アントワーヌ・ド・ブルボン

「アントワーヌ・ド・ブルボン」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

アントワーヌ・ド・ブルボン」(2013/03/22 (金) 22:18:29) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

 &bold(){アントワーヌ・ド・ブルボン} (Antoine de Bourbon, 1518年 - 1562年) は、ヴァンドーム公、ナヴァル王(在位 1555年 - 1562年)。フランスのブルボン王朝の始祖[[アンリ4世]]の実父。  アントワーヌが生まれたブルボン家は、聖王ルイ9世の末子ロベール・ド・クレルモンの血を引いており、アントワーヌの時代には筆頭親王家として、領地はそれほどでもなかったが、家格はかなり高かった。そして、ナヴァル王家のジャンヌ・ダルブレと結婚したことで、1555年からは妻ジャンヌとともに、共同統治という形でナヴァル王となった。  アントワーヌは1550年代後半にはプロテスタントに傾倒しており、公然とそれらの運動にも加わっていた。しかし、シャルル9世の時代になってフランス王国総代官の地位についた後、プロテスタントに寛容な一月王令(1562年)が出ると、逆にカトリックへと転向した。彼はそれから間もなく始まった第一次ユグノー戦争ではカトリック側で参戦したが、その戦いで負傷し、その年のうちに逝去した((以上は主に、長谷川輝夫『聖なる王権ブルボン家』pp.10-18による。))。 *ノストラダムス関連  ノストラダムスは『[[1557年向けの大いなる新占筮と驚異の予言>La Grand' Pronostication novvelle avec Portentevse prediction]]』に、[[アントワーヌあての献辞>アントワーヌ・ド・ヴァンドームへの献辞]]を掲載した。 ---- #comment

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: