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&bold(){太陽の都市} (la cité du Soleil, la cité Solaire) は、ノストラダムスの予言に何度か登場するモチーフ。定説化した見解はなく、同じ都市をさしているのかも判然としないが、実証的な論者たちの見解では、古代に太陽神ヘリオス信仰がさかんだった[[ロードス]]、もしくは太陽に象徴されるキリスト教 (カトリック) の中心都市である[[ローマ]]と解釈されることが多い。
ロードスは紀元前4世紀に建造された太陽神ヘリオスの巨像でかつて知られ、古代の世界七不思議のひとつにも 「ロードスの巨像」 として採り上げられた。古代に関する素養のある人物にとっては、ロードスと 「太陽の都市」 の結びつけは、それほど不自然なものではないだろう。
なお、カンパネッラのユートピア小説に 『太陽の都』 があるが、これは1602年の刊行で、ノストラダムスの死から30年以上あとのことである。
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【画像】 カンパネッラ 『太陽の都』
*登場箇所
[[百詩篇集]]での登場箇所はいずれも la cité Solaire で、残りはすべて la cité du Soleil となっている。何か使い分ける意図があったのかもしれないが、百詩篇集の用例はどちらも行末なので、むしろ単に韻律を整えるための書き換えに過ぎないのかもしれない。
-[[百詩篇第1巻8番]] 「太陽の都市よ、汝は何度囚われと なるのだろうか・・・」
--[[ピエール・ブランダムール]]らはロードスの占領・奪還をモデルと見なし、[[ロジェ・プレヴォ]]らはローマ掠奪をモデルとしている。
-[[百詩篇第5巻81番]] 「太陽の都市で王家の鳥が、七ヶ月前に夜間の前兆を示すだろう・・・」
--[[ジャン=ポール・クレベール]]はロードスの攻囲戦をモデルとし、ロジェ・プレヴォらはローマ掠奪をモデルとしている。
-[[アンリ2世への手紙]]第72節 「・・・マルス主義者たちは太陽の都市、マルタ島、[[ストエカデス諸島>イエール諸島]]から戻されるであろうものを強奪するでしょう・・・」
--有力な解釈はないが、マルタやストエカデスのような地中海の島々と親和的な解釈はロードスの方だろう。
-1553年向けの予兆? 「スッラが太陽の都市に入る 〔にちがいない〕」
--[[ローラン・ヴィデル]]の著書に見られる逸文。
-1555年向けの予兆(『[[予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』第1巻456番) 「かの太陽の都市を惜しむ第二の[[ネプトゥヌス]]が戻り来るだろう・・・」
--[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]はロードスと注記しており、[[ベルナール・シュヴィニャール]]からも支持されている。
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※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
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&bold(){コメントらん}
以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。
- 1章8の太陽の都市は、イオネスク=竹本説の通りでパリだとしても、 5章81はローマと同時に、日のいづる国の都市であり、 太陽神(天照大神)の子孫である天皇陛下の居られる東京を表している! -- とある信奉者 (2013-09-15 22:45:23)
&bold(){太陽の都市} (la cité du Soleil, la cité Solaire) は、ノストラダムスの予言に何度か登場するモチーフ。定説化した見解はなく、同じ都市をさしているのかも判然としないが、実証的な論者たちの見解では、古代に太陽神ヘリオス信仰がさかんだった[[ロードス]]、もしくは太陽に象徴されるキリスト教 (カトリック) の中心都市である[[ローマ]]と解釈されることが多い。
ロードスは紀元前4世紀に建造された太陽神ヘリオスの巨像でかつて知られ、古代の世界七不思議のひとつにも 「ロードスの巨像」 として採り上げられた。古代に関する素養のある人物にとっては、ロードスと 「太陽の都市」 の結びつけは、それほど不自然なものではないだろう。
なお、カンパネッラのユートピア小説に 『太陽の都』 があるが、これは1602年の刊行で、ノストラダムスの死から30年以上あとのことである。
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【画像】 カンパネッラ 『太陽の都』
*登場箇所
[[詩百篇集]]での登場箇所はいずれも la cité Solaire で、残りはすべて la cité du Soleil となっている。何か使い分ける意図があったのかもしれないが、詩百篇集の用例はどちらも行末なので、むしろ単に韻律を整えるための書き換えに過ぎないのかもしれない。
-[[詩百篇第1巻8番]] 「太陽の都市よ、汝は何度囚われと なるのだろうか・・・」
--[[ピエール・ブランダムール]]らはロードスの占領・奪還をモデルと見なし、[[ロジェ・プレヴォ]]らはローマ掠奪をモデルとしている。
-[[詩百篇第5巻81番>百詩篇第5巻81番]] 「太陽の都市で王家の鳥が、七ヶ月前に夜間の前兆を示すだろう・・・」
--[[ジャン=ポール・クレベール]]はロードスの攻囲戦をモデルとし、ロジェ・プレヴォらはローマ掠奪をモデルとしている。
-[[アンリ2世への手紙]]第72節 「・・・マルス主義者たちは太陽の都市、マルタ島、[[ストエカデス諸島>イエール諸島]]から戻されるであろうものを強奪するでしょう・・・」
--有力な解釈はないが、マルタやストエカデスのような地中海の島々と親和的な解釈はロードスの方だろう。
-1553年向けの予兆? 「スッラが太陽の都市に入る 〔にちがいない〕」
--[[ローラン・ヴィデル]]の著書に見られる逸文。
-1555年向けの予兆(『[[予兆集成>Recueil des Presages Prosaiques de M. Michel de Nostredame]]』第1巻456番) 「かの太陽の都市を惜しむ第二の[[ネプトゥヌス]]が戻り来るだろう・・・」
--[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]はロードスと注記しており、[[ベルナール・シュヴィニャール]]からも支持されている。
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以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。
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- 1章8の太陽の都市は、イオネスク=竹本説の通りでパリだとしても、 5章81はローマと同時に、日のいづる国の都市であり、 太陽神(天照大神)の子孫である天皇陛下の居られる東京を表している! -- とある信奉者 (2013-09-15 22:45:23)