さくらももこ

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 &bold(){さくらももこ} (1965年5月8日 - 2018年8月15日) は静岡県出身の漫画家。代表作 『ちびまる子ちゃん』 (単行本全16巻、文庫版全9巻) で第13回講談社漫画賞受賞 (1989年)。アニメ化された同作品のエンディング・テーマ曲 「おどるポンポコリン」 では作詞を手がけ、同曲は日本レコード大賞ポップス・ロック部門を受賞した (1990年)。  エッセイストとしても多くの作品を発表し、『さるのこしかけ』で第27回新風賞を受賞した((以上の経歴は、『まる子だった』文庫版の著者略歴を参照した。))。 #amazon(4086179121) 【画像】 『ちびまる子ちゃん』 1 - 9巻セット (集英社文庫) #amazon(B00D2J4EJY) 【画像】 『ちびまる子ちゃん』 TVアニメコレクションDVD #amazon(B004TUCWB2) 【画像】 『おどるポンポコリン - ちびまる子ちゃん誕生25th version』 (CD) #amazon(4087474208) 【画像】 『さるのこしかけ』 (文庫版) *ノストラダムス関連  代表作 『ちびまる子ちゃん』 のエピソードのひとつである 「[[その50 『まる子 ノストラダムスの予言を気にする』の巻>まる子 ノストラダムスの予言を気にするの巻]]」 は、1970年代半ばの[[最初の日本のノストラダムス・ブーム>1970年代までの日本のノストラダムス現象]]に直面した当時の小学生たちの心理をよく表現した傑作とされている。  この作品は、アレンジする形で『[[ちびまる子ちゃん、ノストラダムスで大さわぎ]]』という絵本にもなった。  こうした作品のモデルになった著者自身のノストラダムス体験については、「ノストラダムスの大予言」(『まる子だった』 単行本1997年、文庫版2005年所収) というエッセイで述べられている。そこでは、当時絶望的な気分になり、クラスメイトの間でも不安に思う児童たちがいたことが語られているが、次第に予言のことを深刻に気にしなくなっていったという((文庫版、pp.187-190))。 #amazon(4087477967) 【画像】 『まる子だった』文庫版カバー  実際に1999年7月を迎えたときに、週刊プレイボーイの取材に対して、さくらももこはこう答えている。  「え?来週、“7の月”でしたっけ? 忘れてました。でも、小学生の頃はホントに死んじゃうと思ってた。あたしがノストラダムスを知ったのはテレビの特番でした。今は忙しくって、ノストラダムスを信じてるヒマがあったら仕事しないと・・・」((『週刊プレイボーイ』1999年7月13日号、p.38))   ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 - 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 -- sumaru (2018-08-27 19:58:08) - ・・・合掌。冥福を祈る・・・ -- とある信奉者 (2018-08-28 08:48:54) #comment
 &bold(){さくらももこ} (1965年5月8日 - 2018年8月15日) は静岡県出身の漫画家。代表作 『ちびまる子ちゃん』 (単行本全16巻、文庫版全9巻) で第13回講談社漫画賞受賞 (1989年)。アニメ化された同作品のエンディング・テーマ曲 「おどるポンポコリン」 では作詞を手がけ、同曲は日本レコード大賞ポップス・ロック部門を受賞した (1990年)。  エッセイストとしても多くの作品を発表し、『さるのこしかけ』で第27回新風賞を受賞した((以上の経歴は、『まる子だった』文庫版の著者略歴を参照した。))。 #amazon(4086179121) 【画像】 『ちびまる子ちゃん』 1 - 9巻セット (集英社文庫) #amazon(B00D2J4EJY) 【画像】 『ちびまる子ちゃん』 TVアニメコレクションDVD #amazon(B004TUCWB2) 【画像】 『おどるポンポコリン - ちびまる子ちゃん誕生25th version』 (CD) #amazon(4087474208) 【画像】 『さるのこしかけ』 (文庫版) *ノストラダムス関連  代表作 『ちびまる子ちゃん』 のエピソードのひとつである 「[[その50 『まる子 ノストラダムスの予言を気にする』の巻>まる子 ノストラダムスの予言を気にするの巻]]」 は、1970年代半ばの[[最初の日本のノストラダムス・ブーム>1970年代までの日本のノストラダムス現象]]に直面した当時の小学生たちの心理をよく表現した傑作とされている。  この作品は、アレンジする形で『[[ちびまる子ちゃん、ノストラダムスで大さわぎ]]』という絵本にもなった。  こうした作品のモデルになった著者自身のノストラダムス体験については、「ノストラダムスの大予言」(『まる子だった』 単行本1997年、文庫版2005年所収) というエッセイで述べられている。そこでは、当時絶望的な気分になり、クラスメイトの間でも不安に思う児童たちがいたことが語られているが、次第に予言のことを深刻に気にしなくなっていったという((文庫版、pp.187-190))。 #amazon(4087477967) 【画像】 『まる子だった』文庫版カバー  実際に1999年7月を迎えたときに、週刊プレイボーイの取材に対して、さくらももこはこう答えている。  「え?来週、“7の月”でしたっけ? 忘れてました。でも、小学生の頃はホントに死んじゃうと思ってた。あたしがノストラダムスを知ったのはテレビの特番でした。今は忙しくって、ノストラダムスを信じてるヒマがあったら仕事しないと・・・」((『週刊プレイボーイ』1999年7月13日号、p.38))   ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。 -- sumaru (2018-08-27 19:58:08) - ・・・合掌。冥福を祈る・・・ -- とある信奉者 (2018-08-28 08:48:54)

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