詩百篇第9巻68番

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[[百詩篇第9巻]]>68番 *原文 Du mont&sup(){1} [[Aymar>mont Aymar]]&sup(){2} sera noble obscurcie, Le&sup(){3} mal viendra au ioinct de sonne&sup(){4} & rosne&sup(){5} Dans bois caichez&sup(){6} soldatz&sup(){7} iour de Lucie&sup(){8}, Qui ne fut&sup(){9} onc vn si horrible throsne&sup(){10}. **異文 (1) mont : Mont 1672 (2) Aymar : Aymer 1605 1649Xa, aymar 1653 1665, Aymand 1716 (3) Le : üe [sic.] 1627 (4) sonne 1568A 1568B 1568C 1772Ri : Saone &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : sone 1590Ro, Saosne 1644 1650Ri 1653 1665 1840) (5) rosne 1568A 1568B 1568C 1590Ro 1772Ri : Rosne &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Rofne 1628, Rhosne 1672 1716) (6) caichez 1568A 1568B 1568C 1772Ri : cachez &italic(){T.A.Eds.} (7) soldatz : Soldats 1672 (8) Lucie : lucie 1716 (9) ne fut : nef ut 1649Xa (10) throsne : trône 1627, Throsne 1672 **校訂  1行目 noble (貴族) について、[[ロジェ・プレヴォ]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は、nuble の誤記ではないかとした。彼らはそれを nuage (雲) と現代語訳したが、LAF には形容詞で「暗い」(obscur)、「陰鬱な」(sombre) などの意味とある。  2行目の sonne & rosne は当然 Sao(s)ne & R(h)osne となっているべき。 *日本語訳 [[モンテリマール]]から掻き曇り、 災厄がソーヌ川とローヌ川の合流点に来るだろう。 ルチアの日に兵たちは木々の中に隠される。 それはかつてなかった非常に恐ろしい雷霆。 **訳について  [[mont Aymar]]はモンテリマールの古称モンテルム・アユマルディ(Montellum Aymardi) の省略形と判断した。  1行目の noble (貴族) は nuble の誤記ではないかとするプレヴォらの説に従った。  また、クレベールは4行目 trosne (玉座) を、この場合にはプロヴァンス語の trouno (雷) に由来していると主張しており、そちらについても採用した。玉座と災厄の繋がりが不明瞭な反面、落雷と災厄は(それが同一のものであれ、前者が後者の予兆であれ) 親和的に思えるからである。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は、一応許容範囲内と思われる訳が多いが、2行目 「悪はソーンとローヌの結合からくる」((大乗 [1975] p.275。以下、この詩の引用は同じページから。))は不適切だろう。 au (à + le) からすれば、そこから来るのではなく、そこへ来ると理解するのが自然である。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は、1行目「高貴なるエイマーの山が暗くなろう」((山根 [1988] p.305。以下、この詩の引用は同じページから。))が不適切。mont Aymar が主語になるのなら、直前の Du は Le にでもなっているべきだろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、モンテリマールから何らかの陰謀の手が[[リヨン]]へと伸び、その目的のために聖ルチア(聖ルキア)の日である12月13日に兵士たちが森に隠されるという形で、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は mont Aymar をアーリア民族 (Aryan) の優越性を主張したヒトラーと解釈し、第二次世界大戦中に彼のたくらみでリヨンでの大虐殺が起きる予言と解釈した((Lamont [1943] p.254))。この解釈の土台にあったのは[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]の解釈で、彼はヒトラーと名指ししていなかったが、mont Aymar をアーリア民族とする解釈を導き、ドイツ軍のフランス侵攻の予言のひとつとしていた((Fontbrune [1938](1939) pp.179-180))。  しかし、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、ヨハネ=パウロ2世がリヨンで暗殺される予言と解釈していた((Fontbrune (1980)[1982]))。これについては[[エリザベート・ベルクール]]の著書で[[アルベール・スロスマン]]から批判されたが、フォンブリュヌは2001年の著書でも同じような解釈を展開していた((Fontbrune (1999)[2001], &italic(){Nostradamus de 1999 à 2025}, pp.30-31))。  フォンブリュヌを批判していたスロスマンは、エマル・ジャックという地下水脈当ての名人に関連付けて宝探しについて述べたと主張していた。彼はルチアの日は、聖女ルチアの祝日である12月13日ではなく、かつて6月24日の聖ヨハネの祝祭でルチアについて祭っていたことから、6月24日のことだとも主張していたが、詩の全体がどのような意味なのかは明示していなかった((ベルクール [1982] pp.49-55))。  [[スチュワート・ロッブ]]は、mont Aymar はフランス革命期において反革命運動に強圧的な姿勢で臨んだ山岳派 (montagnard) のアマール (Amar) を言い当てたものだとし、革命期の反革命暴動と解釈した。1793年のリヨン反革命暴動では、リヨンの反革命勢力が鎮圧されたあと、町の名前自体がヴィル・アフランシ(解放された都市) と改称された。そして同じ年にフランス西部で起きた反革命暴動の中でも特筆されるヴァンデ戦争は、聖ルチアの日である12月13日のル・マンでの戦いを持ってひとまず鎮圧された((Robb [1961] pp.24-26))。  [[竹本忠雄]]も基本的に同じ解釈を採った((竹本 [2011] pp.411-421))。 #amazon(4901988077) 【画像】 小井高志 『リヨンのフランス革命 ― 自由か平等か』 #amazon(4480857354) 【画像】森山軍治郎 『ヴァンデ戦争 ― フランス革命を問い直す』 *同時代的な視点  1行目に示されている[[mont Aymar]]が[[モンテリマール]]であることと、ローヌ川とソーヌ川の合流点にある都市が[[リヨン]]であることに、異論は全くない。  [[ロジェ・プレヴォ]]は[[百詩篇第2巻97番]]や[[第6巻51番>百詩篇第6巻51番]]とも関連付けて、1305年11月14日にリヨンで挙行されたローマ教皇クレメンス5世の戴冠式で起きた壁の崩落事故がモデルと解釈した((Prévost [1999] p.43))。ただし、彼の解釈だと、ルチアの日がどう結びつくのかが明示されていない。  [[ピーター・ラメジャラー]]は第2巻97番や第6巻51番の解釈ではプレヴォを支持しているが、この詩については出典未特定として、支持していない。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は空が暗くなることと落雷とが、2行目と3行目の災厄の予兆となっており、その災厄はおそらくペストだろうと解釈した。つまり、リヨンでペストが流行することで、兵たちも都市から離れて森に逃げ込むということである((Clébert [2003]))。  プレヴォの解釈は魅力的だが、ルチアの日やモンテリマールとのかかわりをうまく解決できないのなら、むしろクレベールのように読むほうが説得的ではないかと思える。  あるいは、4行目で関係詞が使われていることをもとに、災厄と雷霆を同一視して、リヨンの南のモンテリマールから暗雲がやってきて、リヨンで被害をもたらす落雷事故がおこるという解釈も成り立つのではないだろうか。ノストラダムスは[[百詩篇第3巻44番]]などで、落雷そのものを驚異として描いている。 ---- #comment
[[詩百篇第9巻]]>68番* *原文 Du mont&sup(){1} [[Aymar>mont Aymar]]&sup(){2} sera noble obscurcie&sup(){3}, Le&sup(){4} mal viendra au ioinct de sonne&sup(){5} & rosne&sup(){6} Dans bois caichez&sup(){7} soldatz&sup(){8} iour de Lucie&sup(){9}, Qui ne fut&sup(){10} onc vn si horrible throsne&sup(){11}. **異文 (1) mont : Mont 1672Ga (2) Aymar : Aymer 1605sn 1649Xa, aymar 1653AB 1665Ba 1720To, Aymand 1716PR(a c), Aimand 1716PRb (3) obscurcie : obscureie 1650Mo (4) Le : üe [sic.] 1627Di (5) sonne 1568X 1568A 1568B 1772Ri : Saone &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : sone 1590Ro, Saosne 1603Mo 1644Hu 1650Mo 1650Ri 1653AB 1665Ba 1840, Saône 1720To) (6) rosne 1568X 1568A 1568B 1590Ro 1772Ri : Rosne &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Rofne 1628dR, Rhosne 1672Ga 1716PR, Rône 1720To) (7) caichez 1568X 1568A 1568B 1772Ri : cachez &italic(){T.A.Eds.} (8) soldatz : Soldats 1672Ga (9) Lucie : lucie 1716PR (10) ne fut : nef ut 1649Xa (11) throsne / trosne : Throsne 1672Ga **校訂  1行目 noble (貴族) について、[[ロジェ・プレヴォ]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は、nuble の誤記ではないかとした。彼らはそれを nuage (雲) と現代語訳したが、LAF には形容詞で「暗い」(obscur)、「陰鬱な」(sombre) などの意味とある。  2行目の sonne & rosne は当然 Sao(s)ne & R(h)osne となっているべき。 *日本語訳 [[モンテリマール]]から掻き曇り、 災厄がソーヌ川とローヌ川の合流点に来るだろう。 ルチアの日に兵たちは木々の中に隠される。 それはかつてなかった非常に恐ろしい雷霆。 **訳について  [[mont Aymar]]はモンテリマールの古称モンテルム・アユマルディ(Montellum Aymardi) の省略形と判断した。  1行目の noble (貴族) は nuble の誤記ではないかとするプレヴォらの説に従った。  また、クレベールは4行目 trosne (玉座) を、この場合にはプロヴァンス語の trouno (雷) に由来していると主張しており、そちらについても採用した。玉座と災厄の繋がりが不明瞭な反面、落雷と災厄は(それが同一のものであれ、前者が後者の予兆であれ) 親和的に思えるからである。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]は、一応許容範囲内と思われる訳が多いが、2行目 「悪はソーンとローヌの結合からくる」((大乗 [1975] p.275。以下、この詩の引用は同じページから。))は不適切だろう。 au (à + le) からすれば、そこから来るのではなく、そこへ来ると理解するのが自然である。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は、1行目「高貴なるエイマーの山が暗くなろう」((山根 [1988] p.305。以下、この詩の引用は同じページから。))が不適切。mont Aymar が主語になるのなら、直前の Du は Le にでもなっているべきだろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、モンテリマールから何らかの陰謀の手が[[リヨン]]へと伸び、その目的のために聖ルチア(聖ルキア)の日である12月13日に兵士たちが森に隠されるという形で、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は mont Aymar をアーリア民族 (Aryan) の優越性を主張したヒトラーと解釈し、第二次世界大戦中に彼のたくらみでリヨンでの大虐殺が起きる予言と解釈した((Lamont [1943] p.254))。この解釈の土台にあったのは[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]の解釈で、彼はヒトラーと名指ししていなかったが、mont Aymar をアーリア民族とする解釈を導き、ドイツ軍のフランス侵攻の予言のひとつとしていた((Fontbrune [1938](1939) pp.179-180))。  しかし、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、ヨハネ=パウロ2世がリヨンで暗殺される予言と解釈していた((Fontbrune (1980)[1982]))。これについては[[エリザベート・ベルクール]]の著書で[[アルベール・スロスマン]]から批判されたが、フォンブリュヌは2001年の著書でも同じような解釈を展開していた((Fontbrune (1999)[2001], &italic(){Nostradamus de 1999 à 2025}, pp.30-31))。  フォンブリュヌを批判していたスロスマンは、エマル・ジャックという地下水脈当ての名人に関連付けて宝探しについて述べたと主張していた。彼はルチアの日は、聖女ルチアの祝日である12月13日ではなく、かつて6月24日の聖ヨハネの祝祭でルチアについて祭っていたことから、6月24日のことだとも主張していたが、詩の全体がどのような意味なのかは明示していなかった((ベルクール [1982] pp.49-55))。  [[スチュワート・ロッブ]]は、mont Aymar はフランス革命期において反革命運動に強圧的な姿勢で臨んだ山岳派 (montagnard) のアマール (Amar) を言い当てたものだとし、革命期の反革命暴動と解釈した。1793年のリヨン反革命暴動では、リヨンの反革命勢力が鎮圧されたあと、町の名前自体がヴィル・アフランシ(解放された都市) と改称された。そして同じ年にフランス西部で起きた反革命暴動の中でも特筆されるヴァンデ戦争は、聖ルチアの日である12月13日のル・マンでの戦いを持ってひとまず鎮圧された((Robb [1961] pp.24-26))。  [[ヴライク・イオネスク]]、[[竹本忠雄]]も基本的に同じ解釈を採った((イオネスク [1976] pp.291-292, 竹本 [2011] pp.411-421))。 #amazon(4901988077) 【画像】 小井高志 『リヨンのフランス革命 ― 自由か平等か』 #amazon(4480857354) 【画像】森山軍治郎 『ヴァンデ戦争 ― フランス革命を問い直す』 *同時代的な視点  1行目に示されている[[mont Aymar]]が[[モンテリマール]]であることと、ローヌ川とソーヌ川の合流点にある都市が[[リヨン]]であることに、異論は全くない。  [[ロジェ・プレヴォ]]は[[第2巻97番>百詩篇第2巻97番]]や[[第6巻51番>百詩篇第6巻51番]]とも関連付けて、1305年11月14日にリヨンで挙行されたローマ教皇クレメンス5世の戴冠式で起きた壁の崩落事故がモデルと解釈した((Prévost [1999] p.43))。ただし、彼の解釈だと、ルチアの日がどう結びつくのかが明示されていない。  [[ピーター・ラメジャラー]]は第2巻97番や第6巻51番の解釈ではプレヴォを支持しているが、この詩については出典未特定として、支持していない。  [[ジャン=ポール・クレベール]]は空が暗くなることと落雷とが、2行目と3行目の災厄の予兆となっており、その災厄はおそらくペストだろうと解釈した。つまり、リヨンでペストが流行することで、兵たちも都市から離れて森に逃げ込むということである((Clébert [2003]))。  プレヴォの解釈は魅力的だが、ルチアの日やモンテリマールとのかかわりをうまく解決できないのなら、むしろクレベールのように読むほうが説得的ではないかと思える。  あるいは、4行目で関係詞が使われていることをもとに、災厄と雷霆を同一視して、リヨンの南のモンテリマールから暗雲がやってきて、リヨンで被害をもたらす落雷事故がおこるという解釈も成り立つのではないだろうか。ノストラダムスは[[第3巻44番>百詩篇第3巻44番]]などで、落雷そのものを驚異として描いている。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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