詩百篇第12巻69番

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[[詩百篇第12巻]]>69番* *原文 [[EIOVAS]]&sup(){1} proche, eslongner lac&sup(){2} Leman: Fort grands&sup(){3} aprests. retour, confusion. Loin des nepueux&sup(){4}, du feu grand [[Supelman]]&sup(){5}. Tous de leur&sup(){6} suite,* **異文 (1) EIOVAS : Eiouas 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1780MN, Eiovas 1649Ca 1672Ga 1697Vi 1720To, Elovas 1698L (2) lac : Lac 1672Ga 1780MN (3) grands : grand 1672Ga (4) nepueux : Nepueux 1672Ga (5) Supelman : supelman 1627Ma 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, supelma 1627Di, Supelmam 1667Wi (6) leur : leug 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To **原文について  4行目が欠けているが、未完成なのか、シャヴィニーが省略しただけなのかはわからない。シャヴィニーは解釈の際にこうした省略をしばしば行っている。 *日本語訳 エイオヴァスには近く、[[レマン湖]]を遠ざける。 非常に大掛かりな準備。帰還と混乱。 甥たちからは遠く、偉大なスュペルマンは火によって、 彼らの随行者全てを、・・・。 **訳について  4行目が途切れているせいもあって、3・4行目はいくつもの読み方がありうる。  3行目は[[エドガー・レオニ]]の読み方に従えば、「亡き偉大なスュペルマンの甥たちから遠い」となる。初出である[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の読み方(ラテン語訳・解釈)に従えば「偉大なスュペルマンは、甥たちからも火からも隔たっている」となる。これらの違いは、「de の係り方をどう捉えるか」「『故人』と『火』の2通りに訳せるfeuをどう訳すか」といったことによる。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「エオバスが近くに ジュネーブ湖からはなれてみえ」((大乗 [1975] p.313。以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳のほぼ直訳だが、「みえ」に当たる語は原文にない。  2行目「非常によい準備で混乱がしずまり」は少々疑問。ロバーツの英訳の後半は、return confusion とほぼ逐語訳だが、return を動詞と理解したうえで、「混乱の状態から元に戻る」=「混乱が鎮まる」と訳したものか。  3行目「甥からはなれてスーペルマンに」は不適切。[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は Far from the nephews of the late Supelman((Roberts [1949] p.350))で、レオニの訳し方とあまり変わらない。  4行目「かれらのすべてが」は、suite が訳に反映されていない。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)は、EIOVAS をサヴォワの[[アナグラム]]と理解した上で、1589年にサヴォワ公が周到な準備の上で[[ジュネーヴ]]に兵を差し向けたことを予言したと解釈した。彼はスュペルマンをスペイン王と捉え、王が「甥たちからも戦争からも遠かったにもかかわらず兵と資金を提供した」((Chavigny [1594] p.276))こととした。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、17世紀初頭にサヴォワ公国がジュネーヴを狙ったことの予言と解釈した。彼の場合、実に4ページ以上にわたって詳細な解釈を展開している。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、ごく近未来に起こると解釈していたヨーロッパの戦争の一場面と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.179))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](1980年)は、(1980年に発表した時点で未来に起きると想定していた)第三次世界大戦において、サヴォワ地方やスイスから住民が逃げ出すことの予言と解釈していた((Fontbrune [1980/82]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]も、サヴォワ公国が[[ジュネーヴ]]を狙っていたことを描いたものだろうとしている。その場合、1行目は「サヴォワは近い、レマン湖を(プロテスタントから)遠ざけるために」とでも読むべきか。  レオニが指摘しているように、カルヴァンが神権政治を行う前には、ジュネーヴ司教はサヴォワ家の縁者が就任する地位だったため、それを通じてサヴォワ家が影響力を及ぼしていた。ゆえに、この詩の描写が事後予言なのか、歴史的経緯に基づくノストラダムスの見通しだったのかは、断定できない。  ただし、レオニも Supelman については特段の解釈を提示できていないように、細部に不明な点もある。 *その他  1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720Toでは詩番号が64番になっている。 ---- #comment
[[詩百篇第12巻]]>69番* *原文 [[EIOVAS]]&sup(){1} proche, eslongner lac&sup(){2} Leman: Fort grands&sup(){3} aprests. retour, confusion. Loin des nepueux&sup(){4}, du feu grand [[Supelman]]&sup(){5}. Tous de leur&sup(){6} suite,* **異文 (1) EIOVAS : Eiouas 1611A 1611B 1627Ma 1627Di 1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1780MN, Eiovas 1649Ca 1672Ga 1697Vi 1720To, Elovas 1698L (2) lac : Lac 1672Ga 1780MN (3) grands : grand 1672Ga (4) nepueux : Nepueux 1672Ga (5) Supelman : supelman 1627Ma 1644Hu 1649Xa 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720To, supelma 1627Di, Supelmam 1667Wi (6) leur : leug 1653AB 1665Ba 1697Vi 1720To **原文について  4行目が欠けているが、未完成なのか、シャヴィニーが省略しただけなのかはわからない。シャヴィニーは解釈の際にこうした省略をしばしば行っている。 *日本語訳 エイオヴァスには近く、[[レマン湖]]を遠ざける。 非常に大掛かりな準備。帰還と混乱。 甥たちからは遠く、偉大なスュペルマンは火によって、 彼らの随行者全てを、・・・。 **訳について  4行目が途切れているせいもあって、3・4行目はいくつもの読み方がありうる。  3行目は[[エドガー・レオニ]]の読み方に従えば、「亡き偉大なスュペルマンの甥たちから遠い」となる。初出である[[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]]の読み方(ラテン語訳・解釈)に従えば「偉大なスュペルマンは、甥たちからも火からも隔たっている」となる。これらの違いは、「de の係り方をどう捉えるか」「『故人』と『火』の2通りに訳せるfeuをどう訳すか」といったことによる。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「エオバスが近くに ジュネーブ湖からはなれてみえ」((大乗 [1975] p.313。以下、この詩の引用は同じページから。))は、[[ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳のほぼ直訳だが、「みえ」に当たる語は原文にない。  2行目「非常によい準備で混乱がしずまり」は少々疑問。ロバーツの英訳の後半は、return confusion とほぼ逐語訳だが、return を動詞と理解したうえで、「混乱の状態から元に戻る」=「混乱が鎮まる」と訳したものか。  3行目「甥からはなれてスーペルマンに」は不適切。[[ロバーツ>ヘンリー・C・ロバーツ]]の英訳は Far from the nephews of the late Supelman((Roberts [1949] p.350))で、レオニの訳し方とあまり変わらない。  4行目「かれらのすべてが」は、suite が訳に反映されていない。 *信奉者側の見解  [[ジャン=エメ・ド・シャヴィニー]](1594年)は、EIOVAS をサヴォワの[[アナグラム]]と理解した上で、1589年にサヴォワ公が周到な準備の上で[[ジュネーヴ]]に兵を差し向けたことを予言したと解釈した。彼はスュペルマンをスペイン王と捉え、王が「甥たちからも戦争からも遠かったにもかかわらず兵と資金を提供した」((Chavigny [1594] p.276))こととした。  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、17世紀初頭にサヴォワ公国がジュネーヴを狙ったことの予言と解釈した。彼の場合、実に4ページ以上にわたって詳細な解釈を展開している。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、ごく近未来に起こると解釈していたヨーロッパの戦争の一場面と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.179))。  [[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]](1980年)は、(1980年に発表した時点で未来に起きると想定していた)第三次世界大戦において、サヴォワ地方やスイスから住民が逃げ出すことの予言と解釈していた((Fontbrune [1980/82]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]も、サヴォワ公国が[[ジュネーヴ]]を狙っていたことを描いたものだろうとしている。その場合、1行目は「サヴォワは近い、レマン湖を(プロテスタントから)遠ざけるために」とでも読むべきか。  レオニが指摘しているように、カルヴァンが神権政治を行う前には、ジュネーヴ司教はサヴォワ家の縁者が就任する地位だったため、それを通じてサヴォワ家が影響力を及ぼしていた。ゆえに、この詩の描写が事後予言なのか、歴史的経緯に基づくノストラダムスの見通しだったのかは、断定できない。  ただし、レオニも Supelman については特段の解釈を提示できていないように、細部に不明な点もある。 *その他  1644Hu 1650Ri 1653AB 1665Ba 1697Vi 1698L 1720Toでは詩番号が64番になっている。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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