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[[百詩篇第3巻]]>19番
*原文
En Luques&sup(){1} sang & laict viendra plouuoir&sup(){2}:
Vn peu deuant changement de preteur&sup(){3},
Grand peste & guerre&sup(){4}, faim&sup(){5} & soif fera voyr
Loing, ou&sup(){6} mourra leur prince&sup(){7} recteur&sup(){8}.
**異文
(1) Luques : luques 1557B 1627 1630Ma
(2) plouuoir : pleuuoir 1590Ro 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672
(3) preteur : pretenu 1627, Preteur 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1672 1772Ri
(4) peste & guerre : Peste & Guerre 1672
(5) faim : Faim 1672
(6) ou : où 1568C 1568I 1591BR 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1772Ri 1981EB
(7) prince : Prince 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1605 1611 1628 1644 1649Xa 1653 1665 1672 1716 1772Ri 1981EB
(8) recteur : & grand recteur 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668, & recteur 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1650Ri, & Recteur 1644 1653 1665 1716, Recteur 1672
(注記)1588-89は第1巻61番に差し替えられており、不収録。
**校訂
4行目 ou は où になっているべき。異論は見られない。
4行目は明らかに2音節足りない。[[ピエール・ブランダムール]]は、leur prince recteur を 異文に従って leur prince & grand recteur と校訂した。彼の校訂の根拠は『[[1566年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M. D. LXVI.]]』に出てきたラテン語表現 ex parte regum & magnorum rectorum との類似性による((Brind'Amour [1996]))。
[[ブリューノ・プテ=ジラール]]はそれに従っているが、prince を Prince と大文字で書き始めている。[[リチャード・シーバース]]はプテ=ジラールのものをそのまま踏襲している。
*日本語訳
[[ルッカ]]で血と乳が雨下するようになるだろう、
法務官交代の少し前に。
(その雨は)大規模なペストと戦争、飢えと渇きを目撃させるだろう、
彼らの君主でもある偉大な指導者が死ぬであろう遠い場所で。
**訳について
1行目「雨下する」は「雨のように降り注ぐ」意味((『大辞泉』、『新漢語林』ほか))。それほど一般的な熟語ではないかもしれないが、原語 pleuvoir が1語で「雨のように降る」の意味を持つので、冗長になり過ぎないようにそれを表現するために、この語を選んだ。
2行目「法務官」の原語 préteur は、古代ローマのプラエトル (praetor, 法務官) を意味する。プラエトルはローマの裁判だけでなく、いくつかの属州ではその統治を担った時期もある。そのため、ここでは「地方長官」とも訳しうるのかもしれないが、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳に従い、一般的な訳語を採用した。
4行目は[[ピエール・ブランダムール]]の校訂の結果を踏まえて訳している。recteur は現代では大学の学長などの意味だが、語源の rector はより一般的な 「支配者、指導者」 の意味であり、ブランダムールの釈義ではそちらが採られている。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1 行目 「ルカで血と乳の雨があり」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は、viendra が訳に反映されていない。viendra は一般的には「来るだろう」の意味だが、ここでは「~になるだろう」の意味。
2行目「執政官が帰るすこしまえに」は誤訳。「執政官」は意訳の範囲として問題ないだろうが、「帰る」は意味不明。「変わる」「替わる」などの誤植だろうか。
3行目「大疫病 戦い そして飢えとかわきがみられる」は fera が訳に反映されていない。この場合の fera は使役なので、fera voir は「見させるだろう」の意味で、実際、高田・伊藤訳でも使役として訳されている。
4行目「かれらの王と指導者が死ぬところには」は、(指導者に grand にあたる形容詞が付いていないのは底本の違いによるものなので棚上げするとしても)、loin (遠くに) を訳に反映していない点が不適切。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
3行目 「凄まじい疫病 戦争 飢饉 旱魃が見舞うだろう」((山根 [1988] p.122。以下、この詩の引用は同じページから。))に使役の意味合いが含まれていないことの問題点は、大乗訳について指摘した通り。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ルッカで行政官が交代するときに、ペストの大流行などの災厄に見舞われる詩で、血と乳の雨は以前から記録されてきたものであって、信じられない現象ではないと説明した((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は1行目の Lucques をイタリアの[[ルッカ]]のことではなく、スペイン、コルドバ州のルケ (Luque) のこととした上で1930年代のスペイン内乱と解釈し、当時亡命していた元国王アルフォンソ13世はそのまま祖国に戻ることなく没するとした((Fontbrune (1938)[1939] p.162))。[[アンドレ・ラモン]](1943年)は、この解釈を踏襲した((Lamont [1943] p.156))。
アルフォンソは実際に亡命先のローマで没することになるので、少なくとも部分的には的中しているが、フォンブリュヌの改訂版(1975年)のスペイン内乱関係の解釈部分では、この詩への言及が削られている((Fontbrune [1975] pp.168-169))。また、息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の解釈書ではまったく触れられていない((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006], Fontbrune [2009]))。
[[エリカ・チータム]](1973年)は特定の事件と結び付けていなかったが、後の著書では、血と乳の雨は血液と精液の隠喩で、エイズの流行と結びつける論者たちがいることを紹介していた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。
[[セルジュ・ユタン]]は、フランス革命期から第一帝政期にかけてフランス軍がイタリアに侵攻したことと解釈した。4行目はナポレオンが流刑地で没したことを指すという((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
血と乳の雨が、後に起こる飢えや戦争を予告する凶兆として降るというモチーフであろうことは明らかであろう。
[[高田勇]]・[[伊藤進]]は、血の雨や乳の雨が古典古代からよく知られたモチーフであることを指摘し、ノストラダムスと同時代では、ピエール・ボエスチュオーが1555年にフリブール周辺で降った血の雨について記録していることにも言及した((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は[[直前の詩>百詩篇第3巻18番]]と同様に、ユリウス・オブセクエンスの著書に古代ローマの乳の雨の記録が多く登場することを指摘した((Lemesurier [2010]))。2003年の時点では、それと『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれたイタリア侵攻の予言とを重ね合わせていたが、2010年にはオブセクエンスのみについて触れるにとどまった。
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#comment
[[百詩篇第3巻]]>19番
*原文
En Luques&sup(){1} sang & laict viendra plouuoir&sup(){2}:
Vn peu deuant changement de preteur&sup(){3},
Grand peste & guerre&sup(){4}, faim&sup(){5} & soif fera voyr
Loing, ou&sup(){6} mourra leur prince&sup(){7} recteur&sup(){8}.
**異文
(1) Luques : luques 1557B 1627 1630Ma
(2) plouuoir : pleuuoir 1590Ro 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668 1672
(3) preteur : pretenu 1627, Preteur 1649Xa 1650Ri 1653 1665 1672 1772Ri
(4) peste & guerre : Peste & Guerre 1672
(5) faim : Faim 1672
(6) ou : où 1568C 1568I 1591BR 1597 1600 1610 1611 1627 1644 1650Ri 1772Ri 1981EB
(7) prince : Prince 1568B 1568C 1568I 1591BR 1597 1605 1611 1628 1644 1649Xa 1653 1665 1672 1716 1772Ri 1981EB
(8) recteur : & grand recteur 1589PV 1590SJ 1649Ca 1650Le 1668, & recteur 1597 1600 1610 1627 1630Ma 1650Ri, & Recteur 1644 1653 1665 1716, Recteur 1672
(注記)1588-89は第1巻61番に差し替えられており、不収録。
**校訂
4行目 ou は où になっているべき。異論は見られない。
4行目は明らかに2音節足りない。[[ピエール・ブランダムール]]は、leur prince recteur を 異文に従って leur prince & grand recteur と校訂した。彼の校訂の根拠は『[[1566年向けの暦>ALMANACH POVR L'AN M. D. LXVI.]]』に出てきたラテン語表現 ex parte regum & magnorum rectorum との類似性による((Brind'Amour [1996]))。
[[ブリューノ・プテ=ジラール]]はそれに従っているが、prince を Prince と大文字で書き始めている。[[リチャード・シーバース]]はプテ=ジラールのものをそのまま踏襲している。
*日本語訳
[[ルッカ]]で血と乳が雨下するようになるだろう、
法務官交代の少し前に。
(その雨は)大規模な[[悪疫]]と戦争、飢えと渇きを目撃させるだろう、
彼らの君主でもある偉大な指導者が死ぬであろう遠い場所で。
**訳について
1行目「雨下する」は「雨のように降り注ぐ」意味((『大辞泉』、『新漢語林』ほか))。それほど一般的な熟語ではないかもしれないが、原語 pleuvoir が1語で「雨のように降る」の意味を持つので、冗長になり過ぎないようにそれを表現するために、この語を選んだ。
2行目「法務官」の原語 préteur は、古代ローマのプラエトル (praetor, 法務官) を意味する。プラエトルはローマの裁判だけでなく、いくつかの属州ではその統治を担った時期もある。そのため、ここでは「地方長官」とも訳しうるのかもしれないが、[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳に従い、一般的な訳語を採用した。
4行目は[[ピエール・ブランダムール]]の校訂の結果を踏まえて訳している。recteur は現代では大学の学長などの意味だが、語源の rector はより一般的な 「支配者、指導者」 の意味であり、ブランダムールの釈義ではそちらが採られている。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1 行目 「ルカで血と乳の雨があり」((大乗 [1975] p.102。以下、この詩の引用は同じページから。))は、viendra が訳に反映されていない。viendra は一般的には「来るだろう」の意味だが、ここでは「~になるだろう」の意味。
2行目「執政官が帰るすこしまえに」は誤訳。「執政官」は意訳の範囲として問題ないだろうが、「帰る」は意味不明。「変わる」「替わる」などの誤植だろうか。
3行目「大疫病 戦い そして飢えとかわきがみられる」は fera が訳に反映されていない。この場合の fera は使役なので、fera voir は「見させるだろう」の意味で、実際、高田・伊藤訳でも使役として訳されている。
4行目「かれらの王と指導者が死ぬところには」は、(指導者に grand にあたる形容詞が付いていないのは底本の違いによるものなので棚上げするとしても)、loin (遠くに) を訳に反映していない点が不適切。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
3行目 「凄まじい疫病 戦争 飢饉 旱魃が見舞うだろう」((山根 [1988] p.122。以下、この詩の引用は同じページから。))に使役の意味合いが含まれていないことの問題点は、大乗訳について指摘した通り。
*信奉者側の見解
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、ルッカで行政官が交代するときに、ペストの大流行などの災厄に見舞われる詩で、血と乳の雨は以前から記録されてきたものであって、信じられない現象ではないと説明した((Garencieres [1672]))。
その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。
[[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は1行目の Lucques をイタリアの[[ルッカ]]のことではなく、スペイン、コルドバ州のルケ (Luque) のこととした上で1930年代のスペイン内乱と解釈し、当時亡命していた元国王アルフォンソ13世はそのまま祖国に戻ることなく没するとした((Fontbrune (1938)[1939] p.162))。[[アンドレ・ラモン]](1943年)は、この解釈を踏襲した((Lamont [1943] p.156))。
アルフォンソは実際に亡命先のローマで没することになるので、少なくとも部分的には的中しているが、フォンブリュヌの改訂版(1975年)のスペイン内乱関係の解釈部分では、この詩への言及が削られている((Fontbrune [1975] pp.168-169))。また、息子[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の解釈書ではまったく触れられていない((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006], Fontbrune [2009]))。
[[エリカ・チータム]](1973年)は特定の事件と結び付けていなかったが、後の著書では、血と乳の雨は血液と精液の隠喩で、エイズの流行と結びつける論者たちがいることを紹介していた((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。
[[セルジュ・ユタン]]は、フランス革命期から第一帝政期にかけてフランス軍がイタリアに侵攻したことと解釈した。4行目はナポレオンが流刑地で没したことを指すという((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。
*同時代的な視点
血と乳の雨が、後に起こる飢えや戦争を予告する凶兆として降るというモチーフであろうことは明らかであろう。
[[高田勇]]・[[伊藤進]]は、血の雨や乳の雨が古典古代からよく知られたモチーフであることを指摘し、ノストラダムスと同時代では、ピエール・ボエスチュオーが1555年にフリブール周辺で降った血の雨について記録していることにも言及した((高田・伊藤 [1999]))。
[[ピーター・ラメジャラー]]は[[直前の詩>百詩篇第3巻18番]]と同様に、ユリウス・オブセクエンスの著書に古代ローマの乳の雨の記録が多く登場することを指摘した((Lemesurier [2010]))。2003年の時点では、それと『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれたイタリア侵攻の予言とを重ね合わせていたが、2010年にはオブセクエンスのみについて触れるにとどまった。
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