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  『&bold(){新約聖書}』はキリスト教の教典。正典は西暦1世紀半ばから2世紀にかけて作成された27の文書によって構成されている。
 
 *成立
  個々の文書のうち、最も早い時期に属するパウロ書簡(第一テサロニケ書)は西暦50年前後に書かれたと考えられているが、もともとの聖書(現在のキリスト教徒が言うところの旧約聖書)に対し、キリスト教徒が独自の聖典をまとめようとする動きは鈍かった。
 
  それを促した大きな契機がマルキオン聖書であった。マルキオンは現在では異端とされているが、彼は独自の基準によって、ルカ福音書と一部のパウロ書簡のみをまとめた「聖書」を2世紀半ばに作成したのである。これは異端として排除されたが、正統派も何らかの基準で正典を作成すべき必要が徐々に認識されていくようになったのである。
 
  しかしながら、現在の27文書を正典とすることが最終的に認められたのはようやく4世紀末になってのことであった((以上の流れは、ボルンカム『新約聖書』、加藤隆『新約聖書の誕生』、田川建三『書物としての新約聖書』、秋山憲兄『新共同訳 聖書辞典』などを参照した。))。
 
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 【画像】 田川建三 『書物としての新約聖書』
 
 *構成
  『新約聖書』の構成は以下のように大別できる((以下の概要は、田川建三『書物としての新約聖書』、フランシスコ会聖書研究所『聖書』、秋山憲兄『新共同訳 聖書辞典』、岩波書店新約聖書翻訳委員会『新約聖書』全5巻などから情報を取捨選択した。それ以外の文献を利用した時は適宜断っている。))。成立年代などはリベラル派の聖書研究に依拠しているので、保守的な聖書学者の見解とは一致しない箇所も少なくないことをあらかじめお断りしておく。
 
 **福音書
  マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネによる4つの福音書が含まれている。最初の3つは共観福音書と呼ばれ、重なり合う要素も多いが、それぞれの視点で編集されている。
  かつて最も評価されていたのはマタイであったが、19世紀以降の聖書学の発展の結果、マタイやルカの縮約版と過小評価されていたマルコ福音書が最古の聖書であることはほぼ確定している。その年代は西暦65年頃から70年代のいずれかに置かれるのが一般的だが、田川建三のように50年代にまで遡れる可能性を指摘する者もいる。
 
  マタイ福音書とルカ福音書はマルコ福音書のほか、共通する別伝承に依拠したことが確実視されており、その共通する別伝承は一般にQ資料と仮称されている。マタイ、ルカとも、それぞれ独立におおむね80年代にまとめられたと見なされている。
 
  ヨハネ福音書は西暦90年から125年までに作成されたと考えられており、福音書中で最も成立が遅く、しかも他の福音書と比べて思想上も相違が見られる。現存するヨハネ福音書は原著者とは別人によって大きく加筆されているとされ、ギリシア語本文にも明確な差が認められるという。この別人による改訂は、原著者と同じ思想的立場によると想定されることがしばしばだが、田川のように、原著者の思想が当時の主流派の思想と大きく異なるために、主流派の側に組み込むことを目的にしてなされたと推測する者もいる((田川建三『新約聖書 訳と註・第五巻』))。
 
 **使徒行伝
  使徒行伝(使徒言行録、使徒のはたらき)は、福音書に続いて収録されている文書であり、四福音書とまとめて新約聖書の中での「歴史書」と分類されることもある。
  その内容は、イエスの昇天と復活のあとの使徒たちの宣教をまとめたものであり、著者がルカ福音書の著者と同一であることはほぼ確実である。成立は田川が西暦70年から80年頃、荒井献(岩波翻訳委員会)が80年代後半から90年代前半と見積もっている。
 
 **パウロ書簡、擬似パウロ書簡
  パウロはもともとキリスト教徒を弾圧していたが、ある時に復活のキリストの声を聞いたことから回心し、熱心なキリスト教徒となった。新約聖書にはそのパウロが折に触れて書いた様々な書簡が収録されている。
 
  全部で13通あるが、現在までの研究の結果、その中にはパウロに仮託して別人が執筆した書簡も少なからず含まれていることが確実視されている。これを第二パウロ書簡とか、擬似パウロ書簡と呼ぶが、ヘブライ書のみはかなり異質とされ、第二パウロ書簡にも含めないことが多い。
  確実に真正パウロ書簡と認められているのは以下のものである。最も早いと考えられている第一テサロニケ書が西暦50年前後の成立で、それ以外の書簡も遅いものでも50年代後半から60年代前半までには成立していたものと考えられている。
 -ローマ書 (ローマの信徒への手紙)
 -第一コリント書 (コリントの信徒への手紙一)
 -第二コリント書 (コリントの信徒への手紙二)
 -ガラテヤ書 (ガラテヤの信徒への手紙)
 -フィリピ (フィリピの信徒への手紙)
 -第一テサロニケ書 (テサロニケの信徒への手紙一)
 -フィレモン書 (フィレモンへの手紙)
 
  以下は擬似パウロ書簡だが、中には第二テサロニケ書やコロサイ書などのように、かなり見解の分かれるものもある。ここではとりあえず、ギュンター・ボルンカム、岩波新約聖書翻訳委員会、田川建三が共通して擬似パウロ書簡としているものを挙げる。これらの推測成立時期は論者による推測の幅が大きい。真正書簡と考える論者が他の真正書簡と同じ時期に位置づけようとするのは勿論だが、擬似パウロ書簡に位置づける者にも、2世紀に入るか入らないかという時期にはあらかた成立していたと見る保坂高殿(岩波翻訳委員会)のような立場もあるし、牧会書簡(テモテ2通とテトス)を2世紀後半と見る田川のような立場もある。
 -コロサイ書 (コロサイの信徒への手紙)
 -エフェソ書 (エフェソの信徒への手紙)
 -第二テサロニケ書 (テサロニケの信徒への手紙二)
 -第一テモテ書 (テモテへの手紙一)
 -第二テモテ書 (テモテへの手紙二)
 -テトス書 (テトスへの手紙)
 
  このほか、前述のようにヘブライ書 (ヘブライ人への手紙) も伝統的にはパウロの書簡と位置づけられてきたが、批判的な意見が強い。パウロ本人の手になるものではないと見る論者たちは、パウロの死後、遅くとも90年代までには成立していたと考えている。
 
 **その他の書簡
  聖書には、他にもいくつもの書簡が収められているが、それは一般に「公同書簡」と総称される。特定の教会に宛てたものではなく、広く一般信徒に読まれることを想定しているからで、おおむね1世紀末から2世紀前半にかけて成立した書簡である。イエスの兄弟であるヤコブとユダ、使徒であるペトロとヨハネの名を冠しているが、リベラル派の聖書研究ではほとんど(もしくは全て)が偽名書簡とされる。
 -ヤコブ書 (ヤコブの手紙)
 -第一ペトロ書 (ペトロの手紙一)
 -第二ペトロ書 (ペトロの手紙二)
 -第一ヨハネ書 (ヨハネの手紙一)
 -第二ヨハネ書 (ヨハネの手紙二)
 -第三ヨハネ書 (ヨハネの手紙三)
 -ヤコブ書 (ヤコブの手紙)
 -ユダ書 (ユダの手紙)
 
 **黙示録
  『新約聖書』の巻末に置かれているのが『ヨハネの黙示録』である。西暦90年代頃に成立したと見なされている黙示文学であり、伝説的には使徒ヨハネの著書と見なされてきたが、古くから批判も根強かった。このヨハネは福音書を書いた著者とも、手紙を書いた長老ヨハネとも異なる人物であろうと推測されており、パウロの権威を持ち出した第二パウロ書簡などと異なり、自らの名で啓示を記した点にも特徴がある。
 
  その終末論的ビジョンは、古来多くの亜流となる黙示文学や解釈を生み出してきた。この文書は正典に入れるかどうかでも大いに揉めてきた歴史を持っている。
 
 *校訂と翻訳
  新約聖書の原典はギリシア語で書かれている。もちろん、収録されている27文書のいずれについても原本は見つかっていない。その結果、4世紀以降の様々な写本 (ごくわずかな断片なら西暦125年ごろのヨハネ福音書の断片など、より古いものも確認されている) を校合して原文を確定させる必要が出てくる。
  そうした校訂版の中で最も評価が高いのが、主要な異読を網羅する形でアパラトゥス (異読を記した欄外註) を充実させているネストレ版 (ネストレ=アーラント版)である((田川『書物としての新約聖書』p.400-))。
 
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 【画像】 ネストレ=アーラント28版のうち、比較的評価の高い NRSV と REB という二つの英訳が併録されている版。
 
 
  聖書の翻訳は世界中で刊行されており、英語版に限っても欽定訳をはじめ夥しい数が存在している。英語版では改訂標準訳 (Revised Standard Version, RSV) の評価が高く、田川建三は「古今東西の最高の聖書翻訳の一つ」とまで評している((田川『書物としての新約聖書』p.574))。フランス語訳ではエルサレム聖書(エルサレム聖書学院主宰のフランス語訳聖書)について、田川は「聖書翻訳史上、最高の貢献の一つとして今後長く評価され続けることになろう」((田川『書物としての新約聖書』p.532))と述べている。
 
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 【画像】 エルサレム聖書(ポケット社版、2002年)。旧約・新約両方が収録されているが、最大の特色である本文の註は割愛されている。
 
  日本語訳も当然多い。
  最も多く流布しているのは日本聖書協会のものであろう。同協会は(前身の団体のものも含めると)明治にいわゆる明治訳、大正時代にいわゆる大正改訳(現在「文語訳」として知られるもの。新約のみで旧約は明治訳のまま)を刊行し、1954年から1955年にかけて口語訳、1978年に共同訳(新約のみ)、1987年に新共同訳を刊行してきた。同協会の公式サイトによると、新共同訳は「日本の教会やキリスト教主義学校で使用されている聖書の八割を占める」(([[日本聖書協会とは>>http://www.bible.or.jp/soc/soc01.html]]))という。
  田川建三は口語訳と新共同訳を比較して、こう述べている。「原典の意味をなるべく正確に理解するという目的のためには、口語訳の方が新共同訳よりもすぐれている。六分四分か、あるいはもっと口語訳の方がすぐれていると言える。しかし、新共同訳の方がすぐれている点も多いから、両者を比べて用いるのがよい、ということになろう」((田川『書物としての新約聖書』p.489))。
 
  しかし、田川が日本聖書協会(および母体となったイギリスの聖書協会)の問題点として挙げているのが、註の欠如である。聖書は原文の確定自体に議論があり、その選定に宗派ごとの立場も影響する。翻訳においても同様であり、たったひとつの確定した読みを提示することなど不可能な箇所も少なくないし、また、原典に忠実に訳した場合に註釈なしには理解が著しく困難になる箇所もある。
- ゆえに田川はすぐれた聖書の翻訳とは註が充実したものとして、自身 『新約聖書 訳と註』 シリーズを2007年から刊行し始めている(2017年に完結)。このほか、註の充実した聖書としてはフランシスコ会聖書研究所のものがあり、これは田川も高く評価している。
- 日本聖書協会は2010年以降、新たな註釈つきの共同訳の刊行を計画しており、分冊のパイロット版の販売が行われた。それに寄せられた意見を元にして、新訳の公刊準備が進められている。
- なお、新共同訳には教派的な視点からの批判もあり、福音主義に忠実な立場の専門家たちによって、新改訳聖書(日本聖書刊行会)が出版されている(2003年に第三版、2017年に新改訳2017が発刊)。
+ ゆえに田川はすぐれた聖書の翻訳とは註が充実したものとして、自身 『&bold(){新約聖書 訳と註}』 シリーズを2007年から刊行し始め、2017年に完結させた(2018年に訳のみを集めた「本文の訳」も刊行)。このほか、註の充実した聖書としてはフランシスコ会聖書研究所のものがあり、これは田川も高く評価している。
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+ 日本聖書協会は2010年以降、新たな註釈つきの共同訳の刊行を計画しており、分冊のパイロット版の販売が行われた。それに寄せられた意見を元にして、2018年12月に&bold(){聖書協会共同訳}が公刊された。
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+【画像】 『聖書(旧約聖書続編付き) 聖書協会共同訳』
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+ なお、新共同訳には教派的な視点からの批判もあり、福音主義に忠実な立場の専門家たちによって、新改訳聖書(日本聖書刊行会)が出版されている(2003年に第三版、2017年に&bold(){新改訳2017}が発刊)。
 
  註つきの新約聖書ということでは、岩波書店が新約聖書翻訳委員会による『新約聖書』全5巻(1995年 - 1996年、のち合冊版2004年)を刊行している。自身が同委員会に参加した大貫隆はこれを学術的に重要なものとし、「最新の研究を踏まえた訳注が付されており、自主的な聖書研究に最適」と述べている((大貫『聖書の読み方』p.156))。
  他方で、各文書を担当した訳者ごとの力量差が大きいという田川建三の指摘もある((田川『新約聖書 訳と註・第三巻』p.568))。また、委員会の中心メンバーである荒井献訳の使徒行伝については、土岐健治が誤訳を指摘した論文を公表している((「荒井献訳『使徒行伝』について」『言語文化』第45号、2008年))。
 
  以上のようにギリシア語原典自体、その原文の確定には数え切れない議論があり、立場を問わず共有された正しい原文など存在しない。その原文について、語学的あるいは教派的な立場から様々な翻訳がありうるのだから、特定の訳を無批判に利用するのは信仰上の理由からならば許容されるにしても、非キリスト者の接し方としては問題があるだろう。
 
  &big(){総じて言えるのは、通俗的なオカルト本によく見られる、どの翻訳に依拠したのかすら明記せずに聖書を引用して独自解釈を滔々と述べるパターンは、そもそも聖書理解の入り口にさえ立てていないということである (ちなみに、依拠した訳の訳者なり出版社なりに一切触れないのは、著作権法上も問題となりうる)。}
 
 **当「大事典」での翻訳の選択
- 当「大事典」では、最も流布している新共同訳を軸に、岩波の新約聖書翻訳委員会訳、田川建三訳、フランシスコ会聖書研究所訳などから適宜引用している(黙示録についての佐竹明訳など、個別の文書ですぐれた註解書がある場合は、その訳を用いる場合もある)。
+ 当「大事典」では、2018年時点で最も流布している&bold(){新共同訳}、および今後広く流布するであろう&bold(){聖書協会共同訳}を軸に、岩波の新約聖書翻訳委員会訳、田川建三訳、フランシスコ会聖書研究所訳などから適宜引用している(黙示録についての佐竹明訳など、個別の文書ですぐれた註解書がある場合は、その訳を用いる場合もある)。
  他方、新改訳は (訳語などの比較対象として言及することはあるが) 章句を引用する際の底本には用いない。それはプロテスタントの信仰との関わりを重視した翻訳であることが明記されているからである。
  別に当「大事典」は田川建三の評価のように、新改訳をファンダメンタリストによる翻訳で詳述に値しないとまで位置づけるわけではないが((田川『書物としての新約聖書』pp.694-695))、少なくともノストラダムスが公的には王党派カトリックの姿勢を一貫させていたことを踏まえるなら、ノストラダムスとの関わりを考察する場面で新改訳を主軸とする必要性は乏しいものと考えられる。
  もちろん、現在は本文批評(正文批判)などが大きく進歩していることもあり、新共同訳や田川訳などにしたところで、おそらく主にウルガータ (伝説的にはヒエロニムスに帰せられている古いラテン語訳だが、実際にはもっと複雑な経緯で成立した) あるいはテクストゥス・レケプトゥス(エラスムスらによって校訂されたギリシア語本文。1516年初版)しか目にしていなかったであろうノストラダムスが見ていた新約聖書とは、少なからぬ隔たりがあるだろう。その意味では、ウルガータからの訳だったフェデリコ・バルバロ訳を使うのも一つの手かもしれないが、それは現代イタリア語訳の影響をかなり受けていたとも言われる個人訳であるし((田川『書物としての新約聖書』p.649))、結局のところ隔たりを埋める決定打にはなりえない。
- バルバロ訳を使っても、他の訳を使っても、隔たっていることに変わりないのであれば、より広く流布している新共同訳や、カトリックによる学問的にも信頼されるフランシスコ会聖書研究所訳、聖書学者の訳である田川訳や岩波の翻訳委員会訳を使うほうが望ましいものと判断している。
+ バルバロ訳を使っても、他の訳を使っても、隔たっていることに変わりないのであれば、より広く流布している新共同訳、今後広く流布するであろう聖書協会共同訳、カトリックによる学問的にも信頼されるフランシスコ会聖書研究所訳、聖書学者の訳である田川訳や岩波の翻訳委員会訳を使うほうが望ましいものと判断している。
 
 *ノストラダムス関連
  ノストラダムス予言への聖書の影響については、[[聖書]]の項目を参照のこと。
 
  なお、[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の証言が正しいのなら、ノストラダムスが好んだ『聖書』の章句は
 -Facite vobis amicos de mammona iniquitatis((Chavigny [1594] p.12))
 -不正のマモン(富)によってでも自分のための友人を作れ(ルカ福音書・第16章9節の一部、田川建三訳)((田川『新約聖書 訳と註・第二巻上』p.60))
 であったという。
 
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