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+[[百詩篇第4巻]]>59番
 
+*原文
+Deux assiegés en ardante ferueur&sup(){1},
+De&sup(){2} soif&sup(){3} estainctz pour&sup(){4} deux plaines tasses&sup(){5}:
+Le fort&sup(){6} limé, & vn viellart&sup(){7} resueur,
+Aux&sup(){8} Geneuois&sup(){9} de [[Nira]]&sup(){10} monstra&sup(){11} trasse&sup(){12}.
+
+**異文
+(1) ferueur : fureur 1588-89 1649Ca 1650Le 1668
+(2) De : Ce 1867LP
+(3) soif : soir 1649Ca
+(4) pour : dedans 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1665 1668 1840
+(5) tasses : ttasses [&italic(){sic.}] 1627, Tasses 1672
+(6) fort : forr 1611A
+(7) viellart : vieillard 1557B 1589Me 1589Rg 1605 1611 1627 1628 1630Ma 1644 1649Ca 1649Xa 1650Le 1650Ri 1665 1668P 1672 1840, vieillart 1568B 1568C 1568I 1589PV 1590SJ 1591BR 1597 1610 1772Ri, viellard 1588Rf 1981EB
+(8) Aux : Au 1672
+(9) Geneuois : ganeuois 1590SJ 1649Ca, geneuois 1605 1649Xa, Genenois 1611B, Genois 1672
+(10) Nira : Nizza 1672
+(11) monstra : monstrera 1672
+(12) trasse : trasses 1588Rf 1589Me 1611B 1627 1630Ma 1644 1650Le 1650Ri 1653 1981EB 1665 1668 1840, tasses 1589Rg, trace 1672
+
+(注記)1590Roは比較できず
+
+**校訂
+ 4行目 [[Nira]] は意味不明な語であり、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[ジャン=ポール・クレベール]]は Nizza の誤記と見なし、[[エドガー・レオニ]]は Iura の誤記と見なしている。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]は不明とし、[[リチャード・シーバース]]はレオニ説のみ紹介している (より詳しくは[[Nira]]参照)。
+
+*日本語訳
+灼熱で攻囲された二者は 
+丸二杯分の(水がない)ために渇いて果てる。 
+砦は壊され、老いた夢想家は 
+[[ジュネーヴ]]の人々にニラの道筋を示すだろう。
+
+**訳について
+ ferveur は現代語では「熱意、熱情」などの比喩的な意味での「熱」を指すが、中期フランス語では chaleur (暑さ、熱) の意味があった((DMF))。
+ 2行目 plaines は pleines の綴りの揺れで((DMF))、「満ちた、容器一杯に入れた量の」などの意味。
+ 3行目 limer は「磨きをかける、推敲する」などの意味で、中期フランス語でも同じようなものだったが((DMF, DFE))、古くは「破壊する」(détruire)、「蝕む」(ronger) などの意味があった((DALF, T.4, p.787))。[[ジャン=ポール・クレベール]]が étant rasée (取り壊され) と釈義しており、[[マリニー・ローズ]]も現代語では rasée や detruit に対応すると述べていることから((Clébert [2003], Rose [2002c]))、当「大事典」も、より古い語義を採用した。なお、[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳では stripped down 、[[リチャード・シーバース]]の英訳では sapped である。
+
+ 4行目 [[Nira]] は意味を特定しきれない語だが、有力説を採るならニースかジュラだろう。
+ なお、Genevois について、クレベールは[[百詩篇第2巻64番]]同様、当時の Genevois はジュネーヴの民だけでなくジェノヴァの民も指したことから、後者の意味に理解している。これは[[ロジェ・プレヴォ]]も同じである。
+ trasse は trace と同一視されている。原文の綴りを現代式に直している[[エドガー・レオニ]]は、原文自体を trace としている。DFE で Trasses を引くと、いくつかの語義の後に Trace を見よと注記されており、ノストラダムスの特殊な綴り替えなどではなく、普通の揺れに過ぎないことが窺える。「ニラの道筋」は「ニラからの」の意味にも「ニラに続く」の意味にも理解できる。
+
+ 既存の訳についてコメントしておく。
+ [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
+ 3行目 「老いた愛におぼれた人はとりでにとじ込められ」((大乗 [1975] p.138。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。元になったはずの[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳では The fort being filed, an old doting man((Roberts (1947)[1949] p.130)) となっている。file には「綴じ込みにする」といった意味があるが、砦に閉じ込めるのとは意味が違うし、原語 limer からすれば、file は「磨き上げる、推敲する」の方なのは明らかだろう。また、doting は確かに「愛に溺れる」といった意味があるが、原語 rêveur が英語の dreamer に対応する語であることを考えれば、doting は「耄碌する」の方の意味だろう(それが原詩の本来の意味と一致するかはともかく)。 
+ 4行目 「ニースに向かうジェノアの道をしめす」は誤訳だろう。「ニース」「ジェノア」は、そうなっている底本に基づいたものだし、そうでなくともそう読むべき可能性はクレベールらによって指摘されているので、それ自体は許容される範囲内だろう。しかし、元になったロバーツの英訳が Shall show to the Genoese the way to Nice  (ジェノヴァの民にニースの道を示すだろう) であり、その読みが (底本の違いによる単語の単複の扱いを除くと) 適切な構文理解であろうという点も考慮すれば、大乗訳は明らかにそこから離れている。
+
+ [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]は特に問題はない。
+
+*信奉者側の見解
+ [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は前半2行を平易とした上で、後半については、さる耄碌した老人がジェノヴァの人々に、ニース攻略のための抜け道を案内することを予言していると解釈した((Garencieres [1672]))。
+ その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。
+
+ [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は Nira を Iran と[[アナグラム]]し、それをヒトラーが優越性を主張したアーリア民族と結びつけ (イランはアーリアの転訛したもの)、1930年代後半のヒトラー、ムッソリーニ、ジュネーヴ (国際連盟) についてと解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.157))。後の改訂版(1975年)では、3行目の「老いた夢想家」がペタン元帥と結び付けられた((Fontbrune [1975] pp.132-133))。
+ [[アンドレ・ラモン]](1943年)も、Nira をアーリアとすることまで含めて、フォンブリュヌの当初の解釈を基本線で踏襲した。彼の解釈では、「老いた夢想家」はチェンバレンとされた((Lamont [1943] pp.148-149))。
+ [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](1980年)は父マックスの解釈を改訂し、Nira をイランとすることは変わらないものの、それは1943年に連合国側がイランの首都で開催したテヘラン会議のことと解釈した((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] pp.377-378))。
+
+ [[ヴライク・イオネスク]](1976年)もそうした解釈に近く、Le fort limé を「先鋭化した砦」と理解してヒトラー、vn viellart resueur を「古き時代を夢見る人物」と理解して古代ローマ復活を夢見たムソリーニとして、ナチズムとファシズムの出現と解釈した。なお、イオネスクは Nira をアーリア民族と結び付けており、Nira を Iran とアナグラムするだけでなく、直接的に e が省略された Arien とアナグラムすることも可能であると述べた((Ionescu [1976] pp.491-492))。
+
+ [[エリカ・チータム]](1973年)は (Nira を[[アナグラム]]して) イランのことではないかとするにとどまったが、後の最終版(1989年)では[[前の詩>百詩篇第4巻58番]]の解釈で 「この詩も次の詩も解釈不能」 とコメントしただけで、この詩には一言もコメントしなかった((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。しかし、[[当初の著書の日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]](1988年)では、イラン情勢についてで、「老いた夢想家」はイラン革命を実現したホメイニではないかとする解釈が (日本語版監修者らによって) 追加された((チータム [1988]))。
+
+ [[セルジュ・ユタン]](1978年)は、サント=マルグリット島におけるバゼーヌ元帥(普仏戦争で大敗した軍人)のことではないかとしていた((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。
+
+*同時代的な視点
+ [[Nira]]をIura (Jura) の誤植と考える[[エドガー・レオニ]]は、カルヴァン派に関係する詩篇ではないかとしていた((Leoni [1961]))。
+
+ [[ロジェ・プレヴォ]]は、1544年のニース攻囲がモデルになっていると解釈した (ゆえに、プレヴォは明言していないが、[[Nira]] を Niça や Nizza と理解したのだろう)。
+ その攻囲では、フランス軍がオスマン帝国のバルバロス・ハイレッディン(バルバロッサ)の艦隊と共同作戦を取ったが、そのときバルバロスはかなりの高齢だった (プレヴォは約80歳とし、ラメジャラーもそれをそのまま踏襲しているが、1483年頃とする説((『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』))に従うなら、そこまでの年齢ではなかっただろう)。この攻囲戦の時にフランス側の司令官だったのが[[ラ・ガルド男爵]]で、彼はニースが属していたサヴォワ公国側の休戦交渉使節2名に、フランスへの帰順を説得したが、不調に終わっていた。
+ プレヴォは3行目の Le fort limé の読み方を明示していないが、パオーロ・シメオーニが死守した城砦だけは陥落させきれなかった史実((レーン・プール『バルバリア海賊盛衰記』p.111))に引き付けているので、「壊される」ではなく「磨かれる」などの意味に理解しているのかもしれない。
+ プレヴォは4行目を、1558年にトルコ艦隊がイタリア沿岸に来寇した際に、ジェノヴァが同じ道、つまり抗戦を選択したことと結びつけた((Prévost [1999] p.82))。
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+ [[ピーター・ラメジャラー]]はプレヴォの解釈を踏襲したが、最後の部分は支持しなかった(ただし、特に4行目の解釈には触れていない)((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
+ 実際のところ、この詩の初出は1557年のことであり、1558年の出来事をモデルにしたと考えるのは無理があるだろう。
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+ この詩の読み方は結局、[[Nira]]をどう読むかに左右される。
+ ジュラと読むのなら、そこのカトリック系住民とジュネーヴ(カルヴァン派)に関わる詩篇と読むのが妥当だろうし、ニースと読むのなら、1544年のニース攻囲戦と結びつけるのが説得的だろう。
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