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[[百詩篇第6巻]]>67番
*原文
Au&sup(){1} grand Empire&sup(){2} paruiendra&sup(){3} tout&sup(){4} vn autre&sup(){5}
Bonté distant&sup(){6} plus&sup(){7} de felicité:
Regi&sup(){8} par vn issu non loing du [[peaultre>peautre]]&sup(){9},
[[Corruer>corruer]] [[regnes>regne]]&sup(){10} grande infelicité.
**異文
(1) Au : Du 1840
(2) Empire : empire 1557B
(3) paruiendra : par viendra 1672
(4) tout : tost 1650Le 1650Ri 1668
(5) autre : autres 1672
(6) distant : distans 1589PV 1620PD
(7) plus : plees 1672
(8) Regi : Rege 1672
(9) peaultre : Peautre 1620PD
(10) regnes : Regnes 1672
(注記)1588-89では、3-4-1-2の順でIII-71に差し換えられており、収録されていない。
*日本語訳
まったくの別人が大帝国で成り上がるだろう。
幸福からよりも善良さから程遠い。
藁布団から遠くない場所で生まれた者によって支配される。
諸王国は破滅し、大いなる不幸が。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。1行目 「大帝国にまったく違ったものがやってきて」((大乗 [1975] p.192。以下、この詩の引用は同じページから。))は可能な訳。
2行目 「よきものと幸せからはなれて」 は、plus を含む比較表現が訳に反映されていない。
3行目 「根本のいしずえをもった人に治められ」 は、[[peautre]]の訳し方が明らかにおかしい。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。2行目 「思いやりに欠けるばかりか 幸せとはもっと無縁な男」((山根 [1988] p.228。以下、この詩の引用は同じページから。))は、比較表現の捉え方が[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]とは反対である。
3行目 「生まれた床から這いでたばかりの者に支配され」は、意訳がすぎるように思われる。
*信奉者側の見解
匿名の解釈書『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、付録のような巻末の「帝国について」という短文で触れているが、諸王国を地に落とす別の人物が帝国(神聖ローマ帝国)に君臨することになるという、かなり漠然とした解釈を展開していた ((Petit discours..., pp.30-31))。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「解釈の必要なし」とだけ述べていた((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、ムッソリーニ政権の失墜と、ローマ教皇の死という文脈で採り上げられているが、解釈が漠然としすぎている((Fontbrune (1938)[1939] p.223))。のちの改訂版だと、「ファシスト」という唯一具体的だった文言までが削られてしまい、さらに解釈の曖昧さが増している((Fontbrune [1975] p.237))。文脈はイタリアでの革命とローマ教皇の逃亡という形で若干手直しされており、曖昧に書き直して未来にずらした形になっている。
[[アンドレ・ラモン]]がムッソリーニの失墜と解釈していたのは、フォンブリュヌの当初の解釈に触発されたものだろう((Lamont [1943] p.265))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、アドルフ・ヒトラーの権力掌握の詩と解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
[[エリカ・チータム]]はナポレオンに関する詩かもしれないとしていた((Cheetham (1989)[1990]))。[[セルジュ・ユタン]]もナポレオンに関する詩とした((Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、当時の反キリスト伝説が投影されていると解釈した((Prévost [1999] p.229))。
10世紀のモンチエ=アン=デルのアドソによる反キリスト論以降、卑しい出自などといった反キリスト像は広く知られるものとなっていた (アドソの反キリスト論は『[[ミラビリス・リベル]]』にも再録された)。
[[ピーター・ラメジャラー]]も、『ミラビリス・リベル』の反キリスト論が元になっていると解釈したが、彼の場合、直接的にはコゼンツァのテレスフォロの予言などの影響を指摘している((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
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#comment
[[百詩篇第6巻]]>67番
*原文
Au&sup(){1} grand Empire&sup(){2} paruiendra&sup(){3} tout&sup(){4} vn autre&sup(){5}
Bonté distant&sup(){6} plus&sup(){7} de felicité:
Regi&sup(){8} par vn issu non loing du [[peaultre>peautre]]&sup(){9},
[[Corruer>corruer]] [[regnes>regne]]&sup(){10} grande infelicité.
**異文
(1) Au : Du 1840
(2) Empire : empire 1557B
(3) paruiendra : par viendra 1672
(4) tout : tost 1650Le 1650Ri 1668
(5) autre : autres 1672
(6) distant : distans 1589PV 1620PD
(7) plus : plees 1672
(8) Regi : Rege 1672
(9) peaultre : Peautre 1620PD
(10) regnes : Regnes 1672
(注記)1588-89では、3-4-1-2の順でIII-71に差し換えられており、収録されていない。
*日本語訳
まったくの別人が大帝国で成り上がるだろう。
幸福からよりも善良さから程遠い。
藁布団から遠くない場所で生まれた者によって支配される。
諸王国は破滅し、大いなる不幸が。
**訳について
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。1行目 「大帝国にまったく違ったものがやってきて」((大乗 [1975] p.192。以下、この詩の引用は同じページから。))は可能な訳。
2行目 「よきものと幸せからはなれて」 は、plus を含む比較表現が訳に反映されていない。
3行目 「根本のいしずえをもった人に治められ」 は、[[peautre]]の訳し方が明らかにおかしい。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。2行目 「思いやりに欠けるばかりか 幸せとはもっと無縁な男」((山根 [1988] p.228。以下、この詩の引用は同じページから。))は、比較表現の捉え方が[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]とは反対である。
3行目 「生まれた床から這いでたばかりの者に支配され」は、意訳がすぎるように思われる。
*信奉者側の見解
匿名の解釈書『[[1555年に出版されたミシェル・ノストラダムス師の百詩篇集に関する小論あるいは注釈>Petit discours ou Commentaire sur les Centuries]]』(1620年)では、付録のような巻末の「帝国について」という短文で触れているが、諸王国を地に落とす別の人物が帝国(神聖ローマ帝国)に君臨することになるという、かなり漠然とした解釈を展開していた ((Petit discours..., pp.30-31))。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、「解釈の必要なし」とだけ述べていた((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は、ムッソリーニ政権の失墜と、ローマ教皇の死という文脈で採り上げられているが、解釈が漠然としすぎている((Fontbrune (1938)[1939] p.223))。のちの改訂版だと、「ファシスト」という唯一具体的だった文言までが削られてしまい、さらに解釈の曖昧さが増している((Fontbrune [1975] p.237))。文脈はイタリアでの革命とローマ教皇の逃亡という形で若干手直しされており、曖昧に書き直して未来にずらした形になっている。
[[アンドレ・ラモン]]がムッソリーニの失墜と解釈していたのは、フォンブリュヌの当初の解釈に触発されたものだろう((Lamont [1943] p.265))。
[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、アドルフ・ヒトラーの権力掌握の詩と解釈した((Fontbrune (1980)[1982]))。
[[エリカ・チータム]]はナポレオンに関する詩かもしれないとしていた((Cheetham (1989)[1990]))。[[セルジュ・ユタン]]もナポレオンに関する詩とした((Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
[[ロジェ・プレヴォ]]は、当時の反キリスト伝説が投影されていると解釈した((Prévost [1999] p.229))。
10世紀のモンチエ=アン=デルのアドソによる反キリスト論以降、卑しい出自などといった反キリスト像は広く知られるものとなっていた (アドソの反キリスト論は『[[ミラビリス・リベル]]』にも再録された)。
[[ピーター・ラメジャラー]]も、『ミラビリス・リベル』の反キリスト論が元になっていると解釈したが、彼の場合、直接的にはコゼンツァのテレスフォロの予言などの影響を指摘している((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
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