百詩篇第4巻85番

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[[百詩篇第4巻]]>85番 *原文 Le charbon&sup(){1} blanc du noir sera chassé&sup(){2}, Prisonnier faict mené au tombereau&sup(){3}: More&sup(){4} Chameau&sup(){5} sus&sup(){6} piedz entrelassez&sup(){7}, Lors le [[puisné>puisnay]]&sup(){8} sillera&sup(){9} l’aubereau&sup(){10}. **異文 (1) charbon : Charbon 1672 (2) chassé : chssé 1605, chassez 1611B 1981EB (3) tombereau : tumbereau 1649Ca 1650Le 1668A, Tombreau 1672 (4) More : Moré 1649Ca, Mores 1588-89 1840 (5) Chameau : chameau 1981EB 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1668P 1840 (6) sus : sur 1557B 1867LP 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (7) entrelassez : entrelassé 1588-89 1627 1644 1650Ri 1653 1668, entre lassé 1650Le (8) puisné : puisnay 1557B, puisne 1716 1981EB, puis nay 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (9) sillera : fillera 1588-89 1590Ro 1605 1649Xa 1772Ri, filera 1627 1628 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 (10) l’aubereau : l’auberau 1589PV, l’Aubereau 1672 **校訂  [[エヴリット・ブライラー]]は1行目の charbonを chardon (アザミ) と読み替える可能性を示したが、広く支持されるには至っておらず、当「大事典」としても支持しえない。  [[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]によれば、3行目の entrelassez は entrelacés の綴りの揺れである((Leoni [1961], Lemesurier [2003b]))。また、レオニや[[ジャン=ポール・クレベール]]によれば、4行目の aubereau は hobereau の綴りの揺れである((Leoni [1961], Clébert [2003]))。 *日本語訳 白い炭が黒い炭に追い立てられるだろう。 囚人は死刑囚護送車へ運ばれる。 [[マウレタニア]]のラクダは足に絡みつかれる。 その時、年若き者がチゴハヤブサの瞼を縫うだろう。 **訳について  1行目の「白い炭」「黒い炭」は木炭や石炭を意味したほか、ある種の病気も意味した。後掲の 『同時代的な視点』 の節を参照のこと。  4行目の sillera > siller は現代語の ciller と同じで、中期フランス語では「ハヤブサの瞼を縫う」の意味があった((DMF))。猛禽の瞼を縫うのは光を見て暴れないようにするためで、狩猟用語だという((『ロベール仏和大辞典』の ciller の項))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「石灰が黒炭に追いだされ」((大乗 [1975] p.144。以下、この詩の引用は同じページから。))は、charbon blanc を「石灰」とするのが不適切。後述を参照。  2行目 「彼はこやし車にはこばれて囚人になり」 は使役の動詞の扱いがおかしい。 なお、tombereau は放下車 (後ろに傾けて積荷や土砂をおろす型の荷車) や肥料運搬車の意味もあるので「こやし車」は誤りではないが、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[リチャード・シーバース]]は一致して死刑囚を運ぶ車と理解している。  3行目 「足は黒いラクダにからみ」 の 「黒いラクダ」 は、「マウレタニアの」 を意味する More (Maure) がもともとギリシア語の 「黒い」 に由来することを考慮すれば許容される。実際、[[エドガー・レオニ]]のように、その可能性を指摘する論者はいた。ただし、足には前置詞がついているので、ラクダの足に何かが絡まる (あるいはクレベールのように「足枷をはめられる」)と理解すべきだろう。  4行目 「それで最年少者はより自由を求めて 隼は苦しむだろう」は誤訳。元になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳自体が Then the youngest, shall suffer the Falcon to have more freedom (そして最年少者は隼がより自由になることを許すだろう) という不適切なものだが、大乗訳はその suffer を訳し間違えたのだろう。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「白い炭が黒いやつに放逐され」((山根 [1988] p.172 。以下、この詩の引用は同じページから。))は直訳としては正しいが、黒についても charbonが省略されていると読むべきだろう。  3行目 「ごろつきみたいに両足を縛られ」 は元になった[[エリカ・チータム]]のほぼ直訳だが、More chameau (マウレタニアのラクダ) を意訳しすぎだろう。  4行目 「そのとき最後に生まれた者が鷹を放つだろう」 もチータムの英訳の転訳としては正しいが、sillera の訳として不適切だろう。 *信奉者側の解釈  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、根拠を示さずに白い炭、黒い炭を白い君主、黒い君主と解釈し、その対立に関する詩と捉えた((Garencieres [1672]))。この解釈はのちに[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)によって踏襲されることになるが、ロバーツはなぜかガランシエールのコメントをノストラダムスのコメントとして引用している((Roberts (1947)[1949]))。  その後、20世紀以前にこの詩を解釈したのは[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)のみのようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  トルネ=シャヴィニーは19世紀初頭のフランス復古王朝についてと解釈していた((Torne-Chavigny [1860] p.98))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はフランス革命期のルイ16世の処刑と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.82))。ただし、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の著書では解釈されていない((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006]))。  [[エリカ・チータム]]もルイ16世と解釈し、彼女はcharbonをブルボン (Bourbon)、noir を王 (roi) の[[アナグラム]]と主張し、その解釈を補強した((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。厳密に言えば、charbonと Bourbon はアナグラムの関係になっていないので、彼女の解釈を踏襲した[[ジョン・ホーグ]]は両者の関係を言葉遊び (wordplay) としている((Hogue (1997)[1999]))。  [[スチュワート・ロッブ]](1961年)は、20世紀に石炭ガスが利用されるようになったことの予言と解釈した((Robb [1961] pp.135-136))。  [[ヴライク・イオネスク]](1976年)は「白い炭」を水蒸気と解釈し、前半2行は閉じ込められた中で蒸気を生み出し動かすもの、つまり蒸気機関の予言と解釈した。3行目のラクダも蒸気機関の比喩としたが、それについては行全体をアナグラムとして「蒸気の機械によって打ち立てられた怪物」(Monstre dressé (par) les machines à vapeur) とも読み替えている。4行目のチゴハヤブサは猛禽類のことで、「年若き者」とともに鷲を国章とする19世紀の新興国アメリカ合衆国を指すとした((Ionescu [1976] pp.718-719, Ionescu [1987] pp.194-195))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は錬金術的な詩としたが、その補訂をした[[ボードワン・ボンセルジャン]]は人種間の衝突を描写したものではないかとする解釈に差し替えた((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。 *同時代的な視点  まず、1行目の charbon だが、これは「炭、石炭」という意味のほかに、現代語でも炭疽、脾脱疽といった意味があるが((ロベール仏和大辞典))、当時も同じように炭と病気を意味した。DFEには「炭、悪性の吹き出物、伝染病で痛む箇所」(A coale ; also , a Carbuncle, or Prague-sore) という語義が載っている。  また、charbon blanc (白い炭)についても、DFEではある種の樹から作る木炭 (A kind of coale made of the Crimson, or pricklie, Ceder) とだけ説明されているが、DMFには「伝染しない壊疽性の傷」(plaie gangreneuse non contagieuse) とあり、木炭と傷病の2つの意味があったことが分かる。  なお、charbon という語は[[百詩篇集]]の中では、ここでしか使われていない。  この詩を具体的な史実と結びつけたのは、おそらく[[ロジェ・プレヴォ]]が最初であろう。プレヴォは、1546年から47年にかけての状況と理解した。当時はペスト(黒い炭)が大流行していたが、それに先立ってナポリ病(白い炭)が流行っていた。同じ頃には、異端派の火刑が大々的に行われていた。  さらに、1547年に国王フランソワ1世が没した際には、鷹狩を好んでいた[[王太子アンリ>アンリ2世]]に、ラクダを含む自身が蒐集していた異国の珍獣を遺贈していた((Prévost [1999] p.150))。ラクダはアンリ2世のお気に入りの動物のひとつで((高田・伊藤 [1999] p.280))、1550年のルーアン入市式でも披露された((Prévost [1999] p.150))。  この解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]が支持している((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  プレヴォは「ナポリ病」について詳述していないが、普通それは当時のフランスでの梅毒の異名である((岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』pp.113-114))。梅毒はコロンブスの新大陸到達から間もなく大流行し、最初の50年を経て致死率が下がったというから((岡田、前掲書、p.121))、それと入れ替わりに1540年代半ばのペスト大流行が起こったと見てもおおよその計算は合う。ただし、梅毒が当時「白い炭」と呼ばれていたかどうかについては、当「大事典」はプレヴォ以外の第三者の文献で確認できていない。関連情報にお心当たりの方は、情報をお寄せいただければ幸いである。   ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 産業革命での鉄道の出現や、イタリアの秘密結社“カルボニア党”(炭焼き党員)の出現 (白い石炭というのは存在しないのだから比喩として使われているということがわかるだろう?) そして予言者の母国のルイ18世の”弟”のシャルル10世がアルジェリアに出兵した1830年代などを予言。 -- とある信奉者 (2020-05-03 10:25:07)
[[百詩篇第4巻]]>85番 *原文 Le charbon&sup(){1} blanc du noir sera chassé&sup(){2}, Prisonnier faict mené au tombereau&sup(){3}: More&sup(){4} Chameau&sup(){5} sus&sup(){6} piedz entrelassez&sup(){7}, Lors le [[puisné>puisnay]]&sup(){8} sillera&sup(){9} l’aubereau&sup(){10}. **異文 (1) charbon : Charbon 1672 (2) chassé : chssé 1605, chassez 1611B 1981EB (3) tombereau : tumbereau 1649Ca 1650Le 1668A, Tombreau 1672 (4) More : Moré 1649Ca, Mores 1588-89 1840 (5) Chameau : chameau 1981EB 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1668P 1840 (6) sus : sur 1557B 1867LP 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (7) entrelassez : entrelassé 1588-89 1627 1644 1650Ri 1653 1668, entre lassé 1650Le (8) puisné : puisnay 1557B, puisne 1716 1981EB, puis nay 1627 1644 1650Ri 1653 1665 1840 (9) sillera : fillera 1588-89 1590Ro 1605 1649Xa 1772Ri, filera 1627 1628 1644 1649Ca 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840 (10) l’aubereau : l’auberau 1589PV, l’Aubereau 1672 **校訂  [[エヴリット・ブライラー]]は1行目の charbonを chardon (アザミ) と読み替える可能性を示したが、広く支持されるには至っておらず、当「大事典」としても支持しえない。  [[エドガー・レオニ]]や[[ピーター・ラメジャラー]]によれば、3行目の entrelassez は entrelacés の綴りの揺れである((Leoni [1961], Lemesurier [2003b]))。また、レオニや[[ジャン=ポール・クレベール]]によれば、4行目の aubereau は hobereau の綴りの揺れである((Leoni [1961], Clébert [2003]))。 *日本語訳 白い炭が黒い炭に追い立てられるだろう。 囚人は死刑囚護送車へ運ばれる。 [[マウレタニア]]のラクダは足に絡みつかれる。 その時、年若き者がチゴハヤブサの瞼を縫うだろう。 **訳について  1行目の「白い炭」「黒い炭」は木炭や石炭を意味したほか、ある種の病気も意味した。後掲の 『同時代的な視点』 の節を参照のこと。  4行目の sillera > siller は現代語の ciller と同じで、中期フランス語では「ハヤブサの瞼を縫う」の意味があった((DMF))。猛禽の瞼を縫うのは光を見て暴れないようにするためで、狩猟用語だという((『ロベール仏和大辞典』の ciller の項))。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「石灰が黒炭に追いだされ」((大乗 [1975] p.144。以下、この詩の引用は同じページから。))は、charbon blanc を「石灰」とするのが不適切。後述を参照。  2行目 「彼はこやし車にはこばれて囚人になり」 は使役の動詞の扱いがおかしい。 なお、tombereau は放下車 (後ろに傾けて積荷や土砂をおろす型の荷車) や肥料運搬車の意味もあるので「こやし車」は誤りではないが、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[リチャード・シーバース]]は一致して死刑囚を運ぶ車と理解している。  3行目 「足は黒いラクダにからみ」 の 「黒いラクダ」 は、「マウレタニアの」 を意味する More (Maure) がもともとギリシア語の 「黒い」 に由来することを考慮すれば許容される。実際、[[エドガー・レオニ]]のように、その可能性を指摘する論者はいた。ただし、足には前置詞がついているので、ラクダの足に何かが絡まる (あるいはクレベールのように「足枷をはめられる」)と理解すべきだろう。  4行目 「それで最年少者はより自由を求めて 隼は苦しむだろう」は誤訳。元になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳自体が Then the youngest, shall suffer the Falcon to have more freedom (そして最年少者は隼がより自由になることを許すだろう) という不適切なものだが、大乗訳はその suffer を訳し間違えたのだろう。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「白い炭が黒いやつに放逐され」((山根 [1988] p.172 。以下、この詩の引用は同じページから。))は直訳としては正しいが、黒についても charbonが省略されていると読むべきだろう。  3行目 「ごろつきみたいに両足を縛られ」 は元になった[[エリカ・チータム]]のほぼ直訳だが、More chameau (マウレタニアのラクダ) を意訳しすぎだろう。  4行目 「そのとき最後に生まれた者が鷹を放つだろう」 もチータムの英訳の転訳としては正しいが、sillera の訳として不適切だろう。 *信奉者側の解釈  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、根拠を示さずに白い炭、黒い炭を白い君主、黒い君主と解釈し、その対立に関する詩と捉えた((Garencieres [1672]))。この解釈はのちに[[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)によって踏襲されることになるが、ロバーツはなぜかガランシエールのコメントをノストラダムスのコメントとして引用している((Roberts (1947)[1949]))。  その後、20世紀以前にこの詩を解釈したのは[[アンリ・トルネ=シャヴィニー]](1860年)のみのようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  トルネ=シャヴィニーは19世紀初頭のフランス復古王朝についてと解釈していた((Torne-Chavigny [1860] p.98))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]はフランス革命期のルイ16世の処刑と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.82))。ただし、息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の著書では解釈されていない((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006]))。  [[エリカ・チータム]]もルイ16世と解釈し、彼女はcharbonをブルボン (Bourbon)、noir を王 (roi) の[[アナグラム]]と主張し、その解釈を補強した((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。厳密に言えば、charbonと Bourbon はアナグラムの関係になっていないので、彼女の解釈を踏襲した[[ジョン・ホーグ]]は両者の関係を言葉遊び (wordplay) としている((Hogue (1997)[1999]))。  [[スチュワート・ロッブ]](1961年)は、20世紀に石炭ガスが利用されるようになったことの予言と解釈した((Robb [1961] pp.135-136))。  [[ヴライク・イオネスク]](1976年)は「白い炭」を水蒸気と解釈し、前半2行は閉じ込められた中で蒸気を生み出し動かすもの、つまり蒸気機関の予言と解釈した。3行目のラクダも蒸気機関の比喩としたが、それについては行全体をアナグラムとして「蒸気の機械によって打ち立てられた怪物」(Monstre dressé (par) les machines à vapeur) とも読み替えている。4行目のチゴハヤブサは猛禽類のことで、「年若き者」とともに鷲を国章とする19世紀の新興国アメリカ合衆国を指すとした((Ionescu [1976] pp.718-719, Ionescu [1987] pp.194-195))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は錬金術的な詩としたが、その補訂をした[[ボードワン・ボンセルジャン]]は人種間の衝突を描写したものではないかとする解釈に差し替えた((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。 *同時代的な視点  まず、1行目の charbon だが、これは「炭、石炭」という意味のほかに、現代語でも炭疽、脾脱疽といった意味があるが((ロベール仏和大辞典))、当時も同じように炭と病気を意味した。DFEには「炭、悪性の吹き出物、伝染病で痛む箇所」(A coale ; also , a Carbuncle, or Prague-sore) という語義が載っている。  また、charbon blanc (白い炭)についても、DFEではある種の樹から作る木炭 (A kind of coale made of the Crimson, or pricklie, Ceder) とだけ説明されているが、DMFには「伝染しない壊疽性の傷」(plaie gangreneuse non contagieuse) とあり、木炭と傷病の2つの意味があったことが分かる。  なお、charbon という語は[[百詩篇集]]の中では、ここでしか使われていない。  この詩を具体的な史実と結びつけたのは、おそらく[[ロジェ・プレヴォ]]が最初であろう。プレヴォは、1546年から47年にかけての状況と理解した。当時はペスト(黒い炭)が大流行していたが、それに先立ってナポリ病(白い炭)が流行っていた。同じ頃には、異端派の火刑が大々的に行われていた。  さらに、1547年に国王フランソワ1世が没した際には、鷹狩を好んでいた[[王太子アンリ>アンリ2世]]に、ラクダを含む自身が蒐集していた異国の珍獣を遺贈していた((Prévost [1999] p.150))。ラクダはアンリ2世のお気に入りの動物のひとつで((高田・伊藤 [1999] p.280))、1550年のルーアン入市式でも披露された((Prévost [1999] p.150))。  この解釈は[[ピーター・ラメジャラー]]が支持している((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  プレヴォは「ナポリ病」について詳述していないが、普通それは当時のフランスでの梅毒の異名である((岡田晴恵『感染症は世界史を動かす』pp.113-114))。梅毒はコロンブスの新大陸到達から間もなく大流行し、最初の50年を経て致死率が下がったというから((岡田、前掲書、p.121))、それと入れ替わりに1540年代半ばのペスト大流行が起こったと見てもおおよその計算は合う。ただし、梅毒が当時「白い炭」と呼ばれていたかどうかについては、当「大事典」はプレヴォ以外の第三者の文献で確認できていない。関連情報にお心当たりの方は、情報をお寄せいただければ幸いである。   ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。 ---- &bold(){コメントらん} 以下に投稿されたコメントは&u(){書き込んだ方々の個人的見解であり}、当「大事典」としては、その信頼性などをなんら担保するものではありません。  なお、現在、コメント書き込みフォームは撤去していますので、新規の書き込みはできません。 - 産業革命での鉄道の出現や、イタリアの秘密結社“カルボニア党”(炭焼き党員)の出現 (白い石炭というのは存在しないのだから比喩として使われているということがわかるだろう?) そして予言者の母国のルイ18世の”弟”のシャルル10世がアルジェリアに出兵した1830年代などを予言。 -- とある信奉者 (2020-05-03 10:25:07)

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