ニコポリス

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 &bold(){ニコポリス}(Nicopolis)は古代ギリシア都市。現在知られているだけでも7つあった((田川建三『新約聖書 訳と註』第4巻、pp.776-777))。  その一つは、ギリシア西部、エペイロス地方の中心だった都市である。都市名は「ニケ(勝利の女神)の町」の意味で、アクティウムの海戦の勝利を記念して、アウグストゥスによって紀元前31年に建設された。近傍にはニコポリス村が残っている((以上、『コンサイス外国地名事典』第3版および『新共同訳 聖書辞典』第2版(新教出版社)による。))。  [[新約聖書]]に含まれるパウロ書簡『テトスへの手紙』(テトス書)では、パウロはニコポリスで越冬する予定であることをテトスに告げている。このニコポリスが7つ(以上)あったどのニコポリスかは定かではないが、現在ではエペイロスのニコポリスが有力視されている。ほかに、キリキアのニコポリス(シリアのアンティオキア近郊)、トラキアのニコポリス(現ブルガリア国境近く)なども可能性があるという。ことに、トラキアのニコポリスは中世の写本家たちが有力視していたらしい((以上、田川、前掲書))。  この叙述から、聖書信仰の立場では、パウロがテトスとともにギリシアで伝道する際の拠点にする意図だったとも推測されている((『新聖書辞典』いのちのことば社))。他方で、リベラル派に拠ればテトス書はパウロの名を借りて別人が作成した擬似パウロ書簡であることを疑われているので、その立場からはパウロ自身の言かどうかが疑われている((田川、前掲書))。 *ノストラダムス関連  『予言集』ではフランス語式に綴ったニコポル(Nicopolle)が、[[百詩篇第9巻91番]]のみに登場している。 ---- #comment
 &bold(){ニコポリス}(Nicopolis)は古代ギリシア都市。現在知られているだけでも7つあった((田川建三『新約聖書 訳と註』第4巻、pp.776-777))。  その一つは、ギリシア西部、エペイロス(エピロス)地方の中心だった都市である。都市名は「ニケ(勝利の女神)の町」の意味で、アクティウムの海戦の勝利を記念して、アウグストゥスによって紀元前31年に建設された。近傍にはニコポリス村が残っている((以上、『コンサイス外国地名事典』第3版および『新共同訳 聖書辞典』第2版(新教出版社)による。))。  [[新約聖書]]に含まれるパウロ書簡『テトスへの手紙』(テトス書)では、パウロはニコポリスで越冬する予定であることをテトスに告げている。このニコポリスが7つ(以上)あったどのニコポリスかは定かではないが、現在ではエペイロスのニコポリスが有力視されている((土屋博『牧会書簡』))。ほかに、キリキアのニコポリス(シリアのアンティオキア近郊)、トラキアのニコポリス(現ブルガリア国境近く)なども可能性があるという。ことに、トラキアのニコポリスは中世の写本家たちが有力視していたらしい((以上、田川、前掲書))。  この叙述から、聖書信仰の立場では、パウロがテトスとともにギリシアで伝道する際の拠点にする意図だったとも推測されている((『新聖書辞典』いのちのことば社))。他方で、リベラル派に拠ればテトス書はパウロの名を借りて別人が作成した擬似パウロ書簡であることを疑われているので、その立場からはパウロ自身の言かどうかが疑われている((田川、前掲書および土屋、前掲書))。 *ノストラダムス関連  『予言集』ではフランス語式に綴ったニコポル(Nicopolle)が、[[百詩篇第9巻91番]]のみに登場している。 ---- #comment

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