詩百篇第1巻30番

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[[詩百篇第1巻]]>30番* *原文 La nef&sup(){1} estrange&sup(){2} par le tourment marin&sup(){3} Abourdera&sup(){4} pres&sup(){5} de port&sup(){6} incongneu,&sup(){7} Nonobstant signes&sup(){8} de&sup(){9} rameau palmerin&sup(){10} Apres mort, [[pille]] : bon auis tard venu. **異文 (1) La nef : La Nef 1672Ga, Lanef 1716PR (2) estrange : est estrange 1557U 1568X 1590Ro (3) marin : Marin 1672Ga (4) Abourdera 1555 1557U 1557B 1568 1772Ri 1840 : Abordera &italic(){T.A.Eds.} (5) pres : ptes 1672Ga (6) de port : le Port 1672Ga (7) incongneu, : incogneu? 1653AB 1665Ba (8) signes : signs 1672Ga (9) de (vers3) : du 1667Wi 1672Ga (10) palmerin : Palmerin 1588-89 *日本語訳 異国の船が海の時化〔しけ〕のせいで 見知らぬ港の近くに着岸するだろう、 椰子の小枝の合図にもかかわらず。 のちに死と略奪。遅れて届く有用な助言。 **訳について  3行目 palmerin は現代語にも古語にもない。ブランダムールは 「椰子の」(de palmier) と訳した。椰子(palmier) も棕櫚 (palme) も同じヤシ科だが、単語は別である (palme には両方の意味があるが、palmier には椰子の意味しかない((『ロベール仏和大辞典』による。ただし、『プチ・ロワイヤル仏和辞典』には両方の意味が載っている。)))。[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳では palm branch で、[[リチャード・シーバース]]の英訳では palm fronds となっている。  なお、椰子ならば当然 「枝」 ではなく 「葉」 とすべきであろうが、後述する聖書の慣例からしても、原語の rameau からしても、あえて 「小枝」 と直訳した。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「知られざる港に近づいてくるだろう」((大乗 [1975] p.52。以下、この詩の引用は同じページから。))は若干不適切。abordera は船については「着岸するだろう」の意味なので、「近づいてくる」だとその意味合いが十分に出ない。  3行目「弓やしゅろでいろいろなしるしを与えるけれども」は誤訳。2行目もこの行も[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳をほぼ転訳したものだが、rameau (ロバーツの原文では remeau) が 「弓」 になる理由が不明。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「見知らぬ港に迷いこむだろう」((山根 [1988] p.47。以下、この詩の引用は同じページから。))は直訳とはいえないが、見知らぬ港に着岸するというのは意に反して迷い込むということだろうから、許容される意訳だろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]](1973年)はコメントをしているものの、非常に一般的な詩とした上で、情景を敷衍しているに過ぎなかった。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は当初は何も解釈していなかったが、後の改訂版(1975年)では、(1930年代から見て)近未来の戦争と解釈された。ただし、曖昧すぎて、位置づけが非常に分かりづらい((Fontbrune [1975] p.165))。息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は解釈していなかった。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は特定の事件とこの詩を結びつけることを放棄していたが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ドイツの重巡洋艦グラーフ・シュペー(第二次世界大戦中に南大西洋に出撃したところ、イギリス艦隊に追われ、モンテビデオ港外で自爆した)と結びつけられた。  [[ヴライク・イオネスク]](1987年)は第二次世界大戦中の沖縄戦での戦艦大和のことと解釈した((Ionescu [1987] pp.361-365))。この解釈は[[竹本忠雄]](2011年)も踏襲した((竹本 [2011] pp.702-705))。 #amazon(B000EBDFN4) 【画像】 『戦艦大和 -深海に眠る、栄光と伝説の全て-』(DVD) *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、ヨーロッパ人の新大陸到達とそこでの流血・略奪行為についてと解釈した。4行目の「死と掠奪」は迷い込んだ船が見知らぬ港で酷い目に遭うとも、迷い込んだ船が見知らぬ港で狼藉に及ぶとも解釈できるが、プレヴォは後者と理解したわけである。「有益な助言」は、新大陸での蛮行を告発したラス・カサスのことだという((Prévost [1999] p.157))。ラス・カサスはアメリカ先住民の待遇改善に尽くそうとしたが失敗し、失意のまま1547年にはスペインに帰国していた。 #amazon(400358001X) 【画像】 ラス・カサス 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』改訳版  [[ピーター・ラメジャラー]]は2003年の時点では出典未特定としていたが、2010年になると、クリストバル・コロン(コロンブス)の1494年5月26日のキューバ上陸についてと解釈した。それに関するグリュナエウスらの報告は1532年に公刊されていた((Lemesurier [2010]))。 **聖書との関わり?  信奉者側だと[[ヴライク・イオネスク]]ら、実証主義的論者だと[[ジャン=ポール・クレベール]]などが指摘しているように、rameau palmerin という表現は、キリスト教の祝日である 「枝の主日」(カトリックでの呼称。教派によって呼称は異なる) を連想させる。これは、『[[新約聖書]]』の『ヨハネ福音書』第12章12節から13節に出てくる表現に由来する。 -翌日、祭に来た多くの群衆が、イエスがエルサレムに来ると聞いて、椰子の葉をとり、彼を迎えに出て、叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。そしてイスラエルの王に」。(田川建三訳)((田川『新約聖書 訳と註・第五巻』p.45))  この「椰子の葉」は従来の訳では -「しゅろの枝」(文語訳、口語訳、バルバロ訳、共同訳、新改訳第3版。漢字か仮名かといった区別は省く。以下同じ) -「なつめやしの枝」(新共同訳、塚本虎二訳、岩波書店新約聖書翻訳委員会訳、フランシスコ会聖書研究所訳、新改訳2017) などと訳されていた。田川建三によると、原語の phoinikes と baïa はともに「椰子」を表しており、直訳すると「椰子の椰子」となるという。ただし、田川は後者を椰子の葉を表す語と理解し、全体を「椰子の葉」と訳したのだという。  田川によると、これが古い訳で「しゅろ」と訳されていたのは、日本で見られるヤシ科の植物がかつて棕櫚くらいしかなかったからではないかとしつつ、古くから親しまれている訳なので「しゅろ」と訳すことにも理解を示している。反面、「なつめやし」については、現代イスラエルの植生から類推した限定だろうとして、その可能性があることを認めつつも、椰子一般をさす単語をそのように限定することの不適切さを批判している((田川、前掲書、pp.531-532))。  なお、フランス語訳聖書の中でも国際的に評価の高い、いわゆる『エルサレム聖書』では les rameaux des palmiers とフランス語訳されている。  『ヨハネ福音書』の該当箇所では、「椰子の葉」(「なつめやしの枝」) は勝利の象徴として登場しているのだという((『新共同訳聖書 聖書辞典』第2版および岩波版『ヨハネ文書』などによる。))。どうもこの詩の文脈にはそぐわないように思われるが、参考情報として記載しておく。 #amazon(4861821398) 【画像】 田川健三 『新約聖書 訳と註・第五巻』 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[詩百篇第1巻]]>30番* *原文 La nef&sup(){1} estrange&sup(){2} par le tourment marin&sup(){3} Abourdera&sup(){4} pres&sup(){5} de port&sup(){6} incongneu,&sup(){7} Nonobstant signes&sup(){8} de&sup(){9} rameau palmerin&sup(){10} Apres mort, [[pille]] : bon auis tard venu. **異文 (1) La nef : La Nef 1672Ga, Lanef 1716PR (2) estrange : est estrange 1557U 1568X 1590Ro (3) marin : Marin 1672Ga (4) Abourdera 1555 1557U 1557B 1568 1772Ri 1840 : Abordera &italic(){T.A.Eds.} (5) pres : ptes 1672Ga (6) de port : le Port 1672Ga (7) incongneu, : incogneu? 1653AB 1665Ba (8) signes : signs 1672Ga (9) de (vers3) : du 1667Wi 1672Ga (10) palmerin : Palmerin 1588-89 *日本語訳 異国の船が海の時化〔しけ〕のせいで 見知らぬ港の近くに着岸するだろう、 椰子の小枝の合図にもかかわらず。 のちに死と略奪。遅れて届く有用な助言。 **訳について  3行目 palmerin は現代語にも古語にもない。ブランダムールは 「椰子の」(de palmier) と訳した。椰子(palmier) も棕櫚 (palme) も同じヤシ科だが、単語は別である (palme には両方の意味があるが、palmier には椰子の意味しかない((『ロベール仏和大辞典』による。ただし、『プチ・ロワイヤル仏和辞典』には両方の意味が載っている。)))。[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳では palm branch で、[[リチャード・シーバース]]の英訳では palm fronds となっている。  なお、椰子ならば当然 「枝」 ではなく 「葉」 とすべきであろうが、後述する聖書の慣例からしても、原語の rameau からしても、あえて 「小枝」 と直訳した。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「知られざる港に近づいてくるだろう」((大乗 [1975] p.52。以下、この詩の引用は同じページから。))は若干不適切。abordera は船については「着岸するだろう」の意味なので、「近づいてくる」だとその意味合いが十分に出ない。  3行目「弓やしゅろでいろいろなしるしを与えるけれども」は誤訳。2行目もこの行も[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳をほぼ転訳したものだが、rameau (ロバーツの原文では remeau) が 「弓」 になる理由が不明。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「見知らぬ港に迷いこむだろう」((山根 [1988] p.47。以下、この詩の引用は同じページから。))は直訳とはいえないが、見知らぬ港に着岸するというのは意に反して迷い込むということだろうから、許容される意訳だろう。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま敷衍したような解釈しかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エリカ・チータム]](1973年)はコメントをしているものの、非常に一般的な詩とした上で、情景を敷衍しているに過ぎなかった。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]は当初は何も解釈していなかったが、後の改訂版(1975年)では、(1930年代から見て)近未来の戦争と解釈された。ただし、曖昧すぎて、位置づけが非常に分かりづらい((Fontbrune [1975] p.165))。息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は解釈していなかった。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は特定の事件とこの詩を結びつけることを放棄していたが、[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ドイツの重巡洋艦グラーフ・シュペー(第二次世界大戦中に南大西洋に出撃したところ、イギリス艦隊に追われ、モンテビデオ港外で自爆した)と結びつけられた。  [[ヴライク・イオネスク]](1987年)は第二次世界大戦中の沖縄戦での戦艦大和のことと解釈した((Ionescu [1987] pp.361-365))。この解釈は[[竹本忠雄]](2011年)も踏襲した((竹本 [2011] pp.702-705))。 #amazon(B000EBDFN4) 【画像】 『戦艦大和 -深海に眠る、栄光と伝説の全て-』(DVD) *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、ヨーロッパ人の新大陸到達とそこでの流血・略奪行為についてと解釈した。4行目の「死と掠奪」は迷い込んだ船が見知らぬ港で酷い目に遭うとも、迷い込んだ船が見知らぬ港で狼藉に及ぶとも解釈できるが、プレヴォは後者と理解したわけである。「有益な助言」は、新大陸での蛮行を告発したラス・カサスのことだという((Prévost [1999] p.157))。ラス・カサスはアメリカ先住民の待遇改善に尽くそうとしたが失敗し、失意のまま1547年にはスペインに帰国していた。 #amazon(400358001X) 【画像】 ラス・カサス 『インディアスの破壊についての簡潔な報告』改訳版  [[ピーター・ラメジャラー]]は2003年の時点では出典未特定としていたが、2010年になると、クリストバル・コロン(コロンブス)の1494年5月26日のキューバ上陸についてと解釈した。それに関するグリュナエウスらの報告は1532年に公刊されていた((Lemesurier [2010]))。 **聖書との関わり?  信奉者側だと[[ヴライク・イオネスク]]ら、実証主義的論者だと[[ジャン=ポール・クレベール]]などが指摘しているように、rameau palmerin という表現は、キリスト教の祝日である 「枝の主日」(カトリックでの呼称。教派によって呼称は異なる) を連想させる。これは、『[[新約聖書]]』の『ヨハネ福音書』第12章12節から13節に出てくる表現に由来する。 -翌日、祭に来た多くの群衆が、イエスがエルサレムに来ると聞いて、椰子の葉をとり、彼を迎えに出て、叫んだ、「ホサナ、主の名において来たる者に祝福あれ。そしてイスラエルの王に」。(田川建三訳)((田川『新約聖書 訳と註・第五巻』p.45))  この「椰子の葉」は従来の訳では -「しゅろの枝」(文語訳、口語訳、バルバロ訳、共同訳、新改訳第3版。漢字か仮名かといった区別は省く。以下同じ) -「なつめやしの枝」(新共同訳、塚本虎二訳、岩波書店新約聖書翻訳委員会訳、フランシスコ会聖書研究所訳、新改訳2017) などと訳されていた。田川建三によると、原語の phoinikes と baïa はともに「椰子」を表しており、直訳すると「椰子の椰子」となるという。ただし、田川は後者を椰子の葉を表す語と理解し、全体を「椰子の葉」と訳したのだという。  田川によると、これが古い訳で「しゅろ」と訳されていたのは、日本で見られるヤシ科の植物がかつて棕櫚くらいしかなかったからではないかとしつつ、古くから親しまれている訳なので「しゅろ」と訳すことにも理解を示している。反面、「なつめやし」については、現代イスラエルの植生から類推した限定だろうとして、その可能性があることを認めつつも、椰子一般をさす単語をそのように限定することの不適切さを批判している((田川、前掲書、pp.531-532))。  なお、フランス語訳聖書の中でも国際的に評価の高い、いわゆる『エルサレム聖書』では les rameaux des palmiers とフランス語訳されている。  『ヨハネ福音書』の該当箇所では、「椰子の葉」(「なつめやしの枝」) は勝利の象徴として登場しているのだという((『新共同訳聖書 聖書辞典』第2版および岩波版『ヨハネ文書』などによる。))。どうもこの詩の文脈にはそぐわないように思われるが、参考情報として記載しておく。 #amazon(4861821398) 【画像】 田川健三 『新約聖書 訳と註・第五巻』 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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