百詩篇第3巻71番

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[[百詩篇第3巻]]>71番 *原文 Ceux dans les isles&sup(){1} de long temps&sup(){2} assiegés Prendront vigueur&sup(){3} force contre ennemis: Ceux par dehors morts&sup(){4} de faim [[profligés>profligé]]&sup(){5}, En plus grand faim&sup(){6} que iamais seront mis. **異文 (1) isles : Isles 1590SJ 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1665 1668 1672 1981EB (2) long temps : long-temps 1644 1649Xa 1668P 1772Ri, longtemps 1665 (3) vigueur : vigneur 1668A (4) morts : mort 1557B 1627 1644 1653 1665 (5) profligés : prodigés 1557B (6) grand faim : grand tain 1588-89, grand fin 1665 (注記1)1630Maは比較できず (注記2)[[ピエール・ブランダムール]]は4行目 grand faim の 1588Rf の異文として grand rain を挙げている。しかし、同系統の版である 1589Rg や 1589Me と整合しない。1588Rf の現存する唯一の版は印刷がつぶれていて、t か r かを厳格に判断しづらいが、当「大事典」では t と判断した。 **校訂  ブランダムールは isles (島々)を villes (諸都市)と校訂した。イルとヴィルならば、発音上は取り違えが起こってもおかしくないが、意味がまったく違ってくる。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]はそれを採用しているが、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]は isles のままとしている。 *日本語訳 諸都市で長いあいだ攻囲された人々は、 敵に対抗する精力と武力とを手に入れるだろう。 市外で打ち倒され、飢え死にする人々は、 決してないであろうほどの大規模な飢えで(死ぬことになる)。 **訳について  1行目はひとまず[[ピエール・ブランダムール]]の校訂を受け入れた。初出の原文どおりに訳すなら「島々で長いあいだ攻囲された人々は」となる。  3行目 par dehors は現代フランス語の場合「外(側)から」の意味だが、du dehors (外側の)と釈義したブランダムールに従っている。DMF には par le dehors で「外側で」(à l'extérieur)とある。なお、「市外」というのは1行目を「諸都市」と訳したことに対応させたものなので、「島々」と訳す場合には「島外」となる。    既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「島々の人々はながいあいだ包囲され」((大乗 [1975] p.114。以下、この詩の引用は同じページから。))は、上述の通り、直訳としては正しい。  2行目「敵に対して気力と力で」は、prendront (手に入れるだろう)が訳に反映されていない。  3行目「飢えで死なない人々は高姿勢になり」は誤訳。dehors morts を「死の外側」=「死なない」と理解したものだろうが、この行の前半律(最初の4音節)は dehors までなので、 dehors morts というまとめ方は不自然であろう。実際、ブランダムール、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]、[[エヴリット・ブライラー]]ら、実証主義的な論者でそのように理解している者はいない。  4行目「かれらには以前よりも一層大きな飢きんがあるだろう」は jamais (決して~ない)が訳に反映されていない。また、4行目には動詞がなく、素直に考えれば、3行目で描写された餓死する人々が死に際して直面する飢饉のひどさを示していると考えられるが、大乗訳の場合、3行目を「飢えで死なない」としてしまったために繋がりが不鮮明になってしまったのではないだろうか。なお、大乗訳のように3行目を「飢え」、4行目を「飢饉」と訳し分ける方が流麗な訳文になるかもしれないが、原文がいずれも faim であることから当「大事典」では意図的に「飢え」で揃えてみた。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「永らく島々に籠城を強いられていた者」((山根 [1988] p.137。以下、この詩の引用は同じページから。))で「攻囲される」を「籠城を強いられる」とするのは意訳の範囲内だろう。  2行目「やがて敵に対して猛反撃を加えるだろう」は、vigueur (気力、精力)と force (力、武力)をひとまとめにした上で意訳したものだろうが、原文はあくまでも抵抗する(物心両面の?)力を手に入れることまでしか描写しておらず、実際にそれで「猛反撃を加える」かどうかは明言されていない。その点で、意訳にしても若干アレンジしすぎと見えなくもない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、スペイン軍がオランダのライデンを攻囲した際に、堤防を破壊し、水攻めにしたことと解釈した((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は1行目を「長らく攻囲されてこなかったブリテンの島民たちは」というように、否定文に読み替えて1930年代までのイギリス情勢と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.260, Fontbrune (1938)[1975] p.267))。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は1917年以降のドイツ軍によるイギリスとその連合国にむけた無差別潜水艦攻撃が、かえってドイツの首を絞めることの予言と解釈した((Lamont [1943] p.132))。  [[ロルフ・ボズウェル]](1943年)は1940年ごろの世界大戦の情勢と解釈した((Boswell [1943] p.102))。  [[ジェイムズ・レイヴァー]](1952年)、[[スチュワート・ロッブ]](1961年)、[[エリカ・チータム]](1973年)、[[ヴライク・イオネスク]](1976年)、[[セルジュ・ユタン]](1978年)も、多少の違いはあれども、第二次世界大戦序盤に封じ込められていたイギリスが、ドイツに逆転したことなどと結びつけた((Laver (1942)[1952] p.230, Robb [1961] p.124, Cheetham [1973], Ionescu [1976] p.550, Ionescu [1987] p.339, Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、モデルの特定はしていないものの、普通の攻囲戦では籠城を強いられている側が飢えるのが普通なのに対し、この詩は攻囲している側が飢えるという逆説的な描写になっていることを指摘した((Brind'Amour [1996]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描写された[[イスラーム]]信徒のヨーロッパ侵攻の予言がモデルであろうとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  仮に「島々」が正しいとしても、当時はオスマン帝国の海賊艦隊が地中海を荒らしていたことを考えるなら、地中海の島々を想定するのが穏当ではないだろうか。そして、それらの島々が攻撃にさらされることは、『ミラビリス・リベル』の描写にも見られたことであった(同書の予言が当たっているという話ではなく、イスラーム勢力がヨーロッパに侵攻してくるというモチーフは7世紀以来、ずっと見られたということにすぎない。7世紀以来ヨーロッパはイスラーム勢力の侵攻をたびたび受けてきたし、逆に十字軍という形で打って出たこともあった。そうした歴史的経緯が中世以来の予言的伝統にも影響しているのである)。 ---- &bold(){コメントらん} 以下のコメント欄は[[コメントの著作権および削除基準>著作権について]]を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (当「大事典」管理者である sumaru 自身によって投稿されたコメントを除く)。 #comment
[[百詩篇第3巻]]>71番 *原文 Ceux dans les isles&sup(){1} de long temps&sup(){2} assiegés Prendront vigueur&sup(){3} force contre ennemis: Ceux par dehors morts&sup(){4} de faim [[profligés>profligé]]&sup(){5}, En plus grand faim&sup(){6} que iamais seront mis. **異文 (1) isles : Isles 1590SJ 1611B 1649Ca 1649Xa 1650Le 1653 1665 1668 1672 1981EB (2) long temps : long-temps 1644 1649Xa 1668P 1772Ri, longtemps 1665 (3) vigueur : vigneur 1668A (4) morts : mort 1557B 1627 1644 1653 1665 (5) profligés : prodigés 1557B (6) grand faim : grand tain 1588-89, grand fin 1665 (注記1)1630Maは比較できず (注記2)[[ピエール・ブランダムール]]は4行目 grand faim の 1588Rf の異文として grand rain を挙げている。しかし、同系統の版である 1589Rg や 1589Me と整合しない。1588Rf の現存する唯一の版は印刷がつぶれていて、t か r かを厳格に判断しづらいが、当「大事典」では t と判断した。 **校訂  ブランダムールは isles (島々)を villes (諸都市)と校訂した。イルとヴィルならば、発音上は取り違えが起こってもおかしくないが、意味がまったく違ってくる。[[ブリューノ・プテ=ジラール]]、[[リチャード・シーバース]]はそれを採用しているが、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[ジャン=ポール・クレベール]]は isles のままとしている。 *日本語訳 諸都市で長いあいだ攻囲された人々は、 敵に対抗する精力と武力とを手に入れるだろう。 市外で打ち倒され、飢え死にする人々は、 決してないであろうほどの大規模な飢えで(死ぬことになる)。 **訳について  1行目はひとまず[[ピエール・ブランダムール]]の校訂を受け入れた。初出の原文どおりに訳すなら「島々で長いあいだ攻囲された人々は」となる。  3行目 par dehors は現代フランス語の場合「外(側)から」の意味だが、du dehors (外側の)と釈義したブランダムールに従っている。DMF には par le dehors で「外側で」(à l'extérieur)とある。なお、「市外」というのは1行目を「諸都市」と訳したことに対応させたものなので、「島々」と訳す場合には「島外」となる。    既存の訳についてコメントしておく。  [[大乗訳>ノストラダムス大予言原典・諸世紀]]について。  1行目 「島々の人々はながいあいだ包囲され」((大乗 [1975] p.114。以下、この詩の引用は同じページから。))は、上述の通り、直訳としては正しい。  2行目「敵に対して気力と力で」は、prendront (手に入れるだろう)が訳に反映されていない。  3行目「飢えで死なない人々は高姿勢になり」は誤訳。dehors morts を「死の外側」=「死なない」と理解したものだろうが、この行の前半律(最初の4音節)は dehors までなので、 dehors morts というまとめ方は不自然であろう。実際、ブランダムール、[[ジャン=ポール・クレベール]]、[[ピーター・ラメジャラー]]、[[リチャード・シーバース]]、[[エヴリット・ブライラー]]ら、実証主義的な論者でそのように理解している者はいない。  4行目「かれらには以前よりも一層大きな飢きんがあるだろう」は jamais (決して~ない)が訳に反映されていない。また、4行目には動詞がなく、素直に考えれば、3行目で描写された餓死する人々が死に際して直面する飢饉のひどさを示していると考えられるが、大乗訳の場合、3行目を「飢えで死なない」としてしまったために繋がりが不鮮明になってしまったのではないだろうか。なお、大乗訳のように3行目を「飢え」、4行目を「飢饉」と訳し分ける方が流麗な訳文になるかもしれないが、原文がいずれも faim であることから当「大事典」では意図的に「飢え」で揃えてみた。  [[山根訳>ノストラダムス全予言 (二見書房)]]について。  1行目 「永らく島々に籠城を強いられていた者」((山根 [1988] p.137。以下、この詩の引用は同じページから。))で「攻囲される」を「籠城を強いられる」とするのは意訳の範囲内だろう。  2行目「やがて敵に対して猛反撃を加えるだろう」は、vigueur (気力、精力)と force (力、武力)をひとまとめにした上で意訳したものだろうが、原文はあくまでも抵抗する(物心両面の?)力を手に入れることまでしか描写しておらず、実際にそれで「猛反撃を加える」かどうかは明言されていない。その点で、意訳にしても若干アレンジしすぎと見えなくもない。 *信奉者側の見解  [[テオフィル・ド・ガランシエール]](1672年)は、スペイン軍がオランダのライデンを攻囲した際に、堤防を破壊し、水攻めにしたことと解釈した((Garencieres [1672]))。  その後、20世紀に入るまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、[[ジャック・ド・ジャン]]、[[バルタザール・ギノー]]、[[D.D.]]、[[テオドール・ブーイ]]、[[フランシス・ジロー]]、[[ウジェーヌ・バレスト]]、[[アナトール・ル・ペルチエ]]、[[チャールズ・ウォード]]の著書には載っていない。  [[マックス・ド・フォンブリュヌ]](1938年)は1行目を「長らく攻囲されてこなかったブリテンの島民たちは」というように、否定文に読み替えて1930年代までのイギリス情勢と解釈した((Fontbrune (1938)[1939] p.260, Fontbrune (1938)[1975] p.267))。  [[アンドレ・ラモン]](1943年)は1917年以降のドイツ軍によるイギリスとその連合国にむけた無差別潜水艦攻撃が、かえってドイツの首を絞めることの予言と解釈した((Lamont [1943] p.132))。  [[ロルフ・ボズウェル]](1943年)は1940年ごろの世界大戦の情勢と解釈した((Boswell [1943] p.102))。  [[ジェイムズ・レイヴァー]](1952年)、[[スチュワート・ロッブ]](1961年)、[[エリカ・チータム]](1973年)、[[ヴライク・イオネスク]](1976年)、[[セルジュ・ユタン]](1978年)も、多少の違いはあれども、第二次世界大戦序盤に封じ込められていたイギリスが、ドイツに逆転したことなどと結びつけた((Laver (1942)[1952] p.230, Robb [1961] p.124, Cheetham [1973], Ionescu [1976] p.550, Ionescu [1987] p.339, Hutin [1978]))。 *同時代的な視点  [[ピエール・ブランダムール]]は、モデルの特定はしていないものの、普通の攻囲戦では籠城を強いられている側が飢えるのが普通なのに対し、この詩は攻囲している側が飢えるという逆説的な描写になっていることを指摘した((Brind'Amour [1996]))。  [[ピーター・ラメジャラー]]は『[[ミラビリス・リベル]]』に描写された[[イスラーム]]信徒のヨーロッパ侵攻の予言がモデルであろうとした((Lemesurier [2003b], Lemesurier [2010]))。  仮に「島々」が正しいとしても、当時はオスマン帝国の海賊艦隊が地中海を荒らしていたことを考えるなら、地中海の島々を想定するのが穏当ではないだろうか。そして、それらの島々が攻撃にさらされることは、『ミラビリス・リベル』の描写にも見られたことであった(同書の予言が当たっているという話ではなく、イスラーム勢力がヨーロッパに侵攻してくるというモチーフは7世紀以来、ずっと見られたということにすぎない。7世紀以来ヨーロッパはイスラーム勢力の侵攻をたびたび受けてきたし、逆に十字軍という形で打って出たこともあった。そうした歴史的経緯が中世以来の予言的伝統にも影響しているのである)。 ---- ※記事へのお問い合わせ等がある場合、最上部のタブの「ツール」>「管理者に連絡」をご活用ください。

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