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[[百詩篇第2巻]]>97番
*原文
Romain Pontife&sup(){1} garde&sup(){2} de t'approcher&sup(){3}
De la cité&sup(){4} qui&sup(){5} deux fleuues&sup(){6} arrouse&sup(){7},
Ton sang viendras&sup(){8} au pres&sup(){9} de la cracher&sup(){10},
Toy & les tiens quandfleurira&sup(){11} la rose&sup(){12}.
**異文
(1) Pontife : pontife 1588-1589
(2) garde : gardes 1665
(3) t'approcher : taprocher 1672
(4) De la cité : De la Cité 1672, de[sic.] la Cité 1712Guy
(5) qui 1555 1557U 1557B 1568A 1588-1589 1589PV 1590SJ 1649Ca 1840 : que &italic(){T.A.Eds.}
(6) fleuues : Fleuves 1712Guy
(7) arrouse : arrose 1557B 1590Ro 1712Guy
(8) viendras : viendra 1588-1589 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1712Guy 1716
(9) au pres 1555 1557U 1568A 1568B 1590Ro 1840 : aupres &italic(){T.A.Eds.}
(10) la cracher : là cracher 1568C 1568I 1588Rf 1589Me 1590SJ 1591BR 1605 1611 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1660 1665 1668 1772Ri, cracher 1590Ro
(11) quandfleurira 1555 : quand fleurira &italic(){T.A.Eds.}
(12) rose : rouse 1557U 1589PV, roso 1590Ro, Rose 1672
**校訂
3行目 la か là かについては、明らかに後者の方が適切であり、ブランダムールもそう校訂している。
quandfleurira は単なる誤植で、スペースがあるべきなのはいうまでもない。
*日本語訳
[[ローマ]]の教皇よ、近づくことに御警戒めされよ、
二つの川が流れる都市へは。
そのそばにて御身の血を吐くことになりましょう。
御身とその御仲間は。薔薇が咲くであろう時に。
**訳について
二人称単数は、身近な人間のほか、神などに対する宗教的な呼びかけでも用いる。1行目 garde が二人称の命令形になっていることもあり、一介のカトリック信徒であるノストラダムスから教皇に語りかける口調として、著しく礼を失したものにならないように訳した(「汝」は同格か目下に使うのが普通)。もちろん、詩人が神の代言人として言葉を紡ぎだすという側面を重視するなら、汝としても何の問題もないだろう。
garde は三人称単数(直説法現在形)とも読めないわけでないが、それなら t'approcher を代名動詞と見ることができず「ローマ教皇は“お前と”近づくことに気をつけている」となるので、いずれにしても山根訳「ローマ法王は近づくのを警戒する」((山根訳『ノストラダムス全予言』p.110))は不適切。
2行目arrouse は arrosent の方が意味は通る(発音は同じなので韻を踏む上でも差し支えない)。[[ピエール・ブランダムール]]は校訂していないが、釈義の時にはそう訳している((Brind'Amour [1996]))。その場合、ブランダムールの釈義でそうなっているように、直前の関係詞は qui でなく que となるべき。[[ピーター・ラメジャラー]]も疑問符つきで que... arrousent としていた((Lemesurier [2003b]))。
3行目 viendras は二人称単数形。ゆえに省略されている主語は二人称単数で、それは「血」についている所有形容詞が Ton (二人称単数)であることとも対応する。4行目の「御身とその御仲間」は一見すると3行目の主語のようであるが、活用形からするとそうはならない(上の訳文で句点ではなく読点で区切ったのは意図的なものである)。
この辺りは、単に活用形が混乱していると見なすのか、[[ジャン=ポール・クレベール]]のように、あくまでも3行目はローマ教皇だけについての描写で、4行目の「御身とその御仲間」は「御身(ローマ教皇)と同じく、その御仲間も3行目のような目に遭う」という意味合いを略していると見るのかなど、細かい受け止め方の違いがありうる。しかし、大筋としてローマ教皇だけでなくその部下たちも吐血する(暗殺される)可能性があると警告を発しているのは確かだろうし、諸論者もそう読んでいる。
大乗訳3行目「汝の血が汝の血をはきだした近くにあるだろう」((大乗 [1975] p.95))は意味不明。ロバーツの原書の英訳 Thou shall spit there thy blood(汝はそこで汝の血を吐くだろう)((Roberts [1949] p.75))と見比べても誤訳の原因を特定できないが、フランス語原文から直訳しようとしたのかもしれない。ton sang を主語と見なし、la を代名詞と見て ton sang を受けていると理解すれば、大乗訳に近くなるからだ。ただし、動詞の活用形や名詞の性が全く一致しておらず、そういう訳は文法的に成立しない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、二つの川の流れる都市は数あれども[[リヨン]]よりも有名な都市はないとして、そこでのローマ教皇殺害について警告したものと解釈した((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]](1712年)も似たようなもので、バラが咲く5月のリヨンでローマ教皇が殺され、その軍隊が潰滅することを警告しているとしたが、どの年の5月かは神のみぞ知るとした((Guynaud [1712] p.367))。
ドドゥセのパンフレット(1790年)でもリヨンでのローマ教皇殺害への警告とされたが、バラについては[[パリ]]の隠喩とされ、パリが栄えている時期にそれが起こると解釈された((D'Odoucet, p39))。
このように1790年代まではほとんど触れられることもなく、触れられても漠然とした未来の予言とされていたのだが、現在では、[[ヴァランス]]で血を吐いて死んだピウス6世(在位1775年-1799年8月29日)のこととされることが多い。2行目はヴァランスがローヌ川とイゼール川の合流点の少し南に位置していることや、ヴァランスの北に大都市[[リヨン]](ローヌ川とソーヌ川の合流点)がある事などと結び付けられたのである。
しかし、19世紀の[[テオドール・ブーイ]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]らはこの詩に触れておらず、[[シャルル・ニクロー]](1914年)、[[アンドレ・ラモン]](1943年)に至ってさえも、そうした解釈は見られない。ニクローは2行目をリヨンと限定せずにパリの可能性も示している点と、4行目をバラの主日(四旬節第4主日)と結びつける点が先行する解釈と異なるが、未来における教皇の受難と解釈する点は変わらない((Nicoullaud [1914] pp.221-222, Lamont [1943] p.346))。[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は1938年の解釈書で何も触れておらず、後の改訂版で挿入されているが、解釈は一言もついていない((Fontbrune (1938)[1975] p.229))。
当「大事典」で確認できる範囲で、最初にピウス6世と解釈したのはジェイムズ・レイヴァー(1942年/1952年)である((Laver [1952] p.180 / レイヴァー[1999] p.288))。以降、[[スチュワート・ロッブ]](1961年)、[[エリカ・チータム]](1973年)、[[ジョン・ホーグ]](1997年)、[[ネッド・ハリー]](1999年)ら、少なくとも英語圏の解釈者たちにとっては定説化していく((Cheetham [1973/1990], Hogue [1997], Halley [1999] p.99))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は1980年の著書 [[Nostradamus, Historien et Prophète]] でこれを未来に設定し、薔薇で象徴される社会主義の政権が誕生する時にリヨンで教皇が死ぬと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
この後、フランスで社会党のミッテランが大統領になり、教皇ヨハネ=パウロ2世の暗殺未遂事件が(リヨンでなくローマであったが)起こったため、フォンブリュヌの本は国際的なベストセラーとなった((cf. ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] pp.59-60))。
もっとも、この「的中」はフォンブリュヌ自身の解釈とはずれていたためか、彼の晩年の著作でも特に喧伝されておらず、この詩自体に触れられていない((Fontbrune [2006], Fontbrune [2009]))。
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は当初はローマ(リヨンやパリでなく)での教皇の滞在に警告したものと解釈していたが、[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]夫婦の改訂(1982年)では、ミッテラン政権誕生とヨハネ・パウロ2世暗殺未遂とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。ただし、フォンブリュヌの名への言及はない。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は未来に置き、都市もリヨンを有力視しつつ、限定はしていなかった((Hutin [1978]))。[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ヨハネ=パウロ2世暗殺未遂事件を引き合いに出しつつ、「二つの川の流れる都市」ではなかったことから、未来において彼ないし彼の後継者が暗殺される恐れがあると解釈した((Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1305年にリヨンで行われた教皇クレメンス5世の即位式と関連付けている。この即位式では、行列の上に壁が崩れてきて、貴族にも死傷者が出たのである(教皇自身は三重冠が土にまみれるなどの不名誉を蒙ったが無事)((Prevost [1999] pp.42-44 ))。プレヴォは、[[百詩篇第6巻51番]]とも関連付けており、こうした解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]も支持している((Lemesurier [2003b]))。
クレメンス5世の即位式は11月であり、薔薇の咲く時期(夏)とずれていたが、プレヴォは、「薔薇」を中世文学の傑作『薔薇物語』(Roman de la Rose, 正編、続編とも13世紀に成立)と関連付けている。つまりは「薔薇の咲く時期」とは「『薔薇物語』の成立した頃」の暗示というわけであろう。
2つの川の流れる都市の候補は他にもある。[[エヴリット・ブライラー]]は[[アヴィニョン]]と捉えているし、実際、ノストラダムスは予兆の中でならアヴィニョンをそう形容したこともある。ただし、この場合はリヨンと認めて良いであろうということは、[[ジャン・デュペーブ]]なども指摘している((クレベールの著書に向けた書評にて))。
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#comment
[[百詩篇第2巻]]>97番
*原文
Romain Pontife&sup(){1} garde&sup(){2} de t'approcher&sup(){3}
De la cité&sup(){4} qui&sup(){5} deux fleuues&sup(){6} arrouse&sup(){7},
Ton sang viendras&sup(){8} au pres&sup(){9} de la cracher&sup(){10},
Toy & les tiens quandfleurira&sup(){11} la rose&sup(){12}.
**異文
(1) Pontife : pontife 1588-1589
(2) garde : gardes 1665
(3) t'approcher : taprocher 1672
(4) De la cité : De la Cité 1672, de[sic.] la Cité 1712Guy
(5) qui 1555 1557U 1557B 1568A 1588-1589 1589PV 1590SJ 1649Ca 1840 : que &italic(){T.A.Eds.}
(6) fleuues : Fleuves 1712Guy
(7) arrouse : arrose 1557B 1590Ro 1712Guy
(8) viendras : viendra 1588-1589 1600 1605 1610 1611 1627 1628 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1660 1665 1712Guy 1716
(9) au pres 1555 1557U 1568A 1568B 1590Ro 1840 : aupres &italic(){T.A.Eds.}
(10) la cracher : là cracher 1568C 1568I 1588Rf 1589Me 1590SJ 1591BR 1605 1611 1628 1644 1649Xa 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1660 1665 1668 1772Ri, cracher 1590Ro
(11) quandfleurira 1555 : quand fleurira &italic(){T.A.Eds.}
(12) rose : rouse 1557U 1589PV, roso 1590Ro, Rose 1672
**校訂
3行目 la か là かについては、明らかに後者の方が適切であり、ブランダムールもそう校訂している。
quandfleurira は単なる誤植で、スペースがあるべきなのはいうまでもない。
*日本語訳
[[ローマ]]の教皇よ、近づくことに御警戒めされよ、
二つの川が流れる都市へは。
そのそばにて御身の血を吐くことになりましょう。
御身とその御仲間は。薔薇が咲くであろう時に。
**訳について
二人称単数は、身近な人間のほか、神などに対する宗教的な呼びかけでも用いる。1行目 garde が二人称の命令形になっていることもあり、一介のカトリック信徒であるノストラダムスから教皇に語りかける口調として、著しく礼を失したものにならないように訳した(「汝」は同格か目下に使うのが普通)。もちろん、詩人が神の代言人として言葉を紡ぎだすという側面を重視するなら、汝としても何の問題もないだろう。
garde は三人称単数(直説法現在形)とも読めないわけでないが、それなら t'approcher を代名動詞と見ることができず「ローマ教皇は“お前と”近づくことに気をつけている」となるので、いずれにしても山根訳「ローマ法王は近づくのを警戒する」((山根訳『ノストラダムス全予言』p.110))は不適切。
2行目arrouse は arrosent の方が意味は通る(発音は同じなので韻を踏む上でも差し支えない)。[[ピエール・ブランダムール]]は校訂していないが、釈義の時にはそう訳している((Brind'Amour [1996]))。その場合、ブランダムールの釈義でそうなっているように、直前の関係詞は qui でなく que となるべき。[[ピーター・ラメジャラー]]も疑問符つきで que... arrousent としていた((Lemesurier [2003b]))。
3行目 viendras は二人称単数形。ゆえに省略されている主語は二人称単数で、それは「血」についている所有形容詞が Ton (二人称単数)であることとも対応する。4行目の「御身とその御仲間」は一見すると3行目の主語のようであるが、活用形からするとそうはならない(上の訳文で句点ではなく読点で区切ったのは意図的なものである)。
この辺りは、単に活用形が混乱していると見なすのか、[[ジャン=ポール・クレベール]]のように、あくまでも3行目はローマ教皇だけについての描写で、4行目の「御身とその御仲間」は「御身(ローマ教皇)と同じく、その御仲間も3行目のような目に遭う」という意味合いを略していると見るのかなど、細かい受け止め方の違いがありうる。しかし、大筋としてローマ教皇だけでなくその部下たちも吐血する(暗殺される)可能性があると警告を発しているのは確かだろうし、諸論者もそう読んでいる。
大乗訳3行目「汝の血が汝の血をはきだした近くにあるだろう」((大乗 [1975] p.95))は意味不明。ロバーツの原書の英訳 Thou shall spit there thy blood(汝はそこで汝の血を吐くだろう)((Roberts [1949] p.75))と見比べても誤訳の原因を特定できないが、フランス語原文から直訳しようとしたのかもしれない。ton sang を主語と見なし、la を代名詞と見て ton sang を受けていると理解すれば、大乗訳に近くなるからだ。ただし、動詞の活用形や名詞の性が全く一致しておらず、そういう訳は文法的に成立しない。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、二つの川の流れる都市は数あれども[[リヨン]]よりも有名な都市はないとして、そこでのローマ教皇殺害について警告したものと解釈した((Garencieres [1672]))。
[[バルタザール・ギノー]](1712年)も似たようなもので、バラが咲く5月のリヨンでローマ教皇が殺され、その軍隊が潰滅することを警告しているとしたが、どの年の5月かは神のみぞ知るとした((Guynaud [1712] p.367))。
ドドゥセのパンフレット(1790年)でもリヨンでのローマ教皇殺害への警告とされたが、バラについては[[パリ]]の隠喩とされ、パリが栄えている時期にそれが起こると解釈された((D'Odoucet, p39))。
このように1790年代まではほとんど触れられることもなく、触れられても漠然とした未来の予言とされていたのだが、現在では、[[ヴァランス]]で血を吐いて死んだピウス6世(在位1775年-1799年8月29日)のこととされることが多い。2行目はヴァランスがローヌ川とイゼール川の合流点の少し南に位置していることや、ヴァランスの北に大都市[[リヨン]](ローヌ川とソーヌ川の合流点)がある事などと結び付けられたのである。
しかし、19世紀の[[テオドール・ブーイ]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]らはこの詩に触れておらず、[[シャルル・ニクロー]](1914年)、[[アンドレ・ラモン]](1943年)に至ってさえも、そうした解釈は見られない。ニクローは2行目をリヨンと限定せずにパリの可能性も示している点と、4行目をバラの主日(四旬節第4主日)と結びつける点が先行する解釈と異なるが、未来における教皇の受難と解釈する点は変わらない((Nicoullaud [1914] pp.221-222, Lamont [1943] p.346))。[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は1938年の解釈書で何も触れておらず、後の改訂版で挿入されているが、解釈は一言もついていない((Fontbrune (1938)[1975] p.229))。
当「大事典」で確認できる範囲で、最初にピウス6世と解釈したのはジェイムズ・レイヴァー(1942年/1952年)である((Laver [1952] p.180 / レイヴァー[1999] p.288))。以降、[[スチュワート・ロッブ]](1961年)、[[エリカ・チータム]](1973年)、[[ジョン・ホーグ]](1997年)、[[ネッド・ハリー]](1999年)ら、少なくとも英語圏の解釈者たちにとっては定説化していく((Cheetham [1973/1990], Hogue [1997], Halley [1999] p.99))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は1980年の著書 [[Nostradamus, Historien et Prophète]] でこれを未来に設定し、薔薇で象徴される社会主義の政権が誕生する時にリヨンで教皇が死ぬと解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
この後、フランスで社会党のミッテランが大統領になり、教皇ヨハネ=パウロ2世の暗殺未遂事件が(リヨンでなくローマであったが)起こったため、フォンブリュヌの本は国際的なベストセラーとなった((cf. ドレヴィヨン & ラグランジュ [2004] pp.59-60))。
もっとも、この「的中」はフォンブリュヌ自身の解釈とはずれていたためか、彼の晩年の著作でも特に喧伝されておらず、この詩自体に触れられていない((Fontbrune [2006], Fontbrune [2009]))。
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は当初はローマ(リヨンやパリでなく)での教皇の滞在に警告したものと解釈していたが、[[娘>リー・ロバーツ・アムスターダム]]夫婦の改訂(1982年)では、ミッテラン政権誕生とヨハネ・パウロ2世暗殺未遂とする解釈に差し替えられた((Roberts (1947)[1982], Roberts (1947)[1994]))。ただし、フォンブリュヌの名への言及はない。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は未来に置き、都市もリヨンを有力視しつつ、限定はしていなかった((Hutin [1978]))。[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ヨハネ=パウロ2世暗殺未遂事件を引き合いに出しつつ、「二つの川の流れる都市」ではなかったことから、未来において彼ないし彼の後継者が暗殺される恐れがあると解釈した((Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、1305年にリヨンで行われた教皇クレメンス5世の即位式と関連付けている。この即位式では、行列の上に壁が崩れてきて、貴族にも死傷者が出たのである(教皇自身は三重冠が土にまみれるなどの不名誉を蒙ったが無事)((Prevost [1999] pp.42-44 ))。プレヴォは、[[百詩篇第6巻51番]]とも関連付けており、こうした解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]も支持している((Lemesurier [2003b]))。
クレメンス5世の即位式は11月であり、薔薇の咲く時期(夏)とずれていたが、プレヴォは、「薔薇」を中世文学の傑作『薔薇物語』(Roman de la Rose, 正編、続編とも13世紀に成立)と関連付けている。つまりは「薔薇の咲く時期」とは「『薔薇物語』の成立した頃」の暗示というわけであろう。
2つの川の流れる都市の候補は他にもある。[[エヴリット・ブライラー]]は[[アヴィニョン]]と捉えているし、実際、ノストラダムスは予兆の中でならアヴィニョンをそう形容したこともある。ただし、この場合はリヨンと認めて良いであろうということは、[[ジャン・デュペーブ]]なども指摘している((クレベールの著書に向けた書評にて))。
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