百詩篇第3巻21番

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[[百詩篇第3巻]]>21番 *原文 Au [[crustamin]]&sup(){1} par&sup(){2} mer Hadriatique Apparoistra vn&sup(){3} horride&sup(){4} poisson&sup(){5}, De face humaine,& la fin&sup(){6} aquatique&sup(){7}, Qui se prendra dehors de l’ameçon&sup(){8}. **異文 (1) crustamin 1555 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro 1649Ca 1840 : Crustamin &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : crustamid 1589Rg) (2) par : pres 1672 (3) vn : vu 1611B (4) horride 1555 1840 : horrible &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : horribe 1649Ca 1650Le 1668A) (5) poisson : Poisson 1712Guy (6) la fin : la 1605 1649Xa, de corps 1672 (7) aquatique : Aquatique 1712Guy (8) l’ameçon : l’amecon 1557B 1590Ro 1627, l’hameçon 1650Ri 1668P 1712Guy 1981EB, l’Hamecon 1672, lameçon 1772Ri **校訂  1行目 [[crustamin]] を[[ピエール・ブランダムール]]は Crustumin と校訂している。従来の主要な読みから言っても、2音節めが ta ではなく tu になるのは妥当であると思われる。  2行目は初版以降のほぼ全ての版が horrible (恐るべき、醜悪な) としている語が、初版では horride となっている。これは初版のままでよいだろう (意味は後述)。 *日本語訳 アドリア海を通ってクルストゥメリアで、 戦慄すべき一尾の魚が現われるだろう。 人の顔と水棲の尾を持ち、 釣り針で (水の) 外に釣り上げられるだろう。 **訳について  1行目 [[crustamin]] はとりあえずクルストゥメリアとしたが、クルストゥミウムでも当てはまりうる。  2行目 horride は古語辞典の類にはないが、ラテン語 horridus (粗い、粗暴な、戦慄すべき) のフランス語化であるという((Brind’Amour [1996]))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「アドリア海の近くで、カニのような」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[crustamin]]を[[ヘンリー・C・ロバーツ]]が Crustacea (甲殻類) と英訳していることを踏まえたのだろうが、不適切。  3行目 「それは人の顔と魚の体をしていて」 は、大乗訳の底本に基づく訳としては誤りではない。しかし、それは[[ガランシエール>テオフィル・ド・ガランシエール]]=ロバーツの特異な異文に過ぎないので、現代に支持すべき理由はない。  4行目 「釣針なしでとらえられるだろう」はおそらく不適切。中期フランス語の dehors de は現代の hors de (~を除いて) と同じ意味があり((DMF))、「釣針なしに」はそれを意訳したものだろう。かつては[[エドガー・レオニ]]などもそう訳していたが、[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]といった定評ある研究者たちは、dehors を「(水の)外に」、de を手段を導く前置詞と捉えて「釣り針で水の外に」の意味に訳している。古くは[[エヴリット・ブライラー]]もそう訳していた。  ただし、[[ジャン=ポール・クレベール]]は hors de を一体と捉えて 「(釣り針ではなく) 罠で捕まえる」 の意味としており、現代でも 「釣り針なしに」 の意味に解する論者がいなくなったわけではない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「アドリア海に注ぐコンカ川近く」((山根 [1988] p.123。以下、この詩の引用は同じページから。)) は[[crustamin]]の訳によっては成立する。  3行目 「人間の顔 水棲の目的をもち」は、確かに fin には「目的」の意味もあるが、前半の人面と対比した姿の描写なのだから、体の終端、つまり「尾」と理解するのが自然だろう。ブランダムール、高田・伊藤、ラメジャラー、シーバースらはいずれもそう読んでいる。  4行目「釣針を用いずにつかまるだろう」は、大乗訳への指摘と重なるので省く。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はアンブロワーズ・パレの指摘なども引きつつ、古代以来、そのような人魚の目撃例があることを指摘し、古代エジプト、ノルウェー、そして1523年のローマでの目撃例と1531年の「海の司祭」と呼ばれる鱗で被われた怪物の目撃例を紹介した((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]はアドリア海沿岸でそういう怪物が捕獲されることの予言と解釈していた((Guynaud [1712] pp.342-343))  その後、19世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はこの場合の「魚」を教会のシンボルと捉え、イタリアの平原に醜悪な教会 (une affreuse église) が海路やってきて、罠で囚われることの予言と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.225))。  [[アンドレ・ラモン]]は第一次世界大戦後にイタリアが自らに招きいれた海軍などの災難についての予言とした((Lamont [1943] p.222))。  [[セルジュ・ユタン]]は潜水艦についての象徴的な予言の可能性を示していた((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[五島勉]]はデタラメに見える予言ですら当たる例として、1973年4月7日の夕刊フジに掲載されたアラビア西海岸で上半身が魚、下半身が人という奇怪な生物がつかまったという報道を引き合いに出した((五島 [1973] pp.136-139))。 **懐疑的な視点  五島の訳だと3行目が 「それは一匹の奇怪な人魚」((五島 [1973] p.136))となっているが、実際には上に訳出したように人面魚尾という描写があるので、夕刊フジの報道ではまったく逆である。そもそもその報道で引き合いに出された画像は、ルネ・マグリットの作品からの転載と思しきものであり、信憑性に乏しい。  五島の翻訳と解釈の問題点は[[高木彬光]]がつとに指摘しており、「原文を修正してまでの強引きわまるこじつけ的な解釈」((高木 (1974)[1975] p.154))とまで批判されていた。そのためかどうか、ルネ・マグリットからの転載らしき画像は、コペンハーゲンの人魚像にはやばやと差し替えられてしまった((姉妹サイトの「[[『ノストラダムスの大予言』改訂版の変遷を辿る>>http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/ben/daiyogen.htm]]」参照))。  この差し替えについては、[[志水一夫]]や[[山本弘]]も指摘していたが、中には、この詩がきっかけで目が覚めたとしている論者もいる((入江敦彦「ノストラ万博のパビリオン」『本の雑誌』2013年3月号))。 *同時代的な視点  この詩に関しては、信奉者のガランシエールの指摘は全く妥当なものである。  [[五島勉]]は「ノストラダムスの時代からいままで、人魚が実際につかまったこと ―― 少なくともつかまったと人びとが広く知ったことは、この事件一回しかない」((五島、前掲書、p.138))などと主張していたが、16世紀の瓦版には人魚の出現や捕獲についての噂話など何度も掲載されていた。それらをモデルにしたとして何の不思議もないだろう。  なお、ガランシエールが紹介していた1523年ローマの発見例は、[[ピエール・ブランダムール]]や[[高田勇]]・[[伊藤進]]もパレに依拠する形で紹介している。  [[ロジェ・プレヴォ]]はローマで人面魚身の怪物が見付かった1523年には、イリュリア地方 (バルカン半島のアドリア海沿岸) の海域でも同じような怪物の発見例があることを紹介した((Prévost [1999] p.148))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は1550年にバルト海で捕獲されたと言われる、修道士のような剃髪の人頭をもつ魚身の怪物の例を、コンラドゥス・リュコステネスの著書(厳密にはその1581年の英訳)をもとに紹介した((Lemesurier [2003b]))。  クルストゥメリウムと読んだ場合に地理的に一番近いのは1523年ローマの事例であり、同じテヴェレ川沿いの都市として共通する。他方、クルストゥミウム(コンカ川)と読んだ場合はプレヴォの指摘が近くなり、アドリア海との関連も説明しやすくなる。  ただし、ラメジャラーが指摘したように、執筆時点に近い時期の目撃譚に触発されて書いたと考えることも可能だろうし、モデルを無理にひとつに絞り込む必要はないだろう。 ---- #comment
[[百詩篇第3巻]]>21番 *原文 Au [[crustamin]]&sup(){1} par&sup(){2} mer Hadriatique Apparoistra vn&sup(){3} horride&sup(){4} poisson&sup(){5}, De face humaine,& la fin&sup(){6} aquatique&sup(){7}, Qui se prendra dehors de l’ameçon&sup(){8}. **異文 (1) crustamin 1555 1557U 1557B 1568A 1589PV 1590Ro 1649Ca 1840 : Crustamin &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : crustamid 1589Rg) (2) par : pres 1672 (3) vn : vu 1611B (4) horride 1555 1840 : horrible &italic(){T.A.Eds.}(&italic(){sauf} : horribe 1649Ca 1650Le 1668A) (5) poisson : Poisson 1712Guy (6) la fin : la 1605 1649Xa, de corps 1672 (7) aquatique : Aquatique 1712Guy (8) l’ameçon : l’amecon 1557B 1590Ro 1627, l’hameçon 1650Ri 1668P 1712Guy 1981EB, l’Hamecon 1672, lameçon 1772Ri **校訂  1行目 [[crustamin]] を[[ピエール・ブランダムール]]は Crustumin と校訂している。従来の主要な読みから言っても、2音節めが ta ではなく tu になるのは妥当であると思われる。  2行目は初版以降のほぼ全ての版が horrible (恐るべき、醜悪な) としている語が、初版では horride となっている。これは初版のままでよいだろう (意味は後述)。 *日本語訳 アドリア海を通ってクルストゥメリアで、 戦慄すべき一尾の魚が現われるだろう。 人の顔と水棲の尾を持ち、 釣り針で (水の) 外に釣り上げられるだろう。 **訳について  1行目 [[crustamin]] はとりあえずクルストゥメリアとしたが、クルストゥミウムでも当てはまりうる。  2行目 horride は古語辞典の類にはないが、ラテン語 horridus (粗い、粗暴な、戦慄すべき) のフランス語化であるという((Brind’Amour [1996]))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「アドリア海の近くで、カニのような」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[crustamin]]を[[ヘンリー・C・ロバーツ]]が Crustacea (甲殻類) と英訳していることを踏まえたのだろうが、不適切。  3行目 「それは人の顔と魚の体をしていて」 は、大乗訳の底本に基づく訳としては誤りではない。しかし、それは[[ガランシエール>テオフィル・ド・ガランシエール]]=ロバーツの特異な異文に過ぎないので、現代に支持すべき理由はない。  4行目 「釣針なしでとらえられるだろう」はおそらく不適切。中期フランス語の dehors de は現代の hors de (~を除いて) と同じ意味があり((DMF))、「釣針なしに」はそれを意訳したものだろう。かつては[[エドガー・レオニ]]などもそう訳していたが、[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]といった定評ある研究者たちは、dehors を「(水の)外に」、de を手段を導く前置詞と捉えて「釣り針で水の外に」の意味に訳している。古くは[[エヴリット・ブライラー]]もそう訳していた。  ただし、[[ジャン=ポール・クレベール]]は hors de を一体と捉えて 「(釣り針ではなく) 罠で捕まえる」 の意味としており、現代でも 「釣り針なしに」 の意味に解する論者がいなくなったわけではない。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「アドリア海に注ぐコンカ川近く」((山根 [1988] p.123。以下、この詩の引用は同じページから。)) は[[crustamin]]の訳によっては成立する。  3行目 「人間の顔 水棲の目的をもち」は、確かに fin には「目的」の意味もあるが、前半の人面と対比した姿の描写なのだから、体の終端、つまり「尾」と理解するのが自然だろう。ブランダムール、高田・伊藤、ラメジャラー、シーバースらはいずれもそう読んでいる。  4行目「釣針を用いずにつかまるだろう」は、大乗訳への指摘と重なるので省く。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]はアンブロワーズ・パレの指摘なども引きつつ、古代以来、そのような人魚の目撃例があることを指摘し、古代エジプト、ノルウェー、そして1523年のローマでの目撃例と1531年の「海の司祭」と呼ばれる鱗で被われた怪物の目撃例を紹介した((Garencieres [1672]))。  [[バルタザール・ギノー]]はアドリア海沿岸でそういう怪物が捕獲されることの予言と解釈していた((Guynaud [1712] pp.342-343))  その後、19世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はこの場合の「魚」を教会のシンボルと捉え、イタリアの平原に醜悪な教会 (une affreuse église) が海路やってきて、罠で囚われることの予言と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.225))。  [[アンドレ・ラモン]]は第一次世界大戦後にイタリアが自らに招きいれた海軍などの災難についての予言とした((Lamont [1943] p.222))。  [[セルジュ・ユタン]]は潜水艦についての象徴的な予言の可能性を示していた((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[五島勉]]はデタラメに見える予言ですら当たる例として、1973年4月7日の夕刊フジに掲載されたアラビア西海岸で上半身が魚、下半身が人という奇怪な生物がつかまったという報道を引き合いに出した((五島 [1973] pp.136-139))。 **懐疑的な視点  五島の訳だと3行目が 「それは一匹の奇怪な人魚」((五島 [1973] p.136))となっているが、実際には上に訳出したように人面魚尾という描写があるので、夕刊フジの報道ではまったく逆である。そもそもその報道で引き合いに出された画像は、ルネ・マグリットの作品からの転載と思しきものであり、信憑性に乏しい。  五島の翻訳と解釈の問題点は[[高木彬光]]がつとに指摘しており、「原文を修正してまでの強引きわまるこじつけ的な解釈」((高木 (1974)[1975] p.154))とまで批判されていた。そのためかどうか、ルネ・マグリットからの転載らしき画像は、コペンハーゲンの人魚像にはやばやと差し替えられてしまった((姉妹サイトの「[[『ノストラダムスの大予言』改訂版の変遷を辿る>>http://www.geocities.jp/nostradamuszakkicho/ben/daiyogen.htm]]」参照))。  この差し替えについては、[[志水一夫]]や[[山本弘]]も指摘していたが、中には、この詩がきっかけで目が覚めたとしている論者もいる((入江敦彦「ノストラ万博のパビリオン」『本の雑誌』2013年3月号))。 *同時代的な視点  この詩に関しては、信奉者のガランシエールの指摘は全く妥当なものである。  [[五島勉]]は「ノストラダムスの時代からいままで、人魚が実際につかまったこと ―― 少なくともつかまったと人びとが広く知ったことは、この事件一回しかない」((五島、前掲書、p.138))などと主張していたが、16世紀の瓦版には人魚の出現や捕獲についての噂話など何度も掲載されていた。それらをモデルにしたとして何の不思議もないだろう。  なお、ガランシエールが紹介していた1523年ローマの発見例は、[[ピエール・ブランダムール]]や[[高田勇]]・[[伊藤進]]もパレに依拠する形で紹介している。  [[ロジェ・プレヴォ]]はローマで人面魚身の怪物が見付かった1523年には、イリュリア地方 (バルカン半島のアドリア海沿岸) の海域でも同じような怪物の発見例があることを紹介した((Prévost [1999] p.148))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は1550年にバルト海で捕獲されたと言われる、修道士のような剃髪の人頭をもつ魚身の怪物の例を、コンラドゥス・リュコステネスの著書(厳密にはその1581年の英訳)をもとに紹介した((Lemesurier [2003b]))。  クルストゥメリウムと読んだ場合に地理的に一番近いのは1523年ローマの事例であり、同じテヴェレ川沿いの都市として共通する。他方、クルストゥミウム(コンカ川)と読んだ場合はプレヴォの指摘が近くなり、アドリア海との関連も説明しやすくなる。  ただし、ラメジャラーが指摘したように、執筆時点に近い時期の目撃譚に触発されて書いたと考えることも可能だろうし、モデルを無理にひとつに絞り込む必要はないだろう。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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