レッジョ

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 &bold(){レッジョ} (Reggio) はイタリアの都市名。イタリア北部のレッジョ・ネッレミリア (Reggio nel l'Emilia) と南部のレッジョ・ディ・カラブリア (Reggio di Calabria) がある。 *レッジョ・ネッレミリア  レッジョ・ネッレミリアはエミリア=ロマーニャ州レッジョ・ネッレミリア県の県庁所在地である。紀元前2世紀にローマ人が建設した都市で、古代ローマ時代の呼称はレギウム・レピドゥム (Regium Lepidum) といった。中世にはロンバルディア同盟に加わり、15世紀以降、19世紀半ばまでエステ家の支配を受けた。  現代では交通の要衝に位置し、農産物加工業をはじめとした各種工業の発達した商工業都市である。 #googlemaps(){<iframe src="https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d90748.19030102258!2d10.638268199999992!3d44.70162950000001!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x4780044a950005e1%3A0x3079b0bfcba7f90!2z44Kk44K_44Oq44KiIOODrOODg-OCuOODp-ODu-OCqOODn-ODquOCog!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1434117296205" width="600" height="450" frameborder="0" style="border:0"></iframe>} *レッジョ・ディ・カラブリア  レッジョ・ディ・カラブリアはカラブリア州レッジョ・ディ・カラブリア県の県庁所在地である。メッシーナ海峡を挟んで[[シチリア島]]と向かい合っており、今も同島のメッシーナへ渡る際の拠点になっている。  紀元前8世紀にギリシア人の植民都市レギオン (Rhegion) として建設され、紀元前3世紀にローマ化した。ラテン語名はレギウム (Rhegium / Regium) である。  古来、幾度も地震に見舞われた都市で、現在の市街は1908年の地震の後に整備されたものである((以上、2つのレッジョについては『コンサイス外国地名事典』第3版、『ブリタニカ国際大百科事典・小項目電子辞書版』などによる。))。 #googlemaps(){<iframe src="https://www.google.com/maps/embed?pb=!1m18!1m12!1m3!1d401087.4508725371!2d16.1062626!3d38.244807699999996!2m3!1f0!2f0!3f0!3m2!1i1024!2i768!4f13.1!3m3!1m2!1s0x13151efedeb6e575%3A0x30b95ae4ee08260!2z44Kk44K_44Oq44KiIOODrOODg-OCuOODp-ODu-OCq-ODqeODluODquOCog!5e0!3m2!1sja!2sjp!4v1434117355327" width="600" height="450" frameborder="0" style="border:0"></iframe>} *ノストラダムス関連  ノストラダムスの『予言集』では、[[百詩篇第10巻70番]]に登場する Rege がレッジョのこととされている。文脈からはどちらのレッジョか判断しがたいが、[[ロジェ・プレヴォ]]の読みが正しいなら、レッジョ・ネッレミリアに言及していたことになる。  当時はエステ家の繁栄期であり、[[フェッラーラ]]とその周辺のルネサンス建築は世界遺産にもなっている。そうした華やかさを考えるなら、レッジョ・ネッレミリアに言及されていても、なんら不自然ではない。 ---- #comment

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