百詩篇第2巻98番

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[[百詩篇第2巻]]>98番 *原文 Celuy du&sup(){1} sang resperse&sup(){2} le visaige&sup(){3} De la victime&sup(){4} proche sacrifiée&sup(){5}: Tonant&sup(){6} en Leo&sup(){7} augure par presaige&sup(){8}: Mis&sup(){9} estre à mort lors&sup(){10} pour la fiancée&sup(){11}. **異文 (1) du : de 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 (2) resperse : reperse 1557B 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1716 1772Ri 1981EB, respersé 1589Rg (3) le visaige : visage 1627 1630Ma (4) victime : Victime 1672 (5) sacrifiée : du sacrifice 1557B, sacrifice 1605 1628 1649Xa 1649Ca, du Sacrifice 1672 (6) Tonant : Tenant 1557B 1611 1981EB, Venant 1605 1628 1672, Veuant 1649Xa, Venus 1656ECL (7) Leo : leo 1589PV 1644 1649Ca 1653 1665 (8) par presaige : presage 1649Ca 1650Le (9) Mis : Mais 1589PV 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le (10) lors : alors 1672 (11) fiancée : fiance 1605 1649Xa 1672, financee 1627 1630Ma *日本語訳 その者の顔に飛び散るだろう、 近くで捧げられた生贄の血が。 ― 雷鳴を轟かす者は獅子宮にて前兆による占い(をさせる)。 ― (その男は)婚約者のために殺される。 **別訳 近くで捧げられた生贄の 血が振りかかった顔(を持つところ)の者は 婚約者のために殺される。 雷鳴を轟かす者は獅子宮にて前兆による占い(をさせる)。 **訳について  便宜上メインの訳を『訳1』、別訳を『訳2』として説明する。  1行目 respers(e) は DALF には「(液体を)振りかけられる」(aspergé, soupoudré)とある((DALF, T.7, p.111))。[[ピエール・ブランダムール]]も別の典拠に基づいて、同様の意味を導いている。ゆえに1・2行目を自然な順序で直訳するならば、訳2のように行を入れ替えて「近くで捧げられた生贄の/血が振りかかった顔(を持つ)者(は)」となるが、できるだけ行ごとに単語を対応させつつ、意味を余り変えないようにと、訳1のように訳した。  3行目 Tonant (Tonnant) はラテン語の Jupiter Tonans のフランス訳 Jupiter Tonnant から来ている。「雷鳴を轟かす者」(Tonnant)はユピテルの美名の一つである。  4行目 Mis estre à mort は語順が不自然ではあるが、ブランダムールや[[ジャン=ポール・クレベール]]は普通に sera mis à mort (殺されるだろう) と釈義しており、[[エヴリット・ブライラー]]と[[リチャード・シーバース]]も shall be put to death とそのまま英訳している。中には[[ピーター・ラメジャラー]]のように、Shall be sent to be put to death などと冗長に訳している者もいるが、無闇に冗長に訳す必然性に乏しい。  fiancée は日本語にもなっている「フィアンセ」のことだが、女性形なのでそれが分かるように、訳1ではカッコ内で省略された主語を補う際に「その男は」とした。素直に読めば、その男は1、2行目に描写されている人物である。  要するに日本語としても自然にするためには2、1、4、3行目の順に並び替えてほぼ直訳しておくのがよいだろう。上の訳2はそのように訳したものである。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「いけにえの血で聖なるものに近づき」((大乗 [1975] p.95。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。sacrifiée (生贄として捧げられた)が sacrifice (生贄)になっている底本に基づいていることを差し引いても、かなり強引な訳に思われる。  3行目「しし座にのぼってくるもので 前兆をうらなう」もおかしいが、これは Tonant が Venant になっている底本に基づいているせいだろう。  4行目「だがひそかに死があるだろう」の「だが」は Mis が Mais になっている版に基づいたせいだが、「ひそかに」は転訳による誤訳。fiancée (婚約者)を[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は confidence と英訳していた。confidence には「秘密、打ち明け話」という意味もあるが、フランス語原文からすれば、「信頼」の意味だろう(fiancée の語源は古語の「信頼」fiance)。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1・2行目 「顔に飛沫を浴びた者/あらたな犠牲者の血の」((山根 [1988] p.110。以下、この詩の引用は同じページから。))の「あらたな」は、proche を空間的ではなく時間的な「近い」意味にとれば、可能な訳。ただし、山根訳には句読点がないので、この種の倒置だと、「血の」が1行目の「飛沫」に係っているのか、3行目の「獅子座」に係っているのか、分かりづらいのではないだろうか。  3行目「獅子座のユピテルが凶と占う」は意訳として問題ない。Tonnant (雷を鳴らす)はユピテルの二つ名なのは前述の通り。また、presage はそれ自体では吉凶どちらか判定しがたいが、ブランダムールの釈義では mauvais présage (凶兆)となっており、「凶と占う」という山根訳は許容されるだろう。  4行目「彼は約束のために死に追いやられよう」も多少疑問はあるが、fiancée を語源に遡って「信義、信頼」の意味に理解する例は、クレベールの釈義にも見られるので、許容されうる。ただし、ブランダムールは現代語でもそのままfiancée と釈義し、レオニ(bride)、ブライラー(betrothal)、ラメジャラー(betrothed)、シーバース(future bride)がいずれも婚約者や花嫁の意味に英訳しているため、当「大事典」としては、そのまま「婚約者」と訳した。 *信奉者側の見解  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]にこの詩が引用されているものの、解釈は掲載されていない((Eclaircissement..., p.150))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、おそらくユダヤ教の祭司が、供犠の禁じられた土地で律法に従って生贄をささげて、その咎で殺されることを描写しているのではないかとした((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、フランス革命期の1794年にダントン派などが粛清された出来事と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.85, Fontbrune [1975] p.101))。  息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](1980年)もフランス革命期とする点は同じであったが、彼の場合はオルレアン公フィリップ・エガリテの処刑(1793年)と解釈した((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] pp.150-151))。  [[エリカ・チータム]]は1973年の時点では一言もコメントをつけておらず、後の著書でも「この四行詩には何の解釈も見出しえない」とコメントしただけだった((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。しかし、その[[日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]](1988年)では、日本語版監修者らによって、1990年10月から1991年9月までの間に、「どこかの国の権力者が、謀略が露見したために死に追いやられることを暗示している」((チータム [1988] p.110))という解釈をつけていた。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)もチータム同様ひとこともコメントをつけていなかったが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、フランスの政治家ジャン=ルイ・バルトゥの暗殺(1934年)か、ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺の予言ではないかとする解釈が掲載された((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[ヴライク・イオネスク]]は1976年や1987年の著書ではこの詩に一言も触れていなかったが、日本語版『[[ノストラダムス・メッセージ]]』(1991年)では、顔に血の飛沫の飛んでいる人物とは、額に赤い染みのあるミハイル・ゴルバチョフ(当時ソ連大統領)のことと解釈し、3行目の星位から、ゴルバチョフが1990年8月18日から1991年9月11日の間に「死の運命をまぬがれないであろう」とした((イオネスク [1991] pp.263-269))。  確かに、1991年8月の「八月クーデター」でゴルバチョフは幽閉され、ソ連崩壊が決定的になりはしたが、死ぬまでには至らなかった。これについて続刊の『[[ノストラダムス・メッセージII]]』(1993年)では、イオネスクは Mis estre à mort は「殺される」ではなく「死んだ状態に置かれる」=「死に体になる」の意味で、自分は最初からそのように解釈していたと釈明した。両著書の日本語版監訳者[[竹本忠雄]]自身、イオネスクのこの説明を全面的に受け入れ、「殺される」と訳したのは自分の勇み足だったと認めた((イオネスク [1993] p.8-9, 15-16, 51-52))。この件は『予言のすべて』(日本文芸社、1996年)に寄稿された竹本の論説にも登場するが((同書、pp.111-112))、竹本の『[[秘伝ノストラダムス・コード]]』では全く触れられていない。  ゴルバチョフの生命の危機とする解釈は、[[ジョン・ホーグ]]らが踏襲した((Hogue (1997)[1999]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]によると、古代ローマでは、生贄を捧げた時にその血が自分の体に跳ね付くことは、凶兆とされていたらしい。また、「木星が獅子宮にある」という意味に理解されがちな3行目は、太陽が獅子宮にあるとき(つまり8月ごろ)に落雷を伴う暴風雨があることを示すという((Brind'Amour [1996]))。  古代ローマのモチーフからという視点を推進したのが[[ピーター・ラメジャラー]]で、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』第21巻63節から、以下の節 (紀元前217年の出来事) を引用している。 -「数日後、(フラミニウスは)その管区に入り、すでに刃物を突き刺されていた子牛を生贄に捧げていた時に、子牛が生贄担当官の手から逃げ出し、多くの見物人たちに血を撒き散らした。(中略) 多くの人がそれをとても恐ろしいことの前触れと捉えた」((Lemesurier [2003b] p.93の英訳から転訳。))  この出来事があった紀元前217年は、フラミニウスがハンニバルに敗れて命を落とした年であった。  ラメジャラーはティトゥス=リウィウス以外に、ユリウス・オブセクエンスの驚異論に、数多くの落雷についての報告があり、たとえば紀元前188年にはカピトリウムのユピテル神殿に落雷があったことを指摘した((Lemesurier [2003b]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は8世紀のペルガモンをモデルと見なした。717年に東ローマ帝国のペルガモンはアラブ人に攻囲された。その時に住民たちは自分たちが助かろうと妊婦を殺害する儀式を行い、その血を塗ったという((Prévost [1999] p.86))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[百詩篇第2巻]]>98番 *原文 Celuy du&sup(){1} sang resperse&sup(){2} le visaige&sup(){3} De la victime&sup(){4} proche sacrifiée&sup(){5}: Tonant&sup(){6} en Leo&sup(){7} augure par presaige&sup(){8}: Mis&sup(){9} estre à mort lors&sup(){10} pour la fiancée&sup(){11}. **異文 (1) du : de 1600 1610 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 (2) resperse : reperse 1557B 1568 1590Ro 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1716 1772Ri 1981EB, respersé 1589Rg (3) le visaige : visage 1627 1630Ma (4) victime : Victime 1672 (5) sacrifiée : du sacrifice 1557B, sacrifice 1605 1628 1649Xa 1649Ca, du Sacrifice 1672 (6) Tonant : Tenant 1557B 1611 1981EB, Venant 1605 1628 1672, Veuant 1649Xa, Venus 1656ECL (7) Leo : leo 1589PV 1644 1649Ca 1653 1665 (8) par presaige : presage 1649Ca 1650Le (9) Mis : Mais 1589PV 1611 1628 1649Xa 1649Ca 1650Le (10) lors : alors 1672 (11) fiancée : fiance 1605 1649Xa 1672, financee 1627 1630Ma *日本語訳 その者の顔に飛び散るだろう、 近くで捧げられた生贄の血が。 ― 雷鳴を轟かす者は獅子宮にて前兆による占い(をさせる)。 ― (その男は)婚約者のために殺される。 **別訳 近くで捧げられた生贄の 血が振りかかった顔(を持つところ)の者は 婚約者のために殺される。 雷鳴を轟かす者は獅子宮にて前兆による占い(をさせる)。 **訳について  便宜上メインの訳を『訳1』、別訳を『訳2』として説明する。  1行目 respers(e) は DALF には「(液体を)振りかけられる」(aspergé, soupoudré)とある((DALF, T.7, p.111))。[[ピエール・ブランダムール]]も別の典拠に基づいて、同様の意味を導いている。ゆえに1・2行目を自然な順序で直訳するならば、訳2のように行を入れ替えて「近くで捧げられた生贄の/血が振りかかった顔(を持つ)者(は)」となるが、できるだけ行ごとに単語を対応させつつ、意味を余り変えないようにと、訳1のように訳した。  3行目 Tonant (Tonnant) はラテン語の Jupiter Tonans のフランス訳 Jupiter Tonnant から来ている。「雷鳴を轟かす者」(Tonnant)はユピテルの美名の一つである。  4行目 Mis estre à mort は語順が不自然ではあるが、ブランダムールや[[ジャン=ポール・クレベール]]は普通に sera mis à mort (殺されるだろう) と釈義しており、[[エヴリット・ブライラー]]と[[リチャード・シーバース]]も shall be put to death とそのまま英訳している。中には[[ピーター・ラメジャラー]]のように、Shall be sent to be put to death などと冗長に訳している者もいるが、無闇に冗長に訳す必然性に乏しい。  fiancée は日本語にもなっている「フィアンセ」のことだが、女性形なのでそれが分かるように、訳1ではカッコ内で省略された主語を補う際に「その男は」とした。素直に読めば、その男は1、2行目に描写されている人物である。  要するに日本語としても自然にするためには2、1、4、3行目の順に並び替えてほぼ直訳しておくのがよいだろう。上の訳2はそのように訳したものである。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「いけにえの血で聖なるものに近づき」((大乗 [1975] p.95。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。sacrifiée (生贄として捧げられた)が sacrifice (生贄)になっている底本に基づいていることを差し引いても、かなり強引な訳に思われる。  3行目「しし座にのぼってくるもので 前兆をうらなう」もおかしいが、これは Tonant が Venant になっている底本に基づいているせいだろう。  4行目「だがひそかに死があるだろう」の「だが」は Mis が Mais になっている版に基づいたせいだが、「ひそかに」は転訳による誤訳。fiancée (婚約者)を[[ヘンリー・C・ロバーツ]]は confidence と英訳していた。confidence には「秘密、打ち明け話」という意味もあるが、フランス語原文からすれば、「信頼」の意味だろう(fiancée の語源は古語の「信頼」fiance)。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1・2行目 「顔に飛沫を浴びた者/あらたな犠牲者の血の」((山根 [1988] p.110。以下、この詩の引用は同じページから。))の「あらたな」は、proche を空間的ではなく時間的な「近い」意味にとれば、可能な訳。ただし、山根訳には句読点がないので、この種の倒置だと、「血の」が1行目の「飛沫」に係っているのか、3行目の「獅子座」に係っているのか、分かりづらいのではないだろうか。  3行目「獅子座のユピテルが凶と占う」は意訳として問題ない。Tonnant (雷を鳴らす)はユピテルの二つ名なのは前述の通り。また、presage はそれ自体では吉凶どちらか判定しがたいが、ブランダムールの釈義では mauvais présage (凶兆)となっており、「凶と占う」という山根訳は許容されるだろう。  4行目「彼は約束のために死に追いやられよう」も多少疑問はあるが、fiancée を語源に遡って「信義、信頼」の意味に理解する例は、クレベールの釈義にも見られるので、許容されうる。ただし、ブランダムールは現代語でもそのままfiancée と釈義し、レオニ(bride)、ブライラー(betrothal)、ラメジャラー(betrothed)、シーバース(future bride)がいずれも婚約者や花嫁の意味に英訳しているため、当「大事典」としては、そのまま「婚約者」と訳した。 *信奉者側の見解  [[1656年の解釈書>Eclaircissement des veritables Quatrains de Maistre Michel Nostradamus]]にこの詩が引用されているものの、解釈は掲載されていない((Eclaircissement..., p.150))。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、おそらくユダヤ教の祭司が、供犠の禁じられた土地で律法に従って生贄をささげて、その咎で殺されることを描写しているのではないかとした((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、フランス革命期の1794年にダントン派などが粛清された出来事と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.85, Fontbrune [1975] p.101))。  息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](1980年)もフランス革命期とする点は同じであったが、彼の場合はオルレアン公フィリップ・エガリテの処刑(1793年)と解釈した((Fontbrune (1980)[1982], Fontbrune [2006] pp.150-151))。  [[エリカ・チータム]]は1973年の時点では一言もコメントをつけておらず、後の著書でも「この四行詩には何の解釈も見出しえない」とコメントしただけだった((Cheetham [1973], Cheetham (1989)[1990]))。しかし、その[[日本語版>ノストラダムス全予言 (二見書房)]](1988年)では、日本語版監修者らによって、1990年10月から1991年9月までの間に、「どこかの国の権力者が、謀略が露見したために死に追いやられることを暗示している」((チータム [1988] p.110))という解釈をつけていた。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)もチータム同様ひとこともコメントをつけていなかったが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、フランスの政治家ジャン=ルイ・バルトゥの暗殺(1934年)か、ジョン・F・ケネディ米大統領暗殺の予言ではないかとする解釈が掲載された((Hutin [1978], Hutin (2002)[2003]))。  [[ヴライク・イオネスク]]は1976年や1987年の著書ではこの詩に一言も触れていなかったが、日本語版『[[ノストラダムス・メッセージ]]』(1991年)では、顔に血の飛沫の飛んでいる人物とは、額に赤い染みのあるミハイル・ゴルバチョフ(当時ソ連大統領)のことと解釈し、3行目の星位から、ゴルバチョフが1990年8月18日から1991年9月11日の間に「死の運命をまぬがれないであろう」とした((イオネスク [1991] pp.263-269))。  確かに、1991年8月の「八月クーデター」でゴルバチョフは幽閉され、ソ連崩壊が決定的になりはしたが、死ぬまでには至らなかった。これについて続刊の『[[ノストラダムス・メッセージII]]』(1993年)では、イオネスクは Mis estre à mort は「殺される」ではなく「死んだ状態に置かれる」=「死に体になる」の意味で、自分は最初からそのように解釈していたと釈明した。両著書の日本語版監訳者[[竹本忠雄]]自身、イオネスクのこの説明を全面的に受け入れ、「殺される」と訳したのは自分の勇み足だったと認めた((イオネスク [1993] p.8-9, 15-16, 51-52))。この件は『予言のすべて』(日本文芸社、1996年)に寄稿された竹本の論説にも登場するが((同書、pp.111-112))、竹本の『[[秘伝ノストラダムス・コード]]』では全く触れられていない。  ゴルバチョフの生命の危機とする解釈は、[[ジョン・ホーグ]]らが踏襲した((Hogue (1997)[1999]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]によると、古代ローマでは、生贄を捧げた時にその血が自分の体に跳ね付くことは、凶兆とされていたらしい。また、「木星が獅子宮にある」という意味に理解されがちな3行目は、太陽が獅子宮にあるとき(つまり8月ごろ)に落雷を伴う暴風雨があることを示すという((Brind'Amour [1996]))。  古代ローマのモチーフからという視点を推進したのが[[ピーター・ラメジャラー]]で、ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』第21巻63節から、以下の節 (紀元前217年の出来事) を引用している。 -「数日後、(フラミニウスは)その管区に入り、すでに刃物を突き刺されていた子牛を生贄に捧げていた時に、子牛が生贄担当官の手から逃げ出し、多くの見物人たちに血を撒き散らした。(中略) 多くの人がそれをとても恐ろしいことの前触れと捉えた」((Lemesurier [2003b] p.93の英訳から転訳。))  この出来事があった紀元前217年は、フラミニウスがハンニバルに敗れて命を落とした年であった。  ラメジャラーはティトゥス=リウィウス以外に、ユリウス・オブセクエンスの驚異論に、数多くの落雷についての報告があり、たとえば紀元前188年にはカピトリウムのユピテル神殿に落雷があったことを指摘した((Lemesurier [2003b]))。  [[ロジェ・プレヴォ]]は8世紀のペルガモンをモデルと見なした。717年に東ローマ帝国のペルガモンはアラブ人に攻囲された。その時に住民たちは自分たちが助かろうと妊婦を殺害する儀式を行い、その血を塗ったという((Prévost [1999] p.86))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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