百詩篇第3巻27番

「百詩篇第3巻27番」の編集履歴(バックアップ)一覧はこちら

百詩篇第3巻27番」(2015/08/14 (金) 13:03:54) の最新版変更点

追加された行は緑色になります。

削除された行は赤色になります。

[[百詩篇第3巻]]>27番 *原文 Prince Libyque&sup(){1} puissant en Occident&sup(){2} Francois&sup(){3} d'Arabe&sup(){4} viendra tant enflammer&sup(){5}: Scauans&sup(){6} aux letres&sup(){7} fera condescendent&sup(){8}, La langue&sup(){9} Arabe en Francois&sup(){10} translater. **異文 (1) Libyque 1555 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : libinique &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : libijque 1650Le, Libique 1672, Libinique 1772Ri) (2) Occident : occident 1627 (3) Francois 1555 1557U 1557B 1568A 1627 1628 1630Ma 1672 1840 : François &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Srançois 1589Me) (4) d'Arabe : d'Herrabe 1588Rf 1589Rg, d'Herabe 1589Me, d'Arrabe 1605 1628, d'Arabie 1653 1665 (5) enflammer : enflammee 1557B (6) Scauans 1555 1557U 1557B 1568A 1568C 1840 : Sçauans &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : [ ]çauans 1589Me, Sçauant 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1716, Scavant 1672 1981EB) (7) aux letres : auudettres 1627 (8) fera condescendent : condescendent 1557B 1589PV 1590SJ, sera condescendent 1672, fera condescondent 1772Ri (9) langue : Langue 1672 (10) en Francois 1555 1557U 1557B 1568A 1672 1840 : en François &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : en françois 1590Ro) (注記)1589Me は çauans の直前に1文字分の脱漏があるので、[ ] で表現した。すぐ上の行の Srançois という明らかな誤植は、この脱漏と関係があるのかもしれない。 *日本語訳 西方で力のあるリビアの君主が、 フランソワをアラブのものであまりにも燃え立たせることになるので、 受け入れて、文芸に通じる人々にさせるであろう、 アラビア語をフランス語に翻訳することを。 **訳について  2行目 Francois (François)は読みが分かれる。当時のフランス語では人名のフランソワも「フランス人、フランス語」も、ともに François と書いたからである(現代では後者はフランセ Français となっている)。  [[ピエール・ブランダムール]]の釈義や[[リチャード・シーバース]]の英訳ではいずれも人名のフランソワが採用されている。反面、[[高田勇]]・[[伊藤進]]の和訳、[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳ではフランス人(French)が採用されている。  当「大事典」は便宜上フランソワを採ったが、どちらの可能性もあると思われる。  3行目 condescendent について、[[エドガー・レオニ]]は condescendant と読み替えている。その場合、それは condescendre の現在分詞である。 -ent のままなら三人称複数の直説法現在形とも解釈できるが、その場合の -ent は発音しないので、1行目と韻を踏まなくなる。レオニの読み方が妥当だろう。  現代ではこの語は「(目下の人間の要求に)応じてやる」の意味だが、中期フランス語では「譲る」(céder)、「受け入れる」(accepter)、「同じ水準に自らを置く」(se mettre au même niveau que)の意味があった。当「大事典」では、比較的穏当と思われる「受け入れる」の意味で訳したが、フランスをアラブと同じ水準に置くといった意味合いで理解することも可能かもしれない。  同じ行の fera は2行目の Francois に対応するものとして理解した。fera の主語を Francois とし、Scavans を目的語とする読みはラメジャラーも採用している(ただし、彼の訳では condescendent に対応する語がない)。  [[ピエール・ブランダムール]]は3行目の Scavans を単数形 (Savant) で理解し、2行目の「フランソワ」と同一人物と理解した。彼の釈義では condescendent は「自ら進んで、快く」(volontiers)となっている。3行目 fera は三人称の単数形に対応するので、Scavans を単数に読み替えるのは一つの手ではある。[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳では、Scavans は複数形のまま、3行目の主語になっている(condescendent の訳語は「得々として」)。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「フランスはアラブを非常に燃え立たせ」((大乗 [1975] p.104。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。enflammer は他動詞なので、アラブが目的語なら d' (de)は不要のはずである。また、Francois を単に「フランス」(France)としてしまったのでは、上述のようなフランソワかフランス人かという重層的なニュアンスが全く読み取れなくなってしまう。  3行目「学問のため謙虚に」は不適切。fera が sera になっている底本を用いたことを差し引いても、Scavants aux lettres を「学問」とするのは大雑把すぎるだろう。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「フランスはアラブに夢中になるだろう」((山根 [1988] p.124 。以下、この詩の引用は同じページから。))は上述の大乗訳と類似の問題点を抱えている。  3行目「書物で学び 彼は内心鼻高だかに」は、Scavant を名詞ではなく savoir (知る)の現在分詞として理解すればありえないとまでは言えないかもしれないが、後半の「内心鼻高だか」は無理があるだろう。  4行目「アラブ語をフランス語に翻訳する」について。arabe は「アラブの、アラビアの」を意味するので、langue arabe (アラブの言葉、アラビアの言葉)は「アラビア語」で問題ない。「アラブ語」というあまり一般的でない呼称をわざわざ使う必然性は無いように思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、近未来に起こると想定していたアラブとヨーロッパの戦争に関連する詩と解釈していた((Fontbrune (1938)[1939] p.247, Fontbrune (1938)[1975] p.261))。  息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、1980年の時点では、近未来にリビアのカダフィがアラブ諸国を扇動して、ヨーロッパに侵攻すると解釈していた((Fontbrune (1980)[1982]))。21世紀に入るとカダフィの名指しは避けるようになったが、近未来のアラブとヨーロッパの戦争という解釈は最晩年まで堅持した((Fontbrune [2006] p.467, Fontbrune [2009] p.82))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はリビアでカダフィがクーデターを起こし、権力を掌握したこと(1970年)と結びつけた((Hutin [1978]))。[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ジョゼフ・セーヴ (Joseph Sèves)による最初のアラビア語からのフランス語訳についての仄めかしとする解釈に差し替えられた((Hutin {2002}[2003]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]は、アラビア語とフランス語の辞書は1505年以降いくつも出ていたことを指摘しつつ、当時のフランスと海賊艦隊の結びつきに言及した((Leoni [1961]))。  こうした当時の歴史的文脈からの理解は[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らによっても推進されており、とりわけ[[フランソワ1世]]の時代における文芸復興の動きがモデルと見なされる。フランソワ1世はコレージュ・ド・フランスの前身となる王立教授団を創設しており、東洋学者ギヨーム・ポステルはそこでアラビア語、ギリシア語、ヘブライ語の文学を講じた。このフランソワ1世の時代のアラビア語に対する関心の高まりが投影されていると見られている((Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999], Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[百詩篇第3巻]]>27番 *原文 Prince Libyque&sup(){1} puissant en Occident&sup(){2} Francois&sup(){3} d'Arabe&sup(){4} viendra tant enflammer&sup(){5}: Scauans&sup(){6} aux letres&sup(){7} fera condescendent&sup(){8}, La langue&sup(){9} Arabe en Francois&sup(){10} translater. **異文 (1) Libyque 1555 1627 1630Ma 1644 1650Ri 1653 1665 1840 : libinique &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : libijque 1650Le, Libique 1672, Libinique 1772Ri) (2) Occident : occident 1627 (3) Francois 1555 1557U 1557B 1568A 1627 1628 1630Ma 1672 1840 : François &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : Srançois 1589Me) (4) d'Arabe : d'Herrabe 1588Rf 1589Rg, d'Herabe 1589Me, d'Arrabe 1605 1628, d'Arabie 1653 1665 (5) enflammer : enflammee 1557B (6) Scauans 1555 1557U 1557B 1568A 1568C 1840 : Sçauans &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : [ ]çauans 1589Me, Sçauant 1591BR 1597 1600 1605 1610 1611 1628 1649Xa 1716, Scavant 1672 1981EB) (7) aux letres : auudettres 1627 (8) fera condescendent : condescendent 1557B 1589PV 1590SJ, sera condescendent 1672, fera condescondent 1772Ri (9) langue : Langue 1672 (10) en Francois 1555 1557U 1557B 1568A 1672 1840 : en François &italic(){T.A.Eds.} (&italic(){sauf} : en françois 1590Ro) (注記)1589Me は çauans の直前に1文字分の脱漏があるので、[ ] で表現した。すぐ上の行の Srançois という明らかな誤植は、この脱漏と関係があるのかもしれない。 *日本語訳 西方で力のあるリビアの君主が、 フランソワをアラブのものであまりにも燃え立たせることになるので、 受け入れて、文芸に通じる人々にさせるであろう、 アラビア語をフランス語に翻訳することを。 **訳について  2行目 Francois (François)は読みが分かれる。当時のフランス語では人名のフランソワも「フランス人、フランス語」も、ともに François と書いたからである(現代では後者はフランセ Français となっている)。  [[ピエール・ブランダムール]]の釈義や[[リチャード・シーバース]]の英訳ではいずれも人名のフランソワが採用されている。反面、[[高田勇]]・[[伊藤進]]の和訳、[[ピーター・ラメジャラー]]の英訳ではフランス人(French)が採用されている。  当「大事典」は便宜上フランソワを採ったが、どちらの可能性もあると思われる。  3行目 condescendent について、[[エドガー・レオニ]]は condescendant と読み替えている。その場合、それは condescendre の現在分詞である。 -ent のままなら三人称複数の直説法現在形とも解釈できるが、その場合の -ent は発音しないので、1行目と韻を踏まなくなる。レオニの読み方が妥当だろう。  現代ではこの語は「(目下の人間の要求に)応じてやる」の意味だが、中期フランス語では「譲る」(céder)、「受け入れる」(accepter)、「同じ水準に自らを置く」(se mettre au même niveau que)の意味があった。当「大事典」では、比較的穏当と思われる「受け入れる」の意味で訳したが、フランスをアラブと同じ水準に置くといった意味合いで理解することも可能かもしれない。  同じ行の fera は2行目の Francois に対応するものとして理解した。fera の主語を Francois とし、Scavans を目的語とする読みはラメジャラーも採用している(ただし、彼の訳では condescendent に対応する語がない)。  [[ピエール・ブランダムール]]は3行目の Scavans を単数形 (Savant) で理解し、2行目の「フランソワ」と同一人物と理解した。彼の釈義では condescendent は「自ら進んで、快く」(volontiers)となっている。3行目 fera は三人称の単数形に対応するので、Scavans を単数に読み替えるのは一つの手ではある。[[高田勇]]・[[伊藤進]]訳では、Scavans は複数形のまま、3行目の主語になっている(condescendent の訳語は「得々として」)。  既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  2行目 「フランスはアラブを非常に燃え立たせ」((大乗 [1975] p.104。以下、この詩の引用は同じページから。))は誤訳。enflammer は他動詞なので、アラブが目的語なら d' (de)は不要のはずである。また、Francois を単に「フランス」(France)としてしまったのでは、上述のようなフランソワかフランス人かという重層的なニュアンスが全く読み取れなくなってしまう。  3行目「学問のため謙虚に」は不適切。fera が sera になっている底本を用いたことを差し引いても、Scavants aux lettres を「学問」とするのは大雑把すぎるだろう。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  2行目 「フランスはアラブに夢中になるだろう」((山根 [1988] p.124 。以下、この詩の引用は同じページから。))は上述の大乗訳と類似の問題点を抱えている。  3行目「書物で学び 彼は内心鼻高だかに」は、Scavant を名詞ではなく savoir (知る)の現在分詞として理解すればありえないとまでは言えないかもしれないが、後半の「内心鼻高だか」は無理があるだろう。  4行目「アラブ語をフランス語に翻訳する」について。arabe は「アラブの、アラビアの」を意味するので、langue arabe (アラブの言葉、アラビアの言葉)は「アラビア語」で問題ない。「アラブ語」というあまり一般的でない呼称をわざわざ使う必然性は無いように思われる。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]]は、ほとんどそのまま敷衍したようなコメントしかつけていなかった((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はほとんどいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]、[[アンドレ・ラモン]]、[[ロルフ・ボズウェル]]、[[ジェイムズ・レイヴァー]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は、近未来に起こると想定していたアラブとヨーロッパの戦争に関連する詩と解釈していた((Fontbrune (1938)[1939] p.247, Fontbrune (1938)[1975] p.261))。  息子の[[ジャン=シャルル・ド・フォンブリュヌ]]は、1980年の時点では、近未来にリビアのカダフィがアラブ諸国を扇動して、ヨーロッパに侵攻すると解釈していた((Fontbrune (1980)[1982]))。21世紀に入るとカダフィの名指しは避けるようになったが、近未来のアラブとヨーロッパの戦争という解釈は最晩年まで堅持した((Fontbrune [2006] p.467, Fontbrune [2009] p.82))。  [[セルジュ・ユタン]](1978年)はリビアでカダフィがクーデターを起こし、権力を掌握したこと(1970年)と結びつけた((Hutin [1978]))。[[ボードワン・ボンセルジャン]]の補訂(2002年)では、ジョゼフ・セーヴ (Joseph Sèves)による最初のアラビア語からのフランス語訳についての仄めかしとする解釈に差し替えられた((Hutin {2002}[2003]))。 *同時代的な視点  [[エドガー・レオニ]]は、アラビア語とフランス語の辞書は1505年以降いくつも出ていたことを指摘しつつ、当時のフランスと海賊艦隊の結びつきに言及した((Leoni [1961]))。  こうした当時の歴史的文脈からの理解は[[ピエール・ブランダムール]]、[[高田勇]]・[[伊藤進]]、[[ピーター・ラメジャラー]]らによっても推進されており、とりわけ[[フランソワ1世]]の時代における文芸復興の動きがモデルと見なされる。フランソワ1世はコレージュ・ド・フランスの前身となる王立教授団を創設しており、東洋学者ギヨーム・ポステルはそこでアラビア語、ギリシア語、ヘブライ語の文学を講じた。このフランソワ1世の時代のアラビア語に対する関心の高まりが投影されていると見られている((Brind'Amour [1996], 高田・伊藤 [1999], Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

表示オプション

横に並べて表示:
変化行の前後のみ表示: