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[[百詩篇第3巻]]>69番
*原文
Grand [[exercite>exerciter]]&sup(){1} conduict&sup(){2} par iouuenceau&sup(){3},
Se viendra rendre&sup(){4} aux mains des ennemis:
Mais le viellard&sup(){5} nay&sup(){6} au demi pourceau,
Fera Chalon&sup(){7} & Mascon estre amis.
**異文
(1) exercite : exercice 1589Rg 1597 1600 1605 1610 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1668P 1716
(2) conduict : condut 1600
(3) iouuenceau : iuuenceau 1605 1628 1649Xa, iouuanceau 1627
(4) rendre : rendra 1588Rf 1589Rg
(5) viellard 1555 1650Le 1668A 1840 : vieillart 1557U 1557B 1568 1588Rf 1589Rg 1589PV 1590Ro 1772Ri, vieillard &italic(){T.A.Eds.}
(6) nay : n'ay 1568A 1590Ro
(7) Chalon : Chaalon 1588-89, chalon 1605 1628, Châlon 1627 1649Xa
(注記)1630Maは比較できず
*日本語訳
若人に率いられた大軍勢が、
敵の手に落ちることになるだろう。
だが、半分豚にて生まれた老人が
[[シャロン]]と[[マコン]]を仲良くさせるだろう。
**訳について
3行目は 「半分豚の状態で生まれた」 とも読めるし 「半分豚という場所で生まれた」 とも読める。[[ピエール・ブランダムール]]は前者で理解し、[[高田勇]]・[[伊藤進]]もその読み方を支持していたのだが、[[ピーター・ラメジャラー]]らは後者の読み方を採用している。当「大事典」では、どちらとも読めるような訳し方にしてある。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「訓練された軍隊が若い人をひきい」((大乗 [1975] p.114。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。par を考えれば、どちらがどちらを率いるかは明瞭であろう。
3行目 「しかし老人がなかば豚のようなものを生み」も誤訳。 nay は né と同じく受動態なので、老人が生むと訳すことはできない。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は特に問題はない。
*信奉者側の見解
全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は前半2行を平易、3行目の老人を不明、4行目の地名をシャンパーニュ地方とブルゴーニュ地方の地名などと簡略なコメントをしただけだった((Garencieres [1672]))。
[[エリカ・チータム]]はこの場合の「半分豚」が[[ミラノ]]を指す可能性を指摘しているが、その説については別記する。
[[セルジュ・ユタン]]は「若人」が若い頃のナポレオン・ボナパルトを指している可能性を指摘するにとどまった((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。若い頃のナポレオンとする可能性は[[ジョン・ホーグ]]も指摘していて、ミラノを攻略したときのナポレオンはまだ若かったとした((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[エドガー・レオニ]]は、3行目の「半分豚」を[[ミラノ]]の俗流語源譚と結びつけた。それによれば、ミラノ建設時に半羊半豚の動物が目撃されたことがミラノの名前になったという。
[[ピエール・ブランダムール]]はおそらくレオニのコメントを認識していたはずだが、3行目については謎としていた((Brind'Amour [1996]))。[[高田勇]]・[[伊藤進]]も、[[百詩篇第1巻64番]]と同じく怪物誕生のモチーフだろうが、詳細は不明とした((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]はレオニの説をさらに進め、全体のモチーフは不明としながらも、3行目はミラノ生れの老人のことだろうとした。
ラメジャラーは当時の大ベストセラーであるアンドレーア・アルチャート(アルチャーティ)の 『エンブレーマタ』 (のちの増補版)にもこの俗流語源譚が登場することを指摘した。
「牝羊はビトゥリゲス人のシンボルであり、仔豚はアエドゥイ人のシンボル。
この二つの種族が、わが祖国の起源。
このミラノの国を、乙女たちは聖地と呼んでいた。この古い伝説は、フランス語が立証している。
かつては女神ミネルヴァが崇拝されていたが、今では神格が変わって
聖女テクラが、処女なる母マリアの住処の前に立っている。
羊毛で覆われた豚は、ミラノのシンボル。その動物は二つの姿の混合体である。
ここからは豚の剛毛で、そこからは柔らかな羊毛なのである。」(鈴木繁夫・訳)(([[アンドレーア・アルチャート『エンブレーマタ』>>http://geosk.info/EmblemE_Text/emblemE_text_SSk_AlciatoEmble_Introd.htm]]からリンクされているエンブレム2より引用。))
フランス語云々は、フランス語で mi-laine (ミ・レーヌ、半分の羊毛) と書けば、ミラノとの言葉遊びになることを指すのだろう。ミラノの正しい語源は「平原の中央」の意味だが、当時は俗流語源譚が広く認知されていた傍証といえるのではないだろうか。
そして、実際にノストラダムスは[[予兆詩第27番]]および[[予兆詩第34番]]では「半分の羊毛」でミラノを表現していたので、この場合の「半分豚」もミラノを指している可能性は十分にあるのではないだろうか。
なお、[[エヴリット・ブライラー]]はそれらと全く異なる説を唱えており、「水瓶座生まれの老人」の意味ではないかとした。「pourceau (豚) の半分」とはその綴りの後半 ceau を意味し、発音が seau (バケツ、手桶) と同じことから、水瓶座につながると彼は見たのである((LeVert [1979]))。やや強引な読み方にも思えるが、一つの参考情報として提供しておく。
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- 糖尿病患者に、豚の細胞を移植する治療法が認められるらしいです。 -- ウーテス (2016-05-28 05:13:30)
#comment
[[百詩篇第3巻]]>69番
*原文
Grand [[exercite>exerciter]]&sup(){1} conduict&sup(){2} par iouuenceau&sup(){3},
Se viendra rendre&sup(){4} aux mains des ennemis:
Mais le viellard&sup(){5} nay&sup(){6} au demi pourceau,
Fera Chalon&sup(){7} & Mascon estre amis.
**異文
(1) exercite : exercice 1589Rg 1597 1600 1605 1610 1644 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1668P 1716
(2) conduict : condut 1600
(3) iouuenceau : iuuenceau 1605 1628 1649Xa, iouuanceau 1627
(4) rendre : rendra 1588Rf 1589Rg
(5) viellard 1555 1650Le 1668A 1840 : vieillart 1557U 1557B 1568 1588Rf 1589Rg 1589PV 1590Ro 1772Ri, vieillard &italic(){T.A.Eds.}
(6) nay : n'ay 1568A 1590Ro
(7) Chalon : Chaalon 1588-89, chalon 1605 1628, Châlon 1627 1649Xa
(注記)1630Maは比較できず
*日本語訳
若人に率いられた大軍勢が、
敵の手に落ちることになるだろう。
だが、半分豚にて生まれた老人が
[[シャロン]]と[[マコン]]を仲良くさせるだろう。
**訳について
3行目は 「半分豚の状態で生まれた」 とも読めるし 「半分豚という場所で生まれた」 とも読める。[[ピエール・ブランダムール]]は前者で理解し、[[高田勇]]・[[伊藤進]]もその読み方を支持していたのだが、[[ピーター・ラメジャラー]]らは後者の読み方を採用している。当「大事典」では、どちらとも読めるような訳し方にしてある。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「訓練された軍隊が若い人をひきい」((大乗 [1975] p.114。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。par を考えれば、どちらがどちらを率いるかは明瞭であろう。
3行目 「しかし老人がなかば豚のようなものを生み」も誤訳。 nay は né と同じく受動態なので、老人が生むと訳すことはできない。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は特に問題はない。
*信奉者側の見解
全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]]は前半2行を平易、3行目の老人を不明、4行目の地名をシャンパーニュ地方とブルゴーニュ地方の地名などと簡略なコメントをしただけだった((Garencieres [1672]))。
[[エリカ・チータム]]はこの場合の「半分豚」が[[ミラノ]]を指す可能性を指摘しているが、その説については別記する。
[[セルジュ・ユタン]]は「若人」が若い頃のナポレオン・ボナパルトを指している可能性を指摘するにとどまった((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。若い頃のナポレオンとする可能性は[[ジョン・ホーグ]]も指摘していて、ミラノを攻略したときのナポレオンはまだ若かったとした((Hogue (1997)[1999]))。
*同時代的な視点
[[エドガー・レオニ]]は、3行目の「半分豚」を[[ミラノ]]の俗流語源譚と結びつけた。それによれば、ミラノ建設時に半羊半豚の動物が目撃されたことがミラノの名前になったという。
[[ピエール・ブランダムール]]はおそらくレオニのコメントを認識していたはずだが、3行目については謎としていた((Brind'Amour [1996]))。[[高田勇]]・[[伊藤進]]も、[[百詩篇第1巻64番]]と同じく怪物誕生のモチーフだろうが、詳細は不明とした((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]はレオニの説をさらに進め、全体のモチーフは不明としながらも、3行目はミラノ生れの老人のことだろうとした。
ラメジャラーは当時の大ベストセラーであるアンドレーア・アルチャート(アルチャーティ)の 『エンブレーマタ』 (のちの増補版)にもこの俗流語源譚が登場することを指摘した。
「牝羊はビトゥリゲス人のシンボルであり、仔豚はアエドゥイ人のシンボル。
この二つの種族が、わが祖国の起源。
このミラノの国を、乙女たちは聖地と呼んでいた。この古い伝説は、フランス語が立証している。
かつては女神ミネルヴァが崇拝されていたが、今では神格が変わって
聖女テクラが、処女なる母マリアの住処の前に立っている。
羊毛で覆われた豚は、ミラノのシンボル。その動物は二つの姿の混合体である。
ここからは豚の剛毛で、そこからは柔らかな羊毛なのである。」(鈴木繁夫・訳)(([[アンドレーア・アルチャート『エンブレーマタ』>>http://geosk.info/EmblemE_Text/emblemE_text_SSk_AlciatoEmble_Introd.htm]]からリンクされているエンブレム2より引用。))
フランス語云々は、フランス語で mi-laine (ミ・レーヌ、半分の羊毛) と書けば、ミラノとの言葉遊びになることを指すのだろう。ミラノの正しい語源は「平原の中央」の意味だが、当時は俗流語源譚が広く認知されていた傍証といえるのではないだろうか。
そして、実際にノストラダムスは[[予兆詩第27番]]および[[予兆詩第34番]]では「半分の羊毛」でミラノを表現していたので、この場合の「半分豚」もミラノを指している可能性は十分にあるのではないだろうか。
なお、[[エヴリット・ブライラー]]はそれらと全く異なる説を唱えており、「水瓶座生まれの老人」の意味ではないかとした。「pourceau (豚) の半分」とはその綴りの後半 ceau を意味し、発音が seau (バケツ、手桶) と同じことから、水瓶座につながると彼は見たのである((LeVert [1979]))。やや強引な読み方にも思えるが、一つの参考情報として提供しておく。
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- 糖尿病患者に、豚の細胞を移植する治療法が認められるらしいです。 -- ウーテス (2016-05-28 05:13:30)