詩百篇第1巻95番

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[[詩百篇第1巻]]>95番 *原文 Deuant monstier&sup(){1} trouué&sup(){2} enfant&sup(){3} besson D'heroic&sup(){4} sang de moine&sup(){5} & vestutisque&sup(){6}: Son [[bruit]]&sup(){7} par secte&sup(){8} langue&sup(){9} & puissance son&sup(){10} Qu'on dira fort&sup(){11} eleué le&sup(){12} vopisque&sup(){13}. **異文 (1) monstier : moustier 1568A 1568B 1568C 1589Me 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1612Me 1628dR 1649Xa 1653AB 1665Ba 1667Wi 1772Ri 1981EB, Moustier 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1672Ga 1716PR (2) trouué : tteuué [&italic(){sic.}] 1605sn, treuué 1627Di 1628dR, tre nué 1627Ma (3) enfant : enfans 1589Rg 1668P (4) D'heroic : D'herois 1627Di, D'heroïc 1644Hu 1649Xa 1653AB 1665Ba, D'heroicq 1649Ca 1650Le 1668, D'Heroik 1672Ga (5) moine : moigne 1627Di 1627Ma, Moigne 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba, Moine 1672Ga (6) & vestutisque : & vetustique 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1628dR 1627Ma 1644Hu 1672Ga 1716PR 1981EB, & vetustisque 1612Me, & vestutique 1649Xa, vestutisque 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668, vetustique 1653AB 1665Ba (7) bruit : brui 1605sn (8) secte : sećte 1667Wi, Secte 1672Ga (9) langue : lanque 1627Di, Langue 1672Ga (10) son : Son 1672Ga (11) fort : soit 1589PV 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 (12) le (vers4) : de 1589Me (13) vopisque : vobisque 1557B, Vopisque 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga (注記)1611Abは該当ページが脱漏。 **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は韻律上の要請として2行目の vestutisque の s の位置を1箇所入れ替えて vetustisque とした。ラテン語 vetus に由来する造語と考えられているので、この判断は妥当だろう。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]らが踏襲している。 *日本語訳 修道院の前で見付かるだろう、双子の片割れで 古くからの英雄の血を引く幼子が、修道士によって。 その宗派での名声、雄弁、権力は頂点に(達するだろう)、 ウォピスクスは屈強に育ったと噂されるであろうほどに。 **訳について  1行目 enfant (幼児、子供)は、訳の都合上、2行目に回して訳出した。  さて、いくつかの単語について解説しておく。  1行目 monstier は中期フランス語では moustier の綴りの揺れで((DMF))、「修道院」の意味。2行目 vetustisque はラテン語 vetus (古い、昔の)からの造語と考えられている((Leoni [1961], Brind'Amour [1996]))。  3行目は2箇所に son があるが、後の方は読みが分かれる。「音、歌」などの意味と理解しているのが[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]などだが、[[ピエール・ブランダムール]]はプロヴァンス語にも残る古語で「頂点」(sommet) を意味する son / som から来ていると考えた。この読みは[[高田勇]]・[[伊藤進]]が踏襲した。[[リチャード・シーバース]]の英訳は son をどう解釈したのか、いまいち分からない。当「大事典」はブランダムール=高田・伊藤の読みを採用している。  4行目の vopisque はラテン語の vopiscus をフランス語化したものと考えられている。これは、早産だった双子の先に生まれた方が死産だったときに、後から生きて生まれてきた方を指す言葉である。高田・伊藤訳でもそのまま「ウォピスクス」と表記されているが、日本語でこれを簡潔に表現する単語は恐らくないだろう (というか、フランス語にもないから、ノストラダムスはラテン語から借用せざるをえなかったのかもしれない)。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「修道士の英雄的な血で」((大乗 [1975] p.69。以下、この詩の引用は同じページから。))は、vetustisque に対応する訳語がないのが不適切。なお、de は「~の」「~による」のいずれにも訳しうるので、「修道士の」という部分は誤訳ではない。当「大事典」が「修道士によって」としたのは、ブランダムールらの読みに従ったものである。  3行目「宗派の評判はことばと権力で高まり」は、par (~による、~にて etc.)を「ことばと権力」に係らせるのなら、「宗派の」というのは不自然ではないだろうか。  4行目「人々はボスピックをたたえるだろう」は意訳にしても不自然。この場合の on dira (que) ~ は、「~と言われている」「~と噂される」の意味で、「たたえる」とするのは不適切であろう。また、élevé (持ち上げられる、育てられる)に対応する訳語がないので、「たたえる」はそちらを踏まえたのかもしれないが、だとすると今度は dira に対応する言葉がないことになる。なお、「ボスピック」とほぼそのまま音写すること自体は悪くない(ただし、ロバーツの英訳における綴りは Vopisk なので、明らかに写し間違いではある)が、脚注などで何の説明もないので、単に意味不明な固有名詞になってしまっている。    [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「僧院の前で双子のこどもが見つかる」((山根 [1988] p.74。以下、この詩の引用は同じページから。))は、直訳としては何も間違っていないが、双子の片割れにあたる子供というニュアンスが汲み取りづらいのではないだろうか。  2行目の「僧の血をひく」云々については、上の大乗訳への指摘と重なる。  3行目「彼の名声 権勢は宗教の力と雄弁に支えられて光り輝き」はかなり語順を入れ替えた上で言葉をかなり補って訳出されている。  4行目「現在のその双子が選ばれたのは当然だと噂されるだろう」も微妙。おそらく「ウォピスクス」を「双子のうちで現在も生き残っている方」という意味合いに理解したのだろうとは思うが、「現在のその双子」という訳語からそうしたニュアンスを汲み取るのは(予備知識がない限り)無理だろう。  この詩については[[五島勉]]も訳している。その訳は3行目まではそれほどおかしなものではない。しかし、4行目が「それによってその陰謀は惹き起こされる」((五島『大予言IV』p.124))という意味不明なものになっている。原文の単語とほとんど対応していない無茶苦茶な訳で、どういう根拠で導き出したのか、まったく分からない。  誤訳ということで言うと、五島は[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の現代フランス語訳も4行分、日本語訳した上で引用している。その4行目が「人々は生きる望みを彼に託する」((五島『大予言IV』pp.124-125))となっているが、これもやはりデタラメである。フォンブリュヌはこれを「それゆえに双子の生き残った方が権力の座に至ることを期待されるだろう」(si bien qu'on demandera que soit porté au pouvoir le jumeau survivant)((Fontbrune (1980)[1982] p.427))と訳している。五島は vopisque の意味が分からないか、分かっていても説明が面倒で省こうとして、このような的外れな翻訳や紹介をしたのではないだろうか。 *信奉者側の見解  この詩はあまり注目されなかった詩で、フォンブリュヌ親子やそれへの反論を展開した[[五島勉]]などを除けば、ほとんど全訳本の類でしか言及されてこなかった。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、教会の前で発見されて育てられた双子が後に有名になることという、ほぼそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかったが、ウォピスクスがラテン語由来の言葉であることにはきちんと触れていた((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エドガー・レオニ]]によると、[[コラン・ド・ラルモール]](1925年)はルイ14世についてと解釈していたらしい((Leoni [1961]))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)はガランシエールの解釈をほぼ踏襲し、教会で発見された双子の片割れが後に有名になると解釈したが、ウォピスクスの語注は省いてしまった((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は、「多くの解釈者」が17世紀の謎の囚人「鉄仮面」についてと解釈したと紹介した。「鉄仮面」はルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュと宰相マザランの間に生まれた不義の子という説もあり、デュマの小説『三銃士』では、ルイ14世の双子ということになっているからである((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は、このような修道院の門前で発見されて大物に成長した人物の例が歴史上で思い当たらないとした上で、象徴的な詩ではないかとした((Hutin [1978]))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]の著書には載っているが、1930年代の版にはなく、後の改訂版(1975年)にだけ載っている。そちらでは[[百詩篇第3巻35番]]の解釈に割り込ませるようにこの詩についてが挿入されており、いずれも近未来の[[反キリスト]]の誕生と解釈されていた((Fontbrune (1938)[1939], Fontbrune (1938)[1975] p.279))(なお、マックスは1959年に没しているので、生前の改訂版になかったのだとすれば、息子が追加したのだろう)。  反キリストとする解釈は息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]も引き継いだ。息子の方は、反キリストがアジアで誕生する詩のひとつとして解釈しており、moine もキリスト教の修道士ではなく、仏教もしくは禅宗の僧侶と解釈した。  [[五島勉]]はこれに猛反発し、禅宗の僧侶がアジアで多いのは日本なので、これは反キリストが日本から生まれると解釈したのと同じだと批判した((五島『大予言IV』pp.124-126))。 **懐疑的な見解  チータムの「鉄仮面」とする解釈は、どうみても[[エドガー・レオニ]]からの盗用だが、レオニはこの解釈を自説としており(前出のラルモール説への反論として挙げた)、「多くの解釈者が」などとは一言も述べていない。  そもそも「鉄仮面」とルイ14世を双子とするのはデュマの小説の設定であって、史実とは確定していない。それを事実とする前提でもって解釈を展開するのは不適切だろう。 #amazon(4042020070) 【画像】 デュマ 『仮面の男』 角川文庫クラシックス  なお、チータムが英国女王アンの生んだ双子と解釈していると、五島勉は紹介したが((五島『大予言IV』p.124))、チータムが王妃の名前を Queen Anne としか書いていなかったことから早合点したのだろう。上記の通り、「鉄仮面」とする解釈とアン女王は何の関係もない。  もっとも、五島の紹介に「鉄仮面」という名前が出ていないことからすると、あるいは五島は「鉄仮面」や『三銃士』について全く知らなかったのかもしれない。  その五島のフォンブリュヌ批判についてだが、確かにフォンブリュヌの原書には禅宗(zen)という見出し語はある。ただし、彼は別の場所で北緯50度付近から反キリストが現れるとも述べており、本当に日本を狙い撃ちにしていたかは大いに疑問である。  フォンブリュヌ解釈に問題点が多く、実際、未来予測のほとんどが外れてきたというのは事実である。また、確かにアジアや仏教に対する偏見が込められていた可能性までは否定しきれない。当「大事典」としても特に庇おうという気にはならないが、そういう人物だからといって、言ってもいないことを言ったことにして批判するなどという手法はあってはならないだろう。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、テオドール・ド・ベーズがモデルではないかとした。ベーズは大聖堂で有名なヴェズレーの生まれで、その双子の兄弟は23歳の時に死んでいる。その後、宗教改革に積極的にかかわり、ジャン・カルヴァンの片腕としてその名を広く知られるようになった((Prévost [1999] p.78))。  [[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]はこれを支持している((Petey-Girard [2003], Lemesurier [2010], Sieburth [2012]))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[詩百篇第1巻]]>95番 *原文 Deuant monstier&sup(){1} trouué&sup(){2} enfant&sup(){3} besson D'heroic&sup(){4} sang de moine&sup(){5} & vestutisque&sup(){6}: Son [[bruit]]&sup(){7} par secte&sup(){8} langue&sup(){9} & puissance son&sup(){10} Qu'on dira fort&sup(){11} eleué le&sup(){12} vopisque&sup(){13}. **異文 (1) monstier : moustier 1568A 1568B 1568C 1589Me 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1612Me 1628dR 1649Xa 1653AB 1665Ba 1667Wi 1772Ri 1981EB, Moustier 1627Di 1627Ma 1644Hu 1650Ri 1672Ga 1716PR (2) trouué : tteuué [&italic(){sic.}] 1605sn, treuué 1627Di 1628dR, tre nué 1627Ma (3) enfant : enfans 1589Rg 1668P (4) D'heroic : D'herois 1627Di, D'heroïc 1644Hu 1649Xa 1653AB 1665Ba, D'heroicq 1649Ca 1650Le 1668, D'Heroik 1672Ga (5) moine : moigne 1627Di 1627Ma, Moigne 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba, Moine 1672Ga (6) & vestutisque : & vetustique 1591BR 1597Br 1605sn 1606PR 1607PR 1610Po 1611A 1611B 1627Di 1628dR 1627Ma 1644Hu 1672Ga 1716PR 1981EB, & vetustisque 1612Me, & vestutique 1649Xa, vestutisque 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668, vetustique 1653AB 1665Ba (7) bruit : brui 1605sn (8) secte : sećte 1667Wi, Secte 1672Ga (9) langue : lanque 1627Di, Langue 1672Ga (10) son : Son 1672Ga (11) fort : soit 1589PV 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 (12) le (vers4) : de 1589Me (13) vopisque : vobisque 1557B, Vopisque 1649Ca 1650Le 1667Wi 1668 1672Ga (注記)1611Abは該当ページが脱漏。 **校訂  [[ピエール・ブランダムール]]は韻律上の要請として2行目の vestutisque の s の位置を1箇所入れ替えて vetustisque とした。ラテン語 vetus に由来する造語と考えられているので、この判断は妥当だろう。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]らが踏襲している。 *日本語訳 修道院の前で見付かるだろう、双子の片割れで 古くからの英雄の血を引く幼子が、修道士によって。 その宗派での名声、雄弁、権力は頂点に(達するだろう)、 ウォピスクスは屈強に育ったと噂されるであろうほどに。 **訳について  1行目 enfant (幼児、子供)は、訳の都合上、2行目に回して訳出した。  さて、いくつかの単語について解説しておく。  1行目 monstier は中期フランス語では moustier の綴りの揺れで((DMF))、「修道院」の意味。2行目 vetustisque はラテン語 vetus (古い、昔の)からの造語と考えられている((Leoni [1961], Brind'Amour [1996]))。  3行目は2箇所に son があるが、後の方は読みが分かれる。「音、歌」などの意味と理解しているのが[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]などだが、[[ピエール・ブランダムール]]はプロヴァンス語にも残る古語で「頂点」(sommet) を意味する son / som から来ていると考えた。この読みは[[高田勇]]・[[伊藤進]]が踏襲した。[[リチャード・シーバース]]の英訳は son をどう解釈したのか、いまいち分からない。当「大事典」はブランダムール=高田・伊藤の読みを採用している。  4行目の vopisque はラテン語の vopiscus をフランス語化したものと考えられている。これは、早産だった双子の先に生まれた方が死産だったときに、後から生きて生まれてきた方を指す言葉である。高田・伊藤訳でもそのまま「ウォピスクス」と表記されているが、日本語でこれを簡潔に表現する単語は恐らくないだろう (というか、フランス語にもないから、ノストラダムスはラテン語から借用せざるをえなかったのかもしれない)。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「修道士の英雄的な血で」((大乗 [1975] p.69。以下、この詩の引用は同じページから。))は、vetustisque に対応する訳語がないのが不適切。なお、de は「~の」「~による」のいずれにも訳しうるので、「修道士の」という部分は誤訳ではない。当「大事典」が「修道士によって」としたのは、ブランダムールらの読みに従ったものである。  3行目「宗派の評判はことばと権力で高まり」は、par (~による、~にて etc.)を「ことばと権力」に係らせるのなら、「宗派の」というのは不自然ではないだろうか。  4行目「人々はボスピックをたたえるだろう」は意訳にしても不自然。この場合の on dira (que) ~ は、「~と言われている」「~と噂される」の意味で、「たたえる」とするのは不適切であろう。また、élevé (持ち上げられる、育てられる)に対応する訳語がないので、「たたえる」はそちらを踏まえたのかもしれないが、だとすると今度は dira に対応する言葉がないことになる。なお、「ボスピック」とほぼそのまま音写すること自体は悪くない(ただし、ロバーツの英訳における綴りは Vopisk なので、明らかに写し間違いではある)が、脚注などで何の説明もないので、単に意味不明な固有名詞になってしまっている。    [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「僧院の前で双子のこどもが見つかる」((山根 [1988] p.74。以下、この詩の引用は同じページから。))は、直訳としては何も間違っていないが、双子の片割れにあたる子供というニュアンスが汲み取りづらいのではないだろうか。  2行目の「僧の血をひく」云々については、上の大乗訳への指摘と重なる。  3行目「彼の名声 権勢は宗教の力と雄弁に支えられて光り輝き」はかなり語順を入れ替えた上で言葉をかなり補って訳出されている。  4行目「現在のその双子が選ばれたのは当然だと噂されるだろう」も微妙。おそらく「ウォピスクス」を「双子のうちで現在も生き残っている方」という意味合いに理解したのだろうとは思うが、「現在のその双子」という訳語からそうしたニュアンスを汲み取るのは(予備知識がない限り)無理だろう。  この詩については[[五島勉]]も訳している。その訳は3行目まではそれほどおかしなものではない。しかし、4行目が「それによってその陰謀は惹き起こされる」((五島『大予言IV』p.124))という意味不明なものになっている。原文の単語とほとんど対応していない無茶苦茶な訳で、どういう根拠で導き出したのか、まったく分からない。  誤訳ということで言うと、五島は[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]の現代フランス語訳も4行分、日本語訳した上で引用している。その4行目が「人々は生きる望みを彼に託する」((五島『大予言IV』pp.124-125))となっているが、これもやはりデタラメである。フォンブリュヌはこれを「それゆえに双子の生き残った方が権力の座に至ることを期待されるだろう」(si bien qu'on demandera que soit porté au pouvoir le jumeau survivant)((Fontbrune (1980)[1982] p.427))と訳している。五島は vopisque の意味が分からないか、分かっていても説明が面倒で省こうとして、このような的外れな翻訳や紹介をしたのではないだろうか。 *信奉者側の見解  この詩はあまり注目されなかった詩で、フォンブリュヌ親子やそれへの反論を展開した[[五島勉]]などを除けば、ほとんど全訳本の類でしか言及されてこなかった。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、教会の前で発見されて育てられた双子が後に有名になることという、ほぼそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかったが、ウォピスクスがラテン語由来の言葉であることにはきちんと触れていた((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[エドガー・レオニ]]によると、[[コラン・ド・ラルモール]](1925年)はルイ14世についてと解釈していたらしい((Leoni [1961]))。  [[ヘンリー・C・ロバーツ]](1947年)はガランシエールの解釈をほぼ踏襲し、教会で発見された双子の片割れが後に有名になると解釈したが、ウォピスクスの語注は省いてしまった((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]))。  [[エリカ・チータム]](1973年)は、「多くの解釈者」が17世紀の謎の囚人「鉄仮面」についてと解釈したと紹介した。「鉄仮面」はルイ13世の妃アンヌ・ドートリッシュと宰相マザランの間に生まれた不義の子という説もあり、デュマの小説『三銃士』では、ルイ14世の双子ということになっているからである((Cheetham [1973]))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)は、このような修道院の門前で発見されて大物に成長した人物の例が歴史上で思い当たらないとした上で、象徴的な詩ではないかとした((Hutin [1978]))。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]]の著書には載っているが、1930年代の版にはなく、後の改訂版(1975年)にだけ載っている。そちらでは[[百詩篇第3巻35番]]の解釈に割り込ませるようにこの詩についてが挿入されており、いずれも近未来の[[反キリスト]]の誕生と解釈されていた((Fontbrune (1938)[1939], Fontbrune (1938)[1975] p.279))(なお、マックスは1959年に没しているので、生前の改訂版になかったのだとすれば、息子が追加したのだろう)。  反キリストとする解釈は息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]も引き継いだ。息子の方は、反キリストがアジアで誕生する詩のひとつとして解釈しており、moine もキリスト教の修道士ではなく、仏教もしくは禅宗の僧侶と解釈した。  [[五島勉]]はこれに猛反発し、禅宗の僧侶がアジアで多いのは日本なので、これは反キリストが日本から生まれると解釈したのと同じだと批判した((五島『大予言IV』pp.124-126))。 **懐疑的な見解  チータムの「鉄仮面」とする解釈は、どうみても[[エドガー・レオニ]]からの盗用だが、レオニはこの解釈を自説としており(前出のラルモール説への反論として挙げた)、「多くの解釈者が」などとは一言も述べていない。  そもそも「鉄仮面」とルイ14世を双子とするのはデュマの小説の設定であって、史実とは確定していない。それを事実とする前提でもって解釈を展開するのは不適切だろう。 #amazon(4042020070) 【画像】 デュマ 『仮面の男』 角川文庫クラシックス  なお、チータムが英国女王アンの生んだ双子と解釈していると、五島勉は紹介したが((五島『大予言IV』p.124))、チータムが王妃の名前を Queen Anne としか書いていなかったことから早合点したのだろう。上記の通り、「鉄仮面」とする解釈とアン女王は何の関係もない。  もっとも、五島の紹介に「鉄仮面」という名前が出ていないことからすると、あるいは五島は「鉄仮面」や『三銃士』について全く知らなかったのかもしれない。  その五島のフォンブリュヌ批判についてだが、確かにフォンブリュヌの原書には禅宗(zen)という見出し語はある。ただし、彼は別の場所で北緯50度付近から反キリストが現れるとも述べており、本当に日本を狙い撃ちにしていたかは大いに疑問である。  フォンブリュヌ解釈に問題点が多く、実際、未来予測のほとんどが外れてきたというのは事実である。また、確かにアジアや仏教に対する偏見が込められていた可能性までは否定しきれない。当「大事典」としても特に庇おうという気にはならないが、そういう人物だからといって、言ってもいないことを言ったことにして批判するなどという手法はあってはならないだろう。 *同時代的な視点  [[ロジェ・プレヴォ]]は、テオドール・ド・ベーズがモデルではないかとした。ベーズは大聖堂で有名なヴェズレーの生まれで、その双子の兄弟は23歳の時に死んでいる。その後、宗教改革に積極的にかかわり、ジャン・カルヴァンの片腕としてその名を広く知られるようになった((Prévost [1999] p.78))。  [[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]はこれを支持している((Petey-Girard [2003], Lemesurier [2010], Sieburth [2012]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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