deffraieur

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 &bold(){deffrayeur} ないし &bold(){deffraieur} は、de(s)frayeur ないし de(s)fraieur の変形または誤植と考えられる。そして、de(s)frayeur / de(s)fraieur は、現代フランス語では défrayeur と綴る。現代ではあまり使われない語であり、『仏和大辞典』にも載っていないが、『新仏和中辞典』には「支払人、立替人」という語義が載っている(動詞形の défrayer はたいていどの辞書にも載っている)。  16世紀でも基本的な語義は変わらない。  DALF では「費用を支払う者」(Celui qui défraie) とだけ書かれており、16世紀のアミヨの文例 「アリスティドは遊興 (jeux) のdesfrayeurだった」 が挙げられている((DALF, T.2, p.589))。DAF もほぼ同じで、アミヨの用例が挙げられているところも同じである((DAF, p.158))。  DMF も「支払いを引き受ける者」(Celui qui prend à charge les dépenses) という、上とほぼ同じ意味が掲げられており、アミヨの用例が挙げられている((DMF, p.193))。  DFE だと「(宴会等の)準備役ないし世話役 ; 旅行で(物資を)供給する者、供給品の費用を負担する者、仲間全ての費用を負担する者」(A Cater, or Steward ; one that in a journey furnishes, and defrayes the provision, and expence of the whole companie.) とやや詳しく定義付けられている。  他方で[[マリニー・ローズ]]が指摘するように、13世紀のフランス語にはdesfroïer(恐怖)という語があった((Rose [2002c] ; DAF))。これの派生形なのだとしたら、「恐れさせる者」の意味になる可能性も存在している。  なお、信奉者の中には[[浅利幸彦]]のように、この deffraieur を聖書的な意味での「贖い」(あがない) と関連付けようとする説もあるが((浅利 [2012]))、聖書における「贖い」は本来、自分や一族が所有していた奴隷や土地を“買い戻す”ことから転じた概念であり、神が贖い主とされるのは、自らの所有物である民を救う存在だからである((『新共同訳 聖書辞典』新教出版社))。これは、赤の他人の費用を負担することとは意味が異なる。ちなみに、フランス語で「贖い」を意味する rédemption には「買い戻し」の意味がきちんと存在している((『新仏和中辞典』))。  また、イエスの磔刑の贖罪としての側面を強調するにしても、上に示したアミヨの用例や同時代の DFE の定義が、旅行・宴会・遊戯などといった皆で楽しむことの費用をおごる意味合いの強いものばかりで、罪業の対価の支払いといった意味合いが見られないことからすれば、不適切であろうと考えられる (このことは動詞形の défrayer が「人の費用を支払う」「立て替える」の意味のほかに、古い用法として「楽しませる」という意味を持つことからも間接的に理解できる)。  要するに日本語訳のうわべだけ見て似ているように見えても、原語のニュアンスには大きな開きが存在しているのではないかと思われる。  もちろん、罪の対価の支払いというような意味合いが当時絶対に存在しなかったとは断言できないが、主要な古語辞典にも載っていない用法を、いったいどういう文献によって知りえたのかが示される必要があるだろう。そういった語学的根拠を何も示さずに、とにかく「贖い」の意味なのだと主張する者がいたとしても、さしあたっては、当時の語法を知らない者がこじつけているだけとして退けておくのが賢明だろう。 *登場箇所 -[[百詩篇第10巻72番]](異文?) ---- #comment
 &bold(){deffrayeur} ないし &bold(){deffraieur} は、de(s)frayeur ないし de(s)fraieur の変形または誤植と考えられる。そして、de(s)frayeur / de(s)fraieur は、現代フランス語では défrayeur と綴る。現代ではあまり使われない語であり、『仏和大辞典』にも載っていないが、『新仏和中辞典』には「支払人、立替人」という語義が載っている(動詞形の défrayer はたいていどの辞書にも載っている)。  16世紀でも基本的な語義は変わらない。  DALF では「費用を支払う者」(Celui qui défraie) とだけ書かれており、16世紀のアミヨの文例 「アリスティドは遊興 (jeux) のdesfrayeurだった」 が挙げられている((DALF, T.2, p.589))。DAF もほぼ同じで、アミヨの用例が挙げられているところも同じである((DAF, p.158))。  DMF も「支払いを引き受ける者」(Celui qui prend à charge les dépenses) という、上とほぼ同じ意味が掲げられており、アミヨの用例が挙げられている((DMF, p.193))。  DFE だと「(宴会等の)準備役ないし世話役 ; 旅行で(物資を)供給する者、供給品の費用を負担する者、仲間全ての費用を負担する者」(A Cater, or Steward ; one that in a journey furnishes, and defrayes the provision, and expence of the whole companie.) とやや詳しく定義付けられている。  他方で[[マリニー・ローズ]]が指摘するように、13世紀のフランス語にはdesfroïer(恐怖)という語があった((Rose [2002c] ; DAF))。これの派生形なのだとしたら、「恐れさせる者」の意味になる可能性も存在している。  なお、信奉者の中には[[浅利幸彦]]のように、この deffraieur を聖書的な意味での「贖い」(あがない) と関連付けようとする説もあるが((浅利 [2012]))、聖書における「贖い」は本来、自分や一族が所有していた奴隷や土地を“買い戻す”ことから転じた概念であり、神が贖い主とされるのは、自らの所有物である民を救う存在だからである((『新共同訳 聖書辞典』新教出版社))。これは、赤の他人の費用を負担することとは意味が異なる。ちなみに、フランス語で「贖い」を意味する rédemption には「買い戻し」の意味がきちんと存在している((『新仏和中辞典』))。  また、イエスの磔刑の贖罪としての側面を強調するにしても、上に示したアミヨの用例や同時代の DFE の定義が、旅行・宴会・遊戯などといった皆で楽しむことの費用をおごる意味合いの強いものばかりで、罪業の対価の支払いといった意味合いが見られないことからすれば、不適切であろうと考えられる (このことは動詞形の défrayer が「人の費用を支払う」「立て替える」の意味のほかに、古い用法として「楽しませる」という意味を持つことからも間接的に理解できる)。  要するに日本語訳のうわべだけ見て似ているように見えても、原語のニュアンスには大きな開きが存在しているのではないかと思われる。  もちろん、罪の対価の支払いというような意味合いが当時絶対に存在しなかったとは断言できないが、主要な古語辞典にも載っていない用法を、いったいどういう文献によって知りえたのかが示される必要があるだろう。そういった語学的根拠を何も示さずに、とにかく「贖い」の意味なのだと主張する者がいたとしても、さしあたっては、当時の語法を知らない者がこじつけているだけとして退けておくのが賢明だろう。 *登場箇所 -[[詩百篇第10巻72番]](異文?) ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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