詩百篇第9巻59番

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[[詩百篇第9巻]]>59番* *原文 A la Ferté&sup(){1} prendra&sup(){2} la Vidame Nicol tenu&sup(){3} rouge qu'auoit&sup(){4} produit la vie. La grand Loyse&sup(){5} naistra que fera clame&sup(){6}. Donnant Bourgongne&sup(){7} à Bretons par enuie. **異文 (1) Ferté : Ferte 1568X, ferté 1653AB 1665Ba 1720To (2) prendra : se prendra 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1840 1981EB (3) tenu : tene 1653AB 1665Ba 1720To (4) qu'auoit : quauoit 1568X 1672Ga (5) Loyse : loyse 1590Ro, Moyse 1627Di, Loy se 1667Wi 1668 (6) clame : calme 1650Mo, chame 1668 (7) Bourgongne : Bourgon ne 1840 **校訂  3行目 Loyse は Louise と同じ。当時 o と ou が交換可能であったことからすれば、意図的な綴りなのか、単なる揺れなのかは分からない。 *日本語訳 ラ・フェルテでヴィダムを奪うだろう。 生命をうみだしたニコルは赤い衣をまとう。 大いなるルイーズが生まれて、異議を申し立てることになるだろう、 嫉妬によってブルゴーニュをブルターニュ人たちに与えることに。 **訳について  1行目の「ラ・フェルテ」は明らかにラ・フェルテ=ヴィダムのことなので、何らかの言葉遊びがこめられているのかもしれないが、よく分からない。[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]らにならって、そのまま直訳した。なお、一般名詞としての vidame は「司教領守護職、司教代理」の意味である。  2行目後半 (生命を生み出した) は直説法大過去(英語で言う過去完了)で、前半(赤い衣をまとう)は省略があるために時制が分からない。とりあえず現在形で書いたが、前半も過去形で訳すべきかもしれない。  3行目 clame は[[百詩篇集]]ではここにしか出てこない語で、現代語にはない。DALFには「裁判での請求・異議申し立て」(réclamation en justice)とある((DALF, T.II, p.144))。DFEではある種の貢納金や罰金とされている((DFE))。  動詞 clamer が proclamer の意味を持っていたため((DMF))なのか、[[ジャン=ポール・クレベール]]は、fera clame を「宣告するだろう」と釈義している。  4行目 envie の意味は現代と変わらず、当時も「嫉妬」「羨望」などの意味だったが((DMF))、ラメジャラーやシーバースは par envie を「気まぐれで」(on a whim)と英訳している。    既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「ニコールは生命を生みだす赤を思い」((大乗 [1975] p.273。以下、この詩の引用は同じページから。))は、tenir をあえて「思う」と訳す根拠が不明。  それ以外についても、固有名詞の読みを含めて若干の疑問点はあるが、構文理解上はおおむね許容範囲内と思われる。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  3行目 「ひそかに振舞う大いなるルイーズにある者が生まれよう」((山根 [1988] p.303。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。naistra (naîtra) は「生む」ではなく「生まれる」の意味である。なお、「ひそかに」は、かつて[[エドガー・レオニ]]がラテン語との近似によって clame をそのように訳したことが元になっていると思われるが、ラメジャラー、クレベール、シーバースらはいずれもその読みを採用していない。 *信奉者側の見解  全訳本の類でしかコメントされてこなかった詩篇である。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は詩形や vidame の意味について説明しただけだった((Garencieres [1672]))。  [[エリカ・チータム]]は当初一言もコメントをつけていなかったが((Cheetham [1973]))、その日本語版では当時のミッテラン政権時代にニコルという共産主義者が現れる予言とする解釈が付けられていた((チータム [1988]))。チータム自身は後に神話的な非嫡出児に関する予言とコメントした((Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]は未来に現れる大君主に当てはめられるかもしれないと解釈した((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[ジョン・ホーグ]]はニコラ・ド・ロレーヌとその娘ルイーズに関する外れた予言と解釈した((Hogue (1997)[1999]))。 *同時代的な視点 #co(){ Schlosser [1985] p.233 }  [[ピーター・ラメジャラー]]は、ホーグのように、ニコラ・ド・ロレーヌとその娘ルイーズと解釈した。ルイーズは1553年生まれで、のちにヴァロワ朝最後の王アンリ3世に嫁ぐことになる。  史実との一致は不明瞭だが、ルイーズの誕生を踏まえて何らかの見通しを示したものの、それが外れてしまったということだろうか。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。
[[詩百篇第9巻]]>59番* *原文 A la Ferté&sup(){1} prendra&sup(){2} la Vidame Nicol tenu&sup(){3} rouge qu'auoit&sup(){4} produit la vie. La grand Loyse&sup(){5} naistra que fera clame&sup(){6}. Donnant Bourgongne&sup(){7} à Bretons par enuie. **異文 (1) Ferté : Ferte 1568X, ferté 1653AB 1665Ba 1720To (2) prendra : se prendra 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1840 1981EB (3) tenu : tene 1653AB 1665Ba 1720To (4) qu'auoit : quauoit 1568X 1672Ga (5) Loyse : loyse 1590Ro, Moyse 1627Di, Loy se 1667Wi 1668 (6) clame : calme 1650Mo, chame 1668 (7) Bourgongne : Bourgon ne 1840 **校訂  3行目 Loyse は Louise と同じ。当時 o と ou が交換可能であったことからすれば、意図的な綴りなのか、単なる揺れなのかは分からない。 *日本語訳 ラ・フェルテでヴィダムを奪うだろう。 生命をうみだしたニコルは赤い衣をまとう。 大いなるルイーズが生まれて、異議を申し立てることになるだろう、 嫉妬によってブルゴーニュをブルターニュ人たちに与えることに。 **訳について  1行目の「ラ・フェルテ」は明らかにラ・フェルテ=ヴィダムのことなので、何らかの言葉遊びがこめられているのかもしれないが、よく分からない。[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]らにならって、そのまま直訳した。なお、一般名詞としての vidame は「司教領守護職、司教代理」の意味である。  2行目後半 (生命を生み出した) は直説法大過去(英語で言う過去完了)で、前半(赤い衣をまとう)は省略があるために時制が分からない。とりあえず現在形で書いたが、前半も過去形で訳すべきかもしれない。  3行目 clame は[[詩百篇集]]ではここにしか出てこない語で、現代語にはない。DALFには「裁判での請求・異議申し立て」(réclamation en justice)とある((DALF, T.II, p.144))。DFEではある種の貢納金や罰金とされている((DFE))。  動詞 clamer が proclamer の意味を持っていたため((DMF))なのか、[[ジャン=ポール・クレベール]]は、fera clame を「宣告するだろう」と釈義している。  4行目 envie の意味は現代と変わらず、当時も「嫉妬」「羨望」などの意味だったが((DMF))、ラメジャラーやシーバースは par envie を「気まぐれで」(on a whim)と英訳している。    既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「ニコールは生命を生みだす赤を思い」((大乗 [1975] p.273。以下、この詩の引用は同じページから。))は、tenir をあえて「思う」と訳す根拠が不明。  それ以外についても、固有名詞の読みを含めて若干の疑問点はあるが、構文理解上はおおむね許容範囲内と思われる。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  3行目 「ひそかに振舞う大いなるルイーズにある者が生まれよう」((山根 [1988] p.303。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。naistra (naîtra) は「生む」ではなく「生まれる」の意味である。なお、「ひそかに」は、かつて[[エドガー・レオニ]]がラテン語との近似によって clame をそのように訳したことが元になっていると思われるが、ラメジャラー、クレベール、シーバースらはいずれもその読みを採用していない。 *信奉者側の見解  全訳本の類でしかコメントされてこなかった詩篇である。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は詩形や vidame の意味について説明しただけだった((Garencieres [1672]))。  [[エリカ・チータム]]は当初一言もコメントをつけていなかったが((Cheetham [1973]))、その日本語版では当時のミッテラン政権時代にニコルという共産主義者が現れる予言とする解釈が付けられていた((チータム [1988]))。チータム自身は後に神話的な非嫡出児に関する予言とコメントした((Cheetham (1989)[1990]))。  [[セルジュ・ユタン]]は未来に現れる大君主に当てはめられるかもしれないと解釈した((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[ジョン・ホーグ]]はニコラ・ド・ロレーヌとその娘ルイーズに関する外れた予言と解釈した((Hogue (1997)[1999]))。 *同時代的な視点 #co(){ Schlosser [1985] p.233 }  [[ピーター・ラメジャラー]]は、ホーグのように、ニコラ・ド・ロレーヌとその娘ルイーズと解釈した。ルイーズは1553年生まれで、のちにヴァロワ朝最後の王アンリ3世に嫁ぐことになる。  史実との一致は不明瞭だが、ルイーズの誕生を踏まえて何らかの見通しを示したものの、それが外れてしまったということだろうか。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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