詩百篇第10巻91番

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[[詩百篇第10巻]]>91番* *原文 Clergé&sup(){1} Romain l'an mil six cens & neuf&sup(){2}, Au chef de l'an feras&sup(){3} election&sup(){4} D'vn gris & noir de la Compagne&sup(){5} yssu, Qui onc ne feut&sup(){6} si maling. **異文 (1) Clergé : Clerge 1568X (2) neuf : vingt 1611B (3) feras : fera 1590Ro 1627Ma 1627Di 1644Hu 1649Ca 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1720To (4) election : Election 1672Ga (5) Compagne : Compagnie 1568X 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1668 1716PR, compaignie 1590Ro, compagnie 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, Campagne 1672Ga (6) onc ne feut 1568 1772Ri : n'a esté encore 1627Di, oncques ne fut 1672Ga, onc ne fut &italic(){T.A.Eds.} (注記)1716PRbはページ欠落のため比較できず。 **校訂  この詩は4行目が7音節しかないとかねてから指摘されている((LeVert [1979] p.248, Prévost [1999] p.98))。韻の踏み方も微妙であり、4行目に1語または数語の欠落があるのは間違いない。何を入れるかについては dans son regne((LeVert [1979] ibid.))やPontife ((Lemesurier [2003] p.372))など、いくつかの候補が挙げられている。 *日本語訳 ローマの聖職者よ、千六百と九の年、 その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。 仲間から出た灰色と黒の中から、 かつてないほどの悪しき者が。 **訳について  2行目feras は二人称単数に対応する活用形であり、1行目の「(総称としての)聖職者」を受けている。「汝」とせずに「汝ら」としたのはそのため。  3行目 Compagneなら「仲間」、Compagnieなら「集団」、Campagneならイタリアのカンパーニア地方となる。  4行目について。大乗訳では「このような人はけっして悪い人ではなかった」((大乗 [1975] p.307))となっているが、レオニの訳“Never was there one so wicked as he.”((Leoni [1982] p.439))、エヴリット・ブライラーの訳“Never was there one so evil”((LeVert [1979]p.248))などと比べても不適切。ただし、上で述べたように4行目には明らかに欠落があるため、その内容によってはかなり違った訳になるのかもしれない。 *信奉者側の見解  1609年にローマ教皇選挙(コンクラーヴェ)が行われることを予言しているというのは、誰の目にも明らかである。しかし、1605年に選出されたパウルス5世は1621年まで教皇の座にあり、1609年に選挙は行われなかった。  これに対する信奉者の見解は様々である。  [[エリカ・チータム]]は、パウルス5世がこの年に一度倒れたとして、予言が的中しかかったと解釈した((Cheetham [1990]))。  他方で、「1609年」に何らかの加算をおこなって、別の年の事件だったと解釈する者もいる。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は[[第6巻54番>百詩篇第6巻54番]]をもとに325年を足して、1934年頃にヒトラーが権力の座にのぼりつめたことの予言とした((Roberts [1949]))。  [[セルジュ・ユタン]]は年代には全く触れずにリシュリューの時代のジョゼフ神父と関連付けている((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  当時のパリ市民[[ピエール・ド・レトワル]]の日記を見ると、1609年2月10日の項目にこの詩が引用され、次のようなことが書いてある。 「この日、ノストラダムスの詩百篇集から抜粋された次のような戯言(la fadaise)が送られてきた。それは今年1609年の教皇の死に関するもので、宮廷やローマで出回っていたものである」((Journal de L’Estoile pour le règne de Henri IV, tome II, Gallimard, p.430))。  しかし、上でも指摘したようにこの年にコンクラーヴェは行われなかった。3行目の yssu を Jésus と読むべきという可能性が、複数の論者から挙げられている((LeVert [1979] ; Brind’Amour [1993] p.260))。それに従えば、「イエズス会から出た灰色と黒の中から」となる。ただ、いずれにしてもノストラダムスがなぜ1609年という年を選んだのかについて、占星術などから根拠付けることには成功していない((cf. Chomarat [1998]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、年代付きの予言は切りの良い数字を引いた年にモデルがあるという仮説に基づき、50を引いた年、つまり1559年1月に教皇になった[[ピウス4世]]と結び付けている。4行目 maling は普通 malin と読まれるが、彼の場合、malignier(企む)の派生形と捉え、1564年にピウス4世が大きな陰謀事件の処罰を行ったことと関連付けている((Prévost [1999] p.98))。 ---- - 実は9年引いた1591~1600年の間に現れるローマ教皇クレメンス8世が該当。この時代では珍しく優れた人物として評価されるもブルーノやベアトリーチェとその家族の処刑の許可等は後世の評価に汚点を残した。黒はジャック・クレマン、灰色はブルーノを指している。火刑されたブルーノもクレマンもドミニコ会の修道士なのが共通。そして仏語では、教皇の名前と国王アンリ三世を殺したその修道士の名前“クレマン”が共通。 -- とある信奉者 (2020-05-03 23:44:17) #comment
[[詩百篇第10巻]]>91番* *原文 Clergé&sup(){1} Romain l'an mil six cens & neuf&sup(){2}, Au chef de l'an feras&sup(){3} election&sup(){4} D'vn gris & noir de la Compagne&sup(){5} yssu, Qui onc ne feut&sup(){6} si maling. **異文 (1) Clergé : Clerge 1568X (2) neuf : vingt 1611B (3) feras : fera 1590Ro 1627Ma 1627Di 1644Hu 1649Ca 1650Ri 1653AB 1665Ba 1667Wi 1668 1672Ga 1720To (4) election : Election 1672Ga (5) Compagne : Compagnie 1568X 1607PR 1610Po 1627Ma 1627Di 1668 1716PR, compaignie 1590Ro, compagnie 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1720To, Campagne 1672Ga (6) onc ne feut 1568 1772Ri : n'a esté encore 1627Di, oncques ne fut 1672Ga, onc ne fut &italic(){T.A.Eds.} (注記)1716PRbはページ欠落のため比較できず。 **校訂  この詩は4行目が7音節しかないとかねてから指摘されている((LeVert [1979] p.248, Prévost [1999] p.98))。韻の踏み方も微妙であり、4行目に1語または数語の欠落があるのは間違いない。何を入れるかについては dans son regne((LeVert [1979] ibid.))やPontife ((Lemesurier [2003] p.372))など、いくつかの候補が挙げられている。 *日本語訳 ローマの聖職者よ、千六百と九の年、 その年の初めに、汝らは選挙を行うだろう。 仲間から出た灰色と黒の中から、 かつてないほどの悪しき者が。 **訳について  2行目feras は二人称単数に対応する活用形であり、1行目の「(総称としての)聖職者」を受けている。「汝」とせずに「汝ら」としたのはそのため。  3行目 Compagneなら「仲間」、Compagnieなら「集団」、Campagneならイタリアのカンパーニア地方となる。  4行目について。大乗訳では「このような人はけっして悪い人ではなかった」((大乗 [1975] p.307))となっているが、レオニの訳“Never was there one so wicked as he.”((Leoni [1982] p.439))、エヴリット・ブライラーの訳“Never was there one so evil”((LeVert [1979]p.248))などと比べても不適切。ただし、上で述べたように4行目には明らかに欠落があるため、その内容によってはかなり違った訳になるのかもしれない。 *信奉者側の見解  1609年にローマ教皇選挙(コンクラーヴェ)が行われることを予言しているというのは、誰の目にも明らかである。しかし、1605年に選出されたパウルス5世は1621年まで教皇の座にあり、1609年に選挙は行われなかった。  これに対する信奉者の見解は様々である。  [[エリカ・チータム]]は、パウルス5世がこの年に一度倒れたとして、予言が的中しかかったと解釈した((Cheetham [1990]))。  他方で、「1609年」に何らかの加算をおこなって、別の年の事件だったと解釈する者もいる。[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は[[第6巻54番>百詩篇第6巻54番]]をもとに325年を足して、1934年頃にヒトラーが権力の座にのぼりつめたことの予言とした((Roberts [1949]))。  [[セルジュ・ユタン]]は年代には全く触れずにリシュリューの時代のジョゼフ神父と関連付けている((Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  当時のパリ市民[[ピエール・ド・レトワル]]の日記を見ると、1609年2月10日の項目にこの詩が引用され、次のようなことが書いてある。 「この日、ノストラダムスの詩百篇集から抜粋された次のような戯言(la fadaise)が送られてきた。それは今年1609年の教皇の死に関するもので、宮廷やローマで出回っていたものである」((Journal de L’Estoile pour le règne de Henri IV, tome II, Gallimard, p.430))。  しかし、上でも指摘したようにこの年にコンクラーヴェは行われなかった。3行目の yssu を Jésus と読むべきという可能性が、複数の論者から挙げられている((LeVert [1979] ; Brind’Amour [1993] p.260))。それに従えば、「イエズス会から出た灰色と黒の中から」となる。ただ、いずれにしてもノストラダムスがなぜ1609年という年を選んだのかについて、占星術などから根拠付けることには成功していない((cf. Chomarat [1998]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は、年代付きの予言は切りの良い数字を引いた年にモデルがあるという仮説に基づき、50を引いた年、つまり1559年1月に教皇になった[[ピウス4世]]と結び付けている。4行目 maling は普通 malin と読まれるが、彼の場合、malignier(企む)の派生形と捉え、1564年にピウス4世が大きな陰謀事件の処罰を行ったことと関連付けている((Prévost [1999] p.98))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 実は9年引いた1591~1600年の間に現れるローマ教皇クレメンス8世が該当。この時代では珍しく優れた人物として評価されるもブルーノやベアトリーチェとその家族の処刑の許可等は後世の評価に汚点を残した。黒はジャック・クレマン、灰色はブルーノを指している。火刑されたブルーノもクレマンもドミニコ会の修道士なのが共通。そして仏語では、教皇の名前と国王アンリ三世を殺したその修道士の名前“クレマン”が共通。 -- とある信奉者 (2020-05-03 23:44:17)

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