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[[百詩篇第8巻]]>21番
*原文
Au port&sup(){1} de Agde trois [[fustes>fuste]] entreront
Portant&sup(){2} l'infect non foy&sup(){3} & pestilence
Passant le pont mil milles&sup(){4} [[embleront>embler]]&sup(){5},
Et le pont rompre à tierce&sup(){6} resistance.
**異文
(1) port : Port 1772Ri
(2) Portant : Pourtant 1600 1610 1716
(3) l'infect non foy : infection avec foy 1672
(4) milles : mille 1653 1665 1840
(5) embleront : trembleront 1611B 1653 1665 1772Ri 1981EB, sembleront 1840
(6) à tierce : àtierce 1653
*日本語訳
[[アグド]]の港に三隻の軽量船が入るだろう、
伝染病と信ならざるものと悪疫とを携えて。
橋を通って一千の兵卒たちが強奪するだろう。
そして橋は三度耐えて壊れる。
**訳について
1行目「軽量船」については[[fuste]]参照。
2行目の infect は形容詞だが、名詞的に使われていると見るべきだろう。DFE にも infected などとともに、infection (伝染病)という訳語が載っている。
non foy は foy の否定。foy は信仰や信頼の意味なので、non foy は「非・信仰」「非・信頼」ということである。ペストなどと並んでいる以上、よからぬものの流入を想定しているのだろうから、信仰と理解すべきだろうが、信仰、信頼のどちらにも解釈できるように、「信ならざるもの」とした。
難しいのは3行目で、mil milles を主語ととることも出来るし、それを目的語と見なして、主語は1行目の「三隻の軽量船」と理解することも出来る。[[ジャン=ポール・クレベール]]の釈義は前者、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]の英訳は後者である。もう一つ難しいのは mil milles の扱いである。dix mille (十の千 → 一万)、cent mille (百の千 → 十万)からすれば、mil milles (千の千)は百万と読める。しかし、普通、百万のことは million と言い、ノストラダムス自身、[[百詩篇第1巻92番]]、[[百詩篇第5巻25番]]などでは million を使っている。ラメジャラーは「百万」と訳出しているが、mil milles は本当に「百万」なのか、少々疑問もある。クレベールは milles をラテン語 miles (兵隊、歩兵)からの借用と見なし、mil milles を「一千の兵卒たち」と読んだ。当「大事典」は、そのクレベールの読みに従った。[[アグド]]はそこまで大きな港町ではないので、百万人が押し寄せるにせよ、百万の人ないし物財を奪われるにせよ、町に対して話の規模が大きすぎる点も、「百万」には都合が悪いのではなかろうか。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「アグダの港に三つの船が入り」((大乗 [1975] p235。以下、この詩の引用は同じページから。))について。「アグダ」は不適切な表記。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳で Agda と表記されていたため。しかし、他の英訳でこのような表記を採っているものはない(ロバーツがもとにした[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳でさえも)。ゆえに、Agda という表記は誤記か、ロバーツの知ったかぶりのいずれかだろう。
なお、[[fuste]]を単に「船」とするのはおおむね間違っていないし、当「大事典」の「軽量船」にしても最適とはいえないかもしれないが、単なる「船」とは違う訳語の方が望ましいのではないだろうか。
2行目「悪い影響と疫病をもち込み」は、大乗訳の底本になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の原文自体がかなり改変されている(ロバーツはこの詩についてはガランシエールを踏襲している)ことを差し引いて考えるべきだろうが、それでも(改変後も残っている) foy が訳に反映されていないなどの問題がある。
3行目「橋を越えて何人も連れさられ」は、mil milles を「何人も」とするのがいくら何でもおかしい。
4行目「第三の反抗で橋が壊される」は、動詞が不定形なので、言葉の補いようによってはそうも読める。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
1行目「三隻の船がアグドの港に入る」((山根 [1988] p.259。以下、この詩の引用は同じページから。))の「船」は上に述べた通り。
2行目 「信仰ではなく 汚染と疫病をもたらす」は、[[エリカ・チータム]]の英訳の転訳。チータムは明らかに[[エドガー・レオニ]]の英訳を踏襲している。レオニは non foy et の部分を non foy mais と読み替えて、英語の not... but... のように理解したのである。かつてあった読みということでは許容されるかもしれないが、現在ではラメジャラー、[[リチャード・シーバース]]らの英訳でも普通に並列と理解されており、支持すべき理由はなくなっている。
*信奉者側の見解
基本的に全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、地中海に面したフランスの港町アグドに伝染病やペストをもたらす3隻のガレー船が入港し、数千人の捕虜(ガランシエールは mil milles を単に thousands と英訳している)を連れ去ってしまい、町の橋は、住民が3度目の抗戦をしたときに破壊される、と情景をほとんどそのまま敷衍したような解釈をした((Garencieres [1672]))。
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]はフランスの都市「アグダ」(Agda)が、外国のプロパガンダや侵略の上陸地になっていたと指摘しただけだった((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]))。
[[エリカ・チータム]](1973年)は第二次世界大戦に間接的に言及されている可能性を指摘した((Cheetham [1973]))。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は曖昧だけれども、おそらく象徴的な詩だろうとした((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
[[ルイ・シュロッセ]]は16世紀の情勢がモデルと見なした。[[フランソワ1世]]はオスマン帝国と協定を結んで1543年に共同でニース攻略をし、翌年にかけてオスマン帝国海軍はマルセイユやトゥーロンで越冬した。
シュロッセはオスマン海軍がアグドを含むラングドックの港に停泊したことや、フランソワ1世が国内問題として異端に厳しく臨んでいたことなどが描かれていると解釈した((Schlosser [1986] pp.143-144))
[[ロジェ・プレヴォ]]は1347年から1348年のペスト大流行にモデルを見出した。フランスではマルセイユを含むプロヴァンスから流行が始まったとされ、その原因はジェノヴァの貿易船が黒海から持ち込んだものとされる((柴田・樺山・福井『フランス史1』p.233))。プレヴォは、マルセイユからアグドへと来た3隻のジェノヴァ船がその地にペストをもたらしたことと解釈した((Prévost [1999] p.144))。
[[ピーター・ラメジャラー]]はこの解釈を踏襲しつつ、ノストラダムスは『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた[[イスラーム]]勢力の侵攻を伝染病に喩えているとし、そのイメージも重ねあわされていると推測した((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
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#comment
[[詩百篇第8巻]]>21番*
*原文
Au port&sup(){1} de Agde trois [[fustes>fuste]] entreront
Portant&sup(){2} l'infect&sup(){3} non foy&sup(){4} & pestilence
Passant le pont mil milles&sup(){5} [[embleront>embler]]&sup(){6},
Et le pont rompre à tierce&sup(){7} resistance.
**異文
(1) port : porte 1650Mo, Port 1772Ri
(2) Portant : Pourtant 1606PR 1607PR 1610Po 1716PR
(3) l'infect : infection 1672Ga
(4) non foy : avec foy 1672Ga, non soy 1720To
(5) milles : mille 1653AB 1665Ba 1716PR(b c) 1720To 1840
(6) embleront : trembleront 1611B 1653AB 1665Ba 1720To 1772Ri 1981EB, sembleront 1716PR(b c) 1840
(7) à tierce : àtierce 1653AB
*日本語訳
[[アグド]]の港に三隻の軽量船が入るだろう、
伝染病と信ならざるものと悪疫とを携えて。
橋を通って一千の兵卒たちが強奪するだろう。
そして橋は三度耐えて壊れる。
**訳について
1行目「軽量船」については[[fuste]]参照。
2行目の infect は形容詞だが、名詞的に使われていると見るべきだろう。DFE にも infected などとともに、infection (伝染病)という訳語が載っている。
non foy は foy の否定。foy は信仰や信頼の意味なので、non foy は「非・信仰」「非・信頼」ということである。ペストなどと並んでいる以上、よからぬものの流入を想定しているのだろうから、信仰と理解すべきだろうが、信仰、信頼のどちらにも解釈できるように、「信ならざるもの」とした。
難しいのは3行目で、mil milles を主語ととることも出来るし、それを目的語と見なして、主語は1行目の「三隻の軽量船」と理解することも出来る。[[ジャン=ポール・クレベール]]の釈義は前者、[[ピーター・ラメジャラー]]や[[リチャード・シーバース]]の英訳は後者である。
もう一つ難しいのは mil milles の扱いである。dix mille (十の千 → 一万)、cent mille (百の千 → 十万)からすれば、mil milles (千の千)は百万と読める。
しかし、普通、百万のことは million と言い、ノストラダムス自身、[[詩百篇第1巻92番]]、[[詩百篇第5巻25番]]などでは million を使っている。ラメジャラーは「百万」と訳出しているが、mil milles は本当に「百万」なのか、少々疑問もある。
クレベールは milles をラテン語 miles (兵隊、歩兵)からの借用と見なし、mil milles を「一千の兵卒たち」と読んだ。当「大事典」は、そのクレベールの読みに従った。[[アグド]]はそこまで大きな港町ではないので、百万人が押し寄せるにせよ、百万の人ないし物財を奪われるにせよ、町に対して話の規模が大きすぎる点も、「百万」には都合が悪いのではなかろうか。
既存の訳についてコメントしておく。
[[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。
1行目 「アグダの港に三つの船が入り」((大乗 [1975] p235。以下、この詩の引用は同じページから。))について。「アグダ」は不適切な表記。これは[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳で Agda と表記されていたため。しかし、他の英訳でこのような表記を採っているものはない(ロバーツがもとにした[[テオフィル・ド・ガランシエール]]の英訳でさえも)。ゆえに、Agda という表記は誤記か、ロバーツの知ったかぶりのいずれかだろう。
なお、[[fuste]]を単に「船」とするのはおおむね間違っていないし、当「大事典」の「軽量船」にしても最適とはいえないかもしれないが、単なる「船」とは違う訳語の方が望ましいのではないだろうか。
2行目「悪い影響と疫病をもち込み」は、大乗訳の底本になった[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の原文自体がかなり改変されている(ロバーツはこの詩についてはガランシエールを踏襲している)ことを差し引いて考えるべきだろうが、それでも(改変後も残っている) foy が訳に反映されていないなどの問題がある。
3行目「橋を越えて何人も連れさられ」は、mil milles を「何人も」とするのがいくら何でもおかしい。
4行目「第三の反抗で橋が壊される」は、動詞が不定形なので、言葉の補いようによってはそうも読める。
[[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。
1行目「三隻の船がアグドの港に入る」((山根 [1988] p.259。以下、この詩の引用は同じページから。))の「船」は上に述べた通り。
2行目 「信仰ではなく 汚染と疫病をもたらす」は、[[エリカ・チータム]]の英訳の転訳。チータムは明らかに[[エドガー・レオニ]]の英訳を踏襲している。レオニは non foy et の部分を non foy mais と読み替えて、英語の not... but... のように理解したのである。
かつてあった読みということでは許容されるかもしれないが、現在ではラメジャラー、[[リチャード・シーバース]]らの英訳でも普通に並列と理解されており、支持すべき理由はなくなっている。
*信奉者側の見解
基本的に全訳本の類でしか解釈されてこなかった詩である。
[[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、地中海に面したフランスの港町アグドに伝染病やペストをもたらす3隻のガレー船が入港し、数千人の捕虜(ガランシエールは mil milles を単に thousands と英訳している)を連れ去ってしまい、町の橋は、住民が3度目の抗戦をしたときに破壊される、と情景をほとんどそのまま敷衍したような解釈をした((Garencieres [1672]))。
[[ヘンリー・C・ロバーツ]]はフランスの都市「アグダ」(Agda)が、外国のプロパガンダや侵略の上陸地になっていたと指摘しただけだった((Roberts (1947)[1949], Roberts (1947)[1994]))。
[[エリカ・チータム]](1973年)は第二次世界大戦に間接的に言及されている可能性を指摘した((Cheetham [1973]))。
[[セルジュ・ユタン]](1978年)は曖昧だけれども、おそらく象徴的な詩だろうとした((Hutin [1978]))。
*同時代的な視点
[[ルイ・シュロッセ]]は16世紀の情勢がモデルと見なした。
[[フランソワ1世]]はオスマン帝国と協定を結んで1543年に共同でニース攻略をし、翌年にかけてオスマン帝国海軍はマルセイユやトゥーロンで越冬した。
シュロッセはオスマン海軍がアグドを含むラングドックの港に停泊したことや、フランソワ1世が国内問題として異端に厳しく臨んでいたことなどが描かれていると解釈した((Schlosser [1986] pp.143-144))
[[ロジェ・プレヴォ]]は1347年から1348年のペスト大流行にモデルを見出した。
フランスではマルセイユを含むプロヴァンスから流行が始まったとされ、その原因はジェノヴァの貿易船が黒海から持ち込んだものとされる((柴田・樺山・福井『フランス史1』p.233))。
プレヴォは、マルセイユからアグドへと来た3隻のジェノヴァ船がその地にペストをもたらしたことと解釈した((Prévost [1999] p.144))。
[[ピーター・ラメジャラー]]はこの解釈を踏襲しつつ、ノストラダムスは『[[ミラビリス・リベル]]』に描かれた[[イスラーム]]勢力の侵攻を伝染病に喩えているとし、そのイメージも重ねあわされていると推測した((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。
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