれないと、多少の増補をしていた((Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]も当初は漠然とした航空戦の予言という解釈を示していたが、第三次世界大戦に関する詩ではないかとしたこともあった((Hutin [1978], Hutin [1981] p.83))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、19世紀初頭のナポレオン戦争に関するものと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は[[百詩篇第1巻64番]]などを引き合いに出しつつ、空の幻は、プロテスタントによってカトリックが蒙ることになる迫害を予言した凶兆だとした((Brind’Amour [1996]))。[[高田勇]]・[[伊藤進]]はこの読み方を敷衍し、ノストラダムスがこの詩を書いていたと考えられる1554年から1555年の時点で、宗教戦争の予兆はあったことも指摘している((高田・伊藤 [1999]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は1561年の出来事をモデルと捉えているが、この詩の初出はそれよりも前の1555年だったのだから、その説は採れないだろう((Prévost [1999] pp.63-64))。  [[ピーター・ラメジャラー]]はユリウス・オブセクエンスの 『驚異論』 に題材を採ったか、さもなくば同時代の知られざる驚異についてだろうとした((Lemesurier [2010]))。  上の 「信奉者側の見解」 で触れたように、当時は空中の軍隊の幻像というのは度々、目撃が記録された驚異だった。現存する記録だけで特定するのは確かに難しいのかもしれない。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 1行で空中戦がある20世紀を示している。 1970年代終わりから80年代の初めのイスラム圏の事件を予言。 クリスマスにアフガンに侵攻したソ連とクリスマスに生まれたエジプト大統領のアンワル・サダト暗殺事件、そして、イラン・イラク戦争を予言。 彼の名前の綴りは仏語で年“an”と英語の戦争“war”(仏語で“guerre”)から成り立つ。彼は雷(銃)で殺された。 -- とある信奉者 (2013-01-18 00:45:16)

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